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ジオ戦記(旧)  作者: ルノア
第1章
25/52

25. 結末

「姫!」

 クロウスは前方を疾走する白馬を必死の思いで追いかけた。何度も尻を叩いて馬を駆りたてても、白馬との差は一向に広がるばかりである。

 さすがはベルドランシュ。プロトで一番美しく、そして速いと評されているあの馬に、平凡な馬で追いつこうというのもどだい無理な話だが、それ以前に行く手を阻む黒蟲の存在も邪魔で仕方なかった。

「姫、危険です! お戻りください!」

 何度呼びかけても、ミューネは馬の速度を緩めない。

 まったくもって頑固なお方だ……という思いを飲み込み、目を細めた。何が彼女を動かしている?

 混戦の只中を突っ切り、向かう方角は東。一体どこへ向かい、何をしようというのか。この先には何もない海岸が延々と連なっているだけだ。

 既に周りにはバグラガム兵の姿ひとつなくなり、代わりに黒蟲の大群がここぞとばかりに押し寄せてきている。はやくミューネ姫を連れ帰らねば、間違いなく大参事になる。

 ミューネとの距離が広がるたびに、クロウスの不安もじわじわと体内に広がっていく。

 その途端、後方から警鐘を激しく打ち鳴らす音が響き、思わずぎょっとなって振り返った。まるで自分自身が打たれるかのように、馬上で少し飛び上がったクロウスは、だいぶ遠くなったバグラガムを見やった。

 王都の壁の内側から、数本の狼煙。

 まずい。王都に危機が迫っている。

 数に圧倒されるバグラガム軍に、ミューネ姫の脱走。事態は確実に悪い方向へと向かっている。信頼できるラルゴとキューズに後を任せはしたが、不安が消えることはなかった。

 それに何かが変だ。

 ミューネ姫の前方にいた黒蟲達がその進路を譲り、まるで真っ黒な道がその先にある海岸へと彼女を導いているかのようなのである。その後を通っているはずだというのに、クロウスへの妨害は逆に執拗なこと極まりない。

 黒蟲達は俺を邪魔して、姫をわざと行かせようとしている? まさかな。

 つまらない自問自答を続けているうちに、ついに追いつけることなくミューネが海岸の先端へと到着した。彼女を見失うことなく追従できたことは唯一の幸いだ。

 此度(こたび)の戦を知らぬかのように、穏やかに流れる潮風の向こうにゴラドーン大陸がうっすらとだが見える。岸壁に打ち返す波の音が、心を打つかのように絶え間なく流れ続けた。

 ベルトランシュから降りるミューネ姫。まるで花びらが舞い落ちるかのように、ふわりと荒々しい海岸の地面に降り立つ。

 この距離ならば……、追いつける!

 そう思ったときだった。

 乗っていた馬が急に膝を折り、クロウスは前方の岩場へと飛ばされてしまったのだ。

「くっ!」

 馬が脚を食われたか……!

 空中を彷徨(さまよ)うほんの一瞬の時間であっても、まわりの状況をよく把握する。へたりこんだ馬は瞬時に蟻達に取り囲まれ、悲鳴のひとつもあげる暇なく餌と化している。そして、いままさにクロウスが飛び込もうとしているさきにも無数の黒蟲。

 咄嗟の判断で、全身の(バルル)を拳と足へと送り込んだ。飛ばされた格好から着地する姿勢へと空中で身を翻し、大口を開けて待つ蟻のもとへと躊躇なく飛び込む。

 着地地点の蟻は見事に脳天を押しつぶされ、地面と同化した。すかさず左右から攻めてくる蟻二匹は相手にせず、拳で振り払い、とにかく前へ前へと跳躍を続ける。

「邪魔を……するな!」

 雑魚になど構っていられるものか。

 クロウスは蟻の上を跳ぶように走った。行かせまいとする蟻達の必死の抵抗を(バルル)のない部位で受けながらも、ひるまずに猛進した。

「姫!」

 もう少しだ。もう少しで姫のもとに。

 問いかけにようやく振り返ったミューネ。肩下まで伸びたしなやかな髪が潮風に舞い乱れ、顔の半分を隠していた。わずかに見えた表情はどこか悲しげだったが、その瞳の奥には隠しようのない決意のこもった炎が燃えているように見えた。

 それがなぜなのか。考える余裕すらなかった。

 振り向いた彼女の手にふたつの宝玉が見えたとき、クロウスは全身から湧き出るような焦りを覚えた。

 転移石(テナムキー)

 なぜ姫が?

