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ジオ戦記(旧)  作者: ルノア
第1章
29/52

29. 出会い

 漆黒の波が押し寄せる。まるで精神を蝕むかのように、じわりじわりと。前も後ろも囲まれていて、既に逃げ場は失った。

 絶望の淵にたたされてもなお、希望の灯は絶やさない。

 突如、闇を切り裂き現れる一閃の輝き。淡い(みどり)に煌めくそれは深い闇を払いつつ、絶対的な意志を持ってこちらへと向かってくる。

 力強くも、優しい光。

 だが、いまはこれにも捕まってはならない。

 咄嗟の思いで掴んだのは、長年の埃がこびりついた古びた石ころ。

「お願い。どこか安全な場所へ」

 遥か彼方にぼんやりと映る彼の地に想いを馳せ、ぎゅっと石を抱く。

 石はすぐに応えてくれた。目の眩むような強烈な光を拡散し始めたかと思うと、やがて体を包み込むまでに広がり、それと同時に視界が一瞬で暗転した。

 記憶はそこで途切れ、ミューネの意識は現在へと舞い戻る。

 背中に多少の柔軟性を感じる固い感触が伝わる。どうやら木の板の上で身を横たえているらしい。

「一体、何がどうなってやがる……」

 ふと近くで男の声があがり、ミューネの心臓が大きく脈を打った。

 ――どうして? 誰にも見つからない安全な場所へ転移できるよう、祈ったはずなのに……。

 目に見える範囲の場所であれば一瞬で移動することができる転移石(テナムキー)。祈りを込めれば、石が祈りに見合った場所を探して飛ばしてくれる……というのが伝承だった。それがまさか敵国の人間のもとへ直接飛ばされるとは。転移石の情報は、嘘だったのだろうか。何せこの世にふたつしか残っていない希少なもので、何世紀もの間一度も使われたことがなかったのだから、真実はあやふやなままだった。

 すぐ隣に男ふたりの気配を感じる。足音は狭い空間を行ったり来たりと忙しない。

 まだ意識が回復したことには気づかれていないようだ。目は閉じたまま、眠っているふりをして会話を盗み聞く。

「それで、どうするの?」

 若い声が言った。

「どうするってお前」

 もうひとり、渋い男の声が震える。

「誰かに見つかったら大変だし、この()の意識が戻らなかったらどうしよう? 死んじゃったり……してないよね?」

「うるさいぞ。いま考えてるから、少し黙ってろ」

 唸っていた男はその言葉に不機嫌さと焦燥感を滲ませ、相手の若い男を黙らせた。彼らはミューネの処遇をどうすべきか考えているのだろう。

 当たり前のことだ。法を破って、他国に足を踏み入れたのだから。これをきっかけに再び戦争が始まる可能性も十分にあり得る。そのくらいは幼いミューネでも理解できた。

 だが、これも覚悟のうえだ。

「おい、お嬢ちゃん。起きてるんだろう」

 急に、不機嫌な声がこちらに向けられ、どきりとした。その声音はするどく、平民とは違うどこか熟練の戦士を彷彿とさせる。

 さすがにこれ以上の誤魔化しは通用しないか……。諦念の思いで、静かに目を開けた。

 最初に映ったのは、こちらを覗き込む若い声の主。少年のような好奇心を瞳の中で輝かせている。

「ああ、良かった。目が覚めたね」

 本気で心配していたと言わんばかりに胸を撫で下ろす仕草を見せる。

 他人、しかも敵国の人間相手だというのに、その男の笑顔からはどことなく純粋で親しみやすい温かさが溢れていた。

 ――これがゴラドーン人?

