15. 真紅の鳶
-Ⅰ-
煙のように蔓延していくおびただしい数の敵を前に、クロウスはひとり平然としていた。
見上げると、緑色の守護壁が流れ落ちる滝のように消えていく。
「そろそろ時間か」
清々しいほどに澄んだ青色の空が頭上に広がると、敵のざわめきも一段と強くなる。
そんな中で深呼吸し、目を瞑った。
真っ黒な壁に浮かぶのは、不安、憤り、もどかしさ、そして不甲斐なさ。それらは一年かけて積もり続けた悪しき壁だが、逆に自らを動かしている原動力でもある。
いまはその全てを、目の前の敵にぶつけよう。
目を開けると、三十を超える数の黒蟲が守護壁を越えて侵入していた。飢えた犬のようにクロウスに群がる。
指示どおり、守護壁は三秒で再び外界を遮断した。入りきれなかった蟻達が壁に勢いよく衝突する。
「一度に入ってこれる数はこの程度か。丁度良い」
若い兵士達が後方で見守る中、一匹の蟻が巨大な大顎でクロウスの首を両断しにかかった。
触れれば人間の体など一瞬で切り落とせるような恐ろしい鎌である。
それでもクロウスの表情に揺らぎはない。彼が両手を大きく広げると、続けて激しい金属音が響いた。
挟み込もうとしていた刃を、彼はなんと素手で受け止めたのだ。
蟻がいくら力を込めても、その手はぴくりとも動かない。黒蟲の力に対抗するとは、よほどの怪力である。
クロウスが敵の刃をがしりと掴むと、装着した籠手が暖かいエメラルド色に輝いた。
次の瞬間。
いとも簡単に硬い甲殻に守られた蟻の刃を粉砕してしまう。そのまま腕を軽くあげると、凄まじい速度で蟻の頭部に拳を振り下ろしてみせた。
普通ならばどんな力自慢の男でも、魔物の硬い殻に素手で勝てるはずはない。
だが、いましがた下された鉄拳の衝撃たるや驚愕の破壊力で、そんな物理の法則と蟻の頭部を容易に粉砕してしまう。
強固な蟻の頭部を破壊した右拳には、そのまま大地をえぐってしまうほどの加速がのっていた。
はじけとんだ敵の頭部がクロウスにふりそそいだが、不思議なことに彼は一切の返り血を浴びなかった。
この魔神とも思える圧倒的な強さ、さすがはプロト王国最強の戦士である。
ところがそんな人知を超えたプロト人の武将を前にしても、蟻の動きに迷いはない。取り囲み、集団で襲い掛かるその動きたるや、どこか決死の覚悟である。
「ふん、お前達も必死だな」
クロウスは鼻を鳴らした。
事実、いまのプロト国を支えているのは大将軍クロウスと、ラルゴ将軍、そしてキューズという三本の柱だ。彼らさえ討ち取ってしまえば、国は柱を失い崩壊してしまうだろう。
そのことを黒蟲達は何故だか理解している。死にもの狂いになるのは、魔物なりの理由があるのだろう。
そんな黒の群れに凍えるような冷やかな視線を送りながら、クロウスは目にも止まらぬ速さで敵を討ち取っていった。
蟻の頭部をひねって骨を断ち、槍のような鋭い蹴りで腹を突き破る。拳を突き上げると重たい敵の体は宙を浮き、あまりの衝撃に空中で絶命する。手も足も塞がっていれば、今度は頭を使って敵を粉砕する。
手だろうが足だろうが、はたまた頭であろうが、体そのものが武器であった。
懸命な黒蟲たちの攻撃もむなしく、三十匹程度の数では傷ひとつつけることもできずに壊滅してしまった。
守護壁の一時解除によって侵入した第一波は、ものの一分で全滅させられてしまう。
「さすがは大将軍。俺達が入る隙すらない」
「加わったところで足手まといになるだけだろうな」
行く末を見守っていた兵士達も、いつもの光景に安堵の息を漏らした。
クロウスがたったひとりで複数の魔物を相手取ることができるのは、プロト人という人種に<盾>という特殊な能力があるからである。
