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ジオ戦記(旧)  作者: ルノア
第1章
27/52

27. 親友

 空に星のカーテンがかかるような時刻、帝都アイアンウォールのとある場所では日中よりも多くの人間が活発になる。

 帝都の快楽街。全ての欲が集うところ。そう揶揄されているこの区画は、常に陰鬱とも妖艶とも言える雰囲気に包まれている。漂う腐敗臭は、料理や酒の匂いに鼻をつくような女の香料と男の汗とが混じったもの。こんな悪臭でさえ、客にとっては蜜の香りだ。

 無駄にぎらつく飲み屋街の灯りが行き交う人間達の丸い背中を照らすと、それはひどく寂しいものに見えた。

 我が故郷ながら、いつ見ても汚れた街だと痛感する。壊れた人形のように生気も覇気もなくすれ違う人々を横目に、帝国兵のジャックは自分もいまや同類であることに気づいて思わず苦笑した。

 守るものも守れず、徒労に終わったブラッドハーバーへの遠征。休みなく働いた末にようやく帰路についたというのに、任務からの解放感はまるで皆無。無論のこと喜ぶ気になどなれず、結局帝都に着くまでの間に口を開くことすらしなかった。

 そんな時に突如舞い込んできた、飲みの誘い。久しぶりに会った親友からだ。はじめは乗り気でなかったものの、ひとりで家に籠っていても病気になるだけだろうと自分に言い聞かせて、誘いに乗ることにした。

 それに……、聞いておきたいこともある。

 もろもろの雑務を機械的にこなした後、自室で着替えを済ませると足早に約束の場所へと向かう。

 歩き慣れた繁華街の裏路地。以前は嫌なことがある度にこの道を往復したものだが、それがひどく昔のことのように感じる。ここ数日の間に随分と老け込んでしまったようだ。

 たった数回角を曲がるだけの間に、大量に放棄された生ゴミや放置された吐しゃ物が視界に映ると、嫌気がさして自然とため息が漏れ出る。

 いや……違う? 思いに反して胸にこみ上げてくる、この妙な安心感はなんだろうか。薄汚れたこの光景を、どこか懐かしく感じている? 再びこの街に戻ることができたことに、体が安堵しているのだろうか。

 それから、目的地には十数分ほどで到着する。店は顔を近づけないと開店しているのかもわからないほど暗かったが、いつものことなのでジャックは何も考えずにたてつけの悪くなった重い扉をゆっくりと開けた。

 雰囲気を出すために灯りを最小限にまで抑えたバーの店内はカウンターを除けば満席の様子で、いつにも増して繁盛しているようだ。聞き耳を立てずとも、彼らの話題はそのほとんどが『あのこと』であることが自然と流れ込んでくる。

 悪い噂というものは、かくも速く流れ渡るものなのだな。所詮は現場を知らない者達の戯言にすぎないのだろうが、それが酒の肴になっているのだと思うと人間の醜い部分を垣間見たようで気分が悪くなった。

 これ以上の無駄な情報は意識的に遮断し、旧知の人間を探すことに専念すると、

「ジャック。こっちだ、こっち」

 カウンターの端に座る男がひとり、巨体を立ち上がらせて手招きをしている。

 名前を呼ぶ男のもとへ向かう間に店内を一通り見まわしてから、軍関係者が他にいないことを確認する。どこに目と耳があるとも知れない。これから話すであろうことを聞かれることだけはできれば避けたかった。

「悪い、待たせたな。お、また少し太ったか?」

 いつもの冗談を添えて、男が引いてくれた席に腰を下ろす。

「おう、会う度にそれ言うのやめろ。俺だって傷付く」

 男は真顔にひきつった笑みを浮かべた。少しきつめの酒をボトルで先に頼んでいて、既に何杯目かの様子だったが酔っている感じではない。顔色が少し青みがかっていて、どうも気分が悪そうに見える。

「はは。挨拶だよ、挨拶。俺がいない間に、帝都で変わったことなかったか?」

「野良犬をウルブロンと見間違えたっていうはた迷惑な事件と、地下で人体実験が行われてるっていうゴシップ以外でか? 特に何にもねぇよ」男は嘲笑しつつ、酒を飲む。「つまり何事もなく、平和だったってこと」

 この男らしい、いつものジョークではあったもののどこかその口調は硬く、ジャックは一瞬眉間に皺を寄せた。

 注文を取りに来てくれた馴染みのマスターが、大丈夫なのか? と心配げな視線をよこしたが、軽く頷いて返した。いつもの酒を頼むと、気を効かせてくれたマスターはすぐに奥へと引っ込んでくれる。

