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ジオ戦記(旧)  作者: ルノア
第1章
10/52

10. 決戦前夜

-Ⅰ-


 いくらかの短い交代を経て、ようやく世界が暗黒に包まれる時間となった。街の明かりも徐々に消えていき、最小限の灯火だけが残る。天上の星々が海上にも映し出され、それらが波に揺れる様は、まるで踊る蛍の群れのようであった。

 この日は、百人ものハンターを受け入れられる宿もないので、街の広場を借りて仮設のテントを張り、皆で一夜を過ごすことになった。

 今回志願したハンターの大半は、レニと同じくらいの年齢の若者が多かったが、これには理由がある。例年通りであれば、掃討作戦で得られる報酬は割と高い。そのうえ戦場で名をあげれば、一人前のハンターとして認められ、選べる依頼の種類も増えてくるのだ。つまり、ハンターの中にはこの作戦を出世のための登竜門ととらえる者も少なくない。

 若年ハンター達は明日の戦を前に落ち着かない様子ではあったが、和が乱れることは決してなかった。これもひとえにブリンクやトバイアスなどの熟練ハンター達のおかげである。彼らの統率力が完璧なだけでなく、彼らに向けられる若者たちの尊敬の念も強烈であったからだ。

 いつか自分も憧れられるようなハンターになるのだ。ほとんどの新米ハンター達がレニと同じように、将来をそこに感じているだろう。レニが彼らに親近感を覚えたのは、年が近いからだけではなく、確かにそう思えたからであった。

 適度な緊張感の漂うテントの中で、ブリンクはひとり落ち着いた様子で愛銃を整備していた。銃の扱いもさることながら、彼は高名な銃職人(ガンスミス)としての優秀な一面も持っている。彼の二挺拳銃『ポルックス』と『カストル』、そして長銃『アルタイル』も、ブリンク本人が作成したものであった。その技巧は超一流とも、一世紀先の技術とも称されるほどに卓越している。現に帝国で主流な銃とは、精度、威力、飛距離、連射性、どの性能を比べてみても天と地ほどの差があるのだ。

 軍の研究者からすれば、その機構は喉から手が出るほど欲しい情報に違いないが、ブリンクが軍に協力することは一切なかった。

 トバイアス一行が偵察から戻ると、テントの中の視線は一点に注がれた。


「明日の昼前には来るぞ」


 偵察隊を指揮していたトバイアスが、開口一番に半ば楽しそうに言った。


「そうか」


 ブリンクも銃を磨きながら、笑顔を隠さなかった。レニはトバイアスとブリンクが一緒に仕事をしているところを見たことがない。つまりこのふたりでの共同任務は、最低でも四年ぶりであると思われる。また肩を並べて任務に当たれる日が来たことを、ふたりは嬉しく思っているのだろう。


「おたくの息子は、相変わらず石像みたいに固まっちまってるようだな」


 トバイアスは朗笑した。


「こんなにたくさんのハンターと仕事をするのは初めてだからさ。それに魔物相手とはいっても、戦争に行くようなものなんでしょ?」


 少なくともレニは誰かからそう聞いていた。数十匹を駆除する普通の任務とは違う。数と数がぶつかり合う混戦になると。頭の中で同じような言葉が反芻していて、何をしていてもレニの不安は消えそうになかった。まだ始まってもいない出来事に、心臓が早鐘を打ちはじめてさえいる。


「まぁ戦争とは少し違うさ。国同士の戦争は頭を使うが、魔物相手ならそうじゃないだろう?」


 ブリンクは銃をそっと置いて、レニに向き直った。


「それはそうだけど…」

「お前が立派なハンターを目指すのであれば、まず経験しなくてはいけない試練でもある。お前の本当の実力を見せてみせろ」


 自分のことではないにしろ、ブリンクの顔には自身が満ち溢れていた。先日貴重な体験をしたレニが、自らの力に驕ることなく任務にあたれば難なく生還できるとふんでの表情である。


