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ジオ戦記(旧)  作者: ルノア
第1章
44/52

44. 全てを失った日

「ぶ、ブリンクさん、大変です!」


 血相を変えてテントに入ってきたのは、部下のひとりだった。


 いや、顔色が悪いだけではない。傷を負って、大量の血を流している。それも重症ではないか。


「どうしたんだ」


 ただならぬ事態であることを察したブリンクは、倒れ込む部下を地面すれすれで抱き止めた。


「プ、プロト軍の奴らが……檻を出て、あ、暴れてます」


「何だと?」


 瞬時に、血の気が引く感覚を味わう。


 昨日まで、ルヴィッツ大将軍との関係は悪くなかったはずだ。むしろ、はじめ敵同士だったことを思えば良好だったと言っても良い。


 それが一体何故……。


「おい、しっかりしろ。おい!」


 それっきり、部下からの返事はなかった。


 数年付き従ってくれた部下の亡骸をそっと地面に寝かせたが、それでもその重みは消えずに腕の中にずしりと残った。手にべっとりとついた温かい血液を眺めて、固唾を飲む。


 テントから出ると、夜だというのに外は異様に明るかった。自然の光ではない。そこここのテントに火が放たれ、燃えているのだ。


 遠くで戦いを繰り広げる男達の声が聞こえる。それに混じって、鋼と鋼がぶつかり合う音や、肉が裂け、血が噴き出す不快音も飛び散っていた。


 あたりには激しい戦闘の後と、部下の死体が地面に伏している。


「お前達……。何故こんなことに」


 プロト人に救われた命が、プロト人によって奪われたとでもいうのか……。そんな馬鹿なことが……。


 沸き起こる複雑な感情をひとまずは抑え、ブリンクが向かったのがプロト人達を収容していた檻だった。


「ルヴィッツ大将軍!」


 破壊された鉄柵の向こうに、うつ伏せで倒れている敵国の武将を見て、思わず叫んだ。じわりと生まれる小さな猜疑心(さいぎしん)が、揺れる声となって表に出る。


「うっ……ぐく……」


 呼ばれて上げたルヴィッツの顔面には、無数の(あざ)が浮かんでいた。まるで複数の相手に一方的に殴られたかのようだ。あまりの酷さに、顔の一部が変形してしまっているところもある。


「何が起きたんだ」


 ルヴィッツはこの事態には関与していない。その顔の傷と、彼の性格を少なからず理解していたブリンクは確信すると同時に迷わず近づき、ルヴィッツを仰向けにして抱きかかえる。


「す、すまない、ブリンク。私は我が戦士達を抑えることが出来なかった」


「どういうことだ」


 問いかけながら、辺りを見回す。


 鉄柵の扉は鍵がかかったまま。破壊された様子もない。依然、四方をがっちりと囲んだまましっかりと立っている。


 いや、一箇所。


 側面の鉄柵が大きくひしゃげているところがある。まるでタイタンの怪力で押し広げられたような……。


「休戦の話……、やはり駄目だったのだな」


「何……?」


 ルヴィッツのその言葉は、ブリンクに頭を強く殴られるような衝撃を与えた。


 彼は、いま何と言った? 休戦が駄目になった、だと?


「一体、何のことを言ってるんだ」


「黒いマントを着た男が、そう伝えに来た。捕虜としているプロト人は全て抹殺だ、と。帝国軍からの通達だったそうだ……ゴホッ……」


 自らの血で喉を詰まらせながら、ルヴィッツはことの発端を語った。


「な、何だって? そんなこと、俺は何も聞いてないぞ。黒マントの男だと? アーサーのことか」


 帝国でも有名な小悪党の禿頭を思い出すと、無性に怒りが込み上げてくる。常に何かを企み、悪事に手を染め、人の不幸を喜ぶような男だ。奴のなんらかの報せが、プロト戦士達の生存本能に火をつけたのではないか。


 それを止めようとしたルヴィッツだったが、戦士達の意志に押し切られてしまったのだろう。


「それを聞いた彼らは絶望に沈んだ。もとより、あのトンネルの中でズタズタに引き裂かれた心。彼らが暴走するには少しの衝撃で良かったのかもしれない……」


「もう喋らなくて良い。話はこっちで確認する。ことが収まるまで物陰でゆっくりしてるんだ」


 ルヴィッツの腕を自らの肩に巻き、持ち上げる。


 ことは自分の知らないところで、悪意を持って進んでいる。そんな気がしてならなかった。


 和平のための、せっかくの好機なんだ。ルヴィッツだけは死なせられない。


「許してくれ……。止めはしたのだ。しかし、プロト戦士達は君の優秀な部下を皆殺めてしまった。彼らは我らを嫌悪することなく、良くしてくれたというのに……。我らは我らで、裏切られたという思いが強かったのだと思う」ルヴィッツは言わなければいけないとばかりに、掠れた声で続けて漏らした。「理想とは、かくも遠いものなのだなぁ……」