 他の客たちのがやも大きい。この日は何を話しても誰に漏れる心配もなさそうだ。

「しかし、お前と飲むのも二年ぶりか……。お互い何かと忙しかったしな」

 短い沈黙にすら耐え切れないといった様子で、親友の男が口を開いた。

「何言ってんだか。俺が忙しかったのはここ一か月だけ。いつも忙殺されていたのはお前だけで、俺が誘っても全然乗ってくれなかったじゃないか」

 笑って答える。だが、相手の表情はぴくりとも動かなかった。いつもなら冗談を言い合うところなのだが。

 そう怪訝な眼差しを送ると、

「いや、でも……ブラッドハーバーの件、大変だったそうだな」

 男は視線を逸らし、正面を向いたまま何故かばつが悪そうに呟いた。

「まあな……地獄だったよ」

 本当に地獄だった、と胸の奥で繰り返す。思い出すと胸にこみ上げてくるものがあって、それを必死に抑えた。あんな体験、もう二度としたくない。

 ぎゅっと瞑目すると当時の光景が鮮明に呼び起こされそうだったが、そうなる寸前で親友が割って入った。

「なぁ、ジャック」

 改まった態度で言う。

「なんだよ、マックス。悪酔いでもしてんのか?」

 不思議に思った。こいつが酒に飲まれるなんて、珍しい。

 親友のマクシス・グースはガタイどおりのもっと大胆で明るい、気さくな男だ。酒にも強いし、話も面白い。そんなやつがこの日に限って歯切れが悪く、その大きな背中はいつもより丸みを帯びているようにも感じる。

 そして突然のこと、マックスはグラスに注がれた酒を一気に(あお)るなり、こちらに向き直って頭を垂れた。そして、

「すまなかった!」

 頭を下げたまま、叫ぶようにして言った。

「お、おい。やめろ、マックス。何やってんだ」人目もはばからず頭を下げるマックスに驚きつつも、とにかく顔を上げさせる。「やめろって」

 おそるおそるゆっくりと体を持ち上げた親友の表情は、いままでに見たことがないほどの苦渋を噛みしめていた。

「……俺のせいなんだ」

「だから、何が」

 てっきり久しぶりの愚痴大会になることを想像していたが、そうはならなかったようだ。

「ブラッドハーバーで初めて導入された新作の銃。あれの開発を担当したのは俺の部署なんだ」

「何を今更。知ってるよ」良いタイミングで出てきた酒を一口すすり、呼吸を整えるように苦笑する。「なんだ、嫌味か?」

 マックスとは軍に入隊した時からの付き合いで、同期で同じ夢を追いかけた仲だった。兵器開発を専門に一本道をともにゼロから歩んでいったつもりだったが、いつのまにか道を違え、ひとりは兵器開発部門の部門長。かたやもうひとりは使い捨ての一般兵という有様だ。いったい全体どこでこの差が生まれたのだろうか。

「あれはまだ完成とは程遠い。外に持ち出せるような状態でもなかった」

 苦悩の表情が一転、怒りに震え出した親友の横顔を見てグラスを持つ手が止まった。

 やはり、そうだったか。

「けど、アーサーはそうは言わなかったぞ」

 憎たらしい顔の指揮官を思い出し、呼び捨てにする。

 アーサーは実験検証済みの改良型だと言っていたが、結局生きた魔物の殻は破れなかった。いわば、従来の銃と何ら変わりの無いものだったのだ。

 そんな中途半端な銃で、こいつが満足するわけがない。ジャックはそう信じていた。もし、あんなものが完成品だったのだとすれば、すかさず喝を入れてやるつもりだったが、そうではないらしいことが分かってひとまず安心した。

「そりゃ当たり前だ!」マックスは歯を食いしばり、カウンターを静かに叩いた。「あの黒狸(くろだぬき)の野郎、功を焦りやがったんだ」

「……どういうことだよ」

 奴の考えそうなことはなんとなく分かるが、気持ちを落ち着かせる為にもあえて聞く。

「今回の武器開発のトップはあいつだからさ。もちろん発案したのは俺だし、実際に作業するのも俺達下っ端」自らを卑下するマックスは、怒り冷めやらぬ口調でまくしたてる。「所詮あいつはただの置物に過ぎない。だが、成果が出た時の手柄は根こそぎ持っていこうとする卑怯者でもある」

「何故未完成のまま実戦投入させた?」

 聞いてほしかったのであろう。「それだ」というようにマックスはジャックを指差す。

「魔物の異常発生なんてそう滅多に起きないからな。次を待ってたら、すぐに一年が過ぎる。合同作戦っていうでかい山で自分が担当していた武器が成果を出してみろ。上からの評価もバカ上がりだぜ?」

