39. ハンターであるために
蛇に睨また蛙。まさにその表現がぴったりかもしれない。言いたいこと、言わなければいけないことは山ほどある。だが、ホワイトの鋭い睨みに当てられれば、ブリンクも次の一声を出せずにいた。
「冗談のつもりか」答えを促したがすぐ、ホワイトは自答する。「いや、その目つき。真実なのだな」
その察しの良さと理解力の早さには、首をゆっくりと縦に振るしかない。
信じられないといった憮然な態度で椅子にもたれかかったホワイトに、何とかここまでの経緯を話した。何がどうであれ、ミューネが何者で何を目的としているのか、プロト王国がどういう状況なのか、ひとまず理解は出来ずとも把握はしてもらわなければ始まらない。
その間ホワイトは一言も発さず、視線はこちらに固定したままで話を聞いていた。相槌も何もあったものではない。ただじっと見つめるその瞳に、何度話が躓いたことか。
現況を聞き終えたホワイトは話を始める前のそのままの姿勢で泰然としていて、現実離れした内容であったにも関わらずひとかけらの動揺も見せなかった。
「それで?」酷烈な批判を帯びた鋭い眼差しが、ブリンクに刺さる。「お前は戦争でも始めるつもりか」
それは奇しくも先日我が子に問うた責任だった。まさか自分自身も問われることになるとは。レニに聞かれていたら、赤恥ものだっただろう。
「ここに連れてきたのはそうさせない為です」
「言っていることとやっていることが逆だろう。プロト王国の王女を帝都に連れ込むとは、気は確かか」
ホワイトの眉間に皺が寄る。
「俺も自分自身に何度もそう言ってやりましたよ。でも彼女が俺の目から離れて好き勝手に動かれてしまう場合を想定すれば、これ以上穏便にことを済ませられる方法は思いつきませんでした」
「冗談じゃない。お前がやっていることは大罪に他ならぬことだぞ」
「道すがら散々悩んで決めた結果。覚悟の上です」
そんなことは言われずとも何百回と自問自答してきたんだ。敵国の王女を抱え込んだ時点で、そこには大きな責任が生まれる。高いリスクの割にこちらが得られるものなど何も無いが、レニが言うように自らが人道的であるため、そして彼女の故郷を想う気持ちが暴走して戦争への引き鉄にならないようにするためには、この選択は間違っていない。そう感じたその時だった。
「お前の覚悟なんてものはどうでも良い!」
ブリンクの思いすら断ち切ってしまうかのように、ふたりを隔てる接客用のテーブルを叩き壊さんとする勢いでホワイトが怒鳴った。
「その身勝手な行動の果てがまた戦に繋がれば、何千、何万人もの人間が再び悲劇を味わうことになるのだぞ。その苦しみはお前が一番良く理解していることだろうが」
いままで見たことのないその憤怒の形相には、単純な怒りだけではないホワイトの固く結ばれた信念や思想といったものが入り混じっているように見えた。組織の長たる者、彼は彼なりに守らなければならないものがある。彼がこの組織を立ち上げるに至ったきっかけを理解しているからこそ、ブリンクは閉口することしかできなかった。
吐き出し終えたホワイトは落胆の表情を顔面に浮かべ、椅子にどっかりと身を沈める。乱れた白髪頭が、彼に一瞬にして襲い掛かった疲労感を表していた。
「さて、このことを聞かされた私はどうするべきだ? お前ごとあの娘を帝国軍に突き出すべきか?」
本気ではない。問うような、試すような視線。
「いえ。そんなことをすれば、彼女も私も良い開戦の材料に使われるだけ。いくら彼女が属国になることを申し出たところで、奴らに休戦を維持する、もしくは申し出をすんなりと受け入れるという選択肢なんてないでしょう」
ブラッドハーバーで無敵艦フェニックス号を含む軍艦が出航準備を進めていたこと。アーサーやハルベルトなど無秩序な輩が軍の上層部には多いこと。それに帝国軍総帥の思想が支配的、攻撃的であることなどを考えれば、ミューネの言っていた降伏に戦を止めることができるほどの効果があるとは思えない。
「それに、軍がその機会をみすみす逃すはずもありません。プロト王国と繋がっていた人間が所属していたとして、リーグ・オブ・ハンターズも粛清の対象となるでしょう。予てより欲していた人材を引き抜く絶好のチャンスともなり得ます」
