11. 一万対一万百
-Ⅰ-
昨夜はいつの間にか眠りに落ちてしまっていたレニだったが、実際にその日を迎えるとなると、急に頭の中が真っ白になった。ついに魔物の大群との戦いが現実となる日がやってきたのである。
隣のベッドには、皆が寝ている間に戻ってきたと思われるブリンクが、何食わぬ顔で掃討戦の前準備をしている。偵察隊の報告によると、スコーピオンの群れはあと数時間内に姿を見せるだろうとのことであった。
外へ出ると一瞬だけ太陽が顔を出したが、瞬く間に雲に覆われ、代わりにじっとりとした蒸し暑さを残していった。夏もいよいよ梅雨の時期に入る。一旦雨が降れば、しばらくは降りやまぬ日々が続くだろう。
それにしても、魔物に知恵がなくて良かったとレニはつくづく思う。彼らに人間のような知能があれば、それこそ得意な夜襲を企てていたであろう。
いや、それ以前に知恵のついた魔物はそれだけで恐ろしい存在なのかもしれない。何も考えずに本能の赴くまま、ただひたすらに突き進むだけの単純な生物だったからこそ、人間もどうにか対抗できているほどなのだから。
魔物が現れるであろう、その一時間ほど前に、一万の帝国兵がブラッドハーバーを出た。十分ほど遅れてハンター達も後を追うこととなる。
ブラッドハーバーでの防衛戦は、街から五キロほどのところに陣を張って敵を待ち構えるのが定石だった。
外からブラッドハーバーへ向かうには二本の道がある。ひとつはハンターが通ってきたクロスロードからの一本道。もうひとつは両側に大きく切り立った崖を有する、言わば谷底のようなところを通る道で、その道は軍隊が通るには少し狭い。
戦時中にはこの狭さを利用した戦術があった。大部隊がこの谷を通ると、蛇のような長い列ができる。こうなると最前列の人数が減って守りも薄くなるし、後ろに下がることも容易ではなく、とにかく動きづらい。そんな状態で谷から出てきたところを軍が包囲すると、敵は瞬く間に一網打尽にされてしまうのだった。他にも谷の出口と入口に別々の部隊を展開し、挟み撃ちにするという戦法もある。
もちろんこれは魔物にも効果的な戦術だ。一度に一万もの危険な群れを相手にする必要はない。谷から漏れ出てくる魔物達を少しずつ片づけていけば被害も少なくなるであろう。魔物がこの道を通ると分かった時、ハンター達は軍がこの無難な戦術を選ぶはずだと思っていた。
しかし、ハンター達の予想は大きく外れることとなる。
「アーサーめ、なぜ谷の中で陣を張った?」
だらだらと時間をかけ、陣形を整える帝国軍を見てトバイアスは唸った。
谷の出口で待ち構えるはずが、なんとアーサーの指示により急きょ谷の中で敵を待ち構えることになったらしい。これでは自らの行動を制限するようなものだ。現に一万もの兵士が長蛇の列をつくり、慌ただしい最前列とは裏腹に、最後尾にはやるべき仕事がひとつもない。ただただ順番を待つだけのようである。
「帝国兵が邪魔で、前に出れないな」
クラウンが無表情で口を動かした。
相槌をうったブリンクも、落胆の色を隠せないでいる。
「呆れた奴だ。俺達を戦場に出さないつもりか」
ブリンクがそう言うと、ハンター達の間でどよめきが起こった。
百人のハンター達にとって、たちはだかる帝国軍は障害以外のなにものでもない。アーサーに一言物申そうにも、これまたアーサー自身が隊列の中央にいるため、話すらできない状況なのだ。これではハンター達が仕事をこなすことは極めて難しい。そうなれば若者達の成長にもつながらないだろう。ましてこのように狭い場所で魔物と混戦になることだけは、できる限り避けたいものであった。
「昨夜の仕返しということか」
そう答えたブリンクに一瞬苦い表情を見せたクラウンだったが、すぐに口を固く閉じてしまった。それを見て相方のバッシュが気持ちを代弁する。
「敵は俺達じゃないって言うのにな…ちくしょう」
「まあそうカッカするな、バッシュ。昨日の話を忘れたのか? あの軍隊だけで魔物を掃除することはできないと俺は思うぞ。名工ブリンクの銃ですら敵の殻を破れないってのに、帝国軍にそれができるか?」
トバイアスがバッシュをなだめた。
言われてみれば、タイタンのない帝国軍が銃のみで魔物達に立ち向かえるとは到底思えない。バッシュもしぶしぶ納得したのであった。
