41. 転生
ウルブロンは惑星ジオに存在する人種のうちで、最も特異な体質・容姿を持つ種族だ。
刺々しい体毛に、狼に酷似した頭部と口から覗く凶暴な牙。二足で大地に立ち、人の形を成していながらも人には程遠い。
そんな特徴故に、彼らは『人狼』とも呼ばれていた。
ゴラドーン帝国のような文明が豊かな大地でめまぐるしい進化を続けるなか、北の極寒の地で原始的な生活を送る彼らだったが、しかし他の種族にはない特別な力を宿している。
彼らを個として人類の優位に立たせ、多種族からも恐れられる所以。
それが『魔力』。
血管とは別に魔脈と呼ばれる管が全身を巡り、内に流れる魔力を体の腺から分泌することで意図的に火や水といった元素に変化させることができる。これを利用した武器は戦において多大な功績をもたらしたが、それだけではなく過酷な環境に住まう彼らの生きるためのツールとしても必要不可欠なものであった。
斯様にして生を繋げてきた彼らの平均寿命は優に二百年と言われているが、彼らの歴史にその年齢の半分を超えた者はそう多くない。
彼らが根からの戦闘民族であり、戦場で散ることを本望としているからだ。
これは何も多種族との戦争時にだけ起こる話ではない。同じウルブロン同士でも、物事を解決するためだけに他者を葬るような荒々しい習わしもあるのだ。
強き者が正しい。力が支配する種族だった。
故に五十から七十の間に命を燃やすことの多い彼らの中で、百歳を迎えた者を『エルダー』と呼び敬う慣習があった。
かつて一族の族長であったブレイズも齢百歳を越えてエルダーとなる祝いの儀式を受けたが、後に仇敵の手にかかり丁度その年に命を落とした。
――落とした、はずであった。
「ねぇ、ブレイズ。いる?」
夢の中で繰り返された最期の瞬間から、意識が現実へと引き戻される。
薄暗くカビくさい街の裏路地で、語りかけてきたのは黒い頭巾を被った小さな少年。
周りには何度見ても見慣れない風景が流れている。少年の着る服も、舗装された石造りの道も、計って作られたような頑丈そうな家屋も、日陰を出れば容赦なく照り付ける太陽ですらそうだ。ここは故郷に無いもので溢れかえっている。
何より、雪原の白がない。
黒頭巾の少年も、当然のようにウルブロンではなかった。額に埋まる宝玉が無いところを見れば、ゴラドーン人であることは間違いないだろうし、そうなればここがゴラドーン帝国領内であることも明確だ。
「……どうした?」
寝起きのぼやけた頭では返事にも力が入らず、かすれた声しか出せない。ともかく、こんな不可思議な状態でも眠気は当たり前のように来るものらしいが、やはりどうも慣れない。起きているのか、それともまだ眠っているのか、自分の存在を自分自身ですら確立できずにいた。
「あ、ごめんね。もしかして眠ってた?」
少年は少しばつが悪そうに地べたに座って縮こまる。骨のような両膝を抱えると、虚ろな瞳を何もない無機質な地面に向けた。
彼と初めて出会ったのは、ほんの数週間前のこと。その奇妙で、あり得るはずもない出会い方にはさすがにお互い困惑したものだったが、いまでは話をするにも壁はなくなったように感じる。
というよりはそうせざるを得ない状況なのだと言っておいたほうが良いのだろう。
「いや、丁度起きたところだ。気にするな」
ブレイズはそう言いながら、少年の華奢な体に走る傷や浮かび上がる痣を感じ取った。
彼と生活をともにしてからの境遇を思えば、もはや理由や経緯は聞くまでもないのだが……。
「その怪我、どうした」
大事な体だ。心配せずにはいられない。
「平気。いつものことだよ」
相変わらず、無垢な素顔で答えてくれる。どこが平気なものか。下手をすれば死にも繋がりかねないというのに。
「そうは言うがな……」
「あ、そうだ! ねぇ、それよりもブレイズに聞いてほしいことがあるんだ」
ブレイズの言葉を遮ったその声は、打って変わって驚くほどに嬉々としていた。おそらくブレイズが初めて感じた、彼の一番の笑顔なのではないだろうか。そんな混じり気のない笑みを思うと、少年の傷のことよりも何が彼をそうしてしまったのかが気になった。
「なんだ、やけに嬉しそうだな」
「うん。実は今日もさ、悪い人達に追いかけられてたんだ……」
案の定、眠っている間にことは起きていたようだ。少し言いづらそうな少年の、腫れ上がった頰が痛々しい。
大事な少年の体を傷つけた輩の顔を思い起こし、ブレイズは唸った。それは何もできない自分への批判でもある。
ここが北の大地ならば、あのような卑劣な者共など一瞬で八つ裂きにしてくれるというのに。
しかし、少年はそんなブレイズの心配もよそに、続く話を口にする。
「でもね。今日はいつもと違うんだ。助けてくれた人たちがいたんだよ!」
少年の顔が路地裏を薄く照らすようにぱっと明るくなる。
何……?