盾は、彼らの額に埋め込まれた鉱石を原動力とした、全身を覆うような膜のことだ。その硬度は人それぞれだが、それでも鋼鉄の鎧ほどはある。クロウスのそれは人一倍硬かった。
魔物よりも硬い盾と格闘技の達人であるクロウスの技能が合わされば、黒蟲の殻など容易に破壊できるというわけだ。
二分の休憩をはさんで、守護壁が再び解除され、第二派が押し寄せてくる。
冷静沈着に応戦するクロウスの額に埋め込まれた宝石が緑色に光り、呼応するかのように籠手も煌めく。
味方が次々と撃破されていく中、黒蟲達も必死で抵抗した。
一匹の蟻が右足に食らいつく。
両断されるはずの足は籠手と同じように緑色に発光し、蟻の刃を返り討ちにしてみせた。
すかさず、蟻の頭部を踏みつけ、潰す。
「だけどさ、大将軍の何がすごいって…盾もすごいんだけど、なんか、そうじゃないよな」
若い兵士が隣の者に問う。
「そうだな。黒蟲の首を捻ったり、重たい攻撃を受け止めたり…、あのバカ力は盾とは関係ないし、一体あの華奢な体のどこにそんな力があるんだろうな…」
兵士達が畏怖の眼差しを送る中、クロウスは次々に押し寄せてくる敵を息ひとつきらさずに捌いていった。
その後、一方的な猛攻がおよそ一時間続いたが、それでも敵の勢いに衰えは見えず、数はなおも増え続けていた。
「いい加減、飽きてくるな」
汗ひとつかかず、ため息をつく。
「ラルゴも、キューズも、まだ終わらんのか」
報告がないところをみると、おそらく側面からの攻撃も報告の数より増えたのであろう。
その時であった。
遠く、黒蟲の塊の向こうから、角笛の低音が重たく鳴り響く。
地平線より現れたのは五千騎ほどの騎兵である。馬のいななきと馬蹄の音が何重にも積み重なって聞こえてくる。
掲げられた旗には、真っ赤な下地に大空を滑空する鳶がエンブレムとして描かれていた。
「あれは…」
旗を見てクロウスが唸った。
騎兵の一団が隊列を整えると、規則正しい動きで槍をつがえ、黒蟲達の群れに突撃する。
勇敢なプロト人兵士達は、黒蟲が相手だろうと恐れることなく突っ込んだ。盾の存在が彼らを勇猛にさせるのだ。
赤色の鎧を身に纏った騎兵の一団が燃え盛る火炎の如く、黒蟲の渦に流れ込む。まるで油に引火する炎のように戦場に燃え広がった。
唐突な敵の援軍により、黒蟲達はなすすべもなく一網打尽にされてしまう。槍に突かれ、剣で切り刻まれ、馬に一蹴される。逃げ惑う蟻も、一匹たりとも逃げおおせることはできなかった。
ばたばたと倒されていく黒蟲達を横目に、クロウスの表情は次第に曇っていく。
赤の騎兵団が黒蟲をものの数分で駆逐し終えると、王都の周りはいつもどおりの静けさを取り戻した。
騎兵たちが王都の門前で再び陣形を立て直すと、その中からひとりの男が馬に乗って先頭に立つ。
黒の甲冑に赤のマントを羽織った細見の男だ。
「間に合いましたかな、大将軍殿」
男は少しばかり皮肉のまじった笑みを浮かべた。
「何用か、ユーロドス卿」
クロウスは、この男が苦手だった。
ユーロドスはプロト王国の領主で、彼の領地は規模も大きく、人口も多い。その分、王国へ与える影響も大きいため、誰にしてみても扱いにくい人間なのである。
狡猾さが服を来て歩いているような人物で、言動のひとつひとつには必ず何らかの裏がある。過去には実例もあるし、王国の転覆を企んでいるというような良くない噂も多い。
「黒蟲でお困りかと存じたが」
ユーロドスの目がきらりと光った。瞳の奥に眠る数々の野心は計り知れない。
「頼んでなどおらん」
眉をひそめるクロウスを見て、ユーロドスは続けた。
「なんだ、ただの冗談だろう。女王陛下に御用があったものでな。たまたまだ」