「必ず俺達が必要になるさ。今は待つことしかできないが、ふたりは先に数人を集めておいてくれ。いざという時には、この壁を無理矢理にでも突破せねばならん」
ブリンクが指示を出すと、バッシュもクラウンも素直に従い、各々の準備を進める。
「それとトバイアス、念のためハンターは五十人ずつのチームに分けておきたい。片方はお前に任せるが、いいか」
「ああ、構わない。任せてくれ」
熟練ハンター達の仕事を見やりながら、レニはただただ羨望の眼差しを向けることしかできなかった。いつか彼らと肩を並べて敵に立ち向かえる日がくる。それが待ち遠しくてたまらない。
「いいか、レニ。とにかく俺のそばを離れるなよ。今回は特に軍の動きが悪い。最悪の事態も想定して立ち回らなきゃいかんはずだ」
ブリンクに言われ、レニはぎこちなく頷いた。状況が悪いことは十分理解していたが、それ以上に彼の心の中にあったのは、前回のベルゼブ戦での失態である。こんな時にもあの日の映像は、レニの頭の中で繰り返し流れていた。それはレニにとっての教訓でもある。
次こそは負けられない。
「分かった。俺も二度と同じ間違いは繰り返さない」
決意を込めたレニの顔を見て、ブリンクはできるだけ暖かく微笑んでみせた。
-Ⅱ-
「ハンターどもを前に出すな! 通路をふさげ!」
アーサーの指示によって、帝国兵達が谷の狭い通路にすし詰めになっていく。こんな状況の中で、兵士達の不満がより大きくなっていくのも無理はない。
帝国兵のひとりであるジャックはこの時、特に不機嫌極まりなかった。普段、何もないときでも機嫌が悪そうに見えるので、この日は特にいかつく見えていたかもしれない。
「曹長、よろしいでしょうか」
不満がにじみ出る顔で、ジャックは問うた。
「なんだ」
そんなジャックの顔を見て、曹長はうんざりとしたため息を吐く。
ジャックは帝国軍の中でも一番と言っていいほどに真面目な男である。だから、そうでない者からは、当然ながら煙たがられていた。
「この作戦、本当に大丈夫なのでしょうか」
「何が言いたい」
曹長は目を細める。
「我々帝国軍は、魔物の駆除ともなれば主にタイタンと爆薬を用います。しかし、今回はそのどちらもありません」
「新開発された銃があるではないか」
「改良されたとはいえ、あんなもの役に立ちませんよ」
ジャックは歯に衣着せぬ物言いで言い放った。
彼がこうして上官に刃向うのにも理由がある。この作戦を聞いたとき、彼は声を大にして抗議した。これほど危険で、馬鹿らしい作戦などない。
彼は普段、魔物駆除の任務に携わっているが、元々は研究熱心な技術職人である。タイタンのことも、爆薬のことも、そして銃のこともある程度は理解していた。
「確かに弾も貫通性の良く、重いものになりましたし、弾丸の速度も速くなりました。だけど、それでもまだダメなんです」
「実験は何度も繰り返して、成功しただろう」
「でも、死んだ魔物の殻でしょう。生きた魔物の甲殻のそれとは違うと聞きましたが」
ジャックは自分の立場も顧みず、唾を飛ばしながら抗議した。
「ハンターのブリンクは、銃で魔物に対抗しているだろ。それが俺達にはできないと?」
「彼はおそらく世界で一番の職人ですよ。彼の銃には我々の知らない未知の技術が詰め込まれています。我々がそこに辿りつくまでに、あと何十年かかるかわかりません。それに、彼は魔物駆除専門で、ゴラドーン随一のガンマンです。敵の殻を破るのではなく、極めて小さい隙間を狙うと言われている。我々には到底真似できない技だ」
事実を突きつけられ、ジャックの上官は押し黙ってしまう。
上官は、前日にアーサーとハンターのテントに挨拶に来たひとりであった。そしてテントの外で待機し、聞き耳を立てていたのはジャックである。昨夜のやり取りを聞いていたジャックは、いかに自分達が魔物という存在に疎いのかを思い知らされた。
いつもはタイタンで制圧し、爆薬で巣ごと排除するというのが基本であったため、生身でどう対抗していいものなのか、まったく分からない。それがジャックには不安でたまらなかった。周りの新兵達も、全く同じ気持ちである。
「指揮官も昨夜聞かれていたのでしょう? それでも銃だけでやるつもりだとは、正気の沙汰じゃない」
「一等兵の分際で、言葉がすぎるぞ、ジャック」
「言わせてください! 俺達の命がかかってるんですよ。あんな試作品のような銃で、太刀打ちできるとは思えません」