 ミューネは少しばかり驚いた。ゴラドーン人を目にするのは無論初めてだ。だが、男は額に石がないだけで容姿はプロト人となんら変わりがないではないか。

「ここは……」

 首だけを動かし、辺りを見回す。どうやら、馬車の荷車の中らしい。若い男の後ろには、大きな帽子をかぶって腕組みをしている男がいた。

 ふと思い出して、自分の体を見やる。しまった、とミューネは赤面した。

 戦場で動きやすいようにと着てきた乗馬用の軽装。この服は体にしっかりと密着していて、体のラインがそのまま浮き出るほどのもの。上着などの余計なものも省いていたので、なおさら体の形が露わになる。別に裸というわけではないのだが、乙女心も相まってかそれに近いものを感じた。それが、まさか成人の男性ふたりの前に飛ばされてしまうとはまったく予想もしていなかった。

 恥ずかしくなったミューネはかけられていた自分のローブを手繰り寄せて、露出する体を隠した。

「おい」そんなミューネの気持ちなどお構いなく、帽子の男が立ち上がり、若干の怒りと興奮をまき散らしながらこちらへと向かってくる。「何者だ? どうやってここまで来た。一体何の目的があっていまここにいる? すぐに答えろ」

「ちょ……。ちょっと、ちょっと。そんな風に質問したって、この子も混乱しちゃうだけだよ」

 慌てた若い男が間に立って、帽子の男の進行を食い止める。

 それからちょっとしたにらみ合いが続き、険悪な空気が流れた。

「……ふん」白けた様子の男は近くの荷物を乱暴に引き寄せて、その上にどしりと座った。「ことの重大さを、お前は分かっていない」

 それから帽子の男は再び腕を組んで俯いた。

「急にごめん、驚いたよね。えっと、こんなとき、まずは……そうだ。君のことはなんて呼んだらいいのかな」

 若い男は初めて人と会話するかのように、どぎまぎしながら、顔を赤くして話しかけてくる。

 ミューネは投げかけられた簡単な質問に、しばらくの間答えきれずに視線を下に向けるほか無かったが、どこか違和感を覚えずにはいられなかった。

 自分は確かに敵の国に飛んできたはずだ。なのに彼からは一切の敵意が感じられず、それどころか、本気でこちらの身を案じているようにさえ思えてならない。

「ああ、ごめん。先にこちらが名乗るべきだったよね」男はきりっと立ち上がると、名を名乗る。「俺はレニ・ストーンハート。レニって呼んで」

 そう明るい笑顔で名乗った青年の言葉には淀みがなく、まっすぐで誠実な印象があった。

 それを聞いてようやく名前くらいはと思いたち、正直に答える。

「……ミューネ。ミューネ・エクス・フォンツ」

 そこに「プロト人だ」という言葉を付け加える必要は、もちろんない。

「ミューネ……か。珍しい名前だね」

「当たり前だ、馬鹿。ゴラドーン人じゃないんだからな」

 すかさず後ろの男に突っ込まれると、レニは照れくさそうに後頭部をぽりぽりとかいた。

「でも、話はちゃんと通じるんだね」

「いまはどの国でも共通語が使われているからな。昔教えただろうが」

 またも頭をかきだすレニに、男は嘆息した。

 ふたりの何気ないやり取りのなかに、ミューネは不思議な温かさを感じる。帽子の男も現状に戸惑い、苛立ち、焦っている様子ではあるが、レニとの会話の端々にはどこか愛情のようなものが散りばめられているような気がした。

 このふたりの関係は……親子?

 そう思ったのはふたりを見ていて自らの父親、アルツ王のことを思いだしたからだった。彼らと同じように、母が亡くなるまではよく冗談を言い合って笑ったものだ。よく遊んでもらったし、子供ながらの小さな相談にいくつものってもらった。国務の際には国のことを勉強させてもらったものだ。記憶の中の父の笑顔や温もりはいまでも鮮明に思い出せる。

 そんな雰囲気が、帽子の男からも感じ取れた。彼が不機嫌な理由も単に戦争を起こさせたくないだけではない。我が子を巻き込ませたくない思いがあるからなのだろう。

 たとえ敵国の人間であろうとそこにも家族愛があるという当たり前のようなことを、ミューネはこの時初めて見て、そして感じた。

 彼らの前に現れたこと、本当に悪いことをしてしまったとは思いつつも、危険を冒してまでここに来た理由をミューネは思い出した。

 プロト王国を救わなければ。

 思えばこのふたりに出会えたことも幸運なのかもしれない。父親はともかくとして、レニという青年はどことなく協力的な気がするし、もしかしたら力になってくれるのではないだろうか。どうせゴラドーン人の誰かに『あの話』を聞かなければ、ことは進まないのだ。

