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ジオ戦記(旧)  作者: ルノア
第1章
23/52

23. 第三勢力

 だめだ。このままでは敵の勢いに飲まれてバグラガム軍は全滅してしまう。

 降りかかる敵の魔の手は容赦無く全て叩き落としてきたクロウスだったが、無限に湧き出る敵の数を前に珍しく息を切らしてしまっていた。

 苦境に立たされているにも関わらず、軍は思っていた以上に善戦していたはずだ。悔しいが、この場にユーロドス卿を含む遊撃隊が居てくれたことには素直に感謝するほかない。

 だというのに、依然として増え続ける蟻の数は異常なほどで、いくら潰しても一向に減った気がしなかった。一匹叩けば二匹湧く、そう思ってしまうほどに苦戦の連続であった。

 はじめこそ気力で押し上げていた戦線も、黒蟲達に押しとどめられ、次第に返す波となり、引かざるを得ない状況にまで追い込まれてきている。戦士長ガーネイの指揮のもと、城壁から逐次送り込まれる砲弾が敵の猛進をいくらか抑えてはいるが、無論限りはある。蟻の歩兵か砲弾か、どちらが先に尽きるだろうか……。

 このままでは無駄に兵の命を削るだけだ。かといって退却させても、守護壁の復旧はいまだに終わっていないし、王都に攻め入らせるきっかけを与えてしまうのは得策ではない。

 そうこう考えているうちに、また遠くでバグラガム兵が倒れた。まるで手の平を滑り落ちる砂のように、守りきれなかった命が次々に墜ちていく。

 はっきり言って、助けが必要だ。

 これだけ大規模な攻城戦が繰り広げられているというのに、ユーロドス以外の諸侯は一体何をやっている? 気付いていないはずがないのに。

 まさか王都を見捨てるつもりか。国王を慕っていたように見えた彼らも、所詮はうわべだけだったとでも言うのだろうか。

 どうする。どうしたらいい。

 このうえない無力感を感じたその時。

 心を徐々に奮い立たせるような、重い角笛の音色が断続的に流れた。

 何事かと、戦場の時が止まる。

 地の底から湧き上がる振動。戦うもの達の身体を震わせた。

「正門を守れ! 突撃!」

 一切の老いを感じさせぬ、気迫に満ちた怒声。

 白地に蒼の線が特徴的な甲冑と兜に身を包み、その瞳には武人としての熱き魂を宿している。

 キューズ!

 守りを任せていたはずの東門の方角より現れると、一万を超える騎兵を率いて黒蟲達の横っ腹に突撃する。

 その破壊力は凄まじく、虚を突かれた蟻の一軍は瞬く間に白の波に飲まれていった。

 更に機を合わせて、西の方角から、

「王都を守るぞ! 蟲どもを蹴散らせ!」

 無数の雄叫びがあがり、キューズの部下にあたる戦士長ポラスが、同じく一万の騎兵とともに現れた。

 突然の敵襲に驚いた蟻達は身構える暇すら与えられず、両脇から流れ込むバグラガム軍の猛撃で挟み撃ちに合い、雑草のようになすすべもなく根こそぎ刈り取られていった。

大将軍(シャラーン)殿、大変お待たせいたしました」

 悲惨な戦場に輝く、太陽のような笑顔を見せるキューズにクロウスは手をあげて答えた。

「キューズ。それにポラスも。よく来てくれた」感謝しつつも、まずは何事か状況を確認する。「東門と西門は大丈夫なのか」

「仰せの通り、あれからしばらく待機しておりましたが、敵一匹も姿を見せておりません。ガーネイ戦士長からの増援要請を受け、ポラスと相談した結果、一旦門を固く閉じ、大将軍殿の加勢に参上いたすこととあいなりました」

 キューズが言い、ポラスが続ける。

「王宮の兵士の報告によれば、守護壁の復旧も目処がたったようです。もう少しの辛抱かと」

「そうか……」

 二万の増兵と、守護壁復旧が近いことは喜ばしいことだ。ガーネイの配慮もさすがだとしか言いようがない。

 だが不安が残るのも事実。いましがた蹴散らしたばかりだというのに、蟻の数はなおも底をつくことを知らずにいる。果たして守護壁を再開したところで、またすぐに破られるのがおちではないだろうか。

 それにこれだけ統率が取れているというのも不思議ながら、このまま黒蟲は正門を攻め続けるだろうか? もしかすれば、東と西の守りが薄くなったいまを待っていたのかもしれない。

