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ジオ戦記(旧)  作者: ルノア
第1章
34/52

34. 路地裏の孤独

-Ⅰ-


 自分でも信じられないような思い切った決断をしたブリンクだったが、無論それで悩みが解決したというわけではない。むしろ肩の荷の重さは増したと言っても良い。馬車が帝都に近づくたびに、本当にこの方法で良かったのだろうかと心の中の不安は膨らむ一方である。

 はじめはミューネを置いて、ひとりで解決策(・・・)のある帝都へ向かうつもりだった。ゴラドーンの首都であり、軍の中枢ともなる場所へ彼女を連れて行くなど、正気の沙汰ではない。ならば人が来ることのないあの丘に、食料を残してとどまっていてもらうのが一番の安全策だっただろう。

 それでもそうしなかった――いや、できなかったのは、彼女が手を離れた時に何をしでかすか分からなかったから。そして、何かが(・・・)あった時には自分の手で対処できるようにするため。

 レニを監視として残すことも考えたが、余計に心配ごとが増えるだけなのでその考えはすぐに頭の中から捨て去った。

 最初の関門は商業の街クロスロード。人の往来が激しく、いまは避けて通りたい街だが、帝都に向かうにはそうも言ってられない。じき夜が来れば泊まる宿も必要だ。

 ともかく、ミューネの存在がばれないよう頭にはバンダナを巻かせ、その上に手編みの麦わら帽子を被らせて額の石だけは隠しておいた。

 さてどう通り過ぎるか考えもの……だったのだが、それも到着早々杞憂に終わる。巨大な人ごみとは便利なもので、ミューネひとりの姿などすぐに溶け込んでいってしまった。誰も見向きもしない。忙しなく通り過ぎる行商人も、その買い物客も、誰も他人のことなど構っていられないほど多忙なのだろう。

 言い寄る商売人だけには注意を払い、適当にあしらいながらも一行は洋装店へと足を運んだ。

「似合って……いますか?」

 新しい衣装を身に纏ったミューネが、試着部屋から出て一回転。上は真っ白なブラウスに、下は膝下までの黒いパンツと短めの青いスカート。見た感じはただ平凡な町娘といったイメージ。ゴラドーンの現在の流行りだと店員おすすめの服を言われるがままにブリンクが購入し、与えたものだ。

 これでどこからどう見てもゴラドーン人。うんうんと納得したブリンクは財布の口を開けると、そこにもまた絶望が広がっていた。

「どうだかな。俺には女の子のおしゃれは分からん」

 ブリンクはため息を吐きつつ、にべにもなく言う。そもそも、彼の絶望的センスで、他人の服装の良し悪しなど分かるはずもない。

「うん、可愛いと思うよ」

 代わりにレニが満面の笑みで感想を述べた。

 こいつは何を楽しんでいるのやら……。そんな思いで「気を抜くな」と喝でも入れようかとしたブリンクだったが……。

「ありがとう、ございます。ふふ」

 それまで故郷に対する焦りや敵国での不安が顔に張り付いたままだったミューネが、赤くなる頬を隠しながら一瞬微笑んだのだ。

 そんな無邪気な笑顔を見せられると、ブリンクも怒る気すら失せてしまった。

「今日はもう遅い」店を出て、夕焼け空を見上げる。「急ぎたい気持ちはあるだろうが、夜は何かと物騒だからな。宿を探そう」

 レニが頷き、ミューネも苦い表情で首を縦に振ると、ふたりはブリンクの後に続いた。

 それにしても……、とブリンクは考える。

 助けを求めにやって来たのがプロト人で良かった。もしも毛むくじゃらで、耳が大きく、しっぽの生えたウルブロンのオッサンあたりがやって来て「助けてくれ」なんて言われた日には、どう隠しようもない。それだけで、人生積んでしまっている。

 そんなどうしようもない妄想をしてみると、ブリンクの口端は自然と吊り上っていた。




-Ⅱ-


 安らぎとは一体何なのだろう。家があること? 満腹になれる食事にありつけること? 誰かが傍にいてくれること? 家族? 友達?

 そんなこととは全くの無縁に生きてきた名も無き少年は、それでも毎日を生き抜くためになりふり構わず必死にもがき続けていた。快楽街のゴミ溜め場で残飯を漁って飢えを凌ぎ、急な雨にうたれながらも廃屋の軒下で這い上がってくる寒さとやりどころのない悲しみに身を震わせもした。

 新天地を求めてクロスロードにまで足を運んだことさえある。だけど結果は一緒。世界は残酷だ。結局またここに戻ってきて、こうして快楽街の狭い路地、孤独という名の影で両膝を抱いて身を潜めている。

 着ているものと言えば、服とは呼べないボロ布の上にフード付きの黒コートただ一着。去年の冬場に酔っ払いが落としていったものをそのまま拝借している。

 少年は今年で十歳にもなろうかという年頃であったが、不思議なことに彼にはそれまでの記憶がなかった。記憶喪失や何らかの障害などという説明のつく類のものではない。彼が生を受け、目覚めた時には既にこの体でこの場所に立っていたのだ。

 親はいない、知らない。自分を知る者も誰もいない。産まれてきた理由は何なのか。教えてくれる者などいるはずもなく、耐え難いこの世からの隔絶の日々をただ無意味に過ごすしかなかった。