ブレイズは少しばかり呆然とした。
いままで、周りの人間達は彼を避けようとしかしなかったからだ。まるで汚物でも見るかのような通行人の目を、いまもよく覚えている。
少年に声をかけるような奴がいたとしても、例の不良集団を含めて皆不審な輩ばかりだ。だから少年を助けた人間がいたのだとすれば、その者が裏で何を企んでいるのか疑わずにはいられなかった。
また心配ごとが増えるのもかなわん。
「どんな奴らだ?」
訝る気持ちを隠したつもりでいても、言葉には少し棘が産まれてしまったのか、それともこちらの想いを察したのか、少年はふくれっ面を見せて口をとがらせた。
「本当に悪い人達じゃなかったんだ。あいつらを追い払ってくれて、大丈夫かって手を差し伸べてくれた。強くて、キラキラした鎧を着ていて、すごくカッコ良かったよ」
鎧? 軽装を主としたゴラドーン軍の中で、そんな古いしきたりに従っている者といえば……騎士団か?
その心当たりにブレイズは遠い昔を思い出した。
戦場で手合わせしたゴラドーンの騎士は幾人ともいたが、どれも記憶に残るくらい強烈で屈強な猛者揃いだった。何人の戦友達が彼らの前で散っていっただろうか。
神々の騎士団と名乗る彼らは一個人としての能力も高く、ウルブロン人にとっては脅威でもあったが、その誇り高き騎士道精神は敵の目から見ても非常に美しく、彼らが戦の中で礼節を欠くことはなかった。ウルブロンの中には彼らと相まみえることを光栄に思う者もいたくらいだ。
なるほど、自国でも本来の役目を全うしているようだな。
過ぎ去った思い出に懐かしさを感じながら、それでもブレイズは内心訝るのをやめはしなかった。
「それで、どうしたんだ?」
次に思い至ったのが少年の『秘密』を知られてしまわなかったかどうか、だったからだ。こればかりは、今後のふたりの在り方にも関わる。
「うん。どうしようか一瞬だけ迷っちゃった……ごめん」正直に答える少年の幼い顔に、再び暗雲が差し掛かる。「けど、やっぱりここに戻ってきた」
そう聞いて、とりあえずは緊張の糸が切れたようにホッとする。と同時に、少年が抱える心境を思えば罪悪感を抱かずにはいられなかった。
「そうか……、残念だ。すまなかったな」
少年が秘密を背負うことになった理由。それはおそらく自分のせいだろうからだ。そうでも無ければ、彼は今頃騎士団に保護されて今後不自由ない生活を送れていたかもしれない。
なんとも不憫な子だ。
「いいんだ。僕にはブレイズが居てくれれば」
少年は笑って誤魔化したが、彼の胸中の複雑さには返す言葉など見つかるはずもない。
「ねぇ、ブレイズ?」
あれこれ逡巡するうちに、健気な少年は子犬のような人懐っこい笑顔を取り戻していた。
しかし……。
「ブレイズはどこにも行ったりしないよね?」
不意に吐き出された不安に滲む、一抹の寂しさはやはり隠し切れるものでもなかったようだ。
「どうしたんだ、急に。私はどこにも行かないし、行けない。そうだろう?」
「うん、分かってるんだけど……。あのね、笑わないで聞いてほしいんだ」
「笑わんさ。今更何を言われても驚かんよ」
「ありがとう。こんなこと言っちゃうと、失礼なんだろうけど……」少年が一瞬のためらいを挟む。「時々思うんだ。ブレイズは僕が勝手に作り出した友達なんじゃないかって」
少年の、疲労を乗せたため息が漏れ出た。
作り上げた友達、か。
彼の口から出たのは少しばかり意外だったが、しかしその言葉をブレイズはどこかで覚悟していた。
少年からすれば、尤もな疑問なのだ。とはいっても、自分でも自分の現在がいかような状態なのか理解できていない以上、正直なところ答えようのない難問だった。
「何を言う。私はここにいるじゃないか」
それがどんなでまかせでも、そう言うしかない。
「確かにそうなんだけど……。でも変だよね。姿も見えないのに、会話ができちゃうだなんて」
少年は両の掌を広げ、自分の体をまじまじと眺める。