「東門と西門。どちらにも幾人かの兵を残し、何かあれば狼煙と警鐘で知らせるよう言い残しております」

 不安げな表情を見られたのか、キューズが察してそう言った。

 敵の手の勢いを一時的に削いだところで、ユーロドスの部隊も合流する。

「これはこれは、皆様お揃いで」

 ユーロドスの体は真っ黒な血液で派手に汚れていた。大袈裟な演技に見えてしまうのは、この男の損なところだろう。

「ユーロドス卿。遊撃部隊から見て、戦況はどうだ」

 いつになく真剣な眼差しの紅い(とんび)に対して、クロウスは問うた。

「良くはない。うちも手ひどくやられた」

 お付きのジェスも同意見だと頷く。

「異常ですよ。倒せば倒すほど、水のように湧いてくる」

「いままでが、いままでだ」ユーロドスは槍についた血糊を払う。「こちらの兵力を増やしたところで、やつらは更にその上をいく可能性が高いのではないかな」

 ユーロドスの言うとおりだろう。

 見れば、キューズとポラスがなぎ倒した黒蟲の数だけ、あっという間に増員されてしまっている。

 結局はこの繰り返しか。

 このままがむしゃらに戦い続けても、意味がない。何か別の方法でこの戦を乗り越えなければ。

 どうしたらいい?

 戦場のなか、各々がとめどなく迫りくる黒蟲を退けながら、考えた。

 敵の根本、巣を断つか? バグラガム軍に王都の守りを薄くする余裕があるだろうか。

 他の諸侯たちに援軍を要請するか? 果たして応じるところがあるだろうか。

 考えに考えても、壁にぶち当たることを数回繰り返し、いよいよ思考の限界にぶち当たるかと思えてきたその時だった。

「大将軍殿、また厄介ごとだ」そう言って苦虫を噛み潰したかのような顔を上げたのはユーロドス卿だった。「見てみろ」

 その反応がやや大げさに思えたこともあって、鬱陶しく思いながらもクロウスはユーロドスと同じ方向に目を向けた。

 黒蟲が蠢く大地の更に奥。

 まるで薄い膜が張るかのように、空に向かう視界がぼやけて見えた。

 鱗状だった雲の連なりがいまでは消え失せ、まるでそれ自身が空の色であるかのように一面に淀んだ灰色の大気が広がっている。

 戦地を駆ける一陣の風。それが急に加速し、クロウスの両側面を一瞬で通過する。

 遅れて、右頬に痛み。

 クロウスは自らの頬をさすった。

 手に着いたのは血。

 これは……。

大砂波(サラスルーム)が……来る」

 現状を飲み込むかのように、静かに、ゆっくりと言葉を発した。

 皆の視線が一点に集まる。

 勇敢な武将達にも、その現実は受け入れがたく、みるみるうちに表情が青みがかっていった。

「最悪だ」

 クロウスは近づいてきた黒蟲を力任せに拳で叩き伏せる。

 プロト大陸に住まう者達が、生きるうえで注意しなければいけないものが三つ。黒蟲、砂漠を越えるうえでの水分、そして<大砂波(サラスルーム)>。大砂波は大木を根こそぎもぎとり、丈夫な建造物さえも軽く引き裂いてしまうほどの突風のことで、程度によっては多数の竜巻を引き連れてやってくることもある異常気象のことだ。風の速度は凄まじく、大量の砂塵を巻き上げながら進むため、時として小さな砂粒でさえ弾丸のような速度でまわりに射出される。

「いま大砂波が来たら、バグラガムなどひとたまりもないぞ」

 クロウスは歯ぎしりした。

 これまでの歴史の中で王都の頭上を何度も通過していった大砂波だが、これは守護壁があったからこそ耐え凌げたものだ。守護壁がなければ家屋どころか住民達は無事では済まず、王都は砂の中に埋もれて一夜で遺跡と化してしまうだろう。

