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ジオ戦記(旧)  作者: ルノア
第1章
13/52

13. 復讐の青い炎

-Ⅰ-


 満を持して降臨したタイタンが荒野の戦場に到着すると、場の流れは急激に変化した。タイタンが一分暴れるだけでも三十体もの死体が積みあがる。熟練ハンター達の巧みな技とタイタンの力が合わさると、魔物達は尻尾を巻いて逃げるよりほかにない。圧倒的な力に押され、黒の軍団は次第に数を減らしていくと、最終的には蜘蛛の子を散らすようにして逃亡した。


「一匹たりとも逃すな!」


 戦場ではトバイアスが軍を仕切り、兵もそれに従うと、敵を馬で追い回し、槍を突き立て、剣で切り刻み、棍棒で殴り叩き、弱ったところで心臓や脳を串刺しにした。

 彼らの原動力は心に燃え広がる紅蓮の怒り。友を失い、街を守ることのできなかった彼らの無念は、かたき討ちという形で晴らされることとなる。彼らの同胞が受けた無慈悲な苦しみは、倍にして返しても足りぬのだ。

 この日、ブラッドハーバーの攻防戦は予想だにしなかった魔物軍の知略により、三千もの帝国兵士と五人の新人ハンターが戦死した。過去の戦いと比べてもおよそ十倍の数となる。なによりも誤算であったのが、住民や商人のうち五十名ほどが犠牲となったことだが、こればかりは絶対にあってはならなかった。

 今回に限って言えば、誰にも想像できなかった衝撃の出来事もあり、誰を責められようもなかったが、郊外にて魔物を食い止められなかったことはいくら悔やんでも足りない。

 アーサーの指示に疑問を持ち、彼を憎む者ももちろん中にはいた。当然のことながら、一番の失態は彼が指揮官だったことにある。しかしながら、縦社会である帝国軍に従事する身で、その事実を口にするものはいなかった。助かった命を、むざむざと危地に再び投げ捨てる者はいない。

 結果的に、ゴラドーン帝国軍はスコーピオンの群れを駆逐することには成功したものの、戦そのものにおいては惨敗を喫したと言っても良い。

 これこそが、後に伝えられることとなる<二度目の悪魔の行進(セカンド・デビルズマーチ)>である。

 こうして、ブラッドハーバーでの攻防戦は一応の幕を閉じることとなった。



-Ⅱ-


 死の伝染病のような災厄が過ぎ去ると、果てしない悲傷をはらんだ藍色の空が街を覆い尽くした。

 涙を流しながら膝をつく住人達を見て、ハンターも帝国軍兵士も言葉にできないほどの敗北感に苛まれた。

 こうして、魔物の更なる脅威に人間達は気付かされることとなったのである。魔物は単なる大きいだけの虫や動物ではない。驚異的な力と知恵を兼ね備えているであろう軍を有する、一国の敵として考えを改めなければならぬだろう。

 だが何故、魔物はいままでそうしてこなかったのだろうか。何故いまの時期を選んだのだろうか。

 ウルブロン潜入の噂と、本性を現した魔物軍。どうやらゴラドーン大陸は前途多難の道を歩んでいるようだ。

 陽が沈んでも、街から灯りは消えなかった。住民が抱く魔物への恐怖がそうさせたのだろう。朝日が昇るまで、火が絶やされることはなかった。

 ブラッドハーバーの軍港でも、戦死者や犠牲者の火葬がつつましく行われていた。延々と続く死人の列は、朝方まで途絶えることはないであろう。死者を天上へと運ぶ煙は、星ひとつ輝かぬ無情な暗闇の世界に舞い上がった。

 大気が淀むと、人々に重たくのしかかる。冷たく、じめついた空気が体に触れると、明日の雨を予報してくれた。全てを洗い流す雨となるのか、死んでいった者達が流す悲劇の涙となるのか、それともその両方か…。

 爆ぜる炎をじっと見つめて、レニは感傷に浸っていた。


「俺達、負けたんだね…」


 討伐戦において、確かに彼は目覚ましい活躍を見せた。彼なりに最善を尽くした結果でもある。だが更に上を行く方法で、魔物軍に出し抜かれてしまったことには変わりない。

 レニには計り知れない未知の力がある。ただ、兵法などとは全くの無縁であったし、ブリンクの指示がなければ、彼自身アーサーと同じくただただ戸惑うばかりであったに違いない。

 いまごろになって、レニの背筋を底なしの無力感が這い上がり、首筋に居座ってしまった。ベルゼブとの戦いに続き、スコーピオンとの戦。心優しく、正義感のあるレニにとってはいささか辛い現実が続いたことだろう。日頃溢れんばかりの生気に満ちた純粋な青年の顔には、暗い影が射していた。

