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ジオ戦記(旧)  作者: ルノア
第1章
12/52

12. 魔物軍猛進

-Ⅰ-


 砂埃舞い上がる地面の上で、レニは目を覚ました。依然として視界はぼやけているし、聴覚もまだうまく機能していない。それもそのはずで、レニが気を失っていたのはわずか十秒ほどの間であったからだ。

 眼前に魔物の大群が迫る中、それは不幸中の幸いとも言えた。

 敵は奇妙なほどに整然としていて、粛々とした行軍を続けている。まるで一国の軍隊のようだ。

 そしていまゴラドーン帝国軍は、凶暴な獅子に追い詰められる貧弱な小動物となりつつある。戦況は明らかに魔物側に利があった。

 元より軍は自らの不手際で劣勢に陥っていたものの、まさか魔物という下等であるべき存在が作戦とも呼べるようなものを実行してきたことには、さすがのハンター達にも青天の霹靂であった。

 その意外さによって多くの兵士が傷つき、倒れ、いまレニの視界を埋め尽くしている。

 そこへ誰かが走り込んでくると、滑るようにして膝をつき、レニに向かって必死に声をかけるが、彼の聴力はまだ本来の役割を取り戻していない。


「トバイアス…」


 なんとか喉から言葉を捻り出したレニは、差し出されたトバイアスの手を掴んだ。

 落下する魔物の爆音とともに、ようやくレニの耳が聞こえるようになる。


「レニ、しっかりしろ! 早く立て!」


 レニを立ち上がらせると、トバイアスの背後で一匹のサソリが尾を持ち上げた。

 尾針がトバイアスに突き立てられるであろうまさにその瞬間、間一髪で彼の命を救ったのは白く猛々しい虎だ。

 アイシャの鋭利な爪は、魔物の強固な甲殻をものともせずに引き裂く。ひっかけた爪で殻を引き剥がし、敵の急所を露わにさせると迷いなく噛み砕いた。


「行け、行け! そのまま走って谷を出ろ!」


 自身は弓を引き絞りながらも、トバイアスは声をはりあげてレニの背中を押した。

 いまだ本調子ではないレニは、言われるままに谷の入り口を目指して走り出す。

 振り返ってはならない。跳ねあがるような心臓の音がそう言っていた。

 道中にあるのは大量の死骸だ。そこには馬も人間も魔物もない。全部が折り重なってひとつの塊となり、吐き気のするような血なまぐささを漂わせている。

 立ち止まって振り返ってしまえば、自らも死体の山に仲間入りしてしまうに違いない。

 まるで生と死の間を当てもなく彷徨っているかのようだった。

 それでも、レニが生きているのだと実感できたのはブリンクの存在が見えたからだ。


「レニ、無事か!」


 よろよろと走るレニを見つけたブリンクが、馬を寄せてくる。


「なんとか…。トバイアスが助けてくれて…」


 痛む頭を押さえながら、レニはそこまで言うのが精一杯であった。


「とにかく乗れ。行くぞ」


 再会を喜ぶ余裕などはなく、ブリンクはレニを自身の馬に乗せた。

 黒い津波のような敵軍はすぐそこまで来ている。彼らを阻む壁はもう何もない。

 出口はもうすぐだ。この忌々しい谷さえ脱することができれば、地理的な優位性を得られる。そうなれば、戦場は帝国側に大きく傾くだろう。

 背後から仲間の悲鳴や砲弾の爆音が聞こえようとも、見捨てるほかはない。軍もハンターも反撃することなどは忘れ、ただひたすら我が身を守るために走り続けた。



-Ⅱ-


 谷底を抜けきると、本来陣を貼るはずであった広大な茶色の荒野が広がる。その広さは視界にも収まりきらないほどだ。ここで戦っていれば、どれだけの被害を抑えられただろうか。兵士達に後悔の波が押し寄せる。