「姫、お待ちください!」黒い蟻達をかき分けながら、叫んだ。「どこへ行かれるおつもりですか!」

 一瞬、ミューネの瞳が揺らいだように見えたが、すぐにその瞼は閉じられ、

「ごめんなさい、クロウス」

 そう言うと同時に、転移石のひとつが輝き始める。

 まずい、まずい。どこへ飛ぶ気だ。

 クロウスは邪魔する蟻をうっとうしい思いで吹き飛ばしながら、やっとの思いでミューネの目前にまで飛び出してきた。

 あと一歩。あと一歩で腕を掴める。

 クロウスは手を伸ばし、ミューネのもとへと飛び込んだ。

 頼む。間に合ってくれ!

 手と手が触れ合う……その瞬間。目の前が真っ白になる。

 前方の空間が歪み、何かに吸い込まれるかのようにいま目の前の次元が消滅した。

 姫……?

 ミューネの姿は、もうそこにはない。

 目標を見失い、クロウスの身体はごつごつとした岩場にしたたかに打ち付けられる。

 素早く立ち上がり、辺り一面を見渡した。

 どこだ、どこへ転移した。

 全身からにじみ出る嫌な汗を感じながらも、必死に彼女の姿を探す。目を細めて遠くを見渡したが、ミューネの姿はどこにも見当たらない。山の上にも、申し訳程度の草原の果てにも、砂漠の奥にも。

 転移石は目に見える範囲のどこへでも飛ぶことができる。ここからはユーロドスの領域もかすかに目視できるし、その他山々にある領土に飛ぶことも不可能ではない。他の領主に助けを求めに飛んだのだということは、彼女の性格からも絶対にそうだと言い切れる自信があった。

 だが、何故王都を飛び出してこの海岸から飛んだ?

 はっと我に返ったクロウスは、大量の黒蟲に取り囲まれていることに気付いた。にじり寄る蟲達とともに大きな敗北感が押し寄せてくる。

 おそらく、戦は負けだ。そして、姫も守れなかった。

 かろうじて残った生存本能を奮い立たせ、クロウスは捨てられたベルドランシュに飛び乗る。血の気の引いていた脳に、若干の知恵が流れ戻る。

 一度帰らなくては。どこへ向かったかは分からないが、危険なところを想像して転移するほど間抜けではない。だとすれば、王都に戻って態勢を整え、再度姫をお探しする時間もあるはずだ。

 敗北に濡れ浸った弱い心を奥底に仕舞い込み、王都バグラガムに馬首をめぐらせる。

 だが無情にも、事態はクロウスにわずかながら残っていた生きる気力さえも奪っていった。

 突如、バグラガムの空から緑色の滝が流れ始め、それが次第に王都を包み込むと、眩い宝石のような輝きを取り戻していったのだ。まるでエメラルドのなかに封じられた街。

 クロウスは今日何度目の絶望を味わっただろうか。

 ベルドランシュの上でがくりと肩を落とす。

「守護壁……」

 ぽつりと呟く。

 間に合わなかった。

 おそらく敵の進撃に軍は耐えられなかったのだろう。守護壁を再展開せざるを得ない状況になったと見える。これで王都は大砂波が来るまでの時間を稼ぐことができるかもしれない。

 だが一方で、クロウスの帰還が不可能になってしまったことも事実。

 俺は見捨てられたのか。いや、遅すぎたのだろうな。

 後方は絶海へと繋がる岸壁。目の前には黒蟲の集団。そしてその更に奥から迫る茶色の壁、大砂波(サラスルーム)。力のある大将軍といえども、度重なる戦いで既に疲労困憊の状態。絶体絶命だ。

 もはや、これまでか。

 クロウスは強く、しっかりと瞳を閉じた。

 自らに乗せた主の想いを感じとり、いななくベルドランシュ。

 この日、プロト大陸バグラガム軍の大将軍が見た最後の光景は、津波のように迫りくる漆黒の闇と、全てを切り裂いてしまうであろう天に昇る猛々しい龍のような竜巻であった。


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