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ジオ戦記(旧)  作者: ルノア
第1章
43/52

43. 忌まわしき過去

「何の冗談だ、ハルベルト」


 不敵な笑みに代わって、鋭く斬りつける刃のような表情を浮かべたハルベルトにブリンクは困惑する。法に縛られたひとりの人間とはいえ、いつかこの狂人の牙がこちらに向くであろうことは常に意識をしていたことだった。それが、よりにもよってこんな大事な時に現実になるとは。


「前からよ、気になってたんだ」こちらの問いかけには応じず、ねっとりとした陰湿な口調でハルベルトが言う。「ずぅっと前からなぁ」


「……」


 様子を伺うように、ブリンクは黙した。


 こいつの目的はなんだ? 街中で武装している意味は? どうやって切り抜ける?


 周りの状況を飲み込むように視線をめぐらすと、傍らのふたりの固まった顔が映った。


 各国間で結ばれている不可侵条約を破ったミューネを見られてしまったら、ハルベルトはいまこの場で喜んで殺戮を始めてしまうだろう。ふたりに危険が及ぶ。


 ここまで来て、そんなことにだけはさせてたまるか。


「なんでお前が英雄なんだ? あ?」


「さっきから何を言っているんだ、お前は」


 人を馬鹿にするような態度はいつもどおり。受け流すこともできたが、この日のハルベルトにはそうさせない謎の威圧感がある。何が奴をそうさせているのか。その真意は淀みきっていて、まるで見えてこない。


「良ぉく思い出してみろよ、ブリンク。あの日のこと、忘れたとは言わせねぇぞ」


「何?」


「カームグラス平原でのことだよ。とぼけんじゃねぇ」


 怒りに満ちた猛獣のような唸りが、狭い帝都の路地に響く。


「あの日、何も守ることの出来なかったお前が、英雄と呼ばれて良いわけがねぇんだ。そうだろ?」


 それまで頭の片隅にしまい込んでいたはずのある記憶が、この一言によってブリンクの中で急速に膨れ上がっていった。


 こいつ……今更また嫌なことを思い出させてくれる。


 ハルベルトの煽りは古傷を抉り、ついには青い炎に薪をくべてしまった。そこには触れてはならない過去があったのだ。





 時は戦火がまだ勢いよく燃えていた頃にまで遡り、場所はゴラドーン大陸の西方。ブラッドハーバーより少し北にある、起伏の緩やかなカームグラス平原でのことである。


 その名のとおり、元は穏やかな風が草花を揺らし、自然が人の心を癒やすような安穏の地であったと伝えられている。


 しかし、戦が次第に緑を侵食していくと、いつしかそこにはテントや鉄の防壁が数多く建ち並び、複数の帝国軍旗が風にたなびく物々しい雰囲気が漂うようになった。


 プロト大陸からの奇跡の生還を果たしたブリンクは、当時の部下を引き連れて、この近辺の国境警備を任されることとなる。


 国境とは言うものの、更に西に伸びるプロト大陸とを結ぶ陸路はひとつしかない。それは古くから禁断の道として双方で語り継がれており、所謂曰く付きであるが故にゴラドーン人もプロト人もその道にだけは誰も近寄らず、まずもって通ろうと思う者がいない。