そう聞いて、クロウスは内心舌打ちをした。ただの挨拶にこれほどまでの戦力を用意してくるものか。恩着せがましいユーロドスの性格には反吐が出る。
あとから遅れてきたラルゴとキューズも、ユーロドスの来訪を知ってか表情は暗かった。
「陛下に何の用だ、ユーロドス卿」
クロウスの冷たい歓迎を受けても、ユーロドスの顔から余裕のこもった薄笑いは消えない。
「いつものご挨拶だよ」
ユーロドスが何を企んでいるのかは分かるようで分かりづらい。彼の野望を悟り、捕まえたかと思うと、手の中を砂のようにすり抜け、また新たな疑念として生まれ変わる。まったくもってつかみどころのない男である。
クロウスにとっては、単純に潰すだけの黒蟲よりもよほど厄介な存在であった。
-Ⅱ-
「おお、ユーロドス卿よ。遠路はるばる、ご苦労であったな」
謁見の間へと通されたユーロドスを、女王イシュベルは満面の笑みで手厚く出迎えた。
クロウスの扱いとは、ひどい違いである。
「陛下、ご無沙汰しております」
ユーロドスはうやうやしく一礼すると、付き添いの者に献上品を持ってくるよう指示した。
「つまらぬ物ですが、お受け取りいただけると幸いでございます」
そうして差し出したのは、イシュベルが好きな宝石や金の類である。それも人が入るような大きな木箱の中にぎっしりとつまっている。
「これはこれは…」
イシュベルは王座から身を乗り出した。溢れ出る衝動を抑えきれない。そして立ち上がり、実際に金を手にとると、うっとりした表情で見とれてしまう。
「お気に召していただけましたでしょうか。我が領の優秀な技師に作らせました。また、食糧にもお困りだとお聞きしました故、そちらもご用意させていただいております。満足のいく数ではございませぬが、できる限りのものを住民の方々へお配りさせていただきましょう」
得意気な顔のユーロドスを見つめたまま、女王はおおいに喜んだ。
「ほんとに頼もしいわぁ。何かご褒美をしてさしあげないとね。何が欲しい、ユーロドス卿。何でも良いわよ」
誘惑するようなねっとりと絡み付く言葉と視線を投げかける。足を組みなおしてみせると、健全ではりの良い太ももが露わになった。
これにはさすがのユーロドスも唾を飲んだが、
「いえ、私は何も必要ありません。陛下からのご信頼をいただければ、それだけで十分でございます。今後ともよろしくお願いいたします」
という台本のような台詞を返し、体をくの字に折って深くお辞儀してみせた。
「ほう。聞きましたか。これが本当の忠誠心というものではなくて?」
イシュベルは大げさに驚いてみせ、傍らで成り行きを見守っていたクロウスに皮肉を投げかけた。
体を折りながら、したり顔を向けているユーロドスの顔も殴りたくなるほど憎たらしい。
何が忠誠心か。馬鹿馬鹿しい。
これほどの献上品を用意しておいて、褒美がいらぬとは、ユーロドスらしくもない。野心家の彼のことだ。何か裏があってもおかしくはない。
それにイシュベルも、国のことには疎いが、アルツ王に取り入るほどの頭は持っている。ユーロドスの言葉を全て真に受けているわけではないだろう。
その後、狐と狸の化かし合いのような白々しいふたりの会話は一時間ほど続いた。
「それにしても、やはり怪しいですな」
隣のキューズが小声で、クロウスに話しかける。
「女王陛下とユーロドス卿のことか」
「えぇ…」
神妙な顔をしてキューズは言う。
ユーロドスが退室し、イシュベルが自室へと戻った後、王宮内の人通りの少ない通路でふたりは声を潜めていた。
「元はと言えばイシュベル様は、ユーロドス卿がアルツ王に紹介した娼婦のうちのひとり。ふたりの間に何かよろしくない計画があっても不思議ではありません」
「例えば、王権の転覆とかか」