なかば睨みつけるようにして、ジャックは言った。
「いいから、黙って仕事をしろ」
「では、せめてハンターだけでも、陣中に配置してください。兵士達は初めてのことに皆動揺しています。少しでも落ち着く材料が欲しい」
ジャックの意見は彼個人の思いではなく、彼の同僚達の言葉でもあった。無駄なけが人や死者を出してしまっては後味が悪い。
「アーサー指揮官が考えられたことだ。お前たちはただ指示に従うだけでいい。それにこういう時のために、お前たちは特訓を重ねてきたのだろう。しかと成果を発揮してみせろ」
あいまいな返事を返した上官は、迷惑そうに手をひらつかせると、ジャックの返事を待つことなく兵士達の中へと消えて行った。
「お前達の都合に、俺達を巻き込むんじゃない…。くそ!」
ジャックは仏頂面のまま地面を蹴り上げた。結局、アーサーがハンターを前に出さぬのも、昨夜の屈辱に対するただの腹いせである。銃のことも、魔物のこともまるで分かっちゃいない。
直前になって銃が有効でないとの結論が出ても、アーサーが作戦を決行したのはある種の意地でしかなかった。今更撤回して、ハンターの言いなりになるのが嫌なだけなのだろう。
どうにかならぬものかと頭を抱えたが、所詮一等兵の影響力など、この程度のものである。
彼の交渉が失敗に終わったことで、周りの仲間は肩を落とすしかなかった。
-Ⅲ-
準備を進めながら、ブリンクはあたりがうす暗くなったのを感じて空を見上げてみる。一面に竜の鱗のような断続的な雲が広がり、見たこともない異様な怪物を作りあげていた。今見ている空はその体の一部に過ぎないのだろうか。
悪い前兆のような気がして、さすがのブリンクも嘆息をもらしたのであった。
「嫌な予感しかしないな…」
谷の間を、まさに竜の息吹のような猛烈な風が吹き抜けていく。目をつぶってしまうほどの突風だ。
「向かい風か。これはますますよろしくない」
これから起こりうるであろう障害に、ブリンクはただただ辟易するのであった。
そうこうしているうちに、ついにその時が間近に迫る。
帝国軍の陣形も整い、その分厚い壁に隔たれたところにハンター達が控えている。いつもとは違う特殊な状況が不安を増殖させ、この場にいる全員が来るべき戦いを前にして固唾を飲んだ。
皆が無傷で終わる可能性はゼロに近い。今日は誰が犠牲になるのか。友か、それとも自分自身か。皆がそれぞれの想いを胸に戦いに挑むのであるが、この地で魔物に敗れ、想いも夢も半ばに消えゆく命があるのだと思うと、震えが止まらなくなる者もいた。せめてそれが自分でないことを願うばかりである。
その点、ハンターの存在は帝国軍への励ましになるはずだった。シルヴェントもそれを望んでの依頼であったのだ。しかしアーサーという利己的な人間のせいで、それも効果をなしそうにない。
実際この作戦について、帝国軍のなかでも不満の声はあがっていた。
というのも今回編成された兵士の約半数は戦後に入隊したので、戦闘経験の無い者が多い。年もまだ若く、志ややる気だけは立派だが、戦となると未知の領域である。
だからこそ、ハンターの参加を聞いたときは誰もが心強く思った。その中に伝説の英雄が含まれていることを知った時、夢物語が好きな彼らは更に胸躍ったものである。しかし現実に戻るとやはり軍とハンターは当たり前のように決裂していて、結局はハンターの助力も得られないまま自分達だけでこの場を乗り切るしかなさそうだった。何人もの兵士達が肩を落とし、その表情は死地へ向かうかのように暗い。
そして生か死かが決まる、運命とも言える時間が来た時、戦場は拍子抜けしたように静かなものだった。生ぬるい風が首筋を撫でてまわると、人間達は互いに顔を見合わせる。
約束の時刻に、戦いの相手が来ないのだ。
「はて、おかしいな」
トバイアスは怪訝そうに首をかしげる。彼が見てきた様子では、もう敵とぶつかっていてもおかしくないはずであった。
「途中で進路を変えた、とか」
クラウンがぼそりと不吉なことを言うが、魔物に限ってそんなことはない、と皆信じていたかった。
そんな中、物事に人一倍敏感なトバイアスは、自身を貫くような鋭い視線にすぐに気付いた。視線が放たれている方角、右前方の崖を見上げる。
切り立った崖の天辺に、男がひとり立っていた。