「なるほどな。じゃあタイタンを導入しなかったのは、もし成果が出たとしてタイタンの実力の影に隠れてしまえば意味がないからってところか」

「そのとおり」少し落ち着きを取り戻し始めたマックスは再び酒を呷る。「新型銃はまだ開発途中で不完成だと言ってやったし、タイタンでのバックアップだってちゃんと勧めたんだぜ」

 肩を揺らして息を整える巨体はまるで小さなタイタンのようで、少し可笑しく見えた。正義感が人一倍強く、自分が正しいと思ったことを語ると熱くなりすぎるのは昔のままのようで少しほっとする。

 本人達にそこまでの意識はないが、ジャックとマックスが惹かれあったのも、実はそういった性格の一致があったからである。

「まぁ、あのハゲが聞くわけないな」

 納得したように頷いてみる。

「極め付けにあの野郎、銃が不良品だったとか抜かして開発者である俺達を訴えようとしてるって話だ」

「はあ?」

 さすがに耳を疑う次元の話だったが、アーサーの性格を考えれば無い話でもない。何が起ころうとも決して懲りることなどないし、学習もしない。責任転嫁は当たり前で、常に自分が一番だ。

 だが、今回ばかりはそんなことが許されるはずがない。

「もちろん、俺達も黙っちゃいないさ。こっちだって昼夜問わずに開発に勤しんでいたんだ。あいつの主張を覆せるくらいのデータはたんまり残ってる」

「あんまり無茶はするなよ。俺と違ってお前には奥さんと子供がいるんだからな」

 少しばかり親友の身を案じて不安になった。相手は狸だ。バカではあっても悪知恵は働くだろうし、権力という巨大なバックもある。用心するに越したことは無い。

「……分かってるさ。ちゃんと外堀から埋めていくつもりだ」

 勢いを削いでしまったのか。それとも家族のことを思い浮かべたのか、マックスの怒りは尻すぼみになっていった。

「……それで? 結局、なんでお前が謝ったのさ」

 話を元に戻すと、怒りに膨張していたはずの親友の体が今度はまた縮んで一際小さくなった。

「それはお前……」空になったグラスを見つめるマックスは、そう言ったあと少しばかり時間の空白を置いた。「俺が造った銃のせいでお前を大変な目に合わせた。アーサーを止められなかったのも、俺の力不足だ。きっと嫌な体験もさせてしまったんだろうな、って」

 返す言葉がしばらく見つからなかった。あれだけうるさかったはずの店内が一瞬だけ静かになったように感じて、いきなり無音の部屋にひとり放り捨てられたような孤独感を味わった。

 ふいに記憶の断片が引きずり出されたからだ。

 それは港町(ブラッドハーバー)へと続く街道。流された血で作られた道を、タイタンを起動させるために編成されたチームが馬を駆って走る。

 だが健闘もむなしく、仲間たちは一瞬にして死骸となって道端に転がり、自分だけが運良く生き延びた。不要だった彼らの犠牲を思うと、やるせなさが体中に満ち溢れる。一歩間違えていたら、自らが屍となって地に伏せていたことだろう。

「作戦が始まるよりももっと早くにこの話をお前にするべきだったと思ってる。本当にすまなかったな……」

 語尾が小さく落ち込んでいく声を聴いて悟った。嘘をついているわけではない。こいつはこいつなりに被害を出さぬように戦ってくれていたのだろう。それでも上手くいかなかった理由が何かあったに違いない。

「別にお前のせいじゃないさ」一層丸くなった背中をジャックはばしりと叩いて大げさに笑って見せた。「怒る理由もない。あったら、こんなとこ来やしないだろ?」

 そう言ってやると多少は気が楽になったのだろうか、縛られた体が解放されたかのように、マックスはだらりとカウンターに体を預けた。

「ありがとうな、ジャック」

「なんだよ。別に感謝される理由もないよ」

 ジャックは空になった親友のグラスに酒を注ぐと、飲めとばかりに突き出してやった。

 受け取ったマックスは、少しばかり遠い目でそれを見つめて苦笑する。

「とにかく、お前が無事で良かったよ……」

 いまにも泣き出しそうな感情豊かな親友を眺めて、この時ようやくわかったことがある。ずっと胸につかえていたもの。

 この何気ない一瞬こそ、かけがえのない時間。死んでしまっては、友達想いの親友とこうして話をすることも、顔を合わせることも、怒ったり笑ったりすることも、冗談を言い合うこともできない。

 ――ああ、生きていて良かった……。

 地獄からの帰還を果たし、いま初めてそう思えた。

 人知れず静かに胸を撫で下ろし、ジャックは酒の残ったグラスに口をつけた。

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