キューズの仮説は、頭の片隅にも既にありはした。
「はい。仮にアルツ王が何らかの理由でお亡くなりになられた場合、残るのはイシュベル陛下とミューネ様だけです。王位はミューネ様が受け継ぐでしょうが、実質上の王権はイシュベル様が握ることとなるでしょう」
何らかの理由、というのはおそらく病死のことだろう。アルツ王は民からの信頼も厚い。仮に暗殺などしてしまえば、王権の変化を民も納得しない。病気で死んでしまう、というのがイシュベルにとっては一番自然で都合が良いはずだ。
クロウスはアルツ王のひとり娘であるミューネを思い浮かべた。
「ミューネ姫は王に似て博識で民にもお優しい。素質はあると思うが」
「ええ。そして気もお強い」
キューズが笑って付け加える。
「だがまだ成人前で、お若い。いきなり王位を押し付けるというのも酷なものだろうな」
「だからといってイシュベル様に王の替わりが務まるとも思えません」
「当然だ」
クロウスは怒りを露わにした。そんなことになれば王都は瞬時に崩壊するだろう。あの女に国を動かすだけの能力はない。考えるだけでも怖気が走る。
いま国をぎりぎりでつなぎとめているのはアルツ王という存在が大きいからだ。
「そこでです。未亡人となられたイシュベル様が、ユーロドス卿を王都に招き入れる、というのは考えすぎでしょうか」
「わざと王と結び付け、王が亡き後をユーロドス本人が引き継ぐ…と?」
クロウスは顎に手を当てて唸った。
「そのためにはもちろん民の信頼も得なくてはなりません」
「そこで、今日の茶番というわけか。つじつまは合うな」
事前にイシュベルが国政の状況を悪化させ、ユーロドスが英雄として王都を救う。なんとも単純な作戦だが、王都民への影響は絶大であろう。
「ユーロドス卿も抜け目ない御仁でありますからな」
キューズは肩をすくめて、短い息を吐いた。
「だが、奴を追及したところで、のらりくらりと上手くかわされてしまうのだろうな」
それに王都の問題で手いっぱいで、そんな余裕もない。
「ですが、いつまでもそうは言っていられません。いずれは明るみに出さねばいかぬことです」
ぽん、とクロウスの肩に手を乗せると、キューズはその場を後にした。
「…わかっているさ」
ひとり残されたクロウスは、静かに頭を抱え込んだ。
豪奢な王宮の通路が無駄に広く、そして寂しく感じる。
見上げた先に、天井画があった。伝説上の生き物であり、災厄をもたらすと言われている竜を、剣の一突きによって倒す勇者の絵だ。
果たして、王都を暗く包み込む竜の魔の手を振り払い、勇者となることができるのであろうか。
自らの手に国を動かすだけの力が乗っていると考えると、慎重にならざるを得なかった。決断の時は無情にも刻一刻と迫っている。
-Ⅲ-
「ラルゴ将軍」
兵舎への帰路で、ラルゴを呼び止めたのはユーロドスであった。
「ユーロドス卿。何の用だ」
対するラルゴの返事は、予想以上に冷たかった。兄と同じく、彼もユーロドスが苦手なのである。
「そんな怖い顔をするなよ。ただ挨拶をしようと思っただけだろう?」
ユーロドスは少しとぼけてみせたが、ラルゴの顔から嫌悪の様相は抜けない。
「貴殿が何の理由もなく挨拶など、ありえぬだろう。警戒して当たり前だ」
何の企みもなく声をかけるような人間でないことは、ラルゴも十分理解しているのだ。できることなら関わりあいたくない。
「それにあんな茶番を見せられて、気分の良いわけがない」
ラルゴは歯を食いしばって、口撃した。
彼はユーロドスよりも一回り年下だが、言葉には一切の遠慮がない。言いたいことは言う。これが彼の性格なのだ。
「茶番?」
