33. 奇跡、希望、運命
「そもそも、何故ハンターの力なんかが必要なんだ?」
ゆらゆらと揺れる馬車の中、向かい合うブリンクが問うた。そう、まだ肝心のところを話せていないのだ。
「ええと……」
どこから話せば良いのか、まずは考えのまとまっていない自らの頭を整理しなければならない。慎重に言葉を選ばねば、中途半端な内容で納得してもらえるような話でもないのだから。
思考に不安な雲がかかりはじめた時……。
「大丈夫だよ、ミューネ。まだ時間はたっぷりあるから、ゆっくり落ち着いて話してみなよ」
御者台で馬を操っているレニが、肩越しにこちらを見て優しく笑った。
「おい、お前はちゃんと前を向いて運転しろ!」
途端に怒られたレニだったが、いまのミューネにはなんとも頼もしい一言であったのは間違いない。
ふと、何故だかレニの言葉を聞いていると、心が満たされるような暖かさに包まれる気がした。種族の壁を越えて手を差し伸べようとしてくれる彼には、人を安心させる不思議な力があるのかもしれない。レニ本人にそういった自覚はないようだが……。
「へいへーい」
憎まれ口を叩くレニに、舌打ちするブリンク。そんな朗らかなふたりの雰囲気を視界に映すと、ミューネの口元は自然とほころんでいた。
父と私もいつもはこんなだったな、と心に呟く。
「なんだ。何かおかしいか?」
怪訝そうな視線に気付き、はっとして口に手を当てる。
「い、いえ……。おふたりとも仲がよろしいんだな、と思って……」
「親子の仲が良いのは、別にプロトでも珍しくはないだろう?」
少し棘のある返事に聞こえなくもなかったが、首を傾げるブリンクの表情に悪意はない。
「はい。種族の違いを感じなかったことに、ただ驚いているだけなんです」
容姿や考え方は、プロトもゴラドーンもほとんど同じように感じられる。機械人形を操る悪魔のような敵だと子供の頃から教えられてきて、この日初めて出会ったミューネにとってみれば、それは信じがたいことでもあったのだ。ここに来るまでは不安でいっぱいだったのは言うまでもない。
だから、ふたりの間に人間らしい絆を見た時、ミューネは少しほっとしたのだった。
「そうだな……。そりゃあ産まれが違おうが、お互い心のある人間であることに違いはないからな」
腕組みをして、少し考えるそぶりを見せたブリンクが言う。
俯きかけて「はい」と答えると、その言葉は自分でも気づかないほどに明るさを帯びていた。
「ただし、だ!」突然、膝に手をついたブリンクが身を乗り出して忠告する。「これからすれ違うだろうゴラドーン人は皆、敵だと思って動いてほしい。心があるってことは、良い人間もいれば、悪い人間もいるってことだ。俺たちみたいなのは本当にごく少数だからな」
「分かりました……」
「少し辛い現実も見るかもしれないが、戦争の影響でプロト人を憎むゴラドーン人も少なからずいる。逆もまた然り、な。そうだろ?」
「ミューネのことは僕たちがちゃんと守ってあげるから、心配しないで」
返す言葉に詰まる様子に気付いてくれたのか、レニが馬車の進行方向を見つめたまま言う。心強い一言だった。
「……話を元に戻そうか。ミューネがここに来る決断をした理由は、結局のところ何だったんだ?」
その問いに、脳裏に浮かんだのは一年前のあの日の記憶だった。
母が殺された日。宮殿の屋上で、母がイシュベルと対峙したあの日。
真夜中に部屋を出た母の後を追い、ミューネはそっと影でことの成り行きを見つめていた。
記憶のなかの光景は全てが白黒にぼやけてはいたが、雨がぽつぽつと宮殿の壁を叩いていたことだけは印象に残っている。
ふたりは何事かを言い合っているが、こちらからでは遠くて聞こえない。いや、聞こえていたとして、その内容は理解できなかったのではないだろうか。
ふたりが散らす火花が次第に殺気を帯びていく様子に胸騒ぎを覚え、心臓は早鐘を打ち始めた。自分のなかの何かが警告を発していたのだ。
そして互いに意見が折り合わなかったのか、激昂したイシュベルがついにその真の姿を現した。
飛び立つ瞬間の鳥のように、赤い女の背中からは対になった二枚の黒翼が飛び出す。瞬時に体が翼と同じ深い闇の色に染まり、細見の身体は内側から肥大化すると、強靭な筋肉へと変貌。首が伸びたかと思うと、その顔は先の尖った兜のように変形する。見開かれた眼からは紅がほとばしり、口元から飛び出した牙の隙間からは灼熱に揺れる蒸気。
後ろ姿の母の、何倍もの巨大さを誇る竜……。間違いない、イシュベルが変身したのは紛れもなく童話に登場する災禍竜の姿にそっくりだった。
唯一違っていたのは、その体の色……。
そしてその後、母は宮殿の屋上から足を踏み外して落下した……、ことになっている。
そこから始まったイシュベルと父との突然の婚姻。続けざまに起こる黒蟲の襲撃。これらは偶然重なり合ったわけではないはずなのだ。どこかが一本の糸で結ばれていて、その末端にあの女がいる……。そうミューネは結論づけたのだ。