 奥にブラッドハーバーの港があり、その壁は無惨な姿で戦場を脱出した兵士達の心を少し楽にした。

 勝てる。これで形勢を逆転させることさえできれば、勝てるのだ。それでこの戦いも終わる。誰もがそう信じてやまなかった。

 だが、軍の兵士達は改めて気付かされてしまったのだ。彼らがいかに自惚れていて、そして敵を過小評価してしまっていたかという事実を。

 それはハンター達も例外ではなかった。


「う、ウソだろう…」


 魂が抜けたかのように呟いたのは、バッシュだ。

 自らの危険な立場も忘れ、守るべき街を見て唖然とした。

 夕日に照らされれば秋の紅葉のように美しく輝く鋼の壁が、陽もまだ落ちていないというのに黒一色に塗りつぶされていたのだ。

 壁が黒いのは影や太陽の影響ではない。

 遠目に見ても分かる、それは壁にかけられたスコーピオンのはしごであった。

 壁にはスコーピオンの群れがびっしりと折り重なり、上へ上へと高く積み上げられていたのだ。その上を別のスコーピオンが器用によじ登り、壁の向こう側へと消えていく。

 戦場で魔物の数が少なかったのは、トバイアスが見間違えたわけでも、共食いをしたからでもない。谷の上の特攻隊とはまた別に、魔物達には街へと侵攻する別働隊がいたのだ。

 こんな状況、誰が想像できようか。

 街からは煙が上がっていた。警鐘も激しく打ち鳴らされている。谷にいた時には崖に阻まれて見えなかったし、聞こえなかったのだろう。谷底で敵を待ち構えたことで、何もかもが裏目に出てしまっていた。

 ゴラドーンの守護者たちの間に、敗戦ムードが漂った。

 相手が人間ならば膝を折って降伏することもできただろう。しかし、無慈悲な魔物達にそんなことが通用するはずもない。

 意気消沈する戦場で聞こえたのは、ブリンクの大きな舌打ちだった。


「してやられた…!」

「一体何が起きているんだ。わけがわからん」


 後退した部隊に追いついたトバイアスは、呼吸を荒くして問うた。

 このスコーピオン達は、いままでの魔物とは明らかに何かが違う。敵の恐怖を煽るような心理戦。谷を利用した捨て身の攻撃。そして、街を襲撃するための別部隊。

 何故魔物に作戦を考える知恵と、軍隊のような統率力があるのか。それがどういった意味を持つのか…。各人の中で疑問は絶えず湧き出てくるが、対する答えなど出てくるわけがなかった。


「トバイアス、ここは任せていいか」


 無論のこと、ブリンクに諦める様子などない。彼にしてみれば、例えどんな状況にあろうとも、魔物という悪に屈することは許されなかった。とにかくいまは街を救わなければ。これ以上被害者を増やすわけにはいかない。

 いま戦場に必要なのは、彼のように不屈の精神を持つ指導者であった。

 力強い信念を感じて、トバイアスも頷く。


「よし、分かった。街を頼むぞ」


 ブリンクはまず自分のチームのうち二十人を招集し、それに二十人ほどの帝国兵を同行させた。ざっと見ても街を襲撃している魔物の数より、後方に迫る群れのほうが断然多い。多くの人員を街の救出に割くわけにはいかなかった。少数精鋭で切り込むしかない。


「アーサー。お前のところの技術チームを借りるぞ」


 悪運強く、潰されずに逃げ延びたアーサーに言葉を投げかけるも、恐怖におびえて腰を抜かしてしまっていた。もはや話の相手にもならない。


「…威勢だけは良かったが、結局これか。情けないやつめ」


 ブリンクは冷たく言い放った。

 ブラッドハーバー内の鎮静化に選ばれたチームの四十人の中には、レニとクラウンも含まれている。彼らは可能な限りで馬を疾駆させた。


「ブリンク! あれ!」


 荒野を走っていると、魔物に囲まれ苦戦している帝国兵がひとりいた。周りには既に息絶えた様子の兵士が五人倒れている。


「先に送っておいた伝令のやつか。どうりで帰りが遅いと思った。クラウン、助けるぞ」

「了解」


 ブリンクは馬上から。クラウンは馬を飛び降りて、閃光のごとき速さで魔物を蹴散らした。三匹のサソリ達はさまざまな形の死骸となって、地に転がる。


「おい、大丈夫か」


 ブリンクが声をかけると、帝国兵は申し訳なさそうに立ち上がって頭を垂れた。


「あ、ありがとうございました。すみません、重要な役目をいただいたというのに…」


 この時助けられた帝国兵こそ、ジャックである。彼はひとりの軍人として、そして職人として、偉人とも言えるブリンクを尊敬していた。だからこそ、伝令の役目を進んで受けたわけだが、もちろんそれは彼なりに帝国軍への反骨精神を表現したものでもある。

