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ジオ戦記(旧)  作者: ルノア
第1章
28/52

28. 悪の巣窟

 やりどころのない怒りを抱え込んだアーサー・マクグラスは、自室を落ち着きない様子で右往左往していた。

 共同作戦での指揮官という責任ある大役をわざわざ買って出てやったというのに、期待していた改良型の銃が何の成果も出せなかったのだ。そのことだけでもはらわたが煮えくり返る思いだったが、作った開発者どもは責任を取るどころか逆に指揮者であった自分を訴えようと動いているらしいことを耳にしたのだから、なおのこと許せない。

 そんなことを悠然と報告してきた部下が、いままさに「どうしましょう」と言いたげな情けない表現で突っ立っていたので、

「お前のほうで何とかしてみせろ! これも勉強だ」

 と、煩わしさを隠しもせずに部屋から追い出した。『勉強』という言葉はなにかと便利なもので、部下は苦い顔を作ったまま物言わずに退去する。

 上官の役目は仕事を下にうまく振り分けること。下の者は与えられた仕事をただこなしていれば良い。それが社会のルールであるとアーサーは考えていた。

 下の者はいずれ上に上がる。その為には上官が持つ仕事の内容を覚えなくてはならないではないか。周りの奴らといえばすぐ「仕事をしない、できない、押し付ける」と意地の悪い批判ばかりする。そもそもの常識を理解できていないのは誰だと言い返してやりたい。

 まったく、頭も痛ければ、足も痛い。

 人生で初めての松葉杖生活は屈辱的だった。すれ違う部下達の苦笑する顔も、話を合わせて適当な相槌を打つだけのやつらも、皆が自分を影で嘲っているような気がしてならない。

 ちらりと過ぎるあの日の記憶。疼く足の痛みがブリンクの顔を思い出させ、無性に壁を殴りたくなる。

「どいつもこいつも俺様を誰だと思ってやがるんだ!」

 そんな陳腐なセリフが自然と漏れ出てしまうのが、アーサーの残念なところだった。

 それから数十分後。

 いまでは怒る気力などとうに消え失せ、行きたくもない道を歩んでいる。せっかちな性格で普段早歩きなはずの足取りも、いまは泥沼に浸かってしまったかのように重たい。

 目指す……、いや(いざな)われている先は悪魔が棲む部屋だ。

 帝都アイアンウォールの中央にそびえ立つ塔、『天界の目(セレスティアル・アイ)』。その高さは天からゴラドーン大陸全域を見下ろすかの如く高く、頂上にはゴラドーン帝国を総べるザイオス総帥の執務室があり、以下軍の重要幹部の部屋が各階にいくつも用意されている。

 そのうちのひとつ、自室よりも総帥に近い階の部屋の扉をアーサーはいまおそるおそるノックする。

 嫌な汗が止まらず、悪寒が身を震わせる。眩暈がして、すぐにでも卒倒してしまいたい気分だった。

「……入れ!」

 鳩尾(みぞおち)を力いっぱい殴られるような乱暴な返事が、部屋の向こう側から飛んでくる。

 アーサーは生唾をごくりと飲み込み、「入ります」と震えた声で言った。ノブを回し、扉をゆっくりと開ける。

 扉の隙間から漏れ出てくるのは、この世の物とは思えないほどに形容しがたい陰鬱で邪悪な風であった。油断すると一瞬で発狂してしまいそうな瘴気が部屋の中で渦巻き、正気を保つのがやっとである。世間では夏が近づいているというのに、この部屋だけはいつも真冬の海底を思わせるほど寒かった。

