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成金  作者: 三三珂
獣への道
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1

 風が強い日だった。ごうごうと唸る。

 日差しが弱まり、山村に紅葉の季節が近づいてきていた。

 十月上旬。約束の日。玄は雪と向かい合っていた。

 玄は無表情に、構えを見せず、静かに、立つ。

 雪は双眸を太陽よりも烈しく輝かせ、八重歯を牙のように覗かせていた。

 対照的だった。


  ○


 テストが終わったらすぐに出発。その予定であったが、その前に一悶着あった。梶は華の了解を得ていなかったのだ。正しくは、得たつもりだった。

「私は修行と聞かされただけ! 一か月泊り込みらあ、一言も聞いちゃあおらん!」

 家で話していたが、その剣幕に梶さえもたじたじだった。どうやら修行とだけしか伝えておらず、その期間も学校を休むことも言っていなかったのだ。

「大体、喧嘩ながやろ。相手が女の子ってのもそうやけど、なんでそこまでやらなあかんが。そこまでやって、なんになるが。学校休むなんて、よっぽどの理由がないと認められんき! いいね! 玄君!」

 華の怒りは全く収まる気配はない。縮こまった玄に怒涛のように言葉が降り注いだ。

 大変困った玄だったが咄嗟に言葉が出た。

「ごめんなさい! でも、俺が、俺が銀に成るのに必要なことなんです!」

 ぐっと、そこで華は黙ってしまった。苦虫を噛み潰したような顔になる。だんだんと、地団駄を踏み、玄を睨む。

「本当にそうながやね! 君の、君のためになるがやね!」

「は、はい」

 華はよっぽど興奮したのか潤んだ瞳で梶を睨んだ。

「怪我でもさせたら一生許さんきね! えいね!」


 そんないざこざもありながら、玄は梶と黒崎の三人で猪木村に向かった。四国の山間にある小さな村だった。

 特産品はゆず。形が悪く商品にならないものの果汁を絞り、蜂蜜を混ぜたジュース『ごくごく! 猪木村!』が全国で大売れで、財政が潤っている。日下部家もゆず農家であり、その恩恵にあずかっている。とはいってもほかの専業農家と違い、規模も小さく出荷しているのは加工専用のものだけである。合気道はその合間に村の人間に教えているらしい。

「そういや、雪の両親はどうしてるんですか? ここにいるのは祖父母なんでしょう?」

 玄が長旅の疲れからか少々曇った顔で梶に尋ねた。

 馬場市から東京羽田へ、そこから一時間かけて高知の空港、さらに二時間ほどレンタカーで海沿いを走って山間に入っていく。

 そして、一時間。寒村やみすぼらしい集落を越えたところにそこはあった。

 とんでもない田舎だ。コンビニや大手商店はなく、小さな個人商店が一件あるだけ。

 玄たちがいるのは五年前に新設された公民館。ここで寝泊りをする予定である。

 村民同士の交流を目的としたこの公民館にはカルタ遊びや将棋などをする和室が数部屋、一般家庭より大き目のキッチン、二階は集会などに使っているのか畳敷きの大部屋になっていた。数人を相手に武道を教えるには十分な広さがある。

 その二階で玄はタンクトップに短パンという姿で柔軟運動だ。黒崎は人を呼びに行っている。

 ジャージを着こんだ梶も、玄の手伝いをしながら答える。

「雪の両親二人は六年前から海外で合気道を教えている。事情を知って一度帰ってきたがどうすることもできずに戻っていったよ」

「愛娘の問題なのに、えらくあっさり」

 至極当然の疑問だ。普通に考えれば引いてはいけないはずだ。

「あっさりじゃない。両親は説得しようとしたが、雪が話を聞かずに投げ飛ばしたんだ。雪は才能がありすぎて、強くなりすぎた。おかげでそれだけが全てだと思いこんでる。いくら自分を生んでくれた両親であろうと、声は届かない。二人は随分と打ちひしがれていた。そこに、古い付き合いがあった俺が名乗り出た。任せてくれってな」

「それが、俺があいつを倒すこと」

 そのとおりと梶は肯定した。玄は柔軟をやめて腕立て伏せを始める。

「またけったいな思い付きですね」

 言葉にはせずとも態度でうんざりと言っていた。梶は楽しげに鼻で笑う。

「思い付きだってのには変わりないが、実はな、十年以上かけた思い付きだ。俺が初めてここへ来たのはそんくらい前のこと。銀が死んで張り合いがなくなってプロレスを辞めたが、身体が鈍るのは耐え難い。ただ、人目につくようなところで動き出せばまたマスコミに騒がれる。そこで、知り合いの格闘家からここを紹介された」

