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ジオ戦記(旧)  作者: ルノア
第1章
45/52

45. 開戦の日

 平和だったはずの日常に響く悲鳴の数々。起き上がらぬ者の名を懸命に叫ぶ国民の姿。鳴り止まない破壊の余韻。鉄壁を誇っていたはずの帝都アイアンウォールは、一瞬にして炎に包まれた。静かな住宅地で突然起きた爆発は、周りの人々の心身に大きな傷を負わせてしまう。


 どうにか生にしがみついた者達は、負傷した体を引きずりながら逃げ惑っている。


 それを嘲笑うかのように火の手は勢いを増し、無慈悲な建物の崩落が再び彼らを襲った。


「なんだこれは……」


 戦時中を思い出させるような地獄絵図さながらの惨状に、ブリンクは息を飲んだ。どんよりと濁った空の黒が、余計に世界の終末を思わせる。


 そんな中で違和感を覚えたのが、粉々に吹き飛んだ建物の近くに立っていたハルベルトが、この不測の事態に一切動じなかったこと。まるで爆発が起こることを予め知っていたかのようだった。


「ハルベルト。何をした」


 不動の大男を睨む。


 こいつの奇妙な足止めに、この惨事。とても偶然だとは思えない。何を企んでいる?


「いまに分かる。見てな」


 ハルベルトは否定しなかった。そしておもむろに手をあげ、得意げに指を鳴らしてみせる。


 するとそれに呼応するかのように、崩れ落ちた建物の一部がガラガラと音を立てて盛り上がった。


 瓦礫の下に、何かいる。


 それ(・・)が曇天の空の下に姿を露わにした時、ブリンクはその事実をすぐには受け入れることができなかった。


「……そんなバカな」


 全身を覆う針金のような刺々しい黒毛。短剣と見紛うような鋭利な牙と爪。丸く曲がった猫背。禍々しく開かれた(あぎと)からは、狂犬さながらに乱れた呼吸。瞳孔は失われ、白目をむいた瞳には無数の赤い筋がほとばしっている。


 それは遠い極寒の地にしかいないはずの人狼そのものに違いなかった。


「ウルブロン!」


 ブリンクは無意識に叫んでしまっていた。


 まさか。出鱈目(でたらめ)だとばかり思っていたあの噂は本当だったとでも言うのか? この爆発の破壊力もウルブロンの魔力によるものだと言われれば、確かに納得はできる。だが、海を渡る術を持たない奴らがどうやってここに?


 そして、何故このタイミングで協定を破って帝都に侵攻してきた?


「なんで、ウルブロンが!」


 初めて人狼を目にしたレニもそう言うと、次には閉口してしまった。


 どんな種族かを言って聞かせてはいたが、初めて触れる戦闘民族としての凄まじい威圧感や気迫、殺気にただならぬものを感じたのだろう。


 幼いミューネも同様で、その目には恐怖の色が浮かんでいる。


「今日はお前に相応しいシナリオを用意したんだぜ、ブリンク。こいつはその重要な役者のひとりってわけだ」


 まるで祭りの司会者にでもなりきったかのように大袈裟に腕を広げ、ハルベルトが言った。


 その間、背後に佇むウルブロンは崩れゆく家屋の中にじっと立ち尽くしていた……が、その虚ろな視界の中を怯えたゴラドーン市民が横切ると、その体が急に動き始めた。


 威嚇するような唸りをひとつ。


 両手を地につけて四つん這いになると、次の瞬間には大地を蹴る。一秒にも満たぬ動作だった。しなる弓と飛び出す矢のような、しなやかで力強く、目にも止まらぬような速さの跳躍。