「俺達にはその災禍竜ってのが良く分からんのだが……、手足の生えたでっかい蛇だと思えばいいのか?」
あの日見たイシュベルの姿を伝えると、少し困惑した表情でブリンクは言った。
「あと、翼もね」
レニが付け足す。
「はい。かつてはあらゆる災いの根源となる竜として、恐れられていたそうです。実際に見たのはもちろん私も初めてで……。それまでは、子供を怖がらせるためだけのただの作り話だとも思っていました」
「じゃあイシュベルって奴は魔艶女で災禍竜にも変身できて。でもその正体は黒蟲ってこと……? うーん」
レニが呻くように呟くと、ここで会話が途切れる。
ふたりとも、考える時間を必要としている。
無理もない。こんな話をすっと受け入れてくれる人間など、そうそういるはずもないのだから。自分でも目で見たものを受け入れるのにはしばらく時間が必要だったし、いまだに混乱しているところもあるくらいだ。
「黒い体に赤い瞳。確かに、魔物の特徴ではあるけど……。ブリンクは虫型以外の魔物を見たことがある?」
「いや、俺はないな」
俺もだよ、と言いたげなレニの表情。
再び沈黙……。
これ以上言えることはない。紅い女に擬態できる化け物がいて、そいつに母が殺されたのは目を背けたくなるような事実。ただただ、その事実を話しているだけなのに、すぐには信じてもらえない歯がゆさがミューネの心をぐっと締め付ける。
「で、イシュベルとやらの正体がその黒蟲だろうから、ハンターなら対処できると?」
ブリンクにゆっくりと頷いてみせると、彼は目を閉じて少し苦しい顔をした。
「少し安直やすぎないか? その女の正体がもし黒蟲じゃなくて、災禍竜や魔艶女のほうだったら、ハンターを頼っても無駄だぞ。一体、どこからの情報だ?」
ミューネはユードロスのことを詳しく説明した。もちろん、彼の性格や彼が国王の座を狙っているであろうことも。イシュベルが黒蟲であるという可能性も、ゴラドーンにハンターという組織があることも、すべて彼の口から聞いたことだ。
「なんだってそんな奴の言うことを信じたんだ」
当然の反応だった。だがミューネにも考えがなかったわけではない。
「王都で頼れる人達は皆、父を慕っていました。だからこそ彼らは女王を排除するにしても躊躇しているのです」
レニの頭のうえには疑問符が浮かんでいたが、ブリンクのほうはすぐに理解してくれた。
「女王がその黒蟲かどうかに関わらず、悪事を働いていたとなれば、王の責任も問われてしまうかもしれないってとこか?」
ミューネは強く頷く。
「そうなのです。彼らは父のことを思うばかりに、国王が不利になるようなことを意識的に避けています。父を守ることが返って国の崩壊を助長してしまっていることに、気付かぬふりをしているのです」
「なるほど。国王の人望があだになったわけだな」ブリンクはゆっくりと長いため息をつく。「それで王の失墜を望んでいるユードロスとやらなら、逆に国を救うための良い情報を持っているかもしれないと……」
「実際、プロト国一の情報通とも言われていますし、彼自身王都が崩れてしまうのは避けたいはずなんです」
「座る玉座がないんじゃ、意味がないからな。だがそいつが嘘をついていた可能性もなくはないんだろう?」
「そうなのですが……。私もとにかく必死で、藁にもすがる思いでしたから」
ミューネはゆっくりと目を閉じ、唇を噛み締めた。そうなのだ。まだユードロスが嘘をついていないという確証はない。
募る不安は爆発しそうだった。もしも騙されていたとすれば、この時間と努力は無駄になり、王都が滅びへの道をゆっくりと下っていくだけなのを傍観することしかできない。
そのときだった。
「まぁでも、来て良かったと思うよ」
元気な声でレニが放った一言には希望が込められていた。馬車の行く先を向いた彼の表情は伺いしれないが、優しい笑みを浮かべているような気がする。
「え……?」
向かい合ったブリンクは、余計なことを言うなとばかりに後頭部を掻きはじめたが、「まぁいいか」と手にしていた大きな帽子を被った。
「どこから俺たちの情報が漏れたのか、気になるところではあるが……」
俺たち……?
ミューネはその一言を聞き逃さなかった。まさか、こんな奇跡があるのだろうか。
「もしや、お二方は……?」
無意識に自分のカバンを手繰り寄せる。中から掴んだのは、古びた宝玉、転移石。ここに来るために使ったものの片割れだ。
「隠していて悪かったな。こっちにも都合があるもんでね」帽子を被る位置を調整するブリンク。「俺たちがお前さんの探しているハンターだよ」
馬車の窓から光が差し込み、転移石をきらりと輝かせる。それがまるでにこりと笑みを浮かべているかのようで、ミューネは瞬きした。
使う者が行きたい場所へと導いてくれるというのは、本当だったのだ。その神秘的な力は数ある可能性の中から、彼女にとって最も必要としていたハンターを見つけ出して会わせてくれた。
あの時、向こう側からこちらを眺めたその時に、レニ達があの静かな丘に居たのだという奇跡も運命のひとつだったに違いない。