 かといって敵が海路を選ぼうものなら、難攻不落の軍港ブラッドハーバーが立ち塞がる。


 そんな状況で、この平原に異国の兵が侵入する可能性は無いに等しく、ここを守る必要性があるのかどうかは疑問でもあった。


 そうしてブリンクはこの任務の目的を、プロト王国での任務を終えた自分達への休息なのではないかと思うようになる。


 あるいは戦力外通告か。プロト大陸で敵に捕まってしまったあげく、めぼしい戦果をあげられなかった自らをそうも卑下してみる。


 どちらにせよ、部下には良い息抜きになるだろうと束の間の安寧に身を委ねることにしたのだった。


 だがここで予想外の出来事が起きたのは、ブリンクの部隊がこの地に着いてからわずか三日が経過したばかりの時だった。


「敵兵! 敵兵!」


 慌てふためいた帝国兵の怒声に、寝台で休んでいたブリンクは思わず飛び上がった。


 なんとこのカームグラス平原に敵の兵士が足を踏み入れたのである。


 プロト王国の軍だ。


 軍隊は、絶対に無いとまで言われ続けていた唯一の陸路、深淵へと続く道(アビストンネル)と呼ばれる長いトンネルを選び、ゴラドーンの地に侵攻してきたのだ。


 陽の光の届かない暗い穴から這い出てきた異国の軍人達を見て、ブリンクは不意をつかれた思いであったが、それ以上に彼らの状態を見て唖然ともした。


 遠目に見ても分かる。敵は極度の疲労を体に抱え、何故か体力を消耗しきってしまっている様子だった。それに軍隊にしては数が少なく、とても敵の本土に攻め込むような兵力ではない。


 顔や体は脱力に揺れ、頰は痩せこけ、歩の進みは乏しい。陣形などとうに崩壊し果て、担架に運ばれている者もいるようで、トンネルを這い出てくるや否や、指揮官と思われる男がすぐに白旗を上げるという悲惨な有様だった。


 魂を抜かれたような彼らの姿を見て、あのトンネルを通ってはいけないと言い伝え続けられてきた理由がそこにあることを感じずにはいられなかった。


「これで全員のようです」


「あぁ、ご苦労」


 背の高い柵を四方に立てただけの急ごしらえの牢にプロトの軍隊を詰め込み、報告に来た部下に軽く手をあげる。


 柵は若干頼りなく見えたが、意気消沈した彼らが抜け出さないようにするには十分すぎるほどだった。それよりも彼らが何故あのトンネルを抜けることになったのか、一体あの穴の中には何があるのか、そればかりが気になって仕方がない。


「おい。何故そいつらを殺さねえ」


 そこに現れたのが殺気立って赤くなったハルベルトで、どしどしと地を鳴らして詰め寄ってくる。


 この血の気が多い筋肉自慢がここに配備されていたのは、平穏を求めるブリンクにとって不幸だった。


 大方、非人道的なその残忍性を危惧され、戦いの無いこの地に飛ばされでもしたのだろう。


「捕虜として丁重に扱うつもりだ」


 会話すら面倒に感じたブリンクは、短くそう言い放った。


「ふざけたこと抜かすな。いますぐ殺らねぇと、いつ寝首を掻かれるか分かったもんじゃねぇ」


 ハルベルトの苛立ちは単純で分かりやすい。


 戦いにしか生き甲斐を見出せない奴がこんな後方に回され、あり得るはずもなかった戦いのチャンスが向こうから舞い込んできたというのに、敵はあんな状態で戦う気力も無く、しかも捕虜にされるとまで聞けば、溜まる鬱憤もこいつの小さな器には収まりきらないのだろう。


「殺すのは簡単だろうが、しかし得られるものは何もない。ならば彼らを捕虜として利用したほうが何倍も利口だ」


 ブリンクは落ち着いた冷たさで、譲らない意志を見せる。


 この時彼が気持ちを頑なにしていた理由はふたつあり、ひとつは密かに自らの感情を挟んでいたからであった。


 思い出すのは、あのプロト人女性の笑み。


 あの日、敵国の女性に命を救われたブリンクの中には彼らに対する恩義が生まれていた。


 敵である彼らにも守るべき生活があることを知らされた。彼女の考えに共感し、自らも試すべきだと思ったのだ。


 戦争を終わらせる努力。守るべき者が安心して暮らせる世界。妻も望む子が育つ環境。その第一歩は、自らが踏み出さなければならない。


 そしてふたつめの理由として、気になることがもうひとつだけある。


 アビストンネルだ。


 真っ黒な闇が溢れるあの穴の中には、一体何がある?