 ルヴィッツの顔が、苦笑するように歪む。


「静かにしていてくれ。大丈夫だから。あなただけは必ず守ってみせる」


 彼の息子が待つ故郷へ帰すのだ。その為には、軍に逆らおうと構いはしない。それが人として正しいと思った道なのだから。


 ブリンクは同じ子供を持つ彼に、いつの間にか自分を投影していた。プロト王国で捕まり、二度と会えないと思っていた妻と子に会えた時の感動はいまでも忘れられない。


 生きていることが素晴らしいということ。ルヴィッツにも味わってもらいたい。


「本当に……申し訳ない……」


 肩に抱かれたルヴィッツは瞼を力強く瞑り、何度も何度も謝り続けた。


 その時だった。背中にずしりと重たい衝撃が走ったのは。


「ぐあっ……!」


 衝撃とともに、途切れるような一瞬の叫びがブリンクの体に重くのしかかる。


 不安定な体勢のまま、ふたりは地面へと投げ出された。


「な、何……」


 地面に突っ伏したブリンクは泥と草のついた顔をあげ、傍に倒れたルヴィッツに駆け寄る。


 彼の背中には、ぱっくりと赤く滲む大きな裂傷が。傷は深く、そして治療が不可能なくらいに傷口がめちゃくちゃに引きちびられていた。


「よう、ブリンク。無事かぁ?」


 背後から投げかけられたその言葉に事態を察し、新たに心臓から供給されたのは怒りの血流。


「ハルベルト……貴様……!」


 ルヴィッツを背後から切りつけたのは、自慢の胸筋を露わにしたハルベルトだった。手に持つ異様な形の戦斧から、鮮血が滴っている。


「襲われてるお前を、俺が助けてやったんだぜ? 少しは感謝しろよな」


 助けただと……? ふざけるな。


 人を殺しておいて平然と笑っていられる神経が、ブリンクは堪らなく気に入らなかった。


 悲しいことに、既にルヴィッツは事切れていた。どちらにしても、刃の並びが不規則なあの斧で傷をつけられれば、まず傷の修復は不可能だったに違いない。


「なんてことを……!」


「あ? おめぇ、聞いてなかったのか?」ハルベルトは勝ち誇ったような優越感に浸った顔を向ける。「プロト人は全員、殺すんだよ。軍からの命令だ。そして、そいつが最後のひとりだったみたいだな」