雲の隙間から漏れる光がトバイアスの目をくらますと、その人間の体は逆光で黒一色に染めあげられる。唯一、伸び放題になった髪やひげが、ライオンのたてがみのように見えるだけだ。
「誰だ…?」
そう呟いた瞬間、男の目が怪しく光った。
眼差しを全身で受け止めたトバイアスに、真冬のようなひどい悪寒が走る。男の目の煌めきには例えようのない純粋な悪意があって、脳が異様なまでの危険信号を発した。気付いた時には、馬上で無意識に弓を引き絞っていたほどである。
「どうしたの、トバイアス」
レニの問いに答える暇もなく、トバイアスは矢を解き放った。矢は緩慢な速度で緩やかな曲線を描いて男のもとへと飛んでいく。
この時三秒ほどの猶予があった。その間に影はいずこかへと消えてしまい、矢は空しく無人の崖上に落下した。
「いったい、いまのは何だ…?」
一瞬のことに総毛立ったトバイアスだったが、その疑問は帝国兵達の取り乱したような叫びにかきけされてしまう。
「来た! やつらが来たぞ!」
謎の男が立ち去ったのを合図としたかのように、地平線に砂塵が舞い上がり、大地を揺るがす無数の足音が聞こえはじめる。
「待ち人来たる、か…」
落ち着かない様子でブリンクが呟いた。
ついに干戈を交えるときである。
悪魔達が姿を現すと、それはまるで地平線から黒い山々が突き出てくるかのようであった。魔物特有の黒い甲殻に、大きなハサミ、高く持ち上げられた尾節には鋭くとがった針がある。一体が尾を合わせて人間と同じほどの大きさだ。人は小さなサソリを見ただけでも絶叫してしまうのだから、これほど巨大なものを目の当たりにしてしまえば絶句するより他になかった。
なんともおびただしい数である。帝国軍側と同じ数だとは思えないほどの威圧感が、兵士達の恐怖心を煽った。いままさに洪水のように戦地に流れ込み、ひ弱な人間達を飲み込もうとしている。圧倒された帝国兵達のほとんどが後ずさりした。
「バッシュ、すまんが肩を借りるぞ」
トバイアスはそういうと、器用にバッシュの肩に乗り上げた。強靭な肉体のバッシュは良い土台となって、トバイアスを支える。
帝国兵の壁は、当然ながらハンター達の視界をも遮ってしまっていた。戦の状況を確認できるのはいまやトバイアスだけで、見えるもの全てを逐一報告する。
「ブリンク、これはおかしいぞ」
バッシュの肩の上から、トバイアスが言った。
「どうした」
「俺が見たときはもう少し多かった」
トバイアスの目はサソリの群れにくぎ付けになっていた。自分の間違いを正すかのように何度も何度もおおまかな数を数えなおす。
「なに? 残りはどこへ行った」
「わからん。途中で共食いでもしたか…」
食糧難のなか、遠路はるばるやってきたわけだから、共食いをしてその場をしのいだ、というのも考えられなくはなかった。
しかしここでまたひとつ、おかしな出来事が起こった。黒い甲冑を着た魔物の軍団が眼前に迫り、ようやく戦闘が開始されるかと思われたが、あろうことか敵は獲物を前にして歩を止めたのである。そのまま帝国軍とのにらみ合いに発展させる、といういままでに見たことのない行動が五分ほど続いた。
単純だが、これは帝国軍にとって絶大な効果を発揮した。スコーピオンの群れはそれぞれに奇声を発し、帝国兵を威嚇する。殺してやる、食ってやるぞ、と鬨の声をあげているかのようだ。そのたびに帝国兵達は気をのまれ、怖気を震ってしまう。この時点で場を支配したのは間違いなく魔物の群れであった。
「なんで、襲ってこない」
ひとりの兵士が漏らすと、その疑問と恐怖はまるで病のように、瞬く間に他の者に伝染していく。
「皆の者、銃を構えよ!」
兵士達の心情などお構いなく、アーサーは声を張り上げた。自身は兵士達の壁に囲まれており、身の危険など一切感じていない。その声には自信が満ち溢れていた。彼のなかでこの作戦は完璧なはずなのだ。
しかしながら、このような状況でアーサーの言葉に統制力など皆無であった。半数ほどの兵士はやっとの思いで銃を構えたが、残りは魔物の恐ろしい姿に唖然としているばかりだ。
「銃を構えろと言っている! 早くせぬか!」
なんとか二度目の指示で、ほとんどの銃が魔物達に向けられた。しかしながらその銃口は狙いがあいまいで、頼りなく宙をふらついている。
ここでようやく、敵に動きがあった。群れの中から三匹の魔物が四対の歩脚をざわめかせながら突進してきたのだ。帝国兵の間に大きなどよめきが起こった。
