3. 哀しき風が吹く
-Ⅰ-
依頼のあったサウスウィンドという村に着いたのは、次の日の正午過ぎで、思っていた以上に早い到着であった。一秒でも早く依頼人の不安を消し去るべく、朝日が昇るころにはクロスロードを出発しようとブリンクが提案したのだ。
「どうした、にやけて。気持ち悪いぞ」
ブリンクがしかめ面を見せる。
「いやぁ、別に」
言葉とは裏腹に、レニは鼻歌を口ずさむほど気分が良かった。
当然のことである。ハンターになってからというもの、依頼は本部がある帝都近くでの任務がほとんどで、ようは新米用の雑務や、小物狙いばかりであった。
人の多い帝都周辺には脅威となるような魔物がほとんどいないのだ。
代わり映えのしない景色を眺める事にも飽きてきたところだったし、自分の実力がいくらか認められた結果が今回の遠征だと思ったから、レニは内心喜んでいた。
ふとレニは隣から注がれるブリンクの視線に気づく。刺さるような視線はレニに対してではない。
大人が持ち上げることのできない超重量の大剣を乗せているにも関わらず、平然とした顔で歩を進めるレニの馬に対して、疑問の目が向けられていた。
「なぜ潰れないんだ?」
ブリンクは解せぬといった様子で、まじまじと馬を見つめている。
無論、馬が特別なわけではない。そこらで買ったただの乗用馬だ。
馬車に乗る時や、何かの上に立つ時なども、共通して剣の重さがそれらに影響を与えることはなかった。
おそらく剣の問題だ。
「わけがわからん……」
ブリンクはひとりごちた。いくら悩んだところで、その原理は分からぬだろう。触れてはならぬ未知の世界に、足を踏み入れてしまいそうな気さえする。
「いくら眺めたところで、分かんないって」
ひとり勝手に唸るブリンクに向けて、レニは手を顔の前で横に振った。
「しかし、奇妙な剣だな。本当に何も覚えていないのか?」
「知ってるのかもしれないけど、覚えてないよ」
この剣をどこで手に入れて、その正体が何なのかレニには全く分からない。
魔物の巣にひとり取り残されていた以前の記憶はレニの頭の中からすっかり消え失せていた。それが記憶喪失なのか、それとも何らかの理由で無意識に記憶を閉じ込めているのか、定かではない。
「別に良いんじゃない? 知らなくても。実際使えてはいるんだし」
レニは軽々と石の剣を振り回して見せた。
そんな恐ろしくも無邪気な様子を見て少し黙ったブリンクが、間を置いて口を開いた。
「知りたくないのか? 自分の過去とか」
らしくなく、遠慮がちに聞いたブリンクに対して、レニは一瞬考えてみると、
「俺には今があるから。それだけで十分だよ」
と返した。
「そうか」
少しばかり納得のいかぬ表情を浮かべると、ブリンクは進行方向に顔を戻した。
もはや過去のことなど、レニにとってはそれほど重要ではない。ただ、いまはブリンクという存在が彼の中ではとても大きなものであり、それ以外に必要なものはなかった。
-Ⅱ-
サウスウィンドの村には広大な野菜畑が広がっており、風車が合わせて八基も設置されている。レニのデニムベストを通り抜ける風は少し寂しいものだったが、体の火照りを癒すには丁度良く、心地よい当たりがなんとも村の名にふさわしいものだった。風車も風に押されて規則的な円を描き続けている。
この時期には雄大で緑広がる豊かな大自然が目に映るはずなのだろうが、ハリとツヤのある瑞々しい胡瓜や、収穫時期を教える馬鈴薯の花など、それらは探してみてもどこにも見当たらない。
代わりにあるのは雑草だらけで荒れ放題の畑ばかりであった。しばらくの間放置されている様子である。
「台無しだな、こりゃ。帝都育ちのお前に野菜畑を見せてやりたかったんだが……」
「仕方ないよ。全部魔物のせいだ」
カウボーイの後を追って畑を見まわしていると、一区画だけ、他のものと少し違う様子だった。
一面真っ黒に燃え尽きていて、残った灰塵が焦げ臭さをまとって宙を舞っている。
