30. 王女の意地
自らをミューネと名乗るプロト人の少女は、プロト王国の現状とここ一年ほどの痛ましい体験を詳細に説明した。悲痛に満ちる気持ちを押し殺しながら少女は語ったのだろうが、ブリンクは訝しげな眼差しで見つめることを止められなかった。
案の定、隣ではレニが大口を開けたまま停止しているという有り様だ。
それにしても……。災禍竜や魔艶女といった名前に、この娘が王族であるという話。ゴラドーンには不思議な石を使って飛んできたのだともいう。
聞きなれない言葉が次々に飛び出してくるせいか、話にはまったく現実味が伴っていなかった。まるでおとぎの国の物語だ。聞けば聞くほど彼女の言葉全てが荒唐無稽のようにさえ感じられ、軽い芝居を打たれているのではないかと思えてならない。
唯一理解できるのは、黒蟲とやらがゴラドーン大陸の魔物と同一のものであることくらいか。統制の取れた魔物達と聞けば、心当たりが無くも無いが……。
「話は分かった。だがすまん……俺にはどうも受け入れがたい」ブリンクは目を細め、ミューネを見定める。「結局、俺達はお前さんのことをどう信用したらいいんだ? この話が嘘ではないと、証明するものが何一つないじゃないか」
針を刺すような眼差しを送ると、少女が視線を逸らしてしまうには十分な圧迫感だったようだ。
「それは……」
「法を破って国境を越えてくるような敵国の人間が言うことを、誰が信じると思う?」
ブリンクは彼女の答えなど初めから求めていなかったかのように発言を遮り、詰め寄った。
「やめなよ、ブリンク!」レニが割って入ってくる。「なんでそんな喧嘩腰なんだよ。彼女は困ってるからここに助けを求めに来たんだ。ただそれだけだろ?」
ああ、そういえば……いたな、ひとり。お人好しな奴が。別にそれが悪いことだとは言わないが、良い方向にばかり向くとも限らない。
非難がましいその問いには答えず、代わりにするどい眼光を少女からレニへと移し、無言の圧力で黙らせる。そしてまた俯き加減の少女へと視線を戻した。
「俺達がここにいたから良かったものの、もしも他の誰かに見られてしまっていたらどうなっていたと思う?」
それは少女だけでなく、レニへも向けた質問だった。
返事はない。
「いいか、戦争だ!」
出しうる限りの怒りをこめて、拳を手近なテーブルに叩きつけた。テーブルが軋む音だけが残響として長く残る。
そしてしばらくの静寂。
レニとミューネは、凍り付いてしまったように動かない。
「……国を救いたいと思う気持ちは結構。だが自分勝手な判断でここへ来たのははっきり言って間違いだ。再び戦争が始まってしまったら、もはや王国の危機どころじゃない。世界をまためちゃくちゃにするつもりか? それが望みなのか?」
戦争の経験者だからこその説得力があったに違いない。低音で凄みをきかせた言葉は荷車のなかで鈍く響き、ふたりの身体を震わせていた。
「若気のいたりで済む、って問題じゃあないんだからな」
ブリンクは嘆息した。
ここまで怒ったのはいつぶりだろうか。
まだ幼顔の少女を相手にやりすぎている感じはしなくもなかったが、それほどまでにことは重大だった。一歩一歩慎重に歩んでいかねばちょっとしたことで足を踏み外してしまう。とにかく、いまは一刻も早く彼女を祖国へ帰すことだけに専念したい。
「いいか、結局のところお前さんの話を信じるか信じないかなんてのは端から問題じゃない。ここに他国の人間がいることがいまは問題なんだ。だから嘘をついていようが、真実を語っていようが、正直どっちでも良い。俺の言っていることが分かったら、さっさと家へ帰れ。それが国を救うことにもなる」
また沈黙が流れる。それほどまでに浴びせた怒声は過激さを増していたようだったが、これでもまだ生ぬるいほうだ。
答えを待つ必要もない、とブリンクは馬車を動かす用意を始めようと背を向けた。
その時だ……。
「……帰れません!」
張り詰めた雰囲気を切り裂き、耳を劈くような大きな声が轟いた。
ぎょっとしてブリンクは振り返る。