「こ、こっちに来るぞ!」
魔物が眼前に迫ると、先頭の兵士達は女のような悲鳴をあげてしまった。
「撃て! 撃つのだ!」
アーサーの命令が先頭に届くまでには時間がかかったが、必死な兵士達は言われるまでもなく銃の引き鉄をひいた。前衛の数十名が、たった三匹のスコーピオンに集中砲火を浴びせる。弾は十分すぎるほどの数であった。
しかしブリンクの指摘どおり、銃弾は一匹の魔物をも殺すことができなかった。
まず撃ちだされたほとんどの弾がスコーピオンには命中していない。敵も遠かったが、銃の精度も極端に悪かった。命中したとして強固な殻を打ち破ること叶わず、よくて小さなヒビを入れる程度の威力でしかない。強風が弾の勢いを削いだことも要因のひとつである。
過去の戦争において活躍してきた銃も、こと魔物戦においては無価値な鉄くずでしかないのであった。
弾丸の衝撃で態勢を若干崩したものの、スコーピオンは勢いを維持したまま帝国の陣に衝突してみせた。男達の悲鳴が谷底に響き渡る。
最初の突進でひとりが全身の骨を粉砕されながら後方へと吹き飛ばされた。その隣の兵士は強靭なハサミで上半身と下半身とを切り離されてしまう。次に対峙した兵士は太い針で鎧ごと胴体を貫かれると、凄まじい勢いで魔物の群れへと投げ飛ばされた。短い絶叫の後、この兵士は魔物達の第一の食糧となったのだ。
この間、帝国兵達は対応もできず、ただ地獄のような惨状を目の前に立ち尽くしているばかりだった。というよりも手の施しようがなかったのである。魔物に疎い彼らは対処法がまったく分からない。これは銃に頼り切っていた帝国側の過信であった。それに加えて、アーサーという傲慢で無知な指揮官を持った帝国兵達はまさに悲運でしかない。
「何をしてる! さっさと応戦しろ!」
アーサーは声を裏返しながらも命令を飛ばした。すべては彼らが魔物という驚異に真面目に向き合ってこなかったせいでもある。
無抵抗のまま、既に十数人もの死者が出た。ほとんどの者がおぞましい死に方をしたので、帝国軍の士気は急激に低下してしまう。なかには逃げ出そうとした者もいたが、後ろが詰まっている状態ではそれすらも許されない。
魔物にとって彼らはいまや道端に生える雑草と変わりなかった。鎌を振りまわすだけで面白いように命を刈れる。
そのような状況にハンターが助太刀しようにも、肉の壁が邪魔でそれも叶わなかった。
「ブリンク、このままじゃ全滅しちまうぞ」
トバイアスの言葉には少々焦りがにじみ出ていた。
「分かってる」
ブリンクは言われるまでもなく、既に長銃アルタイルを手にしていた。このまま彼らの悲劇を楽しんでいても良いことなどひとつもない。ここで重要なのはやはり数であり、帝国軍なのである。いくらハンターが魔物に精通しているからと言って、たかだか百人程度で一万を相手にすることなど不可能に近い。つまり帝国兵の数が減れば減るほど、こちらは不利になるのである。
なにより、シルヴェント卿からの依頼だ。ここで帝国に甚大な被害を出してしまっては、リーグ・オブ・ハンターズの名も失墜してしまうし、シルヴェントやホワイトの顔にも泥を塗ってしまうだろう。
「バッシュ、頼む」
「了解しました。皆、行くぞ!」
バッシュは周囲に集めたハンター達を連れ、帝国兵の壁に向かって馬首をめぐらせた。バッシュを含めたそれぞれの者が、武器や甲冑を打ち鳴らしながら壁に近づくと、それに気付いた兵士達はなにごとかと道を開いていくのである。
ブリンクも後に続き、総勢百名のハンター達は帝国軍の壁を無理矢理にでも切り裂いた。
「貴様ら、何を勝手なことをしている!」
途中、すれ違ったアーサーがハンター達の行動に激怒したが、誰ひとりとして気にも留めなかった。
「お前が勝手にしろと言ったんだろう。そんなことより、自分の部下が危険な目にあっているのに、お前はそこで一体何をしている。指示はどうした」
歩を進めながらも、ブリンクはアーサーを叱咤した。並々ならぬ怒りのこもったブリンクの声は、アーサーの肝を潰すには十分すぎるほどであった。
万全だと思っていた作戦が崩されると、アーサーは腰を抜かしてしまっていたのだ。臨機応変に対応することもできず、部下たちは次の命令を待つ間に次々に殺害されてしまっている。
「くそ、ブリンクめ…。だいたい、こんな銃しか作れないとは、帝国軍の研究者は揃いも揃ってクズばかりか!」
