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ジオ戦記(旧)  作者: ルノア
第1章
40/52

40. 狩人

-Ⅰ-


 楽しい会話と言えるほどのものが出来たのかどうかは自信がないが、それでもミューネの微笑みを引き出せるくらいにまではレニも努力した。待つことの辛さを知ると同時に、その大切さも知っている。だから彼女が少しでも落ち着いてブリンクの帰りを待つことができたのなら、それだけでも良しとしよう。

 そうしているうちに、ようやく念願の時が訪れる。

 部屋の外に人の気配。そっとドアノブが回った。

「ブリンク、どうだった?」

 扉が開き切る前にレニは立ち上がり、待ちかねていた父の姿に声をかけた。

「おい。少しは休む暇をくれ」自慢の帽子を片手に後頭部を掻くブリンクの顔は、見送った時よりも少しやつれて見える。「……まぁ、この通りだ」

 苦労したと言わんばかりに首を回し、次に懐から取り出した試験管のようなガラス筒を数回振って見せた。中には粘り気のある奇妙な緑色の液体。

「ブリンクが言ってた解決策って、これ……?」

 もっとタイタンのような確かな実体を持ったものを想像していたレニは、とても一国を救うことのできるようなものには見えないそれにどこか拍子抜けする。これに何の効力があるのだろうかと、訝しげな眼で揺れる液体を見つめた。

「でもさ、あのホワイトを説得できたんだよね?」

 どちらかと言われればそちらのほうが一番の驚きなのだ。いかにも厳然で曲がったことの嫌いなホワイトにこの状況をうんと言わせてしまう手腕は、やはり信じるに値するものだとレニは胸を張りたくなる気持ちに溢れたが……。

「いや、説得とは少し違う。盗んできたんだ」

 どこか苦しげな、それでいて思い切ったような返事。全く予想もしていなかった方角からの答えが頭を打つ。

「へ? ぬ、盗んでって……」

 その意味を少しも理解できずにいると、ミューネと視線が重なった。

「それについてはまた後でな。とにかく心配はしなくて良い。それよりもこいつ……、『スライム』についていまは話しておきたい」

 手に入れた経緯を把握できていないふたりを置き去りにしたまま、ブリンクは一秒も無駄にはできないといった敏速な動きで『スライム』とやらを机の上に並べ始めた。

 いままでに聞いたことも、ましてや見たことすらない全く初めての物だ。

「これはまだ世に出回っていない代物で、俺が手にするのも実はこれでまだ二度目だ」

 そう言ってスライムを一本掴み、手のひらに乗せる。

 およそ救世主とは程遠い姿をしたそれは、三人の視線を受けてもなお素知らぬ顔で試験管の中を転がりまわっている。

「こいつの効果は単純。魔物が嫌うものがふんだんに詰め込まれている。臭いや味、含まれている成分なんかに対して過剰な免疫反応が起きるらしい。要はアレルギーだな。以前俺が試験的に使った時は、のたうち回って悶絶させるくらいの効力があった」

「そんなものが、あるのですね」

 おそらく故郷には無いのであろうその特効薬に驚きを隠せないミューネは、まじまじと不思議な液体が泳ぐ姿を目で追った。

「もともとは非力な人間でも魔物を退散させる程度の力を得ることができるようにと開発されているもんだ」

「ちょっと待ってよ。そんなものがあるのなら、何でいままで表に出てこなかったのさ?」

 聞けば、誰もが思うであろう疑問。それほど強力なアイテムが存在していただなんて寝耳に水だ。下っ端とはいえ、自分だってハンターの一員。それがごく一部のハンターを除いた全員にもその有益な存在を隠していたのだとすれば、ちょっとした憤りを感じずにはいられない。思い出すのは、サウスウィンドやブラッドハーバーでの惨状。もしあの場にこのスライムが配備されていたら、救えた命があったのではないか。

