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ジオ戦記(旧)  作者: ルノア
第1章
37/52

37. 白黒

 やはりクロスロードから帝都アイアンウォールまでの道のりは、どう急いでも半日はかかった。日が上りきらないうちに帝都へ向けて馬車を走らせていたというのに、着いたときにはもうカラスが頭上で鳴いている。

 何はともあれ、ここが折り返し地点。帝都の巨大で無骨な壁が、無言のままブリンク達の帰還を迎え入れる。

 あたりが闇に包まれていくにつれて、ブリンクの中の焦燥感は歯止めがきかなくなってしまっていた。言葉は悪いがミューネという爆弾を抱え込んでいる以上、目的を果たすまでに当然いくつかの関門が立ちはだかる。その大半を占めるのが『彼女の存在を知られてはいけない』という制約だったが、これはプロト人とゴラドーン人との相違点が総じて少なかったことが吉と転じ、どうにか乗り越えることができそうだった。加えて、一緒に歩いていたのがカウボーイもどきと怪力男なのだから、ひとりの少女に集まる注目など皆無に等しい。

 だがブリンクが依然として焦っている理由は、これから迎えるであろう最難関(・・・)を越えるための秘策が一向に浮かばなかったからだ。

 確かにプロトを救う鍵がここにはある。だがその前に立ちふさがる番人はいかにブリンクといえども容易に突破できるような人間ではない。

「少し落ち着きなよ、ブリンク」

 場所は既にリーグ・オブ・ハンターズの本部。そのナンバー2であるブリンクにあてがわれた自室で、立っては部屋を一周し、そして座る、その一連の動作を十数回は繰り返した時、その光景にうんざりしたレニがため息のように吐き出した。

「馬鹿、これが落ち着いていられるものか」

 そう、これまでの道のりなど言ってしまえば過程に過ぎない。問題はここをどう切り抜けるかだった。逆を言えば、あの人さえ納得させることができたら、あとはこの()を故郷に送り届けるだけなのだが。

 ここに戻ってくるまでには相応の時間がかかったのだから、その間に何か良い案が見つかるだろうと思っていたのが、悔しいほどに何も出やしない。あらゆる手段を考えシミュレーションしてみたが、そのどれもが無惨に打ち砕かれてしまうほどの鉄壁ぶりだった。

「ブリンクさん……、ごめんなさい」

 ふと、ミューネが消え入るような声で謝った。

 自分の緊張が彼女にも伝染してしまったのだろう。不安げなその横顔を見た時、ブリンクは自らの愚行を省みた。

「あぁ、いや。こちらこそ悪かった。こんなところにまで連れてきて、余計不安にさせてしまったな」

 ミューネは首を横に振った。

「でも、実は帝都に入るまでは少し怖かった」

「どうして?」

 レニが疑問を投げる。

「おふたりのことは信用に値する方々だと私は感じています」俯くミューネ。「でも、いざ帝都に足を踏み入れてみると……。周りの人たちが皆、私達プロト族の敵なのだと考えると何だか怖くなってしまったのです」

 それに、と言ったミューネの表情には必死にかみ殺してきたであろう内なる感情が浮かんでいた。

「不安なのです。いま王国はどんな状況なのか。もしかしたらもう手遅れで、私の決断も無駄になって、せっかくのおふたりの助力も徒労に終わるのではないかって……。毎日陽が落ちて昇る度に、私のなかの不安は増えていきます」

 言い切ってまた顔を両手で隠したミューネの肩に、レニが優しく手を乗せた。

「大丈夫だよ。ミューネの国にも強い人たちがいるんでしょ? 帰りを待ってくれている人たちをいまは信じようよ。こっちじゃブリンクっていうゴラドーン最強の人間がついてるんだ。いまは僕たちができることをやろう」

