32. 広がる暗雲
-Ⅰ-
「ねぇ、ブリンク。ちょっといいかな」
過去を歩むブリンクを現実に引き戻したのは、少し控え気味なレニの声だった。
「……なんだ」
目もあわさずに、ぞんざいに返事をする。
もう怒ってはいない。怒ってはいないが、だからといって目の前の現実が消えたわけでもない。時間の経過とともに重くなる頭を、持ち上げきれないでいた。
「なんとなく……、なんて言ったらまた怒られちゃうかもしれないけどさ……」今回は話を遮られないことを確認してから、レニはおそるおそるこちらを窺うようにして話す。「俺には、とてもミューネが嘘をついているようには見えないんだ」
「だからどうした。お前の気持ちと、これからどうするべきなのかはまた別の問題だろ」
「分かってる。だけど、俺の意見もちゃんと聞いてほしいんだ」
半ば自棄になった返事に、レニは納得のいかない表情を見せた。
「……言ってみろ」
ほんの少し前まで子供の意見など聞く余裕すら無かったが、若干の落ち着きを取り戻したブリンクはため息混じりにそう促した。
こくりとレニは頷く。
「みんなのために国を救たいっていうミューネの気持ちはよく伝わったよ。俺より若いだろうに、すごいなって。でも話を聞いてて思ったんだ……」
自然とミューネに集まる視線。
「本当はそれ以上にお父さんのことが心配なんじゃないかな、って」
そうレニが言うと、隣でミューネの顔がゆっくりと上がった。
「父親……。国王のことを言ってるのか?」
「そう。だって想像してみてよ。俺だってブリンクが危険な目にあってたら、すぐにでも助けに行きたいし、どんなことだってする。立場が逆でも、ブリンクは俺を必ず助けに来てくれるだろ?」
「……」
「だけどミューネは王女様だから、国の皆を助ける為に頑張ってたんだ。一年間、ずっと我慢してきたんじゃないかな」
どう返せば良いか迷っていると、それが肯定と取られてしまうのは自然なことだった。
「国もお父さんも大事にしているミューネだからこそ、決断してやっとの思いでここに来たんじゃないかなって思うんだ」ミューネにウインクするレニ。「でしょ?」
「……はい……」
本心を見抜かれたのか、ミューネは消え入りそうな小さな声で返事をした。
その正直な気持ちを確認したレニは、きりっとした眼差しをこちらに向けると大きく胸を張る。
「ブリンク。俺達って、困った人たちに手を差し伸べるための仕事をしてるんじゃなかった? だったらさ、ミューネがプロト人だから助けない……なんておかしいと思う。産まれた土地が違っても、人は人だろ? この考え方……俺は間違ってる?」
「レニ……」
「戦争にならないようにするのも、もちろん大切だ。俺もそんなことにはなってほしくない。だけどここで見て見ぬふりをして、ミューネの国が滅んでいくのをただ黙って見ているだけだなんて、俺にはできそうにない。もしもそんなことをしてしまった時には……」
どこまでもまっすぐな瞳はブリンクの眼の更にその先の何かを見つめているような気がして、胸がぎゅっと締め付けられた。
「俺は、自分自身を許すことができなくなる」
言い終えて数秒後、レニははっとしたように少しはにかんだ。
随分と偉そうなことを言うようになったもんだ、とブリンクは心の中で呟く。だがそれ以上何か反論できるわけでもなかった。結局、偉そうなことばかり抜かしているのは自分も一緒だったことに気づいたのだ。
あの日救われた命で、いまこうして生きている。それから色んなことはあったが、気が置けない友人も出来たし、レニと出会うことも出来た。彼らと同じ時間を過ごせているのは、全て異国の者から貰った慈悲のおかげだ。
そして今度はハンターがプロト王国を救う鍵を握っている、かもしれないと言う。これは単なる偶然ではない気がしてきた。
「まったく……。お前のその頑固さは誰に似たんだ」
考えた末に結論を出した。受けた恩は返さねば、人として、親として、示しがつきそうもない。
息子にあそこまで言わせてしまうとは、焼きが回ったものだ。
心の中で舌打ちしたブリンクは、
「……分かった」