 しかしながら、ブリンクの作戦ですら裏をかいた魔物の行動に、ジャック達は足止めを食らい、任務を遂行できていなかった。

「構わんさ。まだ作戦は実行できる。とにかく、お前も来い」

 時間は限られている。一秒たりとも無駄にせぬよう、ブリンクは最低限の会話だけを残して街へと馬首をめぐらせた。

 こうしてブリンクを先頭に、レニ、クラウン、ジャック、数十名の帝国兵とハンター達は、黒煙のあがる港町へ向かうこととなった。



-Ⅲ-


 ブラッドハーバーからは、遠くでは聞こえなかった男女の悲鳴や絶叫が響き渡り、阿鼻叫喚をきわめた様子が背筋を這うように伝わってくる。その中には小さな子供の声も入り混じっていた。いくつもの死体が乱雑に転がっていて、そこには男も女も、大人も子供も、関係ない。暴れ狂うサソリの群れは、人間を食べようとはせず、手当たり次第に殺戮を繰り広げるだけであった。それまで常識であった魔物の生態が、ここで完全否定されることとなる。

 ブリンク達が到着すると、両開きの門は固く閉じられていた。万が一のための対策が仇となった。中にいる者は袋のねずみとなり、逃げることも叶わない。また、外から味方が入ることも容易ではなかった。

 壁上にはいまだ死闘を繰り広げている数人の兵士がいて、助けに気づいたひとりが門を開けようと開閉器に手を伸ばしたが、わずかに開けたところで胸を串刺しにされ力なく落下した。


「門を開けろ!」


 ブリンクが声を上げると、少しずつ鋼の門が開き始めた。ブリンクを含めた銃や弓矢に精通したハンター達は開閉器付近の帝国兵を援護し、それ以外の者は散開して敵のはしごを駆逐しはじめる。残りの帝国兵には門を素手で押し開けるよう指示が下された。

 人間達の動きに気付いた魔物は、それを阻止するべく門に攻撃を集中しはじめる。

 いまのところブラッドハーバーに群がる魔物の数は人間の倍はいるが、人間側の攻撃と魔物側の攻撃と、ハンターの存在もあってかその差は五分と五分であった。

 人が通れるほどになんとか門をこじ開けたところで、全員がすべりこむようにして門をくぐると、そこには外よりも壮絶な地獄絵図が広がっていた。

 サソリ達は逃げ惑う一般民を追い回し、襲い、殺す。数分前までは人間の一部であった肉片があたり一面に飛散していた。必死の抵抗も空しく、悲惨な状況を目の当たりにした住人達は恐怖に顔をひきつらせたまま、いまかいまかと救助をまちわびている様子である。


「ハンターは散開して、魔物を撃退しつつ住民を救助しろ!」


 ブリンクの指示に従い、ハンター達は速やかに行動を開始する。魔物を駆逐しつつ、各自が建物の角を曲がり消えていった。

 その中でもクラウンの猛攻はとくに目覚ましく、目に見える敵のほとんどは、彼の斬撃によって容赦なく切り刻まれていった。その動きがまことに滑らかで、的確なうえ、一切の隙もない。見る者全てを魅了するアクロバティックな動きは、まさにクラウン(大道芸人)という仮名に相応しい。


「帝国兵は兵器庫へいそげ! 俺達が援護する」


 ブリンクの号令にまっさきに動いたのはジャックであった。

 この作戦での要は、実は彼なのである。その事実を知るものはこの場にほとんどいなかったし、本人自身も気づいてはいなかったが、彼が兵器や機械に精通しているからこそ、彼の行動に迷いはほとんどなかった。いくつかの近道も使い、兵器庫を目指して突っ走っていく。

 そんなジャックを始めとした兵士達を、レニもブリンクも全力を尽くして援護することとなる。街に侵入してきた魔物の数は少ないが、市街戦ともなると、いかんせん狭くて戦いづらい。小さな曲がり角から急に敵が飛び出してくると、どうしても反応が遅くなってしまうのだ。