 それは彼の相棒にも同じことが言える。


「………」


 ブリンクはレニの呟きに答えることができなかった。

 混沌とした最悪とも言える状況のなか、彼の作戦、指示はベストの限りを尽くしていた。他者も彼の存在に感謝したほどである。彼に損害に対する責任はありえようはずもない。それでも救えなかった命が多すぎたことは、一生彼の胸に刻み込まれることとなるだろう。彼の心の古傷にもうひとつの傷が重なり、戒めの十字架を立てた。

 妻と子を亡くしたあの日から、ブリンクは魔物達を虫けらのように排除してきた。生きるに値しない、ゴミ以下の害獣だと。そんな相手に完膚なきまでにやられてしまったのだから、にじみ出る惨めさを隠せずにはいられなかった。


「とにかくお前が無事で良かった。俺にはそれだけで十分だ。…悪いが、さすがに俺も疲れた。先に休ませてもらうぞ」


 感情のこもらぬ声で言うと、ブリンクは静かにその場を後にした。これ以上、無様な姿を息子に見てほしくはなかったのだろう。

 その背中がやけに寂しく、震えているようにも見えたから、レニはあえて彼の後を追おうとは思わなかった。

 ブラッドハーバーにいる者にとって、この日の夜は永遠とも思えるほど長く感じられた。停戦協定が結ばれて以来、帝国軍とリーグ・オブ・ハンターズ、両陣営が最大の屈辱を味わった日なのであった。



-Ⅲ-


「まったく、こんなガラクタを掴ませおって。帝都に戻ったら、だらけきった研究員達に焼きを入れてやらねばらんな! それに兵士達にも再教育が必要なようだ。ハンターの指示に従うなど、言語道断!」


 粛々とした葬儀が行われている裏側で、アーサーはやけ酒を呷っていた。

 周りの幕僚数人も彼の無神経な発言に反論するどころか、心にも無い相槌をうつか、愛想笑いを浮かべるだけである。


「まったくとんだ災難だったが、まぁ無事に済んで良かった、というところだな」


 アーサーは二杯目の酒を流し込み、グラスを地面にたたきつけると、薄汚い笑みを浮かべた。

 どこをどう見て無事に終わったと言えるのか、とは思っていても誰にも発言できない。

 結論として、アーサーは上層部への報告として銃の開発者を訴えるつもりでいた。結局のところ、アーサーとはそういう人間なのだ。自身の失敗は棚にあげ、何か別のもののせいにし、逃げる。いままでの人生の中、そうすることで自分を正当化してきたのだろう。

 それを良く知る人物こそ、過去の上官であったブリンクであった。


「こんな時に宴会か。さぞ楽しかろう」


 影から突如現れたブリンクは絶対零度の敵意を放つと、帝国兵達を凍りづけにした。唯一、ブリンクの活躍によって恥をかかされるはめとなったアーサーだけが、酒の力を借りて立ち上がった。


「き、貴様…! 何をのこのこと。ハンターの分際で、我が帝国軍を無断で動かしおって! これは軍法会議もの…」


 戦場に居たころとはうってかわって饒舌になった口を、夜空に響く銃声が遮った。


「あがっ…!」


 ブリンクの短銃ポルックスより放たれた銃弾は、凄まじい速度を保ってアーサーの右足を貫いた。

 遅れてきた燃えるような熱さを感じて、アーサーはがくりと地面にひざをつく。


「な…、いきなり何をする! くそ、くそ!」


 ぶざまな泣き顔を見せるアーサーは、流れ出る血を必死に抑えた。

 その様子を見てブリンクは無表情だったが、彼の中では長年積もっていた感情が爆発し、暴れまわっていた。


「今日という日を、俺がどれだけ待ち望んでいたことか。お前には到底理解できまい」

「何を言っている…! おい、誰かあいつを止めろ!」


 無限に湧き出る殺気を感じたアーサーは助けを乞うたが、周りにブリンクを止められるような猛者はいない。いま、アーサーとブリンクとの間に、壁はなかった。


「お前のわがままのせいで何人の命が犠牲になったと思っている」

「お、俺のせいではない!」

「この期に及んで、また責任逃れか?」

「きょ、今日の作戦は銃が…」

「今日だけの話ではない!」


 ブリンクの怒号と剣のように鋭い眼光に、アーサーは居すくんだ。


「あの日、帝都が魔物の襲撃を受けた日も、お前は同じことを言っていた」


 心あたりを探りながら、アーサーは目を左右に振った。


「て、帝都…? 悪魔の行進(デビルズ・マーチ)のことか? あれも俺は…」

「関係ない、そう言いたいんだろ」


 しどろもどろのアーサーを、ブリンクは冷気を帯びた言葉で遮った。


「だが、俺は全てを知っている。お前とハルベルトが犯した悪事をな」

「な、何のことだ…」

「とぼけるな!」


 ブリンクはアーサーの額に銃口を強く押し付けた。

 今にも暴発してしまいそうな銃と人間を前に、アーサーは目を見開いた。まるで蛇に睨まれた蛙のようである。命乞いが無駄であることも、ブリンクの憤怒のこもった瞳を見れば、一目瞭然であった。