「に、逃げろ、ウルブロンだ! こっちに来るぞ!」


 異国の獣人を見て逃げ出す人々に、ウルブロンは容赦しなかった。背後から飛びかかり、爪で一閃。切り裂く。


「ぐぁっ!」


 衣服ごとズタズタに引き裂かれた男性は断末魔とともに地面に投げ出され、そのまま動かなくなってしまった。


「な、なんてことを……」


 ミューネがたまらず漏らす。


 たった一度。一度の瞬きのうちに人の命が奪われた。


 一撃で致命傷を負わせるほどの殺傷力に、人々はしばらく忘れていた人狼の残忍性を再び思い出し、場の恐怖心はより深さを増していく。


 その動きは極めて俊敏で苛烈なものだったが、どこか洗練されたものではなかった。まるで血に飢えた獣が手当たり次第に獲物を襲っているかのような暴走こそ感じられる。


 ウルブロンは実に好戦的な人種だが、蛮族ではない。彼らにも戦い方がある。こんな雑な戦い方は戦時中にも見たことがなかった。


 だがその暴れっぷりを見たこの男、殺し好きのハルベルトはこの場でただひとり顔中に満面の笑みを張り付けていた。


「こりゃあ、期待以上の出来じゃねぇか」


「言ってる場合か! このままじゃ住民が皆殺しにされてしまうぞ!」


 こうしている間にも守るべき弱者が襲われているというのに、この男は逆にそれをただ見守っているだけで義務を放棄してしまっている。


 こちらが助けに入ることもできるが、眼前のハルベルトはそうさせるつもりもないらしい。


 こいつはウルブロンが現れることも知っていたのか?


「あのウルブロンは何だ、答えろ!」


 再びの問いに、ハルベルトは口の端を大きく吊り上げる。


 そして思っても見なかった事態が続いた。


 遠くで再び爆発が起こったのだ。


 しかも今度は一度だけでは収まらない。二度、三度。時が秒を刻む度にそれは連続した。


「あいつが何かは関係ねぇ」ハルベルトは親指を背後で暴れるウルブロンに向ける。「大事なのはよ、あの犬っころが協定を破ってここで暴れているってところだろ」


「何……?」


 それはつまり……。


「戦だよ! 今日この日が、待ちに待った開戦の日だ。窮屈で馬鹿馬鹿しい道徳とやらからようやく解放され、俺の自由な意思で人を殺せる日々がまた始まるんだぜ!」胸を仰け反らせてハルベルトが裏返るような声で笑う。「ここまで来りゃ、この流れはもう誰にも止められねぇ!」


 その時、ブリンクはハルベルトの肩越しに見た。この筋肉男のちょっとした動きに、ウルブロンがぴくりと反応を示し、耳を傾けたのを。


「そして、今日の主役はよ……」


 背後から忍びよる人狼。恥もなく熱く語る大男に向かって、先程と同じような跳躍を見せる。宙に舞ったウルブロンの牙と爪が振り下ろされ、煌めきを帯びた。


 引き裂かれる肉体。鮮血が飛び散り、あたりに霧散する。


 ……なのに、ハルベルトはいまだ平然と笑い続けていた。


 自らの戦斧を振り下ろすと、どさりと落下したのは攻撃をしかけたはずのウルブロンの残骸。


 ハルベルトは敵が飛びかかってくる場所を気配で読み、そこに太くて尖った武器の先端を突き立てていたのだ。


「テメエだよ、ブリンク」


 まだ血肉の滴る戦斧がこちらを向く。歯型の刃が笑っていた。


 こいつの殺しの嗅覚……あの日から全く衰えていないようだ。そしてそれがいま何の理由か、こちらを向いている。


 ハルベルトが戦いのプロであることを思い出すと、ブリンクの中に一抹の不安が過ぎる。この距離でもし仕掛けられでもしたら、魔物相手ならばともかく、銃で対抗するのには無理がある。


 だがそんな懸念も、新たに起こった爆発とが軽く吹き飛ばしてしまった。


 今度はハルベルトとの間という至近距離。


 視界の中で眩い閃光が炸裂し、膨張する火炎の塊が見境なく食らいついてくる。


「うおっ……!」


 距離的に炎に巻き込まれこそしなかったのが幸いだったが、あまりの爆風にブリンクの体は宙に浮き、後方に吹き飛ばされてしまう。


「ブリンク!」


 レニが心配そうな顔で駆け寄ってくる。


 衝撃は馬に蹴られたかと思うほど強烈だったが、実際にはたいした傷もなく、落下の地点は丁度レニとミューネの近くだった。


 これはチャンスだ。


 痛む体を無視するに努めて、立ち上がる。


「俺は大丈夫だ。それより、この隙に逃げるぞ」


 吹き飛ばされたおかげでハルベルトとの距離も稼げた。立ち上る黒煙もうまく奴の視界を遮ってくれている。


 一体帝都で何が起きているのか、ハルベルトは何故敵意を向けてくるのか。気にならないではなかったが、どちらにせよアイアンウォールを抜けるならこのタイミングを逃すわけにはいかない。


「うん、分かった。ミューネ、急ごう」


「はい!」


 事態を飲み込めないながらも、ふたりはブリンクの指示通りに走り出した。レニがミューネの手を強く握り、先導する。

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