この時少年の周りを流れる時間は、実に寂しいものだった。ブレイズが口を開かない間、少年は独りになったのだ。こんな中途半端な時間帯には快楽街を練り歩く悪漢も、我が家へと帰路につく人もいない。あるのは流れていく湿った空気と、遠くから聞こえる工場の鉄を打つ音だけ。
そして、少年の周りにもいまは誰ひとりいない。
少年はずっと一人だった。
そう。そうなのだ。ブレイズの意識は確かにここに存在するが、その体はどこにもない。気付けば体を失くし、何故か異国の地の、しかも独り身の少年の頭の中で目覚めた。自らが生きているのか死して魂だけの存在となったのかすら定かではないが、ブレイズは間違いなくこの少年の中にいる。
北の大地で死したはずの彼が、どういう経緯を経てこのような形に収まっているのか、本人でも知る由もない。
「私も不思議だよ。でも私は確かにここにいる。君の中に。……といっても信じてもらえる証拠などあるはずもないのだが」
そうとでも言っておかなければ、自分でも自分が何者なのか分からなくなりそうだった。
「ううん。信じるよ」
少年はかぶりを振る。
自信がないのはブレイズも同じであった。文字通り夢のような現実だ。これが夢なのか、死後の世界で見せられる妄想なのか。
逆に、この世界を作り出したのは私のほうではないのだろうか。
そんな気さえして、余計に頭が混乱してしまう。何故と考えればきりがない。
そう戸惑いながらも、緊張の欠片すら感じさせないようブレイズは話を続ける努力をした。
「そうだな……。では仮に、私が君の作りだした存在だとしよう」
「う、うん」
「それこそ、私はすごいことだと思うよ」
「え、どうして?」
「本当に私がいなかったのであれば、君は君ひとりの力でここまで生きてこられたということだ。思い出してみてごらん」
追いかけてくる不良達の執拗な手から逃れた時も、騙されて落とされた深い穴をよじ登った時も、空腹をしのぐために残飯を漁った時も、少年はいつもひとりだったが、彼の中には確かにブレイズの意識があった。
文字通り手も足も出せなかったが、唯一少年に助言をすることだけはできた。握り潰されれば簡単に崩れてしまいそうな華奢な少年のため、ブレイズは彼に生きるための知恵を与えたのだ。
だからブレイズの存在が虚無だったとすれば、少年の生存能力はたいしたものなのだろう。
だが、彼がひとりでは知り得るはずのない情報を握っていることを思えば、それはどうしてもありえない。
「うん。確かにそうだけど……。でもやっぱりブレイズがいなくなってしまったら、寂しいよ」
「大丈夫さ、マグナ。君がいずれ偉大な人間に成長できるよう、その名を授けたんだ。君が大きくなったら、私の故郷を紹介しよう」
そう言うと、少年の体が暖かくなったように感じられた。
少年がすっと黒頭巾のなかに両手を入れる。
「……ありがとう。ブレイズが居てくれて、僕は幸せだ」
温もりを求める時、彼は自身の頭に生えているふたつのとんがりをぎゅっと握る。そうすることで、ブレイズの存在を感じていたいのだろう。
ゴラドーン人にはあるはずのないもの。それはふたりだけの『秘密』。誰にも見られてはいけない。
この状況がふたりにとって幸か不幸か。分からないことばかりだが、ブレイズにはひとつだけハッキリしていることがある。
それは彼の脳裏に焼き付いて離れない仇敵の顔。
卑劣にもブレイズの家族を奪い、彼自身を名誉とともに屠った男。
決して許しはしない。死したはずの身がこうして現世に戻ってこれたことには何か意味があるのだろう。だから、目的を達するためにはマグナの体がどうしても必要だ。
全ては復讐のため、彼には生きて強くなってもらわねばならない。
憎しみの炎が静かに燃え上がる……その時だった。
「ああ、やっと見つけたよ。二十七番」
ブレイズはその者の気配にすら気づかなかった。
まるでいまそこに降ってきたかのように、少年の目の前に煌びやかな鎧姿の男が立っていた。
「さあ、出番だ」
男は不気味な笑みを浮かべ、手を差し伸べる。