「安心しろ、レニ。お前だけじゃない。アイシャも明日の戦を前に震えているぞ。まぁこれは武者震いだろうがな」


 トバイアスがアイシャの背を軽く叩くと、アイシャはひとつだけ唸ってみせて、レニの足元でくつろぎなおした。


「そうだね。明日はよろしく頼むよ、アイシャ」


 レニは深呼吸をして、心を落ち着かせることにした。周りを見渡せば、ブリンクを始めとして心強い顔ぶればかりである。問題はない。そう自分に言い聞かせた。


「ところで、小耳に挟んだ情報があるんだが」


 トバイアスは膝に手をついて体を乗り出した。ブリンクも自然と顔を近づける。


「良い話か?」

「とんでもない。とびっきり悪い。それも最悪だ」


 トバイアスは情報通としても有名であった。というのも、彼は視力だけでなく聴力も動物並みなのである。意図していなくても、周りの情報が入ってくるのだとも本人は語っていた。街を練り歩いてみては、不用心な帝国兵が漏らすであろう秘密をそつなくキャッチしてくるのだ。


「どうした?」

「今回、軍の指揮官がアーサーなのは言ったな」

「あぁ」

「今回の任務、ちっとまずいかも知れない」


 神妙な面持ちのトバイアスに、ブリンクは首を傾げた。


「なにがまずい?」

「アーサーの独断なのだそうだが、タイタンも、大砲も、以前使用されていた兵器の類は一切用意されていないらしい」

「なに」


 ブリンクは目を丸くした。そして目を瞑ってしばらく黙した後、拳を強く握りしめたブリンクからは並々ならぬ怒気が溢れ出てくる。


「何を考えているんだ、あの野郎。というとなんだ、軍は銃だけで対応しようとしているのか」

「そうらしい。なんでも新開発の銃があるのだとか」


 トバイアスも怒りを噛みしめるかのように、大きくひとつ頷いてみせた。

 銃の弾で制圧できるような簡単な相手ならば、ハンターなど(はな)から必要ない。軍は魔物の存在を軽視している傾向にあるため、魔物の扱いに慣れてはいなかった。

 今回の異常繁殖にしても、軍内部で綿密な計画が立てられているわけでもなく、細かな処理はハンターに任せておけば良いと考えている軍人は少なくない。

 そのためにあえてシルヴェントが念を押しに来ていたわけだが、被害を最小限に抑えるためには、軍としてもせめてタイタン数体を導入することが望ましかった。過去の作戦でも、タイタンの存在がどれほど重要であるかを十分なほど証明してきたはずなのだが、軍はどうやら魔物の力を過小評価しているようである。


「馬鹿馬鹿しいにもほどがある。不要な死人が出るぞ」

「当のアーサーはそれでも自身満々のご様子らしい。どうも俺達はババを引いた みたいだ。ブレイド・ピークスでは、シルヴェント卿が指揮を執っているんだとか。向こうは順調だろうな」


 トバイアスは遠い目をして、テントの片隅を見やった。


「アーサーとシルヴェント卿じゃ、違いすぎる」


 ブリンクは眉をしかめた。いまや彼の背中には大きな重荷がどっしりと乗っかっている。軍があてにならないと分かった以上、こちらはこちらでなんらかの手を打っておかなければならない。九十九人のハンターの命を預かっている身としては、彼らをむざむざ危険な目に合わせるわけにはいかなかった。


「なぁブリンクさん。こういう時こそ、軍のやつらに一発ガツンと言ってやらんといかんのではないんですか」


 そう言ったのは、三人の話を聞いていた熟練ハンターの一人である。テントが窮屈に感じるくらいの巨体の持ち主で、長身のブリンクよりも人一倍大きい。名をバッシュという。もともと農村育ちの彼は、村が魔物に壊滅させられたことをきっかけに、ハンターとなった。その過程には軍の助けが遅すぎたことも背景にあるので、彼が軍を良く思わないのも当然であった。

  バッシュの発言に、周囲の数人もうなづいてみせる。


「うむ、まぁそうは言うがな…」


 ブリンクは唸って、考えた。バッシュが言うことももっともである。


「バッシュ、あまりブリンクさんを困らせるな」


 悩む表情のブリンクを見て、バッシュを静めたのはクラウンという仮名の優男だった。バッシュとは対照的に体はやせ細り、外見こそ戦闘向きではないのだが、曲芸師のような彼の剣捌きは見事なものなのだそうだ。実は、ブリンクと同じ軍人崩れの人間であるため、生ける伝説として名高いブリンクを心から尊敬していた。


「しかしな、クラウンよ。命に関わる問題だ。準備を怠れば、守れるものも守れないではないか」

「軍に何を言っても無意味だ。とりあえず、できることをやるしかない」


 俄然熱くなるバッシュと、無口で言葉数の少ないクラウン。相方同士であるふたりの会話はどこかかみ合わないようだが、それでいて和ましいものがある。

 バッシュが言うように、ハンターはハンターで事前の準備をしっかりと固めていかねばならない。その為には、戦を明日に控えたこの時間が一番大事なのであった。そうと決まれば、テントの中が急に慌ただしくなり始める。