 長らく禁断の地とされてきたあのトンネルは、帝国軍にとっても興味のあるところだろう。海の上に浮かび、ぽっかりと口を開いた巨大な筒の中にはまだ見ぬ豊富な資源と、新たな大陸へと続く道があるのだと密かに噂されているくらいなのだから。


「気に食わねぇな、おい。なんだってこいつらに肩入れする? まさかてめぇ、あっちの国で何か仕込まれてきたわけじゃねぇよな」


 なおも煮え切らない様子のハルベルトは、ブリンクがプロト王国の回し者ではないのかということを下衆な笑いで指摘した。


「別に肩入れしているわけじゃない。彼らの価値を有効的に使うべきだと言っているだけだ。お前のように目に入る者全てをただ殺すだけなら、俺たちは何も進歩しない」


「なにぃ?」


 瞬時に、ハルベルトの目つきが好戦的なそれに変わる。


 それを怯まず、真っ直ぐに睨み返す。


「お前も少しは命の重みを知るべきだ」


 言っても無駄だとは思いながらも、言わずにはいられなかった。


 赤みが更に増した顔を震わせ、拳を握りしめたハルベルトだったが、さすがにその先は思い留まったようで、その巨体の背中を見せると、


「ブリンク。いまてめえが言ったこと、しっかりと覚えていろよ。いまにそれが間違いだったと気づくだろうさ」


 そう後に残る意味深な言葉を残して立ち去った。


 同じ時を過ごしたくないほど気分の悪くなる男だ。まるで、同じ人間ではないようにさえ思えてくる。


 ブリンクは大きく嘆息すると、無骨な牢へと向き直った。


 鉄柵の向こう。敵国の兵士達は一様に倒れているか、項垂れていた。まるで何かが出ていったあとの抜け殻だ。


 ただひとりを除いては。


「窮屈だろうが、しばらく我慢してくれ」


 捕虜の中で唯一、他とは雰囲気が違う男。白旗をあげた敵の指揮官だ。心を落ち着かせるように禅を組んだその男は、長髪を頭の後ろで結い、いかにも武士然とした凄みのある男であった。


 ブリンクの言葉に耳を傾けた男は、ゆっくりと目を開ける。


「……かたじけない」


 そう言って両の拳を地面につけ、頭を下げた。


 敵に捕まっておいてなお、何故礼を言うのか。妙な気持ちだった。


「何の礼かは知らないが、不要だ。俺たちはただ、そちらの知っている情報が欲しいだけ。それがお前たちを生かすための条件だ」


「……」男はゆっくり頷く。「知りたいこととは?」


「プロト王国の内情を知りたい」


 言って、お互い相手を見定めるような見つめ合いが始まる。


 感覚で分かってはいる。男がそう易々と自国を売るような人間ではないだろうということ。


「……本来ならそう言うべき立場なのだろうが」ブリンクは少し待ってから、男に真っ直ぐ向き合う。


「俺としては一旦休戦を呼びかけられないか、お互いの上層部に提案してみたい」


 それまで凛とした姿勢を崩さなかった男が、驚きの眼差しでブリンクを見つめた。


「休戦……?」


「そう。お互いが争わなくて良いように、俺はしたい。これ以上、誰かが傷つかないように。俺にも守りたい命があるんだ」


「ゴラドーンにも理想を語れる者はいるのだな……」男はふっと皮肉めいて笑う。「しかし、それでは帝国そのものが納得しないだろう」


「いや、俺はすると思う」ブリンクは大きく頷いて断言した。「あのトンネルの中で何を見たのか。それさえ教えてくれればな」


 世界の優位に立ちたがる帝国のことだ。その調査のためには全精力を惜しまず注ぐはずである。


「……」


 まるで、聞いてはいけない何かに触れてしまったかのように、男の表情に苦悶の筋が浮かんだ。


「不思議なものだ。あの穴を通る前にはお前たちを排除する気でいたというのに、いまはただ同じ人間に会えたことに安堵し、感謝までしている」


 そうして、男は目を瞑ると静かに語り始める。


「いまは見る影もないが、それでも我らは王国選りすぐりの部隊だった。いまよりももっと大所帯だったよ」


 居心地の悪さを感じたのか、男は居住まいを正す。


「屈強な戦士を集め、敵の本土に攻め込むつもりでいた。プロト軍が海戦においてゴラドーンに勝ることは、不可能だと判断した結果でのことだ」


 男は懺悔でもするかのように苦い顔で語った。


「多くの反対がある中で、我らはあの穴を通って敵国へ攻め込む作戦を強行した。帝国に比べて非力な我らが、国や愛する者を守ることのできる唯一の手段であると信じたからだ。昔からの言い伝えなど、所詮はお伽話だろうと甘く見ていた」