 ただの脅しではない。ブリンクは本気で殺す気だ。


「あの時、お前が少しでもまともな人間だったら、少なくとも救えた命があったに違いない。それをお前は見捨ててしまった。見殺しにしたんだよ」

「待て、俺は何も…!」

「俺は見苦しい言い訳を聞きにきたわけではない。今日という今日は、いままでの報いを受けてもらおう。観念しろ」


 ブリンクは引き鉄に指を乗せた。


「お、おい! や、やめ…」


 今夜、街に二度目の銃声が響き渡ると、周りにいた帝国兵達は慄然とした。

 銃を撃ち放ったブリンクが不満げな顔で右に目を向けると、そこには見知った顔があった。


「ブリンクさん、銃を下してください」


 男はブリンクの気付かぬうちに近寄り、銃弾が撃たれる前に銃を掴んでいたのだ。結果、弾道はアーサーの右頬近くに逸れ、背中の壁に突き刺さるにとどまった。


「クラウン…。お前、後をつけてきたのか。趣味が悪いぞ」


 いまやブリンクの怒りの対象は、邪魔をしたクラウンへと変わりつつある。


「すみません。ただ、心配で。昨日もここに来ていたのでしょう?」


 昨夜ブリンクがキャンプを離れたのは、アーサーの行動を探るためであった。アーサーと再会したことで、ブリンクの過去の復讐心に火がついたことは言うまでもない。

 ブリンクの気持ちに気付いていたとしても、クラウンの表情が曇ることはなかった。無表情な顔は仮面をかぶったようで、一切の生気を感じさせない。


「お節介なやつだ。余計なことをするな。俺は俺の復讐を、ここでひとつ終わらせる」


 ブリンクはにべにもなく言った。


「気持ちは分かります。俺もこいつを切り刻んで、苦しむ姿が見たい。でも…」

「こいつのせいで、エミリアもカイも死んだんだぞ!」


 憤慨するブリンクは、銃を振り回しながら叫んだ。もはや理性を失いつつある。


「それなのにこいつはのうのうと生きていて、こんな世界が許されるものか!」


 過去の記憶がブリンクの全身に重たくのしかかった。体中のあらゆる神経に悲痛の種を埋め込み、ブリンクの体を毒そうとする。


「お前だって、こいつに人生をめちゃくちゃにされた一人だろう」


 ブリンクの気迫に押され、クラウンも黙った。彼にとってもまた、アーサーは魔物以上の標的である。ブリンクと同様、長いこと殺意の念を抑え込んできた。

 しかし、いまがその復讐の時ではないこともクラウンは頭で理解していた。周りを見れば帝国軍の兵士が数人、怯えた表情で事の成り行きを見つめている。

 ここでブリンクの復讐が達成されたとしても、彼を犯罪者にするわけにはいかない。


「ええ、確かにそうです。でも、いまのブリンクさんにはレニがいるじゃないですか。どん底に落ちてしまったあなたに、新たな人生が送られてきたんです。こんな奴のために無駄にする必要はないでしょう」


 クラウンにもできる限りの説得であった。あとは、ブリンクの決断次第である。


「頼みます。レニのためにも、銃を下してください」


 クラウンの瞳には、アーサーに対する憎しみの青い炎とブリンクに対する憐みが同居していた。銃を握るクラウンの手が小刻みに震えている。クラウンとて、自分の衝動を抑えるのに必死なのだ。

 ブリンクは顎が砕けそうなほど、歯をかみしめた。

 瞳を閉じると、深淵の闇の中で失った人生と、新たに得られた人生とが重なって映る。

 いま大事なことは、一体どっちだ?

 ブリンクは銃を強く握り直し、クラウンの手を振りほどくと、最大級の怒りに任せてアーサーの顔面を強打する。


「…このクソやろう!」


 女のようにすすり泣くアーサーの顔に、重たく冷たい金属が衝突すると、鼻の骨が砕け、血が噴出した。


「命拾いしたな、アーサー。もう二度と俺の前に現れるな。次に会った時は絶対に容赦しない」


 いまのブリンクにはレニがいて、彼を思ってくれる仲間もいた。彼らのことを決して忘れてはならない。

 ほっとしながらも複雑な思いでいるクラウンを横目に、ブリンクはその場を立ち去った。

 後を追うようにしてクラウンが闇に溶け込んでいった後、アーサーは痛む足をかかえながら、部下に向かって唾を飛ばした。


「おい、誰か救護班を呼んでこい!」


 曲がった鼻がアーサーの声を奇抜なものにし、兵士達を金縛りから解放すると、彼らは慌ててその場を飛び出した。


「さっさと行け! …まったく、どいつもこいつも! 使えないやつらばかりだ!」


 アーサーはあらゆることに腹がたった。だが、それがただの八つ当たりであることが彼には理解できない。


「ブリンクめ! 覚えていろ…。いつかお前を地獄に叩き落としてやるからな!」


 蛇のような目をぎらつかせると、アーサーの中で暗い何かが産まれた。


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