「そんな報告、俺は聞いていない!」


「バカか、てめぇは。ここにいる指揮官はお前だけじゃないんだぜ。報告はひとりが聞けば十分だろうが」


 確かにここの指揮官はブリンクとハルベルト、ふたりいる。だが、しかし……。


「捕虜の扱いについては俺の提案だったろう。何故俺には一報も無かったんだ!」


 ブリンクは自分でも周りが見えなくなるくらいに激昂していた。


「俺に聞くんじゃねぇ。伝達はアーサーから来たもんだ。あいつに聞くんだな」


「だからと言って、俺に聞かずに皆殺しにするやつがあるか……!」


 燃えるような赤さを増すブリンクを眺めて、ハルベルトはただただニヤついていた。


「うちのお偉いさん方はよ、敵は容赦なく殺せと言ってきたんだ。てめぇの意見なんてのは関係ない。だからよ、俺は言っただろ? お前は間違ってるってな」


 そこに偶然コソコソと通りかかったアーサーを見つけたブリンクは、押し倒すような勢いで飛びかかった。


「ひっ……。な、何をするんだ」


「おい、このタコ野郎。帝国からのメッセンジャーはお前か! 何故俺に最初に報告しなかった」


「ほ、報告はハルベルトさんに……」


「俺が出した提案だったろうが!」


 あまりの剣幕に縮み上がってしまったアーサーの襟を、ブリンクは千切れてしまうくらいの力で掴む。


「その帝国からの指令書はあるんだろうな? 見せろ!」


「お、俺は持ってない。連絡はふたりで来るもんだろ? も、もうひとりの奴が持ってるよ」


 猛烈な攻めを受け、頭に大量の汗を浮かばせたアーサーが返す。


「そいつの名前は!」


「し、知らねぇよ。いちいち覚えてられるか」


 アーサーは取り乱すようにして言った。


 しかし、そんなはずはない。いくら初見の人間が相方だったとして、帝国からカームグラス平原までの何日もの道を、名前も知らずにともに行動などするものか。


「いい加減なことを……!」


 普段冷静なブリンクだったが、この時ばかりは拳をきつく握りしめずにはいられなかった。頭にのぼった血が、次第に全身を駆け巡る。


「おいおい、ブリンクさんよ。さすがに女々しいぜ」


 それまで面白おかしく見ているだけだったハルベルトが間に割って入る。


「所詮よ、みんなで手を取り合って仲良くしようだなんて、甘いんだよ。この世界はな、殺しあうことで回ってんだ。昔から、それは何も変わっちゃいねぇ」


「この野郎……!」


「恨むんなら、この世界に産まれてきたテメエを恨むんだな」


 なおも汚い笑みを浮かべ続ける男を前に、ブリンクは自然とその手を腰のホルダーへ回していた。


 まさに短銃のグリップに指が触れる瞬間、殺戮が終わってしんと静まりかえった戦場に、予想外の第二の悲報が伝えられた。


 アーサーとは別の伝達役が、乗ってきた馬から振り落とされるような勢いで、転がり込んでくる。


「て、帝都が! アイアンウォールが、魔物達の襲撃を受けています! 至急、応援を!」


 この日、もう既に抉られる心など無くしたはずだったブリンクに、それは追い討ちとなる報せだった。


「な、なんだと……。そんな……」


 ハルベルト達への怒りなど、一瞬で吹き飛んでしまう。


 帝都が襲われているだと? しかも、魔物に?


 だとすると、最悪だった。帝都の守りは比較的薄く、残っている帝国兵はごく僅か。わざわざ伝達が来るということは、対処しきれないほどの数が攻めてきているということ。それに、食料を求める奴らの最初の標的となるのは、正門の外に溢れ出た貧民街だ。


 そこには自分の帰りを待つ、愛する妻と子がいる。


 打ち捨てられた部下達。故郷への帰還を約束したルヴィッツ。帝国軍人としての立場、誇り。何もかもを投げ捨てて、ブリンクは近くの馬に飛び乗り、ひとり帝都へと馬首を巡らせた。


 帝都まではどんなに飛ばしても二日はかかる道のり。無論、間に合うはずもなく、彼の家族は到着を待たずに魔物の手によって惨殺されてしまう。



 この日こそ、後にジオに大きな爪痕を残すことになる<悪魔の行進(デビルズ・マーチ)>が起きた日なのだった。



 この時を境に、ブリンクの運命は大きく変化した。帝国に見捨てられ、仲間と希望、そして家族を失い、誰一人として守ることが出来なかった。一日にして、全てを失ったのである。


 カームグラス平原から一秒たりとも休むことなく、要所で疲れ切った馬を捨てては新たな馬に乗り、ようやく帝都へと辿り着いたブリンク。その悲惨な現場を目にした彼がとった怒り狂った鬼のような猛攻は、瞬時にして魔物達を抹消していった。


 そうして魔物の脅威を排除した彼に唯一残されたのは、<帝都を守った英雄>という皮肉のような、彼にとっては不名誉極まりない称号であった。




「どうだ? 思い出したか?」


 鮮明に残る過去から顔をあげると、当時のままのハルベルトのニヤつき顔が視界に映った。


 忘れるわけがない。忘れられないから、頭の片隅に置いていたのだというのに。


「だから、何だ」


 突き刺すような視線を飛ばす。


「まだ分かんねぇのか? そこのガキどもだよ」


 ハルベルトは自慢の戦斧の先端をレニとミューネに向けた。


 敵意を感じ取ったレニがミューネを自らの背後に隠し、ミューネはフードを深くかぶり直す。


「何も守れねぇくせに、懲りもせずどこぞのガキをふたりも拾ってやがる」ハルベルトは嫌悪にまみれた顔を歪ませ、唾を吐き捨てた。「一丁前に聖人気取りか? 俺はそんな偽善者野郎が一番ムカつくんだよ。テメエは英雄なんかじゃねぇ、死神だ。誰かを守るどころか、周りにいる人間は全員死んじまう。テメエを恨みながらな」


 過去の傷口を無理矢理抉り出すには、十分な罵倒なのだろう。


 確かに、長年の恨みというものはある。怒りが全くないわけではない。おそらく、ハルベルトは自分が怒りに我を忘れることを期待しているのだろう。


 しかし……。


 ブリンクは我が子と異国の少女に視線を向けた。いまは怒りに体を任せるよりも、ふたりを安全に外へ連れ出すのが先決だ。あの時の悲劇を繰り返さないためにも、ここは挑発に乗らず、冷静でいなければならない。


 自らの感情を静かに抑え込み、ブリンクはふたりに目配せをした。


 どうにかして逃げるぞ。


 無言の合図に気づいたレニが、小さく頭を縦に振る。


 そして、それは一瞬先のことだった。


 耳が裂けるような轟音。肌を焼くような熱波。凄まじい衝撃が、あたりの全てを襲った。


「なっ……」


 ハルベルトの背後で、家屋をひとつ吹き飛ばすほどの巨大な爆発が起きたのだ。建物の石壁が爆風によって吹き飛ばされて粉々に飛び散り、狭い路地から轟々と真っ赤な炎が噴き出す。


 もくもくと立ち上がる黒煙を背後に、ハルベルトは突然のことにも動じるところなど一切見せず、ただただ気味の悪い笑みをこちらへと投げかけていた。


「さぁ、ブリンク。楽しい、楽しい、宴の始まりだぜ」

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