悲惨な現場を目の当たりにしながらも、アーサーは自分の非を認めようとはしない。以降、彼から出る言葉は他者を批判することばかりであった。恨めしい眼差しが、ブリンクの後ろ姿を追う。
「俺達ももう少し早く動くべきだったかな…」
なおも轟く男達の悲鳴に、レニは胸が張り裂ける思いだった。
「やれることをやるだけだ、行くぞ」
ブリンクの目はどこか虚空を見つめている。
長い行列の出口が見えると、ブリンクはそこから一気に馬を走らせた。そして一方的ななぶり殺しが続く現場にたどり着くと、馬上から一匹目のスコーピオンに近づき、至近距離で狙い撃った。射出された鉛玉は、サソリの非常に小さな単眼を正確に貫き、そのまま体内の臓器を破壊した。スコーピオンは一度だけ脈打つと、地面に伏して絶命してしまう。
すぐに二匹目に標的を移す。同じように目を潰したが、それだけでは死に至らなかった。ブリンクは手元のレバーを上下させ、次弾を装填する。
狙うよりも早く、スコーピオンが鎚のような尾を振るって彼を落馬させようとした。馬上のブリンクはこれを器用にも屈んで避けて見せると、振り向きざまにもう片側の単眼に銃弾を送り込んだ。これにはスコーピオンもたまらず、しばらくのたうち回った後、ついに動かなくなった。
最後の一匹はトバイアスが仕留めた。力強く打ち放たれた矢は、サソリの尾を地面に縫い付けるほど力強い。そして身動きのとれなくなった敵を、二本目の矢で制した。矢は硬い甲殻の隙間をうまく捉え、柔らかい皮膚を突き破った後、魔物を地獄へと叩き落とした。
魔物からすれば、敵陣より鬼が湧き出たように思えただろう。十数人もの帝国兵ですら相手にできなかった三匹の魔物を、たったふたりで駆逐してみせたのだ。しかも、わずか十数秒での出来事である。
ふたりの勇者の存在は、兵士達の士気を大きく鼓舞したのであった。
「ハンターだ。ハンターが来てくれたぞ」
都合の良いことに、この時ばかりは兵士達もお互いの立場などは忘れて、ハンターという強大な守護神達の存在に感謝したのだった。
ブリンクはそのまま、帝国軍の先頭へ立つと、声を大にした。
「帝国兵士達よ、恐れるな! お前達には俺達ハンターがついている!」
その声には、日頃何かとけだるそうにしているブリンクからは想像もできないような、まさに落雷のような力強い響きがあった。その衝撃に打たれた帝国兵達はぴしゃりと背をただし、ブリンクに目を向ける。いままでに聞いたこともない声量に、レニも思わず身がひきしまった。
アーサーが役に立たないであろうことは、戦が始まる前から十分に理解していた。だからこそブリンクは事前に彼なりの作戦を立てていたのだ。
悲劇の真っただ中にいる帝国兵達の前に、こうして救いの手を差し伸べる。伝説的な存在と、その実力を目にすれば、誰もが心を打たれるであろう。そうすることでブリンクのカリスマ性が改めて認められ、一時的にでも軍の指揮権を握ることができると予測していた。そうすればこの戦いの勝利も少なからず見えてくる。少々汚い手かもしれないが、そうでもしなければ、さしものハンター達にもこの掃討戦を生き残れる自信がなかった。
「銃は使い物にならん、捨てておけ! 代わりに剣や槍を構えろ!」
ブリンクの指示通り、一斉に兵士達が銃を投げ出した。銃の重要性が皆無であることはさきほどはっきりとしたばかりだったから、彼らにはいささかのためらいもない。
続いてそれぞれが腰にかけた剣を抜くと、無数の鞘鳴りが響き渡った。雲の隙間から漏れるわずかな陽光で、男達の剣が光り輝く。
「魔物の殻は非常に硬い。三人一組になり、やつらの腹、眼、柔い箇所、関節をうまく狙え」
ブリンクやベテランのハンター達が魔物の弱点を先頭の兵士に伝えると、情報は迅速に一万の帝国兵達に広がり伝わった。
「待て待て、ハンター風情が勝手にわが軍を動かすな! 違法行為だろう!」
ハンターが帝国軍を指揮するという異例の事態に、もちろんアーサーという男は黙っていなかった。威勢は良いが、依然として兵の壁に守られている。
「ならどうする。今からでもお前が指揮するのか」
「当たり前だろう! 俺の部隊だからな」
十数人もの命を見捨てておきながら、アーサーはぬけぬけと言い放った。
「ほう。では指揮官殿の考えられる新たな作戦はいかがなものか。お聞かせ願おうか」