「これは……」
ブリンクが燃え尽きた畑の中で膝をつき、興味深げにあたりを調べ始めた。
よく見れば、収穫するはずだったであろう野菜も無惨な灰と化しているようだ。灰をつまんでその手触りや臭いを確かめてみる。
「ブリンク。火を吐く魔物とかっているんだっけ?」
レニは自分の発言を想像してみて少しぞっとしたが、
「いないことはないが、これは多分違うだろうな」
というブリンクの返しにほっと胸を撫で下ろした。
ブリンクには思うところでもあるのだろうか。
しかしいくら待っても答えが出なかったから、レニは考えるのを辞めて村に目をやった。
身を寄せ合うようにして建てられた、頼りない木造家屋が十数軒並んでいる。
レニは何か違和感を感じた。冷んやりとして気持ち良かった外気が、急にまとわりつきはじめる。
そう、どの町にも必ずあるはずの人影が、すっかりと抜け落ちているのである。汗を流して働く農夫もいなければ、外で無邪気に戯れる子供もいない。救い主であるハンターへの期待の眼差しすら見当たらなかった。
鳥の囀りも、虫のさざめきも、命の音はここにはない。
まるで廃墟のような村に、風車の空しい旋律が流れはじめる。
「この村を見て、どう思う?」
背後からブリンクが問いかける。
「どうって……。なんだか普通じゃないよ」
レニは身震いをした。
そうだろう、とブリンクが大きく頷く。
「いいか、レニ。世界は帝都のように平穏なばかりじゃあない。お前は外に出れてさぞ嬉しかったろうが、外には現実という名の地獄が広がってるんだ」
「地獄……」
ブリンクは近くの建物の柱に歩み寄り、そこに手を触れると、
「この傷痕を見てみろ」
と、柱に深く刻まれた三本の爪痕を触るようすすめた。
傷跡に触れるレニを後ろから眺めやり、ブリンクは続ける。
「これはただ建物についただけの傷じゃない。同じような傷が、絶望という形に変わって村人達にも刻み込まれているんだ。それらは決して浅くなく、いつまでも人の心に居座り続ける」
語るブリンクの声はとてつもなく苦々しい。
レニは息を呑んだ。初めて見る世界だった。
戦争が休戦となり、争うことを忘れた人間世界には、安寧の地が広がっていると思っていたのに。
「ハンターになったからには、これから先、こんな状況に幾度となく向き合っていかないといけない。生半可な気持ちじゃ続かんし、依頼人の気持ちも分かってやれんぞ」
ブリンクは沈んでいくレニの肩をばしりと強く叩いた。
不気味な閑寂の中、突然村の一番奥にある家の扉が音を立てて開き、一人の男が血相を変えて飛び出してきた。
「ハ、ハンターさんですか? 魔物駆除をお願いした、この村の村長です」
村長と名乗る男は唾を飛ばしながら、神経を高ぶらせていた。
瞬きを忘れた目は血走っており、下まぶたはどす黒く塗りつぶされている。それこそおどろおどろしい亡霊に見えなくもない。声や動きからしても、まだブリンクと同年代であるだろうに、やけに老いて見えるものだった。
「ええ、お待たせしました。あの、外は危険ですから……お邪魔してもよろしいですか?」
ブリンクが興奮する村長を落ち着かせると、彼の家を指さした。村長ははっとした顔で「どうぞ」と言うなり家の中に飛び込んでしまう。
静かな村に急に訪れた慌ただしさに、レニとブリンクは顔を見合わせたのだった。
-Ⅲ-
村長の家はしんと静まり返っていた。どこにでもあるような生活音などは一切ない。ただただ空漠な時間が流れているだけだ。
妻と思われる女性が二人分の飲み物を運んできた。瞳には生気が宿っておらず、蒼白な顔面にはこの世のものとは思えないほどの悲哀が貼りついている。
女性の手が小刻みに震え、グラス同士がぶつかり合って音を立てる。
テーブルの上に香ばしい匂いのする紅茶が置かれた。冷水で水出しされたアイスティーだ。
「ありがたく、いただきます」