「それで、スコーピオンの数は?」


 ブリンクはテント内の全員に聞こえるかのように、トバイアスにたずねた。自然とブリンクの話に皆が注目する。


「それなんだが…」


 トバイアスは困惑した表情で、一瞬答えを渋った。ハンター一同を見まわして、また視線をブリンクに戻す。


「約一万だ」


 その数を聞いて、瞬時にざわめきが起こる。横でそれとなく聞いていたレニも、さすがに飛び上がりそうだった。驚きの感情はアイシャにも連鎖したのか、彼女も重たい首を持ちあげてみせた。


「一万? そりゃ多すぎないか」


 ブリンクが再確認した。


「俺も見間違えたかと思ったほどだが、残念なことに本当だ」


 いままでトバイアスの報告が正確性に欠いたことなど無い。となると、まず数の情報に間違いはないだろう。ブリンクは自身の深いため息に押されるかのように天を仰いだ。頭が痛い。

 事前にシルヴェントから聞かされていた情報によれば、用意される帝国兵は魔物の数と同じく一万である。それに加えて百人のハンターだ。数で言えばこちらのほうがほんの少しばかり多いとはいえ、ほぼ五分五分である。しかし、タイタンなどの兵器が一切用意されていない帝国兵個人の力は、それほど期待できるものではないだろう。かといってハンター百人で、一万もの数を相手にするのはさすがに無理がある。


「どうするの?」


 憂鬱な雰囲気に、たまらずレニは口を開いたが、その質問に答えられる者はいなかった。

 その時アイシャが突然飛び上がり、テントの入り口に向かって吠えた。


「どうした、誰か来たか?」


 アイシャの唸りに気づいたハンター達の視線がテントの入り口に集中した。そこへ入ってきたのは黒いマントを羽織った帝国軍人と付き人の兵士二人だった。

 アイシャの存在に最初こそ驚いてはいたものの、すぐにへらへらと意地汚い嘲笑を浮かべる軍人達の顔は、どれも人相が悪い。特にリーダー格だと思われる黒マントは一見するとそれなりの偉丈夫だが、細い目からはぎらりと鋭い眼光を放ち、むき出しになった敵愾心(てきがいしん)を一切隠そうとしない。


「邪魔するぞ、ハンター諸君」


 黒マントの男はそばに整理されていた食器類を足で蹴り飛ばす素行の悪さを見せつけると、若いハンターの一人をどかし、そのベッドにふてぶてしく座った。


「俺はアーサー。帝国軍の指揮官だ。今回のスコーピオン討伐は俺が担当する。今日はわざわざ挨拶に来てやった」


 アーサーという名前にレニを含めた全員が反応し、目を向けた。その名前の評判は、案の定どこに行っても悪いらしい。

  一同の視線は弓矢が鋭くアーサーに突き刺さったかのように見えたが、傲慢という名の鎧を着ている彼はそれをことごとく跳ね返した。

 これがかの有名なアーサーか。聞きしに勝る嫌味ったらしい男だ。レニは精一杯睨みつけてやった。

 それを知ってか知らずか、アーサーはテントの中で声を張り上げてみせる。


「単刀直入に言おう。明日は諸君らも俺の指揮下に入ってもらう。軍の作戦に参加する以上、これは絶対だ」


 ハンター達は一瞬呆気にとられ、自らの耳を疑った。

 やがて一方的なアーサーの態度に、当然ながらテント内は困惑と怒りの声でいっぱいになった。今回はあくまで共同の作戦である。互いに協力することはあっても、軍の指揮権がハンター達に及ぶことなどないはずだった。いままでもそうであったからだ。しかし、反感の嵐を受けようとも、アーサーは特に動じるでもなく、場にいるハンター達を押さえつけようとする。


