第3話
「やれやれやっと買えた」
「……」
店から出た西浦の後ろを、白亜が少し距離をとって付いてくる。
「帰ったらすぐ作るからな」
西浦は何事も無かったかのように、普段と変わらず朗らかに笑って言う。
「……」
「ん?」
伏し目がちな白亜が、彼のシャツの裾を引っ張った。彼女に合わせてゆっくり歩いていた西浦は、振り返って足を止めた。
「違う……、嫌?」
「……ああ、そういうことか」
彼女が何を言わんとしているのか理解するのに、西浦でさえ数秒掛かった。
「いいや。白亜が何だろうと、可愛い女の子には変わりないからね」
笑みを浮かべたまま、少し屈んでそう言った西浦は、白亜の頭をフードの上から撫でる。
「……ありがとう」
普段全く表情を変えない白亜だが、一瞬だけ、少し照れているように見えた。
二人は横断歩道を渡り、ビルの谷間にある細い道に入った。彼らが二、三会話をしつつ、それの中頃まで来た辺りで、
「やあやあ、どうも」
先程セルシアと交戦した男が、空気を全く読まずに二人の前に降り立った。
「何の用だモジャ野郎」
「モジャ野郎!?」
ものすごくぞんざいな返答で、西浦は男に先制パンチを食らわせた。
「……!」
その男を見た白亜の態度が、明らかに怯えていた。
「お前この子にいかがわしい事しただろ!」
その様子を見た西浦は、男を指さしそう言い放つ。
「いやちょっと待たないか君」
豆鉄砲を喰らったハトになっていた男は、とんだ濡れ衣を着せられかけ慌ててつっこみを入れた。
「いーや。間違いない」
顔からして絶対そうだ、と決めつけられてしまい、男は反論すらさせてもらえない。
「君は誰にものを言っているか、分からないようだね」
男はふつふつと怒りが込み上げてきて、顔がどんどん赤くなっていく。
「身をもって分からせてあげよう!」
声を裏返し気味にそう叫んで、男が手を空に掲げると、たちまち指の先に黒い塊が浮かぶ。地面に投げつけると、それは霧となって辺りに充満した。
「霧、危険!」
白亜はそれが瘴気だと感づいて、西浦にそう警告をしたが、既に吸い込んでしまい、激しく咳き込み地面に倒れ込んだ。
「……」
目を薄く発光させ、白亜は背に真っ白な翼を生やした。それで何とか苦しむ彼を持ち上げようとするが、彼女の力ではどうにもならない。
「私の物になれ。そうすれば、そいつは助けてやろう」
余裕全開の男が霧の向こうから、大層偉そうに白亜へと呼びかける。
「……っ」
怯え顔の彼女は逡巡し、駄目だ、と首を横に振る西浦の方を見た。
「さっきの、来る」
ついに覚悟した白亜は彼にそう言って、霧の向こうへ行こうとする。
「や、めろ……」
まともに息が出来ない中、西浦は必死に彼女を止めようと手を伸ばす。
「……迷惑。悪い」
恐怖を押し殺した表情で、申し訳無さそうに一言話し、白亜は行ってしまった。
「は、く……」
身体がやけに重い西浦は、ただ地面を弱々しく殴ることしか出来なかった。
「ちょっと! 生きてる?」
直後、『さっきの』こと、セルシアが空から舞い降り、彼を抱えたまま軽々とビルの屋上へと運ぶ。
「あの子は……っ」
やっとまともな空気を吸った西浦は、そうセルシアに訊ねるが、
「もういないわ」
彼女はそう短く答えて、力なくかぶりをふった。
「白亜……ッ」
霧に紛れる瞬間に見せた表情が、西浦の脳裏に焼き付いて消えない。
「一応訊くけど、何があったのよ」
四つん這いで奥歯を噛みしめる彼に、かがみ込んだセルシアがそう訊く。
「男が、来たんだ」
事の顛末を説明した後、彼女は西裏にその男の人相を訊ねた。
「嫌な予感的中……、ね」
そう言って彼女は、忌々しそうに顔を歪めて前髪を掻き上げる。
「とんでもないゲスよ。あの男は」
「どこに居るか分かるか?」
すがるように訊く西浦に、また首を横に振るセルシア。
「気配を散らしたみたいで、どっちに行ったか……」
中位風情が生意気よ! とこれ以上に無いほど、彼女は不快そうな顔をしている。
「なんか無いのか? 頼むよ、セルシアさん」
「無茶言わないでよね。あったらとっくに使ってるわよ」
セルシアは何も出来ない苛つきを、ため息を吐くことで発散している。
「アイツの血でも残ってれば、話は別なんだけど……」
「吸ったのか?」
「なわけないでしょ! ……返り血を舐めちゃっただけよ」
そうぼやきつつ彼女は、右手を前に突き出して、ぶん投げた槍を転移させた。
「……あれ、血が付いてる」
そう言った西浦が指さした、槍の先っぽに乾きかけた血が付着していた。
「誰かに刺さったかもね」
それを指先でこすりとり、口に入れて舐め取る。刺さった誰かに対する心配を、彼女はしていない。