ブリンクが感謝を述べると、女性は一礼したもののどこか無表情であった。
近くの棚には村長一家と思われる家族の絵が飾ってある。村長とその妻、そして子供が写った朗らかな絵だ。そこに描かれた三人は満面の笑みでこちらを見つめている。
「あ、あの、うちの村で取れた茶葉を使っています。どうぞ、お召し上がりください」
村長がすすめるので、レニは遠慮なくいただいた。
口にグラスを当てると、芳醇な香気が鼻を満たす。一口すすれば、ほどよい渋みが舌を転がっていった。
美味しい。野菜だけでなく、茶葉の栽培にも優れている村なのであろう。
「これはうまい」
お世辞などではなく、ブリンクも静かに舌鼓を打っていた。
「あ、ありがとうございます。 あの、お気に召されましたか?」
村長はふたりの様子を窺うように、驚くほど恐縮していた。
これにはもちろん理由がある。
当然の事だが、この村がハンターを雇ったのはこれが初めてだ。帝国軍に見放されたいま、親子のような一見頼りないふたりがこの村の最後の希望である。
もしハンターが帝国軍と同じように高慢ちきな組織であれば、逆鱗に触れぬよう言動に細心の注意を払わねばならない。この機会ばかりは逃すまいと、彼らも必死なのだ。
「えぇ、まぁ。それと、あまり固くならないでください。私達は帝国軍とは違いますから。いただけるお仕事は必ずやり遂げます」
村長の心中を察したブリンクは、相手をなだめるようにして言う。
それでも少し緊張の残った顔で、村長が奥から何かを持ってきた。
「お金も用意しております。これだけで足りますか?」
動物の皮袋に入った、なかなかの大金だ。
おそらく村の住人達からかき集めたなけなしの金なのだろう。村長のやつれ顔は、今日までの村人同士の衝突や苦労を物語っていた。
「依頼料の話は後にしましょう。魔物の駆除が先決です。村を襲った魔物について知っている全てをお話しください」
ブリンクは更に一口飲むと、本題に入った。一時の時間も惜しい。
それに、いるはずの子供がいないこの家は、ブリンクにとって何だか息苦しくもあった。彼は感情を表に出そうとするタイプでは無いが、内に秘める正義感はレニと同じく人一倍強いし、逆に過去のトラウマを何年も引きずるほど心は繊細だった。
「魔物について、ですか……」
村長は腕を組んで考えると、
「そうですね……、一言で言えば巨大なハエ、でしょうか。突然飛んできたかと思うと、村人を一瞬で連れ去りました」
と話した。
「ハエ?」
レニは首を傾げる。
「ハエならば、おそらくベルゼブという種類の魔物でしょうね」
ブリンクの口から飛び出した<ベルゼブ>という名前に、レニは心当たりがあった。
確か、ブリンクに教えてもらったのだったか。
蝿を模した魔物で、飛翔能力がずば抜けて高く、一旦獲物に狙いを定めるや、普通の人間には追うこともできない素早い動きで巣へと連れ帰ってしまう、という普段見る蠅とは違ってとても危険な種類だ。
現地で得られる情報は、ハンターにとってひとつの生命線とも言える。限りある情報から駆除する魔物を特定し、対策を練る。これができなかったがために、命を落としたハンターも少なくはない。故にハンターとして必須の過程なのだ。
「いつ頃から現れ始めましたか」
「一か月前からだったでしょうか。いままでに八人ほど犠牲になってしまいまして…」
震えた声で村長は答える。よほどの恐怖があったに違いない。次の言葉が出るまでに、長い時が流れた。
「……丁度一週間前、奴らは村の子供達も連れ去っていきました」
村長の握られた拳は固く、真っ赤になった。同時に、家の奥で陶器の割れる音が聞こえる。
「子供?」
ブリンクは胸をぎゅっとしめつけられるような感覚を覚えた。
「ええ」
「何人ですか?」
「六人です。私の息子も連れ去られました……」
やはりそうだったか。レニもブリンクも同じことを思っていたに違いない。