「黙って聞け。お前達のことを思っての話だ。俺の指示に従っていれば、今回の作戦は何事もなく終わる。お前達はただおとなしく俺の命令を聞いていれば良いのだ」

「貴様らに従わなければいけない理由などない」


 静かな怒りで場を凍りつかせたのはブリンクの声だった。


「ほう。これはこれは、英雄ブリンク殿。いや、元英雄か。懐かしいやつがいたものだ。軍から逃げ、いまや落ちぶれたハンターをやっているとはなぁ」


 アーサーは再会をわざとらしく大げさに驚いてみせると、薄汚い歯をむき出しにして見せた。

 呆れ顔のブリンクは、物分りの悪い子供を諭すかのように反論する。


「いいか、アーサー。お前も知ってはいるだろうが、俺達はシルヴェント卿から直々に依頼を頂いている。その際、あくまで協力するだけであると条件を伝えているはずだが」

「シルヴェントだと? あんな老いぼれにそんな権力はない。それに依頼はもともと軍からのものだ。依頼主である俺達の言うことを聞くのがお前達の仕事だろ」


 アーサーの話し方は典型的な権力者そのものである。権力や武力を武器に自分の主張を無理に押し付けるような幼稚なやり方だから、対抗心の強いハンター達にはそれが鬱陶しくてたまらなかった。

 昔から帝国軍は、ハンター達を自らの傘下に収めようとあの手この手で圧力をかけてきていた。なにしろ優秀な人材が多い。ハンター達からの選りすぐりで、機動力の高い少数精鋭の部隊を作れるだろう。それがゴラドーン帝国の柱をより堅くできる要のひとつとして考えられているのである。

 ブリンクはアーサーの訪問の意図があからさまであったので、呆れてため息をついてみせた。


「なら貴様が今から帝都へ戻り、シルヴェント卿と話をつけてくるか?」

「なに?」


 アーサーは、細い目を更に細めた。瞳が顔に埋まってしまうほどである。


「記憶力が悪いようだからもう一度説明してやるが、今回の依頼は条件付きだ。お前の指揮は俺達には影響しない。もちろん、お前が助けてくれと泣き叫んだ時にはどうにかしてやるから安心しろ」

「貴様…言わせておけば!」


 憤慨したところで、アーサーは剣の柄に手をかけたが決してそれを抜こうとはしなかった。周りをハンターに囲まれている状況も彼をそうさせた要因であったが、それ以前に彼もブリンクの強さを良く知っている。刃向ったところで返り討ちにあうのは目に見えていた。その点で言えば彼の判断力も優秀ではある。強き者には刃向わず、弱き者を虐げる。そうして彼はいままで生きてきたのだ。


「それとひとつ聞かせろ、アーサー。今回の作戦、タイタンを動かさないというのは本当か?」

「何故それを」


 部外者が知りえない話をブリンクが口にして、アーサーは困惑した様子を見せた。唐突すぎて隠すことすら忘れていた様子である。


「おたくら兵隊さんは昼間っから声が大きくてね」


 トバイアスが言った。

 アーサーが二人の兵士に視線をうつすが、どちらも首を横に振るだけであった。


「お前、どうやって魔物に対抗するつもりだ」


 ブリンクがぎろりとアーサーを睨む。


「ふん、俺とて馬鹿ではない。魔物のことくらいは分かっている。タイタンは動かすだけで莫大な金がかかるからな。今回は改良した銃を用意して、その無駄を省く。まあ、正直なところ、これさえあればお前達の出番など微塵もないのだと俺は思ってる」


 アーサーは銃を作ったのがさも自分であるかのように、自慢げに鼻で笑った。

 何が「分かっている」、だ。

 ブリンクは心の中で毒づいた。戦争の時代でも、我が身可愛さに逃げ隠れしていたアーサーを思い出す。昔から卑怯で小心者な人間であることに変わりはない。実戦経験どころか、敵と遭遇したことすら無いのではないか。そうして生き延びてきて、彼が指揮官になったという話を聞いた時には失笑せざるを得なかった。実力の伴わない指揮官ほど無能なものはない。アーサーは中身のない果物だ。

 そもそも人命よりもタイタンにかかる金を心配するような輩である。話すだけ無駄なのかもしれない。


「それだけの自信があるのなら、もちろん実験済みなのだろうな」

「当たり前だ。実際に魔物の殻も貫いてみせた」

「ほう。魔物の殻とは、死んだやつのか?」

「そうだが」


 アーサーはぬけぬけと回答してみせたが、彼自身魔物や銃のことはよく分かっていない。ほとんど研究員など他者からの又聞きである。


「魔物は死ぬと甲殻の強度が生前のものよりも落ちる。まさか知らなかったわけではあるまい」


 それを聞いて、アーサーはしばらく鳩が豆鉄砲を食ったかのようだった。


「そうなのか」


 そう小声で付き添いの兵士ふたりにたずねた。兵士にもよく分からなかったのか、首を傾げるだけである。

 その様子を見たブリンクは、二の句が継げないといった態度でわざとらしくため息をついてみせた。


「指揮官ともあろう者が、聞いてあきれる。いいか、アーサー。お前は今回一万の兵士の命を預かっているのだぞ。そんなことでは魔物の駆除どころか、部下の命すら守れん。それにお前達が頑張ってもらわねば、俺達にまでいらぬ被害が及ぶ。せめてタイタン数台は動かしたほうが良いと思うぞ」