 それでも兵士達が無傷で済んだのは、ふたりの活躍によるところが大きかった。

 襲いくる敵を振り払いつつ、なんとか軍港に辿り着くと、帝国兵達はまっさきに兵器格納庫に駆け込んだ。

 彼らが兵器庫へ消えていったのを見て、ブリンクは戦の勝利を確信した。あと残っている問題は、いかにして自分とレニがこの状況を生き残るかである。


「よくついて来れたな。たいしたもんだ」


 無骨なつくりの倉庫を背にすると、ブリンクは無理に笑ってみせた。

 谷でレニと分断された時は、さすがに最悪の場面も考えていた。ブリンクは軍隊を選ぶか、レニを選ぶか、究極の選択を迫られていたのだ。一瞬の迷いの後に、レニを探すこととなったが、無事な姿を見た時には感極まったものだった。


「当たり前だよ」


 レニもブリンクも、目まぐるしく変化する戦場に息も絶え絶えであった。

 敵の数は確実に減らしているつもりなのだが、ふたりの前に蠢く黒の山はそれを一切感じさせない。どれだけ斬り伏せても、どれだけ撃ち貫いても、その数は減るどころか異常なまでに増え続ける。

 一匹倒せば二匹出てきて、二匹倒せば四匹出てくる…。

 まさかブリンクの作戦を理解し、攻撃を集中させているのではなかろうか。

 息つく暇すら与えぬ容赦ない猛攻に、ふたりの瞳からは希望の光がいつのまにか消えかかっていた。谷での乱戦から、ブラッドハーバーでの攻防戦まで、ふたりの体力は衰える一方である。いかに屈強な戦士であろうと、数という力にはやはりあらがえない。


「けどさ…。頑張ってきたけど、もう限界だ、ブリンク…」


 憔悴しきった体を必死にささえ、レニが諦念を漏らした。


「もう少し踏ん張れ、レニ! もうすぐだ」


 言いながら、自身も残りの弾数を数えたが、ブリンクの弾も残りわずかである。

 絶体絶命の窮地から間もなくして、あたりの空気が瞬時に変わった。

 いち早く異常を察知した魔物達が、凍りついたかのように動きを止めると、あたりがしんと静まり返った。

 静寂の中で響くのは大地を揺るがす足音。ゆっくりとだが次第に近づいてくる。

 本能的に危険を感じると、魔物はじりじりと後ずさりし始めた。

 次の瞬間。

 兵器庫の扉が爆音をたてて吹き飛び、中から現れた巨人が凄まじい勢いで魔物の群れに突進した。

 タイタンだ。

 その鋼の体は黄昏を映して紅に輝いていた。荒々しく猛進して二匹を踏み潰すと、指の無い両手でもう二匹を押し潰した。タイタンの腕先に付いた金剛の鉄槌が、想像を超える破壊力で、触れた魔物すべてを四散させる。

 腕を薙ぎ払うだけで面白いように敵が弾け飛び、歩くだけで木端微塵に爆散する。

 ものの数十秒で、兵器庫に集まっていた魔物達は一掃されてしまった。


「ブリンクさん、あとは任せてください」


 タイタンから顔を覗かせたジャックが自信満々な笑みを浮かべる。機械好きなジャックはタイタンを熟知していて、彼の本来持つ力はタイタンに乗り込むことで遺憾なく発揮される。

 ジャックが先陣をきると、ニ十体のタイタンは悠然とした歩調で街を後にした。


「すごいな…。あれがタイタンの実力なのか…」


 レニは敵の包囲網から解放された安堵感と、はじめてタイタンの力を目にした驚きから、その場にへたりこんでしまった。


「ああ。敵にはしたくないだろ?」


 兵器庫から飛び出した弾丸を拾い集めると、ブリンクは深いため息をついた。

 ゆっくりとだが、戦場を目指すタイタン達の後ろ姿は、禍々しい破壊神に見えなくもない。助けられたとはいえ、あれが何千、何万人もの命を奪った非道な兵器であることを知るブリンクは、複雑な思いであった。

 なんと恐ろしいものを、ゴラドーン人は造ってしまったのか…。

 脳裏に焼き付いていた過去の戦場の風景をブリンクは必死に振り払うと、レニの手をひいて再び街の救助活動に向かった。


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