 とは言ってもレニにその確証があるはずもなく、言葉はミューネの心を打ったように見えるが、レニ自身の表情にも少なからず自信の無さが残っているのは隠しようがなかった。

 たが……。できることをやる、か。その一言が悩むブリンクに何かの閃きを与えたのは確かだった。それしかないよな。

 あの『御仁』には嘘偽り、誤魔化しは一切通用しない。世界でそれらを最も嫌う人間だからだ。ならばうだうだと回り道していくのは愚策であって、余計な時間を食い、怒りを買う原因にもなり得る。ありのままを率直にぶつけ、納得してもらうしかない。

 納得しなければ、納得するまで身を粉にするつもりだ。

「ブリンクさん、お呼びです」

 そっとノックされた後の事務員の呼びかけに、ブリンクは立ち上がる。

「ミューネ」俯いたままの少女に声をかけた。「心配するな。約束をした以上、俺達が王国には必ず無事に送り届けてやる。もちろん解決策付きでな。そうしたら後はお前の手で国を救え」

 希望が乗って少し重くなったテンガロンハットを深くかぶり、戸口に立つと肩越しにふたりを見やった。

「だからもう下向いてないで、王女らしくしっかりと前を向いてろ」

 持ち上がる小さな少女の頭に笑みを飛ばすと、部屋を後にする。


 通された部屋は、いつも通り虚空を思わせるような白で埋め尽くされていた。異世界、いや異次元。そう思えてしまうほどに整然としすぎている。白という色を通り越して、もはや透明なのではないかと錯覚してしまうほどだ。部屋を満たす空気も澄んでいて、塵や埃、菌の存在ですら微塵も感じさせない。

 そしていま目の前の、これまた白い椅子に座った偉丈夫。この日も丁寧に整えられた白髪と白いスーツは特徴的で、一切の染みもない。その瞳が見つめる者は何者であろうとも、黒が白に塗り替えられてしまうような眼力がある。

「よく戻ったな、ブリンク」

「ええ。少し帰りが遅くなってしまいました」

 やっぱ、怖ぇなぁ……。それが久しぶりに見るブリンクの率直な気持ちだった。

 ついさっき立てたばかりの自分への誓いなど、一瞬でへし折られてしまうような気迫。誤魔化しを言わない、とはおこがましかった。その類の発言は、決してこの人の前では口にできない。かつて英雄とさえ呼ばれてきたブリンクが萎縮してしまうほどの覇気が、リーグ・オブ・ハンターズの総司令ホワイトにはあった。

「良い。命日だったのだろう?」

 そしてこういうメンバーの細かい情報までしっかりと覚えているのだから、部下からの人望が厚いのも軽く頷ける。

「はい。良く覚えてらっしゃいましたね」

 一瞬とぼけるような間を置いて、ホワイトは笑った。

「当たり前だろう。『悪魔の行進(デビルズマーチ)』と同じ日なのだから、忘れることが難しいくらいだ」

「とはいっても、そういうお気遣いは嬉しいものですよ」

「そういうものかね」ホワイトは顔に残る微笑とともに自分の机を立って離れると、窓の外を眺めた。「ところでブラッドハーバーの件、ご苦労だったな」

 血の港(ブラッドハーバー)……。その後のあまりにも衝撃的な出会いのおかげで記憶の片隅に置かれてしまっていたが、そういえばもうひとつ大きな問題が残っていたな。

「なんとか魔物達を追い返すことはできましたが……。街や帝国兵達、およびハンターのメンバーには甚大な被害が出てしまいました。ひとえに私の力不足です」

 肩を落とすブリンクには一瞥だけをくれ、ホワイトはすぐに窓の外へと向き直った。

「帝国軍の兵士達も独断で使ったそうだな?」

 やはり、そこに触れるか。

「ええ、彼らの協力無しでは街を守れませんでした。申し訳ありません」

 言い訳はできた。実際はそのほとんどが帝国軍指揮官のアーサーが招いた結果だったというのが事実だからだ。だがそれ以前に、ブリンクにはひとりのハンターとして人々を守ることができなかった自分が許せなかった。それに、ただのいち平民が軍を動かしてしまったというのもまた紛れもない事実であり、ゴラドーン帝国では罰則ものだ。第一あのプライドの塊である、ハゲタコが黙っているはずもない。