「やかましい、俺に指図するな! 軍には軍の事情とやり方ってものがあるのだ!」


 アーサーは激昂してみせたが、具体的な反論の言葉はあわせ持っていなかった。


「そうか、お前がそう言うのならもう俺にはどうしようもできん。明日、恥をかかなきゃ良いがな。とにかく、俺達は俺達で行動させてもらう。何度も言うがそれが条件だ」

「勝手にしろ! 軍の指示に従わなかったと、上層部にはお前達の愚行を報告させてもらうからな」

「どうぞ。上層部に告げ口されたところで、軍人じゃない俺達には関係のないことだ」


 どうしても言い合いで勝てぬ状況で、アーサーはわなわなと怒りに震えた。顔面が真っ赤に染まると、禿げ頭も相まって茹蛸のように見えたので、可笑しくてレニは吹き出しそうだった。


「指揮官殿はお疲れのようだね。皆、お帰りの手伝いをして差し上げろ」


 見かねて立ち上がったトバイアスが、他のハンター達とともにアーサーを無理矢理退場させようとする。


「今に見ていろ。お前達がいなくとも、魔物など恐れるに足らんのだ。明日は俺達だけでも乗り切ってやる。いずれお前達の組織も必要とされなくなるだろう。その時は俺のこの手で直接潰してやるからな!」


 お決まりのような捨て台詞を吐き捨てると、お供を連れてアーサーはテントを後にした。彼がテントから出た瞬間に、中でハンター達の笑い声が大爆発を起こした。もちろんわざとアーサー本人に聞こえるように、である。




-Ⅱ-


「ううむ、酒が不味くなったな」


 ブリンクは飲みかけのビールを床に置くと、帽子をかぶり静かに立ち上がった。


「どこに行くのさ?」


 帝国軍との揉め事の後だったので、一人での外出は危険だとレニは感じた。いくら軍の兵士達が無能であるにしても、サウスウィンドの一件と同じように、アーサーが強攻策を取らぬとは限らない。どうしても焼き払われた畑とブリンクが重なって見えてしまうのだ。


「夜は始まったばかりだろう。大人には大人の楽しみがある。子供は大人しく寝ていろ」

「俺も二十になったんだ、いつまでも子供じゃない。俺も行くよ」


 ブリンクの意図する場所は理解できた。レニも興味が無いわけではないが、本当は戦を前に出向く気力もない。ただ、せめてブリンクの身辺を守ってあげたい、という一心だけであった。彼の軍嫌いは納得できなくはないのだが、いつかその報復がやって来るのではないかとレニはいつも内心冷や冷やしている。


「どこの世界に親子で娼家に行く馬鹿がいるんだ。気が散るから、付いてくるな」


 最もだと納得してしまい、言い返す言葉につまっているすきに、ブリンクはさっさとテントの外へ出て行ってしまった。


「まぁ、たまにはいいじゃないか。男には発散したい時があるのさ」


 トバイアスが、アイシャをなでながら言った。


「お前の気持ちも分かるが、気分転換させてやってくれ。お前が心配せずとも、わざわざ進んで嵐に首を突っ込むような奴はいないさ」


 仮にいたとして、ブリンクと対等に渡り合える人物はほとんど居ない。彼は幾度となく奇襲や夜襲を乗り越えてきたのだ。トバイアスにそうなだめられ、レニは自分を落ち着けるしかなかった。

 ふとレニはブリンクの親友に、普段誰にも聞けないようなことを聞いてみることにした。


「ねぇ、トバイアス。ブリンクは俺のことをどう思っているのかな」


 素直に聞くのはなかなか気恥ずかしいものがあり、レニの声は蚊ほどしか出なかった。


「どう、というと?」


 それでもさすが、トバイアスの耳にはしっかりと聞こえていたようである。アイシャも聞き耳を立てているようだった。


「前回受けた任務でさ、俺は自分勝手に行動して大きな失敗をしてしまったんだ。危うく死にかけたよ。今までも散々ブリンクに叱られてきたけど、全然聞いてなかった。そんな俺を嫌いになったんじゃないかなって」


