38. 父子の絆
ブリンクが退去したあとの部屋には、しんとした静寂だけが残されていった。気の重くなるような静けさから生まれるのは、極度の緊張感と居心地の悪さ。ただ待つだけの身。言えば簡単に聞こえるだろうが、これは実際に『先の見えない真っ暗な未来を、不安と闘いながら待つ』経験をした人間でなければその辛さは分からない。
ミューネの定まらない視線を追いかけながら、レニはどう声をかけるべきか迷っていた。
「あの……」
耐えかねて口を開いたのはミューネが先で、会話の糸口を探るようなか細い声だった。
「やっぱり、不安?」
周りは敵ばかり。残してきた国のことも気になるだろう。聞くのも愚なもので、そりゃあ落ち着かないだろうな、とは思う。ただ、取るに足らない話であってもそれで少しでも心が休まればと思ったレニは、会話がしやすいようにと満面の笑みをミューネに向けた。
「いえ、いまは心強いおふたりがいてくれていますから。そんなことよりも、いまはおふたりを巻き込んでしまっていることが心苦しくて……。本当にごめんなさい」
ミューネは俯きかけていた頭をまた下げた。
「や、やめなよ。ミューネ」慌てて彼女の頭を起こさせる。「そう何度も君が謝ることはないんだ。俺達はハンターなんだからさ。魔物に困っている人がいたら助けてあげるのは当然のことだろ?」
「……ありがとう、レニ。本当に、優しいんですね」
ミューネからこぼれた笑みは、彼女の哀愁や焦燥を押し隠すための作りものだった。だが、それらのほんの隙間に垣間見えた彼女の天使のような美しさと温かさに気付いたレニは、無意識に自らの胸が一瞬大きく脈打ったのに気付いた。
「え? あ、ああ。ほら、人間は助け合いだって言うじゃない? べ、別にミューネが可愛い女の子だからどうとかこうとか、そういうんじゃないんだけど……」
――あぁ、何言ってんだ俺は!
自らの制御を失うと、耳も頬も燃えるように熱くなり、発言もしどろもどろになってしまったレニは、隠れる穴があれば入ってしまいたい衝動に駆られた。いままで同年代の女性と触れ合う機会など全くなかったレニにとって、ふたりきりになって向かい合うこの時間はなんとも刺激的で新鮮なものだったのだ。
「……?」
不思議そうに見つめるミューネとは目を合わさないようにしてから、なんとか話を繋げていく。
「で、でさ。心配しないでね。ブリンクなら、絶対やってくれるから」
「信頼、されてるんですね」
「うん。口は悪いし、無愛想だし、頑固だけど、本当は誰よりも他人のことを気にかけてる。戦争のこととか色々ときつく言ってたけど、ミューネのこともきっとすごく心配してるんじゃないかな。そういうの放っておけないタイプなんだ」
伝えたい良いところは山ほど思いつく。いつまででも話していたい気分だった。
「とても優しくて、そして心も体も強い。ブリンクは俺にとって最高のハンターであり、最高の父親。俺の誇りなんだ」
まるで子供が童話の勇者に憧れるかのような幼稚な発言に聞こえるかもしれないが、これが率直な気持ちであることに変わりはない。
「おふたりの関係、よく分かります」国に残してきた父親を想うような遠い目をしたミューネが言う。「いまは何だか羨ましい……」
自分の気持ちを少しの否定も顔に出すことなく、すんなりと受け入れてくれた彼女のなかに、レニは同じく父親を慕う気持ちを見た。
「俺が子供のころ、ブリンクは良く仕事で何日も家を空けることがあったんだ。危ない仕事をやっているのは知ってた。だから、もう帰ってこないんじゃって思うのはいつものことだった」
当時は唯一の家族を失うのではないかという恐怖に、幾度となく襲われ続けていた。ひとり残される孤独の辛さを良く知っている幼少期のレニには酷な日々だったのだ。
「だけど、ブリンクは家を出る度に俺に言ってくれたんだ。必ず戻るって。だから、俺はそれを信じてずっと待ち続けてきた。そしていつも約束通り、無事に帰ってきてくれたんだ」
昔はブリンクの帰宅にいつも涙を流していたものだ。それでなくても、不安を抱えて待つ日々から解放され、心を満たすような安堵感が満ち足りるとその急激な変化には胸が苦しくなった。
それでも待ち続けることができたのは、父との絆が深く刻み込まれていたから。何者にも断ち切ることのできない強い絆だ。
「だから、ミューネも信じてみてよ。ブリンクのこと。きっと大丈夫だから」
「……はい」
この時見せてくれた彼女の二度目の微笑みは本物のようで、宝石のように透き通ったその蒼い瞳に魅せられたレニは同じように笑顔を返したのだった。