 上官が相手である限り、これには耐えるしかなかった。部屋に入り、扉を閉め、敬礼する。

「お呼びでしょうか」

 この動作のうちは相手の目を見ずに済むが、ずっとそういうわけにもいかない。

「堅苦しいだけの挨拶なんてどうでも良い。さっさとこっちへ来い」

 低い声で、いつもこう言われるからだ。

「は、はい」

 自分でも情けなくなるような声を出すと、ガチガチに固まった動きで相手の前にまで歩を進めた。そして、足元に沈めていた視線をゆっくりと持ち上げる。

 鋼鉄のような光沢を放つ筋骨(たくま)しい肉体。上半身裸のいかつい顔の男が映る。

 ゴラドーン軍大将、ハルベルト。戦時中、その実力ひとつで軍上層部にまで登りつめた男だ。

 視線が重なると、アーサーの体は蛇にでも睨まれたかのように硬直してしまう。

 ハルベルトの体からあふれ出す異様なオーラに、純粋な悪意。そしてなによりも後ろに立てかけられた異形の戦斧がとてつもなく不気味だった。部屋に漂う血のかおりは、おそらく幾千もの生き血を吸ってきたあの斧から発せられているものなのだろう。人間の歯が並んだような刀身は、いつ見ても奇怪な笑みを浮かべているようにしか見えない。それもこちらを見て笑っているように見えるものだから、なおのこと恐ろしい。

 この部屋に入る度、何故かいつも死を覚悟する。生きて出られることが何よりの幸運であるとさえ思えてしまうほど、この部屋とその主はどこか異常なのだ。

「そういつも緊張するな。俺もお前も似た物同士じゃないか。まあ座れよ」

 反論を許さぬ圧迫感のある言葉に押さえつけられると、アーサーは愛想笑いで対応するしかなかった。

 他人に恨まれるような悪事は確かにいくつも働いてはきたが、この男とはまるで次元が違う。人を殺すことに快楽を覚えるような人間とは一緒にするなと言ってやりたいが、そんなことをすれば命がいくつあっても足りなくなる。

 勧められたソファに腰かけるが、もはや針のむしろに座るような気持ちだった。

 それを目で追っていたハルベルトは、前置きもなく本題に入る。

「俺は回りくどいことが嫌いだ。だから単刀直入に聞かせてもらおうか」

 ハルベルトの声音は重く、どんな言葉でもアーサーにとっては鈍器で頭部を殴られるかのように響いた。

「ブラッドハーバーでの共同作戦……、ありゃなんだ?」

 アーサーを貫く一閃の眼差し。

「あ、あれは……その……新開発の……」

 串刺しにされた状態でまともな言い訳ができるはずもなく、しどろもどろのところをハルベルトが手で制した。

「悪い。質問が悪かったようだな」鋼の肉体がゆっくりと椅子から立ち上がる。「何故、未完成の銃を採用した?」

 アーサーははっと目を見開いた。

 ――ばれている。

 筋肉の塊が一歩一歩近づいてくる度に、心臓の鼓動は速度を増していく。人間の本能が打ち鳴らす警鐘だ。肩に手を乗せられた時には、爆発寸前にまで達していた。

「……別にな、俺は兵士や街の人間がいくら死のうがどうでも良いのよ」

 そう吐き捨てたハルベルトの瞳は霞みがかっていた。元来が他人の命など微塵にも気にしない男だ。それは当然ながら、アーサーのことも例外ではない。

「だがよ。その責任を取らされてお前が捕まってもみろ? 俺は悲しいぜ?」馬鹿にしたように肩を竦めるハルベルト。「いま開発者たちがお前を訴えようとしてんだろ?」

「えぇ……まぁ……」

「いけねぇなぁ」

 肩に置かれていた手が蛇のようにするりとアーサーの首筋に巻きつく。視界の半分がハルベルトの顔で埋め尽くされた。

「もしもだ。もぉしも、お前がお縄頂戴にでもなってみろ? お前のいままでの悪事、徹底的に調査されて全部バラされちまうぜ?」悪意にまみれた言葉が耳元でささやかれる。「もちろん、俺とのこともな」

「そ、そのようなことは決してないように……」

 ハルベルトの言わんとすることが分かり、湧き上がる逃げ出したい気持ちをなんとか抑え込めたが、震える足までは止められない。

「なに、心配するな。万が一の時は……」親指でアーサーの首元を横一文字になぞる。「俺様が口を開けられないようにしてやるからな。ハハハ」

 絶海の海に沈められたかのように、アーサーの心身は凍てついた。巻きついた腕がなければ、腰を抜かしていただろう。この男が言っていることは決して冗談などではない。本気なのだ。