「しらばっくれるなよ。イシュベルをアルツ王に紹介したのはユーロドス卿だろう。それからと言うもの、王都は急速に変化した。そこへ都合良く貴殿が助けに来るとは…あまりにも虫が良すぎるではないか」
そう言われ、ユーロドスが少しばかり押し黙ると、短い沈黙が流れた。
「何か誤解をしているようだな。確かに彼女を王に紹介したのは私だが、王が彼女をめとるとは、想像もしておらんかった。王はお遊びにはなられるが、一途なお方。狂おしいほどに愛されていた前女王陛下を忘れ、新たな女性をお迎えになられるとは、誰に予想できようか」
わざとらしい手振り身振りを見せられて、ラルゴはうんざりした。
「王都が崩れていくいま、それまでの方法や過程など無駄な話は良い。貴殿が何を企んでいるのかは大体想像がつく。だが王都を貶めるようなことがあれば、その時は容赦せんぞ」
「おいおい。私は何も企んでおらんよ。イシュベルとも何の繋がりもない。信じられないのだと言うのならば、そうだな…」
ラルゴの脅しにも動じず、ユーロドスは顎に手をあてて何事かを考えると、
「証拠に君に力を貸してやっても良い」
指をさして言った。
「なに?」
ラルゴの瞳に一瞬の動揺があったことを、ユーロドスは見逃さない。
「君はいま反乱軍を結成しているのだろう? 近いうちにイシュベルと王を討つ。違うか?」
「き、貴様、どこでその話を…!」
知られてはならぬことを、知られてはならぬ相手が知っていて、ラルゴは焦った。激情し、剣の柄に手を当てる。
それをユーロドスが慌てて、手で制止する。
「待て、待て。時代は情報だからな。私には色んな情報が流れてくるのだ。心配するな、誰にも漏らさぬよ」
「王都に薄汚いネズミでも忍ばせたか!」
ユーロドスはプロト王国随一の情報通で、大陸内に無数とも言える耳となるものを忍ばせているとの噂もあった。
「まあいいじゃないか、そんなことは。それよりも、君の集めた人数では、まだ心許ないのだろ? 我が軍が手を貸してやってもいいぞ」
ユーロドスの瞳が怪しく揺らめく。
プロト王国の中でも、ユーロドスの軍は王都の次に規模が大きい。彼らが加われば、ラルゴの目的は難なく達成できるだろう。その後の軍事強化も容易い。
だが…。
この底の知れぬ悪漢に借りを作ることは、決して小さな問題ではない。
「何が望みだ」
「特に何も」
ユーロドスはあっけらかんと言ってみせる。
「ふざけるな。何もないわけがない」
「強いて言うならば、プロト王国の安定、かな」
考えたフリをしてみせると、予め用意していたかのような返事を当たり前のようによこす。
「安定、だと?」
「そうだ。いま国は弱り切っている。大部分は王都が原因だが…」
広い通路を行ったり来たりしながら、ユーロドスは話し始めた。
「近いうちにまた戦争が始まるだろう。この平和も長くは続かん。いや、悪のゴラドーン帝国が続かせてはくれぬ。いまの現状では、プロト王国の負けは明確だ。そうだろう? そうならぬためには、誰かが国を一度崩して、早急に立て直す必要がある。我らには守るべき大事なものがあるからな」
「その再建とやらを、俺とあんたがやる、と?」
確かに一理ある話だ。あの好戦的なゴラドーン帝国やウルブロン族が決まりを破り、いつ攻めてくるとも分からない。
それにユーロドスの持つ軍事力は確かに見過ごせないものがある。断ることで今後の関係もいま以上に気まずくなるかもしれない。
「そうだ。悪い話ではないと思うがね。新たな王国には力と知恵を兼ね備えたカリスマ的指導者が必要となる。私はこの状況で周りや情に流されず、正確な判断のできる君が相応しいと思う。だからこそ、大将軍である兄ではなく、君がいまの悪循環を断ち切ろうと必死になっているのだろう?」
ユーロドスは上越の面持ちで演説を終えると、