「で、雪を知ったと」

 準備運動として五十回の腕立て伏せを終えると続けて腹筋を始める。足を押さえる梶が話を続けた。

「親は才能に小躍りしてたが俺は一目でこいつはやばいとわかった。だから注意もした。あいつは危険だってな。だが、無視をされたわけだ」

「どうせ、ムカつかれるような言い方したんじゃないですか?」

 梶は無言だったがニッと笑っていた。正解のようである。

「だから、華さんにも嫌がられるんですよ」

「俺としちゃあお前とぶつけてみたかったから、願ったり叶ったりだがな」

「なあんか、悪徳政治家みたいですね。まったく似合わない」

 梶はおかしそうに笑った。玄は背筋運動に移る。

「俺はガキだからな。ガキのころの約束を果たそうとしている永遠のガキだ」

「……雪も災難ですね。おっさんに踊らされて。で、責任を持ってあずかっていながら雪を放って、俺に修行させてるってのはどうなんですか?」

「そうは言っても馬場市の、駅近くのアパートに住まわせてやってる。若いもんにも目をつけさせている。お前は集中して修行に励め」

「言葉だけ聞いていたらヤクザですね」

 玄はついつい顔をしかめていた。

「あんま変わらんよ。よし、ちょっと、ミット構える。蹴ってみろ」

「また突然……いいですけど」

 二人は体を起こした。梶は荷にあった全身を覆うほどのミットを構えた。

 玄は腰をやや低くして梶を見上げる。身長は五〇センチほど玄のほうが低いが、その太い肉体のおかげで見劣りはしていなかった。

「いきます」

 玄はミドルキック、むしろ空手の回し蹴りをした。鋭かった。ばあん、と大きな音がするが、梶は微動だにしない。

 もう数回、玄は続けたが梶は揺れない。上体もそれず、足の位置も変わらない。

「軽いんですか。もしかして。それとも、蹴り方がおかしいとか」

「いいや、重い。速さもある。見事だ。空手の大会に出てもそこそこはいけるだろう。よくここまで鍛えた」

「その割にはけろっとしてるし、なにより楽しそうです」

「そりゃ楽しい」

 梶は大きな手で玄の頭をなでた。

「銀の子がこんなでっかくなったんだからな。それも強い。楽しくもなる」

 そう言いながら玄の体を触っていく。

肩、首、腕、腹、足。確かめるように弱い力でんだ。

「いい身体だ」

「銀の子ですから、貧弱な体は許されません」

「まるで呪いだな」

 にいと、梶が笑って突如前蹴りを繰り出した。

 玄は胸で受け止めたが、堪え切れない。尻餅はつかなかったが後ろに下がってしまう。

「ゲホッ、ゲェ……き、効く。とんでもないパワー……」

「当たり前だ。そうでなくちゃあ話にならん」

 梶は胸を張る。玄は改めて、彼のとんでもなさを思い知る。格闘家の最盛期は三十代だ。彼はほぼ五十の歳で、しかも絶頂期に引退したのにこの力を維持している。ぞっとしない。大きすぎる。肉体も、その身からあふれているエネルギーも。

 ちょうどそのとき、二階に人が上がってきた。玄がそちらを振り向くと黒崎と白い道着にをつけた姿の小柄な老人がいた。身は細く、骨と皮しかないようだった。それでもその歩く姿には芯がある。

 その眼光、雪によく似ている。玄は背筋が寒くなった。

「お連れしました。玄さん、あいさつを」

「玄です」

 黒崎に促され、玄は深く頭を下げた。老人も静かに頭を下げる。

「初めまして。日下部誠と申します。雪の祖父です。これからよろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 玄はその老人を見る。目つきが鋭い。好意的な感情は持ってなさそうだ。

「まず言っておきます。私は見知らぬあなたに期待などできませんが、しかし、梶さんが任せろと言う。この人は、雪の未来を一目で見抜いた。だから、あなたに賭けます」

「責任重大……ですね」

「それでは、早速、やってもらいます。まずは体験してもらうのが早い」

 誠は玄のそばに立ち、構えた。半身にして両腕をわずかに曲げて前に出す。

「右足を踏み出し右手で私を殴ってください。どうぞ」

 玄は梶を見た。梶はくいっとで誠を指す。やれということだろう。

「どうぞ、と言われましても……」

「気を使う必要は、ありません。返させてもらいます」

 誠は本気。玄も腹を決め、まっすぐ彼を見つめた。

 首が折れるかもしれない。それでも、やれと言われればやる。

 言われたとおり、右足を踏み出し右手を突き出した。

 ――ぐるりと回った。

 玄は天井を見つめていた。倒され、誠に押さえ込まれている。

 そのことに気づくのに数秒を要した。

「見事な一本」

 梶の声が聞こえ、すぐに解放されるが玄は寝転んだまま天井を睨んでいた。いま、なにをされたのかまったくわかっていなかった。

 ぬうっと梶が玄の正面に顔を出した。 

「驚いたか」

「……これで、倒すんですか」

「ああ。この技は、誠さんがやられた技だ。それで、倒せ」

 難易度はかなり高い。だが、うまくいけば屈辱的である。自分の技で素人に倒される。ショックは強いだろう。

 玄は立ち上がった。誠を睨む。できるかどうかわからないが、後回しだ。まず、やる。

「もう一度お願いします」

「はい。それでは、失礼します」

 拳を打ち、投げられる。玄はそれを何度も繰り返した。本気である。遠慮などとっくになくなっていた。

 いくらでも、いくらでもやった。なにが起こっているのか、なにをされているのか、それを理解しようといくらでも投げられて、その結果、なにもわからないままだった。

 空が薄暗くなった五時ごろになって、今日の修行は終了。玄は息も絶え絶えで、どうにかありがとうございましたと礼を言った。

 このとき、誠の目には玄への諦観しかなかった。

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