神眼の狙撃手。獣たちと意を通わせることのできる弓矢使い。超高速の刀捌きを誇る曲芸師。その他にもリーグ・オブ・ハンターズの中には帝国軍が喉から手が出るほど優秀な人材が揃っている。岩の大剣を振り回すレニとて例外ではない。これまでの幾度にも渡る軍のアプローチからも分かるように、奴らは間違いなくこの手に出るだろう。
「よくもまぁぬけぬけと……。お前が撒こうとしている種だろうに」
呆れた表情のホワイトが吐いた。
「すみません……。ですがそれらを考慮したうえで、彼女にはスライムを渡して誰にも見つからぬうちに一刻も早く帰国してもらい、自力で王国を立て直してもらうのが最善だと私は判断したのです。彼女がここにいた事実さえ隠し通せれば、戦争が起こる理由も残りません。ここに彼女を連れてきたのは、あなたにいち早く状況を理解してもらうため。そして……」
そこまで言うと、皆まで言うなといった顔つきのホワイトの手が続きを制した。
「ふん。うまく嵌めたものだな、ブリンク。この私を」棘のような目つきに、さらに鋭さが増す。「私に話をしたのはスライムを手に入れるため……だけではなく、私を共犯者にするためだったのだろう?」
――やはり、気付くよな。
「申し訳……、ありません」
そう、ミューネをここまで連れてきた理由。それは不本意ながらもホワイトを巻き込むためでもあった。一度関わってしまったからには組織のトップという立場上、彼の性格からしても白であり続けようとする。その為にはミューネが二度とこちらへ戻ってくることのないように対処し、無事に王国へ送り返すことが一番の方法だと思う。つまり世にその存在がほとんど知られておらず、足がつくことのない『スライム』を渡すしかない。
それに、もともとひとりで抱え込むにはあまりにも大きすぎた問題だ。正直なところを言うと秘密を共有する者が増えてくれれば、それだけ心の余裕も大きくなる。ことその相手がホワイトならばなおさらだ。
「呆れたな。飼い犬に手を噛まれるとはこのことだよ。いつも冷静に物事を判断するお前だから、何かあるだろうとは思っていたが……。一体、何がお前をそうさせた?」
単純な疑問から来る視線だった。
その問いに思い出すのは、息子の顔。
「我が子に言われた……。いや、言わせてしまったんです。何故、目の前に魔物に苦しんでいる人が助けを求めているのに手を差し伸べないのか、と」
それは全うな人間ならば当たり前に思うであろうことだったのだろう。
だが……。ブリンクは膝を握る手にぎゅっと力をこめる。自分だって異国の地で窮地を救われたことがあるというのに、情けないことに一度はミューネを見捨てることを考えたのだ。そんなどうしようもない考えを殴り飛ばし、人間らしさを取り戻してくれたのがレニだった。
「人を守るはずのハンターが人を見捨てて、国が滅ぶのを傍観していたら自分で自分を許すことができない、とも。初めはまた馬鹿なことを言っていると思いましたよ。だけど、あの子はあの子なりにブラッドハーバーの惨劇を体験し、多くのことを学んだ。その上での決意表明だったんです」
無惨な血だまりの港となってしまった光景を見て、レニも同様に感じていたに違いない。守るべきものを守れなかった己の不甲斐なさや無力感。次こそは必ず守り抜こうという決心。
「本気で助けを乞う人がいるから、手を差し伸べる。生き物として当然の感情ではないですか?」
「個の感情論で語れるような話ではないだろう!」
再び怒鳴ったホワイトだが、その気迫に圧されながらもブリンクは流れに抗った。
「ですがそんな単純だけど人間として当たり前の純粋な気持ちを種族の違いというだけで踏みにじって、あなたはそれで自分が一流のハンターだと胸を張れますか? あなたがこの組織を立ち上げた理由を思い出してみてください!」
父親としてできることを考えていた。大人という勝手な枷や檻で我が子の成長を邪魔することは、親のする仕事ではない。ぐんと背を伸ばし、見事な大樹となれるように……。あの子の芯がしっかりと真っ直ぐ立っていられるように、俺は支えてあげなければいけないんだ。
――そのためには、まずは自らが進むべき道を示さなければ!