「どうかね。国を想えばこそだろう」
と、白い歯を向けた。
ラルゴは考えに考えた。将軍てしての立場や王都の現状から、いまやらなければならないこと。ユーロドスの提案は喉から手が出るほど良いものだ。
この機会を逃せば、ラルゴの目的達成も遠のいてしまう。
いや、だめだ。心で頭を振った。
いかに好条件で目的が同じだとしても、ユーロドスと手を合わせることだけは絶対に避けなければならない。
いかに有能なラルゴといえども、策にはまれば抜け出すことは困難だ。わざわざ自ら罠にかかることもないだろう。
「お褒めいただき、誠に恐縮だが、やはりあんたの口から聞くとなおさら信用できぬな」
決意と侮蔑のこもった眼差しを、ラルゴは向けた。
「そうか…残念だ。お互いのためになる話だったんだがな」
言葉とは裏腹に、ユーロドスの表情はあっさりしている。まるで答えが分かっていたのか、それともどちらでも良かったのか。彼にとってはその程度なのかも知れない。
「お互い? あんたのため、だろう」
ラルゴは吐き捨てた。
断ってよかった。そう自分に言い聞かせたのだった。
「ふん。後々になって泣きつかぬようにな」
そんな彼に、追い討ちとも取れる冷徹な台詞をユーロドスは叩きつける。
そして遠くに厄介者の気配を感じると、隙間風のようにするりと静かにその場をあとにした。
「ラルゴ。ユーロドスと何を話していた」
何事かと小走りで駆け寄ったクロウスが問う。
「何も」
「何もないことはないだろう。何を言われた」
気力なさげに俯くラルゴを見てクロウスは少し心配になった。ユーロドスとの会話は内容がどうであれ、神経を使う。
「気にするな。ただ挨拶を交わしただけだ。いつ見てもうさんくさい野郎だよ。何を考えているのか全くわからん」
顔をあげたラルゴにははっきりとした苦悩が貼りついていた。いかに強剛な性格であろうとも、兄と同様に将軍である彼にも悩みは尽きない。
イシュベルとユーロドスが共謀して何かを企んでいるかと思えば、今度はユーロドスがイシュベル打倒に力を貸すと言う…。一体どちらが正解なのか。それともどちらも違うのか。
考えれば考えるほど深みにはまる。
「それよりも兄上」
と、ラルゴは目を細くした。
「早く王都をどうにかせねば、手遅れになるぞ。黒蟲やユーロドス卿、飢餓だけじゃない。敵国がいつ攻めてくるのかもわからん。こんなところで足踏みしていていいのか」
「…分かっている」
細く小さく返答したクロウスに、
「本当に分かっているのかよ!」
ラルゴは怒った。
義理堅く、使命感に強いクロウスが究極の選択を迫られていることは分かっているが、その優柔不断なところがラルゴには我慢ならなかった。
あまりの剣幕に、クロウスも瞬きを忘れてしまうほどである。
「さっきの戦闘で、俺の隊は三人もやられたんだ…。それも、いずれも妻子持ちだ」
話しながら、次第にラルゴの表情は曇っていく。
「クルーナなんて、つい最近子供が産まれたばかりだっていうのに…」
クルーナはラルゴが弟のように可愛がっていた弟子だ。良好な師弟関係を続け、先日クルーナの子供が産まれた一報を受けると、ラルゴはまるで自分のことのように喜び、涙を流していた。
そんなクルーナが蟻の牙に貫かれた時、ラルゴの中で何かが崩れ落ちた。
「なあ兄上…、俺たちと同じような子供をまだ増やす気か? いまの自分を見て、それで国を守っていると胸を張って言えるのかよ?」
「ラルゴ…」
クロウスにはかける言葉も思い浮かばない。
「いい加減、俺も待ちきれないぜ。何か策があるのなら、早くしてくれ」
口を震わせ、目を赤くさせたラルゴは背を向けると、自らの籠手を外し、地面に強く叩きつけた。