「うえっ、アレのじゃな――、ってアレの!?」
私ナイス! とセルシアは自画自賛して、西浦と同時に小さくガッツポーズをした。
「じゃあ、早速たのむよ」
「任せなさい」
質量感のある胸を張って胸元をトンと叩くと、早速、彼女は自分の血を使って魔方陣を描く。その中心に、ポケットに入っていた、手の平ほどの紙切れを置いた。
「あのクソ野郎、絶対殺す……」
ものすごく怨念が籠もった声と面構えで、セルシアが呪文を詠唱する。
「おおう……」
その様子に、さすがの西浦でもちょっと引き気味だった。
呪文を唱え終ると、紙切れが紙飛行機になってふよふよ浮かんだ。
「こっちね」
それは樹木が生い茂る、少し低い山を向いていた。
「行くわよ」
長身の西浦を小脇に抱え、セルシアは屋上から飛び立った。彼女の飛行速度に合わせて、紙飛行機は並行して飛ぶ。
「野暮なこと訊くようだけど」
「なによ?」
「なんであの子を助ける手伝いを?」
はっきり言って、なんの利益も無い行為だと、西浦は思っている。
「気が向いただけよ」
まあアレがむかつくってのは確かだけど、口角を少し上げてウインクした。
「それもだけど、あんたの精気に興味があるんだ」
放出量が並の人間を越えているのよ、と言ってる内に、
「とと……」
その方向に結界が張ってあって、セルシアはそれとの衝突前に緊急停止した。
「全く厄介ね……」
そのまま下に降りた彼女は西浦を降ろし、またさっきの槍を出した。
「ちょっと離れて」
そう言ったセルシアは、ちぇいさー! という叫び声と共に結界を突きまくる。
「やっと手に入れた」
ニタニタと笑って、イスに縛り付けた白亜を眺める。
二人は山奥に放置されている、古い空き別荘にいた。屋根に穴が開き酷い雨漏りがしていて、白亜の後ろの壁に大きな染みが出来ている。
「……」
彼女は無言のまま、睨むでもなく怯えるでもなくそれを観察していた。
「しかし、素晴らしい造形だ」
白亜の弾力のある腿を、男は舐めるように撫で回す。それからフードを脱がせ、上着のファスナーをへその上辺りまで下げた。
真っ白な白亜の首筋を、男はべろりと舐める。しかし、彼女は声を出すどころか、無表情で身じろぎ一つしない。
思い通りに反応しない、彼女のその態度に腹を立てた男は、
「少しは、何か反応したらどうだ」
そのあまり豊かでは無い胸元に、手を差し入れて中を弄る。
だがそれでも、白亜は前を見たまま沈黙を貫いた。
「ふざけるな! 苦労した分満足させろメスガキ!」
瞬間湯沸かし器の様にキレる男は奇声を発しながら、白亜を縛り付けた木製イスの、背もたれを蹴って前に倒した。
彼女はささくれが酷いフローリングの床に、こするように額を打ち付けた。
「……」
男が無理やり起こすと、額の傷口から流れた血が、白い肌に一筋の赤い線を作る。
「何か言え! 痛がれ!」
喚く男はまたイスを蹴って、今度は横倒しにした。次に、白亜の華奢な腹に何度も強く蹴りを入れる。
胃の中にあった物を吐き出しはしたものの、彼女の表情は何一つ変わらない。
「――ッ!」
苛つきが頂点に達した男は、バケツに溜まっている雨水を、横倒しの白亜の頭に掛けた。
「……」
無論、そのくらいでは反応するはずはない。
「もういい! 貴様はコレクションには加えない!」
吐き捨てるように言った男は、白亜の白い髪の毛を鷲掴みし、乱暴にイスを引き起こした。
「さて、どんな味がするのかなあ!」
せめて食事としての役には立てよ、と男は彼女の額から、未だ流れ出ている血を舐め取った。
「これは素晴らしい! 上物じゃないか!」
口の両端が吊り上がっている男は、傷口からしみ出す血を、樹液にたかる虫のように舐め続ける。白亜の顔がその唾液で汚れた。
「これで分かったぞ」
彼女の血の味を一通り味わった男は、
「『ヤツ』が貴様を護ろうとした理由がなぁ!」
そう大声で言い、自分に酔ったような顔で含み笑いをした。
「あの男は、貴様を家畜にするつもりだったんだな!」
どや顔の男の中指が、白亜の細いのど元をなぞる。
「……ッ」
その言葉を聞いた彼女が、激しくかぶりを振った。初めて自分の思い通りの反応をしたことに、男は興奮を覚えて破顔する。
「貴様は家畜だ! 家畜だ! 家畜だ!」
言う度に白亜が首を横に振るので、男はバカみたいに同じ言葉を連呼して、一人で勝手に盛り上がっている。
「聞き捨てならないね。僕は純然たる善意で助けたんだけど」
それに水を差すように青年の様な男の声がして、光の球がボウッ、と男の目の前に現われた。それは暖かな春の太陽のような色をしていた。
4話に続きます。