「お前の言いたいことは分かる。だが、こいつにはまだ課題が多すぎるんだ。ひとつは効果が強烈なわりには長続きしないこと。俺が使った時は十秒ともたなかった。十秒と聞けば俺達には十分な時間だが、一般人が使ったところでかえって魔物を逆上させてしまうだけの結果にしかならん。そしてもうひとつ、原料となる花も超貴重でなかなか手に入らない。量産できるところにまでは至ってないわけだ」

「なんだよ。じゃあ、ミューネが持って帰っても全然役に立たないじゃないか」

 あまりに頼りない。聞けば聞くほどプロト王国の現状を変えるほどの力は感じられず、それもたったの三本ともなれば全く持って心許ないことこのうえない。

「話は最後まで聞きたまえ、せっかち君」顔の前で人差し指を左右に振ったブリンクは、次に異国の少女に話を振った。「ミューネ」

「は、はい」

「プロト王国にも『最強』はいるんだろ?」

 ブリンクは唐突に言い放つ。

「さ、最強……?」その言葉の真意を探る一瞬の後、ミューネは目を見開いて真っ直ぐに答えた。「はい。います」

 それもとびきり強いのが。そう言いたげな自信に満ちた清々しい表情だった。

「よしよし。三ヵ国の均衡が崩れていないことを考えれば、当然のことだよな」

 納得したようにブリンクが二度頷く。

「どういうことだよ?」

 ひとり取り残されたような気がして、慌てて答えを求めた。

「俺達自身がプロト王国に乗り込んで悪者を成敗しようってんなら、ここまで話はややこしくなってない。だろ?」

「うん」

「それができないから大変なんだ。……とはいっても、ミューネがこのまま国へ帰ったところで彼女ひとりの力じゃ魔物には太刀打ちできない。そんな時のために、向こうにだって国や王女様を守る強い奴らがいるはずだろう? 重要なのは魔物を殺す道具じゃなく、そいつらの目を覚まさせてやることだと俺は思っててな」

「それで、これ?」

 レニもスライムをひとつ掴んで持ち上げてみた。

「そうだ。こいつを使ってその女王とやらの化けの皮を剥がす。女王の正体が魔物だとさえ分かれば、王のことだなんだと気にしている連中も嫌でも現実に対処しなきゃならん」

「なるほどね。でも、具体的にどうやるのさ?」

「聞いてばっかいないで、少しは自分で考えろ」ブリンクは肩を竦めつつも、質問には答えてくれた。「このスライムは毒々しい見た目こそしてるが、意外にも人間には無害なものだ。人の目で見ても分からないような擬態をするやつがいるんなら、こいつで人間かどうか見分けるほかない。もし効果に疑問があるなら、国に帰る道すがら一本使ってみればいい」

「そうか……。じゃあ最終的には……」

 レニはそっとミューネの顔に目を向けた。それを追うように、ブリンクも目を動かす。

「俺たちが出来るのはこれをお前さんに持たせて、国に送るところまでだ。その後は……できるな?」

 ふたりの心配そうな眼差しに反して、ミューネの表情には微かな希望が生まれているようだった。ようやく手に入れた、国を救う確かな手段。これまでの道のりにあった幾多の選択が間違っていなかったのだと、彼女の顔にはその気持ちが大きく表れていた。

 小さな光が次第に顔いっぱいにまで広がると、幼い王女の頰は赤く染まり、その瞳はじわりと潤んだ。

 感極まった彼女は溢れそうな気持ちを抑えきれなくなったのか、次の瞬間にはブリンクの懐へと飛び込んでいく。

「ありがとうございます!」

 歓喜の涙を瞼で閉じこめて、抱き着くミューネ。

「お、おい」

 本来敵同士であるはずの垣根を飛び越え、純粋な少女の気持ちをその胸に受けたブリンクはまんざらでもない様子で表情を崩した。

「と、とにかく」照れを隠すかのようにミューネは優しく引き剥がすと、ブリンクは一度咳払いをして気を整える。「国に帰るまでは気を抜くなよ。出発は明日だ。今日はひとまず家で一睡して朝早くに再びクロスロードを目指すぞ」

