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ジオ戦記(旧)  作者: ルノア
第1章
36/52

36. 歪んだ導き

 気の遠くなるような長い螺旋階段に、ガタガタと不安定な蒸気機関昇降機。様々な経路を経て、目的地に着くまでの時間は十数分。ここに上がってくるまでにいったい何人の帝国兵を見たことか。過剰なまでに厳重な警備に、帝国軍大将ハルベルトは短く嘆息した。

 無駄な時間をかけて自らの背丈の二倍はある黒い扉に辿り着くと、左右に黙する警備兵には一瞥もくれず、目の前に立ちふさがる忌々しい扉を荒々しく蹴って開ける。

「邪魔するぞ」

 太陽に最も近いはずの部屋は、それにしてはうすら寒く、どこか地下に濃く溜まる瘴気の類を孕んでいた。流れる時間は止まっているのかと錯覚してしまうほど緩慢で、肌をかすめる生気のない風からはただ首を絞めつけるような息苦しさだけを感じる。

 そんな気分の悪くなるような空間ではあったが、ことハルベルトにとってはどこか心地の良さを感じられる場所でもあった。

「主の御前で、無礼だぞ。ハルベルト」

 入って右側から男の声。暗闇の隅に溶けこむように、眼鏡をかけた学者風の男が壁に背を預けて座っている。自慢の髪をさらりとかきあげる仕草は、人を小馬鹿にするようなきらいがあった。

「ああ?」ハルベルトは聞きなれたその声にうんざりすると、凄まじい剣幕でその闇を吹き飛ばす。「黙ってろ、陰険野郎」

「ハハハ」と男が顔を崩して笑った。

「嫌だなぁ。冗談だよ、冗談。このセリフ、前から言ってみたかったんだよね」睨まれた男は臆するでもなく、混沌とした態度を表情に滲ませた。「相変わらずだなぁ、ハルベルト君は」

「てめぇもな。良く回るその口を閉じねぇと、いい加減食っちまうぜ」

 つかみどころのない男の言動に、ハルベルトは牙をむき出しにして吠えた。

「あれれ? でも僕がいないと困るのは君だろう?」暗闇から這い出てきた眼鏡の男は鋼の肉体を持つ大男を恐れる素振りすら見せず、ずいと近づくと顔を寄せてくる。「戦争、始まらないよ?」

「だからどうした。あんまり調子こいてんじゃねぇぞ……!」

 火花を散らすような至近距離でのにらみ合い――互いに自覚のない同族嫌悪だった。強烈な殺意と無秩序な悪意。似た物同士の独特な存在感がせめぎ合いを見せ始めた、その時。

「静かにしろ」

 抑揚の無い、それでいて聞く者を凍りつかせ、跪かせるような咆哮が部屋に轟いた。

 部屋の奥。巨人が座るような大きな玉座に、男の姿が薄らと浮かび上がる。赤く光る双眸(そうぼう)がこちらを捉えてはいたが、その目は映る者を人間としては見ていない。

「時間を無駄にするな」

 まるで人形でも相手にしているかのような感情のこもらない声の男に、不快感を覚えたハルベルトは軽く舌打ちをした。それはこっちのセリフだ。

「決行は明日。互いに準備は万全か」

 屈強なハルベルトも学者風の男も決して彼に臆するわけではなかったが、玉座の男の言葉にはどんな人間であっても押さえつけてしまうような抑圧感があった。何気の無い一字一句にも、胸をえぐられるような残忍な力強さがこもっている。

「俺はいつでも構わねぇ。やるべきことはひとつだけと決まってる」ハルベルトは両手を広げて答えた。「そういうアンタはどうなんだ。エラそうにお山のてっぺんで胡坐かいてるようだが、『事』は順調に動いているんだろうな?」

 人差し指を上に向けて噛みついたハルベルトに、赤い眼光が向けられる。

「言われるまでも無く、既にプロト王国では最終段階に移行している。我らが一手加えるだけで脆く崩壊してしまうところにまでな」

 そう言い切った男に、ハルベルトは訝しげな眼差しを送る。こんな空の牢獄のような場所に居て、一体いつどのようにして動いているのか。何かの能力か? それともまだ誰か協力者でもいるのか? いずれにせよ、こいつが胡散臭いことには何の変わりもない。

「そうかよ。じゃあ、あとはそこのメガネ次第だろ」

「僕も問題ないよ。ただ……」

 顎でしゃくられた学者風の男は、特徴的なメガネを光らせると歪んだ冷笑とともに口を開く。

「ただ?」

 玉座の男が眼を細めた。

「その……一匹逃がしちゃってね。実はまだ見つかってないんだ」

「はあ? 何を寝ぼけたこと言ってやがる」

 こいつ……、やはり殺してやろうか。ハルベルトは凄まじい殺気とともに、食いしばった歯をむき出しにして毒づいた。

「まぁまぁ」それでも相手は悪びれた様子も見せず、両手を胸の前で開いて見せる。「僕にとっても初めての試みだったんでね。想定外のことも起こって当然なのさ。失敗作のゴミがまさか歩いて逃げ出してしまうなんて思いもしないだろ?」