 様々な考えが頭の中を逡巡した結果、ミューネは思い切って切り出すことにした。

「あの……」

 振り返るふたりの視線を受け、言葉に詰まりながらも続ける。

「私がここに来てしまったこと、おふたりにご迷惑をおかけしてしまっていること、大変申し訳なく思っております……」

 ミューネが深く頭を下げると、帽子の男が立ち上がった。

「ブリンク、待って」

 レニが聞いてあげよう、と男を落ち着かせる。

 ブリンクという男が目を細めたが、それ以上何を言うこともなかった。

「私がここへ来た理由をお話します。そのうえでおふたりにお願いがあるのです……」

「そのお願いとやらを聞けば、お嬢さんは国に帰るわけか?」

 帰る、か……。

 ミューネは視線を落とした。確かに願いが叶えばもちろん国へは帰るつもりだが、正確に言うとちょっと違う。

「……はい」

 とだけ返事をして、膝の上に置いている拳をぎゅっと握る。

「さっさと言え。すぐにでも国に帰ってもらいたい」

 ブリンクはにべにもなく言った。

「そんな言い方ないじゃないか。ここに来たのだって、何か大きなワケがあるんだ。ちゃんと聞いてあげようよ」

 レニが間に立つ。

「馬鹿か、お前は。そんな悠長なこと言える状況じゃないんだよ。俺達以外の誰かに見つかってみろ。この国や世界がまた大きくひっくり返る。もちろん俺達もタダじゃすまんぞ」

「それはそうだけど……」

 刺さるようなブリンクの剣幕に気圧され、叱られた猫のようにしおれるレニ。

「あ、あの」

 ふたりを包む雰囲気がぴりぴりと張り詰めてきたところで、ミューネは話を元に戻すように割って入った。

 早く言えと訴える眼差しを真摯に受けとめ、続ける。

「実はいま、プロト王国は滅亡の危機に瀕しているのです」

 そう切り出して良かったのかどうか分からなかったが、帽子の男ブリンクは訝しげな表情を浮かべていた。

「危機?」

 レニが問う。

「はい。とある事情がありまして。話すと長いのですが」

 崩れ行く祖国が脳裏に浮かび上がった。一刻も早く戻りたい衝動を抑えながらも、話を続ける。

「識者に意見を求めたところ、我が国を救うことのできる方々がゴラドーン帝国にいらっしゃると聞きました」

 そう聞いてブリンクは一瞬きょとんとしたが、すぐに苦笑した。

「敵国を救う? ありえんだろ。そんなお人好しがどこにいる?」

「ちょっと、ブリンクは黙っててよ」相方の失礼な態度に気分を悪くしたのか、レニが眉を寄せる。「それで、そのプロト王国を救う人間って誰のこと?」

 その質問に答えるとき、狡猾なユーロドスの顔が浮かんだ。

 一番信頼できないはずだったあの男の助言を頼りにここまで来た。もはやこれしかすがる希望がなかったからだ。

 もしも彼の言葉にひとつでも嘘があったのなら、ミューネは騙されてのこのこと敵国の地を踏んだことになる。国王不在の王国に、戦を招いた王女。そのたったふたつの要素が揃うだけで、ユーロドスがプロト王国を支配することなど造作もないであろう。

 果たして自分は彼のひとつの駒にすぎないのか。

 ミューネは幼い頭で真剣に考えつつも、答えを待つレニに一言発した。

「私は、ハンターと呼ばれる方々を探しています」

 その言葉は狭い荷車の中に妙に大きく響いた。まるで自分が変なことを言ってしまったかのように。

 そして、レニとブリンクは驚いたように顔を見合わせた。

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