 ふたりの様子を見てレニは嬉しくなった。本来、世界はこうあるべきなんだ。種族の違いはあって良い。けれども互いを傷つけるための道具や、国を隔てる壁なんて必要ない。助けて欲しい人がいたら、迷わず手を差し出す。そんな当たり前の世界がいまは必要なんだ。

「よし、じゃあ帰ろう!」

 レニが拳を天井に向けて突き出すと、

「お〜う!」

 驚いたことに、気分が最高に高まった様子のミューネがこの一瞬だけは残してきた憂いなどを忘れて、あどけない少女の笑顔を振りまきながらレニを真似た。

 バラバラに散らばる世界のピースがいずれひとつになるであろうことを、レニは切に願う。その時、時代はブリンクのような橋渡しの英雄を必要とするのだろう。




-Ⅱ-


 人の人生には節目というものがある。転機だ。とあるきっかけを出発点に、ある者は強く成長し、ある者は下り坂を転がり落ちることになると言われている。

 こと殺意を生きる力の源とするハルベルトにとって、前者は狩るもの。後者は狩られるもの、という単純ながらも彼らしい認識だった。

 自らを狩るものとするハルベルトは、自室に充満する強烈な瘴気などに毒されることも無く、逆に心地よさを感じつつも時間を持て余すことには飽き飽きとしていた。

 帝国軍大将という立場においてやらねばならぬことは多いが、もとより殺すこと以外の仕事は専門外である男に、何かに手をつける気など起きるはずもなかった。

 戦時中にただ好んでやっていただけの狩りを好き勝手に評価され、無駄に豪奢な作りの部屋とおまけ程度の不要な地位をあてがわれたが、そんなものが戦場において何の役に立つというのか。これでは牢にぶちこまれたも同然の、窮屈以外の何者でもない。

 高価な木材で作られたという机にも興味は湧かず、ただ足乗せの便利な台としてしか使用していない。

 あぁ、退屈で死にそうだ。血が見たい。

 ため息を吐き、ゆっくりと平穏に流れる夕焼け空を()め付けた。人は生まれながらに殺し、奪い合う生き物。他人を蹴落とし、居場所を剥ぎ取って初めて他者にその存在を認められ、成長し、糧を得る。それが人としての人らしい一生だ。

 戦いの無い世界には何の価値もない。

 だが……。このくだらない形だけの平和ともようやくおさらばだ。

「さぁ、そろそろだな」

 朱色に染まりつつある空を背に立ち上がり、呟いた。

 そして部屋に充満する瘴気の根源、愛用している歯型の戦斧に手を伸ばす。

「ん? どうした……」

 ハルベルトは片眉をあげて、斧を見つめた。握る手が意識に反して微かにだが震えている。

「ふふふ……。分かるぞ。待ちに待った瞬間だからな」

 他に誰もいない部屋で、ハルベルトは不敵な笑みを浮かべてひとり囁いた。

「やつはいままでに相手してきた奴らとは比べ物にならねぇ。食い甲斐があるぜ」

 暇を持て余していた先程とは別人のように、妙に浮かれた足取りで部屋を出る。

 部屋の外、その廊下にはこれまた無駄な資金を投じて作られた赤い絨毯が、視界の最奥に向かって長く伸びている。

 扉を出てすぐ。真っ黒なマントで着飾った部下が神妙な面持ちで、ハルベルトの登場を待っていた。時間通りか。だが、ここまで来て臆病風にでも吹かれたのか、顔には極度の緊張の色。いまにも作戦の中断を進言しそうな雰囲気を纏っている。

 とはいえ、こいつにそんな勇気もなければ中断して困るのはこいつも同じだ。言い出せるはずがなかろう。

 唇を食いしばる出来の悪い部下には一瞥もくれず、この階中央にある昇降機につま先を向ける。

「行くぞ。英雄狩りだ」

 そう、今日この日が俺の転機となるのだ。決して逃すものか。

 その呟きに呼応して、心の奥に潜めていた邪悪な魂がハルベルトのあらゆる血脈に乗って体中を駆け巡り始めた。

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