「作戦だと…?」
作戦と聞いて、見せたアーサーの表情には明らかな狼狽が見えた。新たな作戦など、彼の中には微塵もない。ただただブリンク達の存在が気に食わなかっただけだ。
「わざわざ谷の中に陣を張って、ボロい銃で敵に挑むようなクソみたいな作戦なんぞ、もはや作戦でもなんでもない。ただの自殺行為だ」
「なんだと…!」
「所詮、お前なんてその程度だということだ。能もなく、自分の保身に走るようなやつに、誰がついてくるものか」
「言わせておけば、この…」
わなわなと震えるアーサーの言葉をブリンクが遮った。
「俺の指示よりも良いものがあるのであれば、今すぐに出せ。無いのならば、しばらく黙っていろ。時間の無駄だ」
ブリンクが冷たく言い放つと、アーサーは青筋を立てて憤慨した。何か反論せねばと口が小刻みに動くが、反撃の言葉をひねり出すことはできなかった。
一秒たりとも無駄にしたくないブリンクは、震えるアーサーを横目に、ハンター百人を敵と帝国軍との間に散りばめた。こうすることで、帝国兵が安心して戦える環境をつくるのだとブリンクはレニに囁く。
「このまま後退しながら戦う。守りを固めつつ、ゆっくりと谷を出ろ。いいか、最後列まで確実に伝えておけ。後ろが詰まってしまってはかなわん」
更にブリンクは、数人の帝国兵を選ぶとブラッドハーバーへの伝令を任せた。軍の部外者からの命令にも関わらず、彼らはその内容を聞くと、納得して素直に応じたのである。
アーサーがそれを見たところで咎めることなどできなかった。彼にはどうすれば良いのか分からなかったし、彼についていこうとする帝国兵はこの場にはひとりもいなかった。
ここまで順調に準備が整った。しかも敵を目の前にして、である。こちらが立て直していく様子を、スコーピオン達はただじっと見ているだけだった。そのおかげで絶望的だった態勢を覆すことができたのだが、これを怪訝に思うハンターは少なくない。
何かがおかしい。ハンターだけではなく、誰もがそう思った。
どんな理由があるにせよ、時間をかけるのは得策ではない。日も暮れ、兵の士気も削がれてしまう。とにかく時間は有効に使わなければならなかった。
ブリンクは谷を出ることを先決とした。部隊が一歩下がると、サソリの群れも同じように追ってくる。異様だが、緊張感の漂う光景であった。
谷の中ほどにさしかかると、何を皮切りにしたのかはわからないが、ようやくスコーピオンが動き始めた。空腹に耐えかねたのかもしれない。目の前に広がる黒い剣山の海が砂塵とともに押し寄せてくると、レニは思わず固唾を飲んだ。
「レニ、お前の力を存分に発揮してみせろ」
レニの両側には最強のハンターふたりがついている。ふたりとも、迫りくる洪水を前にして余裕の笑みを見せた。それだけでも心強かった。帝国兵達もきっと同じ思いであるに違いない。
レニは大きく深呼吸をして、石の大剣を手にする。奴らの山に負けぬよう、空高く掲げた。
真似るようにして、帝国兵達も剣を高々と掲げる。黒の山に対抗するかのように、輝かしい銀色の山々が出現した。
「迎え撃て!」
ブリンクが命令を下すと、ハンターと帝国兵は喚声をあげて動き始めた。
狭い谷間に銀と黒の波が交じり合う。剣と魔物の甲殻、男達の勇ましい雄叫びと魔物の奇声が激しくぶつかり合って轟く。
この一瞬で数名の帝国兵がこの世に帰らぬものとなったが、それをゆうに超える数のスコーピオンが地の底へと屠られた。その多くがハンターの攻撃によるものである。
鉄の木とも呼ばれるウリンの木材を使った棍棒を、バッシュはたくみに振り回す。その勢いは凄まじく、力任せに敵の鎧を粉砕しまくった。彼の強靭な肉体が生み出す打撃の数々は、大地を揺るがす地震のようだ。
また、ゴラドーンでも希少な玉鋼で鍛えられた刀で、魔物の殻を器用に剥がしていく伊達男はクラウンだった。帝国軍にいたころの経験を活かし、短銃も持ち合わせている。状況に合わせて使い分けることができるのが彼の強みでもあった。向かってくる敵を軽く流し、捌いていく。
ふたりの戦闘スタイルは対極に位置するもので、まさに静と動であった。だからこそ、互いの隙間を埋めることで、パートナーが長く務まっていたのかもしれない。そんな彼らに感化されると、帝国兵達も後に続き、数人がかりで魔物を切り刻み、串刺しにする。