 親の忠告や注意ほどうるさいものはないとレニは軽んじていた。その結果がベルゼブとの戦いである。英雄の息子として、ハンターとして、自らの力量には自信があったのだ。しかし思いとは裏腹に、大恥を晒してブリンクに迷惑をかけてしまったので、彼をさぞ失望させてしまったに違いない。

 その後、大きな夢が出来たのだと開き直ってみた。もちろん心からの夢ではあったが、それはレニの落胆を隠すためのものでもあった。


「そんなことはないさ。最初から完璧な人間などいるはずもないし、俺だって死ぬような思いは何度もしてきた。ブリンクもそうだったと思うぞ」


 強者としてのブリンクやトバイアスだけを知っているレニにとっては、意外な話のようにも思えてしまう。


「考えてもみろよ。産まれてすぐに剣や弓を握れるやつなんていないだろ? みんな、二本の足で立ち上がるところから始まるんだからさ。強くなるまでには、訓練と経験の積み重ねが大事なんだ」


 トバイアスの話にレニは納得の様子で相槌をうった。

 ベルゼブとの戦いも、これから起こる戦いも、全ては未来のレニを作るための貴重な経験である。それをどう活かすかは今後の彼次第であった。失敗や挫折を繰り返した先でレニがどう立ち上がってくるのか、それこそがブリンクが期待しているものなのだろう。

 アイシャが大きな欠伸をすると、そのままトバイアスの隣で眠ってしまう。愛おしい目で見つめながら、トバイアスは彼女の頭をなでた。


「お前はブリンクをこの世に繋げている最後の一本の糸だ。お前を失った時、あいつは間違いなく底なしの穴に落ちていってしまう。その時はさすがの俺もあいつを助けてやれそうにない」


 一瞬のうちにトバイアスの顔は真剣になった。ブリンクの唯一の親友として、レニには約束してほしいことがあるのだ。


「俺たちよりも早く死ぬのは、親不孝ってもんだ。そりゃあ今後死に直面する機会は多々あるかもしれないが、頼む。ブリンクのためにもしぶとく生きのびてくれ」


 トバイアスは暖かい笑顔を持ってレニに懇願した。

 レニにとってはブリンクが唯一の家族であるが、それと同じようにブリンクの家族もレニひとりなのだ。妻子を亡くした彼に、新たな希望の光が舞い降りてきたというのに、その光さえも死に奪われてしまった時、ブリンクの心はその運命に耐え切れぬであろう。

 レニはトバイアスの温もりのある笑顔に癒されるようであった。知り合った子供の頃から何かと良くして貰い、成長してハンターになったレニを、本気で喜んでくれたのは彼ただひとりだった。

 ブリンクもレニも、良き友に恵まれたものである。考えてみればレニは、ブリンクやトバイアス、ホワイト、他のハンター達にも十分すぎるほど世話になっている。孤児としては他者に羨ましがられるほどの人生とも言えよう。彼らが注いでくれた愛情や努力を無下にするわけにはいかなかった。

 恩返しのためにも、明日の攻防戦は生き残らねばならない。


「将来のナンバーワンはお前しかいない。存分に頑張ってくれたまえ」


 そう言われてレニは浮かれてみせたが、もちろん冗談であるし、ブリンクやトバイアスを越えるのは到底無理だろうとも思ったので、不意に小さな笑いが漏れてしまった。


「ありがとう、トバイアス。明日も頑張ってみるよ」

「ああ、頼むぞ。期待のルーキー君」


 ふと見まわすといつのまにか夜は更け、起きているのはレニとトバイアスだけであった。他のハンター達は明日に備えて、とうに寝静まっている。

 明日がどうなるのかは分からないが、十分な休息をとらなければそれこそ足手まといになるだろう。だからと言って横になってみても、レニがすぐ眠れるはずもなかった。トバイアスとの会話で幾分か落ち着いたかとも思ったが、明日の戦のことも、外出したまま帰らぬブリンクのことも、気になって仕方がない。

 しばらくしてトバイアスも眠ってしまったようで、テントの中を静寂が支配した。外の生活音も、風の音ひとつ聞こえない。これが嵐の前の静けさなのだろう。この間にも、魔物達は群をなしてこちらへ向かってきているのだと思うと、やはり落ち着かなかった。目を閉じれば、大挙して進軍してくる魔物の足音が聞こえそうなほどだ。

 そして無音の世界に響く耳鳴りが、まるで警告を発しているようだった。


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