一週間。それは、ただ待つ身には永遠とも言えるくらい長い時間なのではないだろうか。帝国軍に一縷の希望を抱き、待ち続けることが時間の無駄だと気付いたのがごく最近。その間にも子供達が魔物の脅威にさらされている状況を考えると気が気でなかったろう。
ふつふつと帝国軍への怒りが湧き上がる。
ブリンクは指を交差させ、瞑目すると、しばらくして口を開いた。
「子供だけならば、助かるかもしれません」
ブリンクの返答に村長は目を丸くした。
普通ならば子供が一週間という時間を生き抜くことは、おそらく不可能だと思うだろう。しかし目の前のハンターはそうではないと信じているようだった。予想もしていなかった言葉に、村長の目に戸惑いと希望の両方が宿った。
「それは、どういうことですか? 息子はまだ生きているのでしょうか?」
すがりつくような村長に、ブリンクはたじろぎながらも、
「あくまで可能性があるという話です。理由は分かりませんが、私の経験上、魔物が子供を食べるところを見たことがありません」
と話した。
絶望の淵に立たされていた夫婦にとって、それは期待の持てる一本の糸であり救いの手であった。
無論断言はできなかったが、事実、依頼の中には子供だけが救出されるケースが少なくなかった。
いくらかの条件は重なったものの、十五年前のレニにしてもそうだ。
魔物の生態を全て把握できているわけでは無いのだが、子供は食料としてはあまり好ましくないようで、連れ去るのには別に深い理由があるのだろう。魔物を熟知したリーグ・オブ・ハンターズでも、未だに解明できていない謎の習性なのだった。
「息子は、私達の大事な宝物なんです。だから絶対に失いたくない。息子無しの人生など、考えられません。でも、私達にはこれ以上、もうどうすることもできないのです……。どうか、お願いですから、助けてください」
村長は我が身も忘れ、とにかく必死にブリンクにしがみついた。
「あなた達はできる限りのことをやりました。あとは私達にお任せください。大丈夫、ハンターを呼んだこと、絶対に後悔させませんから」
痛々しいまでの姿に自分を重ねると、ブリンクは俄然燃えた。ブリンクが村長に向かって大きく頷くと、それをレニも真似る。
奥で妻が泣き崩れると、つられるようにして村長も大粒の涙を流しはじめた。気丈にふるまっていた彼らの緊張も決壊し、二人の目からはとめどない涙が溢れ出る。
一体、どれほどの苦痛が彼らを包み込んでいるのだろう。
「よろしく……、お願いいたします」
ブリンクが泣き崩れた村長の肩を二度叩くと、家の隅に置かせてもらっていた樫材と牛革で作られたケースを手に取った。
必要な情報は揃った。ブリンクはベルゼブの動きを良く理解している。
子を失った経験のある彼は村人の気持ちが痛いほど分かるから、珍しく憤慨していた。
「行くぞ、レニ」
烈火のごとく燃え上がるブリンクは少し近寄りがたかったが、負けじとレニも正義感という薪をくべるのだった。
「うん」
ブリンクが玄関を開けると、そこにはひとりの少女が立っていた。
サウスウィンドの住人だ。
「ハンターさん。私の妹を、お願いします」
まだつたない言葉で、年端もいかない少女は精一杯懇願した。目には涙を滲ませ、泣くまいと唇を噛んでいる。
見れば村の住人全員が外に出ている。ブリンクもレニも、唖然として立ち尽くすことしかできなかった。
皆、何かを失い、奪われていったのだ。それは魔物のせいでも、帝国軍のせいでもある。大切な時間を取り戻すことのできる人間は、ハンター以外にいない。その期待がいま、村人達の眼差しとなって、ふたりに浴びせられる。
いま、ふたりの身体に使命感という絶大な力が充填された。
この任務、絶対にやり遂げねばならない。
ふたりが村人達に一礼してその場を後にした時、静かだった農村に一陣の風が吹くと、まるで村全体がすすり泣いているかのように家々が軋む音を立てた。