 人を殺し続けなければ死んでしまうような人間だ。牢獄に入れられるようなことにでもなれば、いまの立場など捨てて暴れ回り、目に映るもの全てを殺し始めるに違いない。

 改めて、以前この男と組んでしまったことを悔いた。

 そうして呼ばれた主旨を理解し、ようやく部屋からの脱出を許可されたわけなのだが、ここで悪知恵が働くのがアーサーという男である。この部屋に来て脅されるだけで何もなしというのも、正直割に合わない。

「は、ハルベルト大将。ひとつ、ご相談なのですが……」

 ごまをするように下手から話す。

「なんだ、言ってみな。俺とお前の仲だろう」

 ごつごつとした岩肌のような背筋を見せつけながら、ハルベルトは笑う斧を手入れしている。

「ブリンク・トゥルーエイムの件です」

 その名はハルベルトの動きを一瞬止めた。

「ほう?」

 やはり、食いつくか。アーサーは心のなかでにやりと微笑した。

「どこで情報を仕入れたのかはわかりませんが、どうやらあの日のことを知ってしまったようで……」

 『悪魔の行進(デビルズ・マーチ)』直後のブラッドハーバーで起こった屈辱的な出来事を、アーサーは若干の改変と悪意をこめて説明する。自分とハルベルトの働いた悪事を知っている、と確かに奴はそう言っていた。

 もしあのことが公になってしまった場合、それはふたりの人生の終わりを意味するほど大きな事件であることは間違いない。ハルベルトにとっても無視できない内容のはずだ。

「ふぅん」と、斧を磨きながらの返事。「当事者は全員消したはずだが……、おかしいな。どこから漏れた?」

「それは分かりません。ですが、こちらも早急に対処すべきかと思いまして」

 しばらくの沈黙のあと、ごとりと斧を置く音が響き、ハルベルトがため息混じりに口を開く。

「やつのことは俺に任せておけ。いずれやらなきゃならんと思っていたところだ」

 そして、にやりと笑う。心なしか、不気味な斧も刃の先端を歪めたようにも見えた。

 この時ばかりは、狂気を帯びたハルベルトの不敵な笑みが頼もしい。

「どうせお前には荷も重いだろうしな」

 そう言われても腹は立たない。代わりに「当たり前だろ」と心の中で悪態をつく。

 だからこそ、怪物には怪物をぶつけるのだ。

 我ながら良い思いつきだと感心する。

 そうしてようやく永久とも思えるような時間をなんとか乗り越え、退室しようと扉の前で敬礼をするアーサーだったが……、

「待て」

 ほっと一息つく前に再び呼び止められてしまう。

 まだ何かあるのか……。用は済んだのだから、早くここから抜け出したい。絶望にも似た感覚がまたじわりと精神を蝕む。

「あと少しで楽しい、楽しい戦争の始まりなんだ。こんな時にヘマなんてするんじゃねえぞ、アーサー!」

 次はない。確かにそう言われたようだった。殺戮を好むこの男にとって、殺しが正当化される戦は至福の時とも言える。

 それを奪うようなことをしてしまえば……。

 ごくりと飲み込んだ生唾は、まるで針の束のように喉を傷つけながら転がり下りていった。

「しょ、承知しております。開発者どもの対処も、万全に行いますので……」

「頼むぜ。俺が言いたいことはそれだけだ」

 槍のような視線を背中に受けながら、アーサーはようやく悪魔の部屋をあとにする。それから数時間は全身の鳥肌も消えず、冷や汗も止まらなかった。本当に生きた心地のしない時間を過ごした。

 その部屋が遠ざかるにつれて恐怖は薄れいく。そしてある種の達成感が生まれ出てくる。ふたつある難題のうちのひとつを、他力本願ながらハルベルトに押し付けることができた。これだけでもわざわざあの部屋に出向いた甲斐があったというもの。

 さて、残されたもうひとつの問題に取り組まなければ……。

 アーサーは汚れた悪い笑みを浮かべた。

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