「助けられるはずの人々を見捨てて、それで百パーセント白だと言えるんですか!」
気づけばブリンクは立ち上がり、ありったけの力でテーブルを叩いていた。信頼を寄せている相手だからこそ、思う全てをぶちまけた。もうこれ以上はないというくらいに。
ホワイトが、向けていた真っ直ぐな視線を一瞬だけ下に向けたのはこの時だけだった。
「座れ」
熱くなりすぎたカウボーイとは対照的に、冷めたような一言が吹く。
厳然たる態度で座るホワイト。
これほどの全力を出し切っても、響きすらしないのか。俺がいくら頑張ってもこの大きな山は少しも動かせないというのか。そう諦念めいた思いが頭を過ぎったブリンクは、高まりきった自らの気持ちとともに着席した。
それからどれくらいの沈黙が流れただろうか。
終わりを告げたのは、懐から取り出した櫛で乱れた頭髪を整え始めたホワイトのため息だった。
「まったく……。ブラックのコーヒーもまずくて飲まんというのに。こうどす黒いジョークを聞かされると、胸やけがしてくるものだな」
そう呟いたホワイトの顔は、いつの間にか平安を取り戻していた。それはいつも目にしている厳格ながらも寛大な心を持った指導者のそれだった。覚悟を決めた男の自足感に満ちた表情。それがブリンクにとって、レニやミューネにとって、良いものなのか、はたまたそうではないのか……。
「だがな、はっきりと言っておこう。私は潔白であり続ける。ここの総司令として、そうあるべきなのだ。助けを求めているのは、何もミューネという少女だけではない。ハンターを必要としてくれている人たちがこの地に居る以上、この組織が潰れるわけにはいかんのだ」
期待に膨らんでいた気持ちを針で突き刺されるような言葉だった。
「故に、お前の計画には手を貸せない」
「っ……」
限界だった。これ以上は何をどうしたところで、話は平行線になるばかりだろう。
玉砕。燃焼。粉にした我が身さえも、燃やし尽くされた。
項垂れる肩に、ホワイトは続ける。
「リーグ・オブ・ハンターズは常に魔物の手から民を守る英雄的存在でなければいけない。我らがいなくなれば、彼らは他に頼るべきものがないのだ。お前がお前の信念を貫くというのであれば、結構。それはお前が考え、お前の手で掴みとるべきだ」
そしてすっと立ち上がったホワイトは、おもむろに書物がぎっしりと詰め込まれた本棚の前に立ってみせた。上段に詰められた数冊の本を取り出し、机の上に広げる。今度は穴の空いた本棚に手を突っ込むと、奥から手の平大の三本のガラス筒を取り出した。
透明な筒の中身は、粘度の高い真緑色の液体。
――『スライム』だ。
ブリンクが求めていたもの。プロト王国を救うことができる唯一の手段。それがいま、目の前に差し出された。
「このスライムはそんな力なき国民達のために開発されているものだ。彼らが我々の力を借りずして魔物を撃退する力を得るためのもの」釘を刺すような眼差しが、向けられる。「すなわち人類の希望だ。だから俺の目が見ている以上、貴重なこれらをお前に渡すわけにはいかん」
そうして再び席を離れたホワイトはスライムを机上に残したまま、夕日のオレンジ色が差し込む窓の前に静かに立つ。逆光を浴びるその背中は偉大でとても追いつけるようなものでもなく、むしろいつまでも追いかけていたいものだった。
『お前の手で掴みとるべきだ』『俺の目が見ている以上』……。あぁ、そういうことなのか。ホワイトの言動の意味を理解したブリンクは、胸のうちからこみ上げてくる何かを必死に抑えこんだ。
やはりこの人を選び、この組織を選んだ俺の判断は間違いではなかった。
「……ありがとうございます!」
もはや立ち上がる気力すら残していない。椅子に座ったまま、机に額をこすりつけるかのように、ただただ頭を下げた。
「ブリンク」決して振り向くことなく、ホワイトが呟く。「親バカも大概にしておけよ」
真っ白な部屋に、夕焼けのような温かな微笑が漏れた。