 そして、再び肩と焦点の合わない視線を落とした。


「だが、私はいま猛烈に後悔している。その決断こそが間違いであったと」


「一体、中には何が?」


 溜まった唾を飲み込み、答えを待つブリンクに重い溜息が返ってくる。


「すまない。正直なところ、私にもまだ何が起きたのか頭では理解できていないのだ。まるでひと時の悪夢を見たかのように、私は一瞬で多くの仲間を失った」


「一瞬で……」


「いまはただ、心を休ませたい。部下のこともある」男は背後に転がる仲間達を肩越しに見やる。「気持ちの整理ができれば、きっと順を追って話せるだろう」


「……そうか、分かった。では、落ち着いた頃にまた来よう」


 そこから無理に追求することは避けた。キリの悪い終わり方ではあるが、第一歩を焦る必要はない。むしろはじめの一歩だからこそ大事にしないといけないのだろう。ブリンクは顔の前で手をひらりと振ると、牢に背を向ける。


 立ち去ろうとすると男が立ち上がり、「待って欲しい」と呼び止めた。


「名は。名は何という」


 それは一番答えに窮する質問だった。


 戦で好き好んで殺めたわけではないが、いままでに撃ったプロト兵は数知れず。狙撃という点も見方によれば、正々堂々としていない卑劣な戦い方だと思われていても仕方がない。


 しかし…、


「ブリンク・トゥルーエイムだ」


 自分でも気づかぬうちに、そう名乗っていた。


「……かの死神か。実在したのだな」


 男は腕を組むと、しばらく瞑目する。その沈黙が、苦痛に感じられた。過去の過ちは消せない。おそらくこの男の部下を殺めたこともあるのだろう。


「そういうあなたも”赤牙の猛虎”、ルヴィッツ大将軍では?」ブリンクは少し驚いた表情の男の戦闘衣を指差した。「その胸の紋様と、あなたが持っていた細身の長剣を見れば、誰にでも分かる」


「隠し事はできないものだな」


 赤牙の猛虎と言えば、数々の戦場でその名を轟かせた、白兵戦ではいまだ無敗を誇るプロトの大将軍だ。数の有利や国の技術力の差など、この人物の前ではただ一刀に斬り伏せられるのみとまで言われている。


 ルヴィッツは暗い顔を申し訳なさげに落とした。彼もまたブリンクと同様、敵とは言えいくつもの命を殺めたことを後悔はしているのだろう。


「俺からもひとつ質問させてほしい」


 互いの気持ちを濁すように、ブリンクは言った。


「なんだろうか?」


「あなたは先程、愛する者がいると言っていたが、故郷には待つ人が?」


 何故そんなことを聞くのか、といった表情が現れた後、ルヴィッツは意図を探るようにではあるが正直に答えてくれた。


「……妻は病で早くに亡くしたが、五歳になる息子がいる」


  そう言った一瞬のルヴィッツの顔の綻びを、ブリンクは見逃さなかった。


「そうか。俺にも同じ年の息子がいるんだ」


 以前プロト大陸で助けられた時もそうだ。敵の中に共感できる想いが見えた時、無性に嬉しくなる。


「ほほう。お互い、待ってくれている者がいるというのは、やはり心強いものだな」


 次第にルヴィッツの舌も軽くなっていったが、


「故に、帰る者の命を奪い合う戦というものは悲惨なものよ」


 この星の置かれた状況を憂いたのか、遠い目をした。


「ああ。このままの世界では子供が上手に育たないと、妻にも言われた。だから俺は、微力ながら戦争を止めるひとつの歯車になれればそれで良いと思っている」


 たとえ小さな歯車でも、大きい物の間にはまれば物事を大きく動かせる。


「若さ故か、青臭いことを言う」ルヴィッツは膝を叩いて、笑った。「いや、期待させてもらうよ」


 年は幾分か離れてはいるものの、他国の者と人間らしい会話が出来たことにブリンクは満足した。種族が違えども、同じ人間同士、必ず分かり合える。それが確信へと変わった一日だった。


 しかし、それから数日が経ったある日の夜、事件は突然起きた。


 なんと捕虜にしていたプロト軍人達が檻を出て、暴動を起こしたのである。

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