ついに折れた。
両膝をぱんと叩いて、立ち上がる。期待に溢れた目線がすっと持ち上がる気配に、わざとらしく嘆息してみせた。
「ミューネ」
「は、はい!」
初めて彼女の名前を呼ぶと、ミューネは飛び上がるようにして背筋を伸ばす。
「俺はお前さんを信じることから始めるよ。それから、プロト王国を救う手助けはできると思う」
「ほ、本当ですか!?」
潤むブルーの瞳に、涙を堪えてへの字に曲がる唇。
「あぁ」だがな、と釘を刺すように人差し指を立てる。「いいか、国に戻るまでは絶対に勝手な真似をするな。俺の言うとおりにだけ動いてくれ」
「はい、感謝いたします!」
ついに立ち上がったミューネがこれまた飛び上がるような勢いの元気さで返事をする。
「お前もだぞ!」
「へ?」
それからレニに振ると、本人は何のことかと首を傾げた。
「当たり前だろ。一人前のような口を叩いているが、お前はまだ未熟でよく暴走もする。頼むからこれ以上の厄介ごとを連れてくるようなことはするな」
「え……。あ、あぁ、分かったよ」
ちょっとだけ不満げな顔でレニは首をぎこちなく縦に振った。
「ただでさえ、お前は目立ち過ぎなんだ」
隅に立てかけられた巨大な大剣に視線をうつして言う。
「よく言うよ……」
ブリンクの服装を見て、レニは呆れながらも笑った。
-Ⅱ-
表道を流れるのは夏の熱風だというのに、この路地はいつ来ても陰気臭くてうすら寒い。頭上を仰ぎ見てみれば、冷たくそびえ立つ無情の壁に、人を見下すかのように天まで伸びる鉄塔。そんな物に囲まれた人間達が己の欲にまみれて堕落し、底辺にたまり続けた結果がこの快楽街だ。
人を酔わせるようなその雰囲気だけで気が狂ってしまいそうで、反吐が出る。
夜の明けた快楽街を巡回の名目で見回っている騎士団の副団長メリッサは、種火のように燻る内なる苛立ちを感じていた。
というのも巡回とは所詮名ばかりで、仕事のない騎士団が自発的に行っている単なる暇つぶしに過ぎないからだ。仮にこんなところで事件が起きたとしても、どうせ酒の抜けなかった酔っ払い同士の喧嘩程度だろうし、そんなものをいちいち仲裁する気にもならない。
私は一体いま何をしているのだろう。これが本来あるべき騎士団の姿なのか……?
子供の頃に憧れていた、住民を愛し、住民に愛されていたあの日の騎士団とはまるで違う。いまはといえば「時代遅れ」「役立たず」と揶揄され、<神々の騎士団>という大きな看板を背負っただけのちっぽけな自警団でしかない。
辛うじて生かされているのも、ただ単に帝国軍総帥と騎士団団長とのの付き合いが長く続いているからだ。
隣で肩を並べる父、団長のシルヴェントを横目にメリッサは日々そうやって自問自答し続けてきた。この疑念は毎日朝から晩まで彼女につきまとっている。見方を変えれば、彼女がそれだけ真剣にこの仕事の行く先を考えているのだとも言えるのだが。
「メリッサよ」
しわがれてはいるが力のこもった声に呼びかけられ、メリッサははっと我に返った。
「なんです、父上」
「いや、何やら神妙な面持ちであったのでな」
シルヴェントは普段と変わらぬ優しい笑顔を見せる。
「いえ……。特に何もございませぬ」
これ以上は何も悟られまいと表情を変えずに返す。
「そうか……」
残念そうな下向き声が、路地の角へと消えていった。
少し素っ気なかっただろうか。最近は騎士団への不満からか、父を無意識に避けていることも多い気がする。
ちらりと様子を窺い、そこに変わらず銀色の甲冑に包まれた慈悲深い老人の顔があることを確認すると、メリッサは気分を切り替えるつもりで気になっていることを打ち明けることにした。
「父上。前々からひとつ気がかりなことがあるのですが、よろしいですか?」
「ほほう? 何かな」
嬉しそうな声を上げるシルヴェント。
歩きながら辺りを確認する。お楽しみの夜が始まると人で溢れかえるこの通りも、いまは人ひとり歩いていない。
大きな疑問を吐き出す絶好の機会だった。足を止め、口を開く。
「実は、ウルブロンの件なのでございますが……」