 唯一、彼に声をかける者がいるとすれば……。

「おい、あいつ帰ってきてるぞ!」

 路地裏を突き抜ける嬉しそうな悲鳴めいた叫びを聞いて、少年はうずくめていた顔をさっと起こす。

 すぐに分かった。それが好意的なものとはまるで違うことが。疑いようのない悪意を投げかけながらゆっくりと、そして獲物を角に追い詰めるかのようにそれらはこちらへと近づいてくる。

 まずい、逃げなければ。少年はやせ細った棒のような体を揺らすようにして立ち上がり、次の瞬間にはもう地を蹴って駆け出していた。

「はぁ、はぁ……。ううっ!」

 かぶったフードが向かい風で飛ばないようしっかり両手で押さえ、死にもの狂いで路地を駆け抜ける。

 通行人の何人かとすれ違うも、彼らはまるで汚物を避けるかのように飛び退き、追いかけている者達の顔を見ると我関せずを貫いた。

「待てよ、この家無し!」

 後方には三人の男達。どれも人相が悪く、気味の悪いにやけ顔を浮かべながら追いかけてくる。

 このあたりで犯罪行為を働いている不良グループだ。

 真昼間の快楽街は人通りも少なく、故に彼らの活動しやすい時間帯でもある。初めて男達がフードの少年を見つけた時、彼らは躊躇なく暴力を振るった。家も無く、親もおらず、痛めつけても誰も心配するものがいない。日頃の鬱憤を晴らすには丁度良い相手だったに違いない。

 捕まればまた時間の許す限り殴られ続けるだろう。それだけは、絶対に嫌だ。少年はただその思いだけで、疲労の蓄積した体に鞭を打った。持てる力を出し切って走り続けたが、しかし体力の限界は思ったよりも浅く、既におぼつかない足取りを見せている。

 複雑に入り組んだ路地の角を何度も曲がり、なんとか相手をまいたかと思った矢先。

「あっ」

 不運だった。転がっている小石に足をすくわれ、あえなく転倒してしまう。

 急接近する地面。鋭い激痛が顔面に走る。

「へっ。鬼ごっこはもう終わりか?」

 地面に伏している間に、追いつかれてしまった。そうだ、彼らには天と地ほどの体格差があるのに追いつけなかったわけが無い。こうなるまでに、彼らはずっと歩調を合わせていたのだろう。あえて追われるという心理的ストレスを与えることで、獲物の肉質を良くしたのだ。そして彼らはこのゲームを心から楽しんでいる。

 悪人面の不良達から漏れるうす汚い嘲笑は、フードの少年を更に震わせた。

「生意気に、逃げてんじゃねぇぞ!」

 地面に手をつき、起き上がろうとする丸まった背中に追い打ちとなる蹴り。

「ううっ……!」

 少年はふたたび地面へと叩きつけられる。

「しばらく見なかったが、ママとパパでも探しにいってたのか? どうせ見つからなかったんだろ? そりゃ手あげて出てくるわけねぇよなぁ? お前みたいなゴミ、親もいらねぇってよ!」

 心をえぐるような罵声とともに唾も吐きかけられ、取り巻きからは同調するような冷やかしの声があがる。

 この執拗な追い回しも少年が生を受けてこれで数度目となるが、数を追うごとに彼らの暴力も次第に苛烈さを増していった。

「や、やめて……」

 蹴られた衝撃と痛み、共に受けた精神的な傷は胸を苦しく締め付け、言葉の通り道を狭くする。振り絞って出した一言は、次の瞬間にはかき消されていた。

「ああ? 聞こえねぇ! なんだって?」

 再び、腹部に容赦のない強烈な蹴り。

「あうっ……!」

 吹き飛ばされ、地面を転がる。

「女みてぇな声出してんじゃねぇよ。気持ち悪い!」

「おい、フード外せよ。顔もやろうぜ、顔」

 取り巻きのひとりが言うと、少年を蹴っていたリーダー格の男は賛成だとばかりにフードの端を掴んだ。

「嫌だ嫌だ……!」

 顔だけは見られてはいけない。朦朧とする意識の中で、必死に抵抗する。

 彼がフードに固執するのには、相応な理由があった。その中に隠し持った『ある物』を見られてしまえば、最悪とさえ思えるこの現状よりも遥かに悲惨な事態へと発展しえる。生きてきた短い時間の中で得たこの世界の情報だけでも、そんなことくらいは嫌になるほど理解できた。

「手ぇ、どけろよ!」

 なかなかフードを剥ぎ取れないと分かった不良達は、今度は三人がかりで抑えつけようとした。立とうとする足を押さえつけられ、フードを掴む両手を背中の後ろに無理矢理組まされ……。

 もう、ダメだ……。そう諦めかけた時。

「貴様ら、何をしている!」

 体を震撼させ、耳を貫くかのような堂々として力強い声。

 そんな低い女性の声とともに響いたのは、甲冑の擦れ合う音だった。

 少年は押さえつけられた状態で、路地の先に見えるふたりの足を見た。視線をすっと上に持ちあげる。

 路地の入口。そこに現れたのは鎧姿の老人と女性。左胸には天空より舞い降りる三本の剣、帝国軍騎士団<神々の騎士団(ナイツ・オブ・ゴッヅ)>のエンブレム。背に陽を受け、神々しい光を放つ白銀の鎧と瑠璃色の鎧。時代という逆光を浴びてもなお、その輝かしい色彩には一点の曇りも見えない。

「おやおや。久しぶりの事件じゃのう」

 白銀の老騎士が、穏やかに微笑んだ。

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