レニはというと、帝国兵を守ることに専念していた。ブリンクの言うとおり、彼らの数があってこその優勢である。それをレニはよく理解していた。それに助けられたはずの命がいくつもあったはずなのである。正義感が強く、優しいレニは、いくら憎い相手だろうと、人を守ることに彼なりの使命を感じていたのだ。
凄まじい遠心力を乗せた超重量の大剣はスコーピオンを殻ごと押し潰し、横に一振りするだけで三匹もの魔物を粉々に吹き飛ばした。一匹のスコーピオンがハサミで両断しようと試みたが、レニが咄嗟に石の剣を挟めると、反対にハサミが壊れてしまうありさまだ。そのまま斬り上げると、黒い鮮血をまき散らしながら魔物の頭部が四散した。
レニの大剣はいくつもの命を吸い上げ、既に黒い血で染め上げられていた。サウスウィンドでの経験は、確実にレニの力となっている。力だけではなく、心も同じように成長させなくてはならない。レニは少しずつだが、そのことに気付き始めていた。
戦場の波は大きく傾き、更にブリンクとトバイアスの活躍により、スコーピオンの数は瞬く間に激減していった。それでもなお魔物の猛攻は続いたが、谷を抜けるまでの辛抱だ。谷さえ抜けてしまえば、勝負の行方は見えてくる。誰もが勝利を信じてやまなかった。
ところが事態はすぐに急変する。人間達が優位に立ったところで、誰にも予想出来なかった出来事が、帝国兵の悲鳴とともに訪れた。
「う、上から降ってくるぞ!」
レニは叫びを聞いて空を見上げると、凍り付いた。
崖の上に千匹ほどのスコーピオンが群がっていて、人間達を見下ろしているのだ。彼らの役目は戦慄を覚えるようなものであった。
断崖の先端に立っていたスコーピオンが、なんと崖下へと身投げしたのである。空中で身体を丸めると、数人の兵士を巻き込んで地面に衝突した。その衝撃たるや、硬い甲殻に落下の速度も相まって、想像を絶するほどの威力であった。地がえぐれるほどであり、まさに生きた砲丸だった。
びゅう、と風を切るような音とともにサソリ達が墜落すると、悲鳴をあげる暇もなく兵士達が押し潰されていく。地面に激突した魔物も、反動で絶命していた。
ブリンクも唖然とするほど、信じられない光景である。スコーピオン達の動きは、この谷を最大限に利用した、まるで人間が考えたような作戦だ。飛び降りてくる魔物は死兵ではあるものの、一匹で数人の敵を道連れにできる。それに体を丸めてしまえば、弱点を隠すこともできた。ブリンクの放つ銃弾も、トバイアスの強弓も、深手を与えられる隙間が一切ない。非の打ちどころのない作戦だった。
ここでブリンクにひとつの疑問がよぎる。
生きる為、スコーピオン達は食糧を探し求めて大遠征を続けてきたはずだ。なのに、何故自らの命を投げ捨てるのであろうか。
優位に立っていたはずの人間側は、いまや圧倒されてあっという間に劣勢へと追い込まれてしまった。魔物達の完璧な作戦勝ちだ。しかし、奴らの行動には矛盾が残る。
「退け! とにかく退け!」
考えながらも、ブリンクは指示を飛ばした。それまでゆっくりだった後退も、次第に早足になり、最後には走り出した。将棋倒しになる者もいたが、谷底で生き埋めになるよりはマシなのだ。依然として崖の上には数百の砲丸が順番を待っている。退路を断たれる前に、谷を抜けなければならない。
「レニ、お前も走れ! 早く!」
味方が次々と潰されていく中、レニはひたすらに兵士達を守っていた。とにかく必死だった。味方の数を減らされぬよう努めてきたが、敵の容赦ない黒い雨がレニの努力を無へと返していく。レニはかつてない無力感を感じていた。
「くそ…くそっ! ……分かった! 今行く!」
諦めてブリンクに向き直ると、ふたりの間に魔物に苦戦する帝国兵三人がいた。せめて彼らだけでも助けようと、レニが近づいたその一瞬だった。
帝国兵達に駆け寄ると同時に、視界が黒一色に染まる。凄まじい衝撃と、鼓膜をやぶるような衝突音がレニを襲った。帝国兵達は一匹の魔物に押し潰され、近くにいたレニは遠くに吹き飛ばされてしまう。
地面にしたたかに叩きつけられると、一気に視界がぼやけた。キーンという耳鳴りで、周りの音がくぐもって聞こえる。
人が切り裂かれ、魔物の砲弾が地面にめり込み、男達の悲鳴があがる。そこにはレニの知らない戦場があった。
味方が無残にも殺されていき、ブリンクとも黒い壁に寸断されたレニは、その場で気を失ってしまった。