「気にするな」返ってきた言葉は、意外なほどにあっさりしていた。「軍が何と言おうとも、理由をつけて送り返してやる。街を壊滅から救ったのは我々だ、黙っていろとな」

「しかし、ホワイトさん」

 開きかけた口を、ホワイトの大きな掌が制止した。

「友人とは多く持つものだな、ブリンク」

 その時気付いた。おそらく先に帰還したトバイアスやクラウン、バッシュ達が報告のうえで何等かの口添えをしてくれていたのだろう。ブリンクひとりが罪を被ってしまわないように。

「あいつら……」

「そんなことよりもだ。今回の魔物掃討作戦について、いくつか気がかりなことがある」

 いつになく真剣な表情で窓を離れたホワイトは、ブリンクの目の前の席に腰をおろした。

 こちらの本題を切り出すタイミングを逃したブリンクは彼の眼を直視することができず、堪らず視線を足元に逸らした。

「ブラッドハーバーと同時期に異常繁殖が見られたブレイド・ピークス。そちらに向かった討伐隊の報告はまだ聞いてないだろう?」

「イリーン達の、ですか? ええ、まだ聞いていませんが。向こうでも何かあったのですか?」

 嫌な予感がして、続きを聞くのが恐ろしくなった。

 だが……。

「いや、何もなかった」

「は?」

 それは想像していたものから、あまりにもかけ離れていた答えだった。聞き違いか? そう思ったブリンクは「どういうことです?」と反射的に聞いていた。

「何もなかったんだ。あれだけ頻繁に観測されていた魔物の姿も忽然と消えてしまっていて、何日待ってもどの街にも姿を現さなかった」

「向こうにも腹を空かせた魔物達が一万は居たはずですよ」

 ブラッドハーバーでのスコーピオン達の動きといい、おかしなことばかりだ。一体、魔物達に何が起きている?

「合理的に考えるなら」ホワイトは両手を組んで机に肘をつく。「ブレイド・ピークスの一件は陽動作戦であった可能性が高い」

「陽動作戦?」

「うむ。私たちの戦力を分散させるためのな」

「奴らにそこまでの知恵があると?」

「報告通りであれば、ブラッドハーバーに現れたスコーピオンの群れも統率が取れていたそうだな? ならば個々に知恵があるわけでなくとも、奴らを指揮する何者かがいたとしてもおかしくはないのではないか」

 確かにちらとだけその発想に至ったこともあったが、そんなはずはないのだと自分ではその考えを断っていた。何故奴らはそのことを隠していたのか。何故いまなのか。何が目的なのか。分からないこと、疑問点が多すぎるのだ。しかし、ことホワイトの口からそれを聞かされてみると否が応でもそんな捻じ曲がった現実を受け入れるしかない気持ちにもなる。