ミューネがか細い華奢な体を震わせて立ち上がっていた。必死に堪えていたのであろう涙が、頬をなぞって一筋の滝を作り出している。それでもなお彼女の瞳の中で燃えている決意の炎は消えず、ブリンクの目線をしっかりと捉えていた。
「必ずや国を救うと誓い、ここまで決死の思いでやってきたのです! 待ってくれている国のみんなの為に、手ぶらで帰られるわけがない!」
その一瞬、ほんの一瞬、彼女の勢いに圧されたブリンクだった。
が、かといって勢いだけで譲れるものでもない。馬車の御者台にかけていた手を離し、踵を返して少女の前へと詰め寄った。
「なら聞くが、もしハンターなんてものが存在しなかったらどうするつもりだったんだ? 無駄な徒労に終わったあげく、戦争が始まりでもしたらどう責任を取る!」
「ブリンク、俺達は……」
「お前は黙っていろ!」
何か言おうとしたレニに人差し指を突きだして叫んだ。俺達がハンターだ、などとは絶対に言わせたくない。面倒に巻き込まれるのだけはごめんだ。
レニは不機嫌な表情を浮かべて、黙ってしまう。
予想に反して、ミューネの返事は速かった。
「もしも……、もしもハンターなる組織が偽りの情報なのだとしたら……。私が戦争の原因を作ってしまった時は」ミューネはブリンクの怒りの形相に怯みもせず、きっと睨み返してくる。「プロト王国王女としてゴラドーン帝国に降伏して忠誠を誓い、この地の属国となってでも王国を存続させるつもりです!」
「……何?」
そのあまりにも大胆な発言に、ブリンクは返す言葉を失くした。
レニもついていけていない様子で、目を白黒させている。
降伏して属国になる……だと?
ブリンクは苦笑せざるを得なかった。仮に本当に彼女が王族であるとしても、最高権力を持つ王でも女王でもない。まだ幼い彼女にそのような権威があるわけでも、国をまとめる力量があるわけでも無いはずだ。
無い……、はずなのに彼女はいたって真面目で、自信に満ち溢れていた。その自信の根拠はどこからくるものなのだろうか。
「面白いことを言うもんだな。お前さんにそれほどの力があるとは思えんが……」ブリンクは肩を竦める。「そんなことをして、国民がついてくると思うか?」
「彼らが生きる為です。納得してもらうほかありません。命あっての物種です」
ミューネは間を置かずに返答した。
「どうかな。内戦も起こり得るぞ」
「そんなことにはさせません。全ての責任は私がひとりで取ります」
ミューネは一歩も引き下がる様子を見せない。
強情な娘だ……。彼女の言葉通り、決死の覚悟というわけか。
その後の会話はもはやいたちごっこで、彼女の口から説得力のある言葉は一切出てこなかったが、真剣な表情や決意を握りしめた拳を見ると彼女がいかに本気なのかは良く伝わってきた。
疑わしいことは数あるものの、おそらく彼女自身は嘘をついていないのだろう。子供の嘘を見抜く力は、幼少期のレニを育てる過程である程度培われてきた。
こんなところで役に立つとはな……。ミューネの頑固さは、どこかレニのそれに似ている気がする。
昔を思い出すと、ブリンクは少し落ち着きを取り戻した。
それからしばらく無言のにらみ合いが続くと、やはり少し大人げない気分になってきた。決して安易な問題なんかじゃなく、少女相手とはいえ気を抜くつもりなどないのだが……。
おそらくミューネはハンターを見つけるまで王国に帰る気などないだろう。ともなれば無理に帰したところで、また国境を越えてくる可能性は高い。いますぐに帰してしまうのは逆効果か……。
いっそレニの考えてる通り、打ち明けたほうが早いか?
さて、どうしたものか……。
あきれて物も言えずに潤んだ瞳を見つめていると、ブリンクはある既視感を覚えた。
彼女の揺るぎない眼差し。まっすぐで透き通ったブルーの瞳。どこかでいまと同じように同じような目で見つめられたことがある気がする……。
記憶の海を探るうちに、ブリンクは過去の戦時中を思いだしていた。確かあれは自らが率いる部隊が、初めてプロト王国に足を踏み入れた時のことだ。