「てめぇの実験なんざ知らねぇし、悠長なこと言ってんじゃねぇ! そいつが誰かに見つかりでもしたら、どうするつもりなんだ」

「どうせ明日になれば帝都にも混乱が広がるんだ。そこに虫一匹紛れ込んだところで、何の問題もないよ」

 呆れた野郎だ。何考えてやがる。何を言ってものらりくらりと交わし、憎まれ口を叩く男に、ハルベルトは返す言葉が見つからなかった。

「どうするつもりだ」

 玉座の男が無感情な眼差しを向ける。

「はははっ。そう怖い顔しないでくださいよ」メガネの奥に狂気を潜ませた男は、ふざけた態度で地面にひれ伏してみせると、にやけた顔面を釣り上げた。「分かりました。逃げた一匹も、まぁなんとかしますよ」

赤目の男は一度目を伏せるとしばらくそうしたまま、次に目を開けた時には玉座から立ち上がっていた。

「計画は十五年もの月日を経て、ようやく成就する」ふたりを見下す赤い(まなこ)に、もの言わせぬ冷酷な闇が灯る。「いかなる失態も許すわけにはいかん、良いな」

 その身構えてしまいそうなほどの驚異的な気迫には、階下のふたりも口を噤まざるを得ない。

「休戦とは所詮戦の準備をするための時間稼ぎ」階段を降りた男は、玉座の裏に歩みを向ける。「ゴラドーンが覇権を握るならば、他国との馴れ合いは不要。ただやつらの頂点に立てば良い」

 玉座の後ろには、下界を見下ろすことのできるバルコニーがある。既に陽は落ち、あたりは永遠に広がる闇がところどころで渦を巻いていた。この高さから俯瞰する帝都は、まるで夜空に浮かぶ星を海に映したかのようだ。煌々と輝きを発する民家や工場、兵舎の灯りの数々。人はこれを見てまず美しいと感じ、感銘を受けるものなのだろう。

 だが……。

「この街にも、また火がつくな」

 赤目の男が呟いた言葉はあまりに無機質なものだった。

「てめぇの街や人間がブッ壊れるだろうってのに、何も感じねぇみたいな面だな」

「何を感じる必要がある?」

 吐き出される氷のように冷たい言葉が周囲を凍りつかせる。

「慈悲や恩情か?」死んだ人間のような、正気のない瞳がハルベルトを見つめる。「否、非情でなければ、このジオを支配することなどできはしない。我らゴラドーン人が全ての者の上に立つためにも、犠牲は必要なのだ。ただ平凡で無駄な毎日を繰り返し過ごすだけの価値の無い連中も、少しは役に立ってもらわねばな」

 こいつは人間であって、しかし人間じゃない。以前から直観的に感じてはいたハルベルトだったが、そう確信を持てたのはこの日が初めてだった。これじゃあタイタン相手にひとりごちっていたほうが数百倍マシだ。

 おそらくここにいる俺やメガネ野郎のことも、用がなくなれば躊躇なく切り捨てるつもりでいるのだろう。

 だが、そうでなければ面白くはない。それはそれで好都合だ。

「いや……。むしろそのほうが単純で好きだぜ。これから先喰い殺す奴らの人生がどうだったかなんて、俺にはどうでも良いことだ」

 ――そう、『あの男』を食い殺したあとには、こいつもメガネもいずれ俺が喰らってやるんだからな……。

「おお、怖っ。ふたりは本当、物騒だよねぇ」

 ふざけた顔で体を震わせたメガネ男が言った。その後「じゃ、僕はこれで」と片手を上げた男はその表情を歪ませると、奇怪な鼻歌とともに軽快なステップを踏んで部屋を出て行った。

「ちっ。どこまでも勝手な野郎だ」

 その後ろ姿に唾でも吐きかけてやろうかと思った時、急に「ハルベルト」と呼び止められた。

「ひとつ聞かせてくれないか」

「なんだ」

「お前は平穏だった日々に、未練はないか」

 そう問いかけられた時、淀んでいた空気に一瞬だけ澄んだ風が迷い込んできた気がした。まるでこの小さな世界が何かに迷っているかのように。

 当然のこと、おかしなことを聞く野郎だ、とハルベルトは訝った。

「あん? 何言ってやがる。俺は戦うためだけに産まれてきた男だ。この十五年、どれだけ我慢してきたことか。争いごとの無い毎日なんて、退屈すぎて死んじまう」

「そうか」

 言った男の表情は気味が悪いほどにあっさりとしていた。だが足元に向けられた瞳のなかに、針の穴のような小さな哀しみがぽつりと空いていたのをハルベルトは見逃さなかった。



 過剰な殺気に満ち溢れていたハルベルトが退出したあと、赤目の男は再び天空のバルコニーから下界を見下ろしていた。

 目に映るひとつひとつの灯りの下では、数えきれないほどの人間達が家庭を築き上げている。そこには当然のように男と女がいて、ふたりの間には子供が設けられる。この瞬間にもどこかで誰かが生を受けているのだろう。

 そうやって繋ぎ合わせていく人間達の系図も、男にとっては単なる虫の繁殖のようにしか見えなかった。

「親子……か」

 かつては彼らを我が子のように可愛がっていた日々もあった。だが長い年月を経ていくうちに、男はあることに気付いてしまったのだ。

 『人という創造物は欠陥品である』と。

「ガイアよ。どこかで見ているか、この星を」

 男は漆黒の大空に向かって語りかけた。

「この星はまだ完璧ではない。だから私が導こう」

 返事の無い虚空を、男は血のような真っ赤な瞳で睨みつける。

「ジオを」

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