 キューズに視線を投げかけた。

「守護壁復旧を急がせましょう」

 この場の全員が同じ考えだった。答えるよりも早く、キューズは部下に伝令を頼む。

 皆が何も言わず、ただただ生唾を飲み込むようにこくりと頷いた。

「いや、これはもしかしたら転機かもしれぬな」

 意外な明るい声に、振り返る。一同が暗い表情を見せるなか、ユーロドスが少しばかりの余裕を顔に浮かべていた。

「なに?」

 その真意を確かめると、

「ものの見方だよ」嘲るような笑いが返ってくる。「大砂波は我々の敵でもあり、味方にもなり得るのではないかな?」

 とユーロドス。

 遠回しな言い方に嫌味を感じたが、それは大きなヒントだった。

「黒蟲にとっても、大砂波は脅威だということか」

 ユーロドスが頷く。

「王都の守護壁さえ回復すれば、あとは大砂波が外のゴミを掃除してくれる、と期待したいところだが」

 確かにその通りだ。

 第三の勢力として現れた大砂波がひとまとめに黒蟲達を葬ってくれれば、これ以上の援軍はない。

 思ってもみなかった好機だ。無神論者のクロウスだが、この時ばかりは神という存在に感謝する人々の気持ちがよく分かった気がする。

 いま目の前に導かれた、この戦いを乗り越えるための唯一の方法。成功させる鍵は、守護壁の即時復旧。そして、我々が蟻の進行を止めること。

 それができなければ、待ち受けるのは死。いや、王都の滅亡だ。

「みんな、いまはなんとか持ちこたえてくれ!」

 クロウスはそう願う。これ以上の死傷者を出し、あまつさえ王都まで乗っ取られてしまえば、誰に合わせる顔があろうか。預かった命は、この身を持って守って見せる。

 黒蟲の一匹を押さえつけ、頭部を拳で粉砕した、その時だった。

 クロウスのすぐそばを、疾風とともに一匹の馬が通過した。

 きらきらと輝く(たてがみ)をなびかせ、漆黒に染まりゆく血塗れた戦場を切り裂く、潔白で筋骨たくましい体躯を誇る白馬。

 ゆっくりとした時の流れのなかで、クロウスは馬を見上げた。

 白馬を駆るのは、体格に似合わぬぶかぶかのローブをまとった人間。風でめくれあがったローブの中には、乗馬用のぴっちりとした服装で、華奢だがすらりと整った身体があった。はりのある脚、丸みを帯びた臀部、小枝のような腹部、そして未成熟ながら山のある胸。指でなぞればつるつると滑りそうななめらかな印象を受ける。

 血と汗の臭いが鼻をつくような戦場には似つかわしくない、人を落ち着かせるような花の香り。

 これは……女……?

 敵影はびこる荒野にあって、武器を持っておらず。兵士ではない。

 視線が肩から首もと、そして顎から上、決意のにじみ出る表情へと移り変わった時、クロウスは思わず目を見開き、青ざめた。

「ひ、姫!?」

 自分でも驚くほどに声が裏返る。白馬にまたがっていた者は、見間違えるはずもない、ミューネ王女だった。

 よくよく見てみると、乗っている馬も王族専用の駿馬(ベルドランシュ)ではないか。

「なっ……」隣で背中を任せて戦っていたキューズも、目を丸くすると素っ頓狂な声をあげた。「殿下ですと?」

 何故ミューネ姫がこのような場所に。理由を追う暇もなく、王女を乗せた白馬は戦場を突っ切り、そのまま東の方角へと折れ曲がっていった。

「誰かその白い馬を止めろ!」

 叫んではみたが、敵味方入り乱れている混沌の渦のなかで、誰が反応できようか。

 白馬は味方と敵との間をするすると潜り抜けていく。

「殿下が何故?」

「分からぬが、殿下の身に何かあってはならん。すまぬが馬を借りるぞ」

 既に馬を降りかけているキューズにクロウスは近寄り、言った。

 その時、三匹ほどの黒蟲達が何かに吹き飛ばされて、近くの地面を転がってくる。続けて、舞い上がる砂埃を切り裂いて現れたのは、鬼のような形相のラルゴだった。

「ラルゴ!」

「む、兄上」

 この異様な殺気……。この戦いが弟に与えた影響の末だろう。

 一瞬、同情をこめた眼差しを向けるも、クロウスはすぐにミューネが去っていった方角へと馬首をめぐらせた。

「姫が単独で東へ向かわれた」

「殿下が?」転がる黒蟲を力任せに両断し、鬱憤を晴らすラルゴ。「こんな時に一体何をやっているんだ……!」

「分からん」

 何故だと語り合う余裕などなかった。一語一語を発する度に、真っ白な影は点へと変わっていく。

「まあいい。ここは俺達に任せてさっさと行け、兄上」

 状況を察したラルゴは、吐き捨てるようにして言った。

「すまん。すぐに連れ戻す。悪いが、それまで守護壁は展開しないでくれ」

 そう託すと、馬の尻を叩いて全速力でミューネの後を追った。


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