少し声量を落として言い、だが訴えかけるかのように強い視線も送る。
甲冑の足音が止まり、シルヴェントの動きも止まった。
「ウルブロン……?」
白銀の白髪頭がゆっくりとこちらに振り返る。
「はい。ここ数日、街はその話題で持ちきりでしょう? ウルブロンを見た、と」
初めこそ単なるまゆつば物の噂だと思いこんでいた。だがその後見たという報告は後を絶たず、それが一日数件以上出てくるようになると、いまやとんでもない数に膨れ上がっていた。
「うむ、そのようだのう」
シルヴェントは白髪のあご髭を揉んだ。
「私は時々思うのです。その目撃情報とやらは、どこまで真のものなのかと」
「……」
何やら心当たりがあるのか、シルヴェントは黙って話の続きを促した。
「これだけ多くの噂が流れているというのにも関わらず、その痕跡はまるでない。誰かが傷つけられたり、帝国兵との戦いの跡も、奴らの足跡どころか体毛一本落ちていない……」
「ふむ……」
「奴らは根っからの戦闘民族です。ただ戦うだけでなく、それに付随する隠密行動にも優れている。そんな相手がこう何度も見つかるようなヘマを繰り返すものでしょうか?」
ここ数日、同じことばかり考えていたからか、溜め込んでいた疑惑は知らず知らずのうちに熱を帯びて吐き出されていた。
強く握りしめていた拳を、シルヴェントがそっと手を重ねて優しく包み込む。
「以前にも、このようなことがあった。あれは戦が休戦となってすぐだったかのう」遠い目でどこかを見つめる。「あの頃はまだ人々の気持ちに余裕が無かった。だから、どんな些細なことにも敏感に反応していたものじゃ」
「だから今回もそうであると?」
「少なくとも、ワシはそう願っておる。恐怖というものは素早く伝染するものでな。始まりは誰かの嘘でも、人の恐怖心を煽ればすぐに他人に燃え広がる。今度も同じような嘘に、人々が惑わされているだけに過ぎぬと信じたいのう。戦争なぞ、もう二度とごめんじゃからな……」
メリッサは頷いた。十五年前までは彼女もまた戦に加わっていたのだから、シルヴェントの気持ちは痛いほど共感できるし、理解もできる。
だが、それでもひっかかる何かがあるような気がしてならなかった。証拠があるわけではない、これは直感だ。
「ですが父上。最初の噂と帝国軍艦隊の出航準備と、始まりの時はほとんど同時期です。少しばかりタイミングが良すぎはしませんか?」
話が続く気配を感じて、シルヴェントは眉根を寄せる。
「この件、やはり軍が何か関係しておると?」
「私個人の意見であって、断言は出来ませんが……。奴ら(・・)が裏で何かを企んでいてもおかしくはない、と私は思うのです。以前、父上もそうおっしゃっておりましたよね。」
更に険しくなる父の顔にも負けず、メリッサは語尾を強めた。
「そうじゃのう。だが、だからといっていま我ら騎士団にできることは限られておる……」
「そんな情けないことを言っておられる場合ですか! 父上はおかしいとは思わないのです?」
自らの意見を吐き出さない煮え切らぬ父の態度に、メリッサは声を荒げた。
「メリッサ……」
「戦争を回避したいのは私とて同じこと。ですが、もしもウルブロンの件をないがしろにして何か大事なものを見過ごしてしまい、戦の始まりをただ傍観してしまったならばそれこそ騎士団としての恥でございます」
「おぬしの言いたいことは分かった。だが、元々その件に関しては我らの管轄ではない故。あまり首を突っ込めば騎士団の居場所を狭くしてしまうでな。後のことは軍に任せるしかあるまいて……」
「ですから、その軍が……!」
言いかけて、父の表情が暗く沈んでいることに気が付く。
老いた横顔には、あのたくましく輝いていた頃の父の面影は残っていなかった。そんな顔を見てしまったメリッサは大きく落胆し、それと同時に哀しみがこみ上げてくる。
騎士団の行く末を案じるあまり、帝国軍の犬と成り下がる。リーグオブハンターズの総司令ホワイトが言うように、父は少し腑抜けてしまったのかもしれないな……。
メリッサはぎゅっと唇を噛みしめると、それ以上は何も言えなかった。