「それともうひとつ。イリーンが気になる言葉を残していった」

「なんです?」

 思考する一瞬の間が置かれて、ホワイトがそれを口にする時、彼はブリンクの眼を直視した。

「鳥のような人間が空を飛んでいた、と」

「と、鳥……?」

 実直なホワイトから出てきたあまりにも嘘くさい言葉に、ブリンクは一瞬冗談かと思った。だが、彼の目はそう語ってはいない。

「魔物のような黒い体に、不気味に光る赤い瞳。まるで空から人間たちを監視しているかのようだった、とも言っていた」

 イリーンはあんななりで見た目や言動は冗談きついやつだが、面白半分に嘘をつく人間ではない。ましてやホワイトへの報告に嘘を添えることのできる人間がいるとも思えない。

 一体、どうなっているんだ。いま起こっていることは常人の理解を超えている。ブリンクはあまりに現実離れした状況に、頭を抱えるしかなかった。

「……なかなかにグレーだろう? 出来ることならば、私が現地に飛んでこの目で確かめに行きたいところだ」

 そう冗談めいて言ったホワイトの顔はしかし笑っておらず、逆に歯を食いしばっているかのようにも見えた。

 当然のこと。白か黒かをハッキリさせたい質のホワイトにとって、これほど不明瞭な出来事が連続して起きれば気分も悪くなる。

「何を言ってるんです。体から脳みそが離れて好き勝手やってたら、体が混乱してしまいますよ」

 同じく冗談で返すことくらいしかできなかった。

 最悪だ。もやもやとした何かを残しながらでも、話は一旦落ち着いた。本題を切り出す絶好のタイミングだというのに、それは間違いなく燃え盛る火炎に槇と油をいっぺんに放り込む形になってしまう。

 もしここで話をするのなら、それは文字通り決死の覚悟がいるだろう。

「さて、すまないな。それで……」悩んでいるうち、会話の入り口を開いたのはホワイトからだった。「お前には別に何か聞きたいことがあるのではないか?」

 全てお見通し。いまのブリンクの表情を見れば、一目瞭然といったところだったのだろう。

 話を振られたところで、ブリンクは戸惑ってしまっていた。一体どういうルートで話をすれば良いのか。どの道を通っていけば、ホワイトの心を揺さぶることができるのか。

 あえてここで何も言わず引き下がるか……。別の方法を考え直す? いや、そんな時間の余裕はない。ましてや新たな解決策を見つけることなどできなかったではないか。

 顔を上げると、妙な圧迫感のあるホワイトの目にぶつかった。

 そんな時だ。レニの誠実で真っ直ぐな眼差しが脳裏を過ぎる。そんな息子の決意、そして彼と同じ目をしたミューネの笑顔。無駄にはできない。男として、親として、やるべきことがあるじゃないか。

「実はお願いがあるのです……」

 次の瞬間にはもう自然と口が動いていた。

「なんだ、言ってみろ」

 答えるまでにかかった時間を考慮したのか、聞くホワイトの態度も次第に前のめりになっていく。

「『スライム』を、いくつか頂けないでしょうか」

 スライム。その単語だけが妙に部屋の中に響いた。それがブリンクの考える、プロト王国を救うための最善の解決策。そしていま現在、それを持っているのはホワイトただひとり。

「スライム? 何に使うつもりだ」

 当然、ホワイトの反応は良いものではなかった。

「それは……」

 ごくりと飲み込んだ生唾はひどく刺々しく、喉につかえる。

 察したホワイトが、途切れた話を紡いだ。

「ナンバー2のお前なら知ってはいるだろうが、スライムはまだ試作段階だ。帝国軍どころか、ハンターの中でもその存在を知っている者は限られる。持ち出すというのならば、それ相応の理由を聞こう」

「……」

 これこそがミューネを救うための最難関。立ちはだかるその壁は帝都アイアンウォールの壁よりも高く、ぶ厚く、そして硬い。

 だが無情にそびえ立つ帝都の壁と違い、ブリンクにとっては信頼に値する頼もしい壁だ。だからこそ、ホワイトになら彼女のことを話しても良いと思った。

「お前が連れてきたあの少女、彼女に何か関係があるのか?」

「彼女は……」

 両手の爪が掌に食い込むほどに手を握りしめたブリンクは、ついに覚悟を決めた。

「プロト人です」

――言った。言ってしまった。

 それからの沈黙はほんの数秒だったに違いないのだが、ブリンクにとっては数時間ほどの苦痛に感じられた。背筋を伝う冷たい汗。喉をじっとりと通り過ぎていく唾。その全てが永久の時をゆっくりと刻んでいく。

 次にホワイトが口を開いた時、ブリンクの時は凍り付いてしまった。

「お前……、それは真っ黒だろうが」

 ホワイトの目つきが、鋭く尖った。

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