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成金  作者: 三三珂
成金
17/17

 年が明けて数日が経過した。まだ冬休みだ。

 玄は広い家で一人おせちを食べたあと、どてらを羽織ってリビングで日の当たる庭を眺めている。手には湯飲みがあるが、中の緑茶は冷え切ってしまっていた。

 顔には覇気がなかった。

 目尻は垂れているようにも見え、頬もどことなく緩んでいるようだった。

 大晦日の試合後、控え室に多くのマスコミが押しかけてきた。

 フラッシュがたかれ、質問攻めにあいはしたが、玄はそのときの状況を詳しく覚えていない。そもそもどんな試合をしたのか、そんなことも記憶に残っていなかった。勝ったものの辛勝であり、ダメージは玄のほうが大きかった。

 鼻は折れ、まぶたは切れ、肋骨にはひびが入っていた。打撲は数え切れないほどある。ほんの少し、まさに紙一重の差だったのだ。

 そのためか試合の翌日、元旦は体が動かず、雪と華に面倒を見てもらっていた。

 その二人も二日には各々帰省している。雪は猪木村で、久しぶりに両親と祖父母の五人で顔を合わせているはずだ。華も実家がある高知に帰っている。

「玄君は立派になった。これで私は、私がやってきたことは間違いなかったって、これからも玄君を支えていくって、胸を張って報告にいけます。区切りも着いたきね」

 玄の幼さが彼女を縛り続けていたが、ようやく解放できた。帰省前に、華からその言葉をもらえて、彼自身もほっとした。

 ため息をつき、玄は立ち上がってどてらを脱ぎ捨てた。その下には動きやすいジャージを着ていた。彼はリビングから玄関に向かい、外に出た。

 冷たく、鋭利なナイフのような風が頬に当たる。

 坂の並木はすっかり枯れてしまって葉っぱ一枚ついていない。夏とは大違いのその様に、玄は雪と出会ったころがひどく昔のことのように感じた。

 彼はそのままとぼとぼと、カタツムリにも負けるような歩みで坂を下りていく。雲ひとつない快晴だった空に灰色の分厚い雲が広がっており、ひらひらと雪が降ってきていた。

 またため息をつくと、玄は表情を引き締めて走り出した。

 足取りは怪我人とは思えぬほどしっかりとしている。坂を下りきると、今度は何かに誘われるように、またその誘いに乗るように、スピードを上げた。

 試合を見たのだろう。道行く人から何度か声をかけられたが返事はしなかった。玄はまっすぐ、その場所に向かっていく。

 学校を通り過ぎ、山に入り、くねくねと曲がりくねった道を行く。そうして、たどり着いたのはあの小学校だった。体育館入り口の前には黒いワゴン車が止まっている。

 玄はためらうことなく扉を開けた。冬なのに、むっとするような熱気が襲ってくる。それを受け止め、足を踏み入れると、あのリングの上に梶が座っていた。黒いショートタイツ。プロレスラーの姿である。

 そばのリングサイドには運転してきたのだろう、黒崎もいた。

 手にはゴングを持っている。

「よく来たな。怪我は大丈夫か」

 梶が言った。

「大丈夫かって言われたら大丈夫じゃありません。でも、それとこれとは関係ありません」

 玄は答えながらジャージを脱ぎ捨てる。その下には、赤いショートタイツがあった。靴も靴下も脱ぎ、梶と同じ姿になってリングに上がった。

 向かい合い、玄は梶に言った。

「闘いたいって電話が来たときは、驚きもしましたが、納得しました」

「そうか。なら、ここがどういうところか覚えているのか?」

「日比野とやってるときに思い出しましたよ。俺はここで、銀の最後の試合を見ていた」

 梶は笑っていた。玄が尋ねる。

「ここ、一体どういうところなんですか?」

「俺と銀が通っていた学校だ。ここで関節技、打撃技、絞め技を練習していた。もちろん、ごっこ遊びの延長だが、真剣だった。そうだな。俺たちが始まったところって言うのがぴったりだ。だから、ここで終わらせようと、銀が死ぬ前に最後の試合をした。ギャラリーはそこの黒崎と、お前の母さん、お前の三人だった」

「少ないですね。信じられないほど豪華なカードなのに」

 玄がそう言いながらストレッチをする。

「武道館どころか東京ドームを満員にできるさ」

 梶が飛び上がり、コーナーポストに寄りかかった。彼は天井を見上げ、呟いた。

「俺はな、納得がしたいんだ」

「納得ですか」

「プロレスってのはな、見世物だ。見世物じゃなけりゃあんなに試合をすることはできない。本気でやってたら怪我どころか死人まで出ちまうかもしれん。けど、打撃も関節も、絞め技も、闘いに勝つためのもんなんだよ。俺は、銀と闘いたかった。真剣でだ。ところがだ。銀はとっくに弱っていた。弱かった。本当に弱かった。筋肉も衰えていてな、力もない。スピードもない。腕を簡単に折ってやった」

「でも、銀は何度も起き上がった。俺はそこを鮮明に思い出しました。何度倒されても起き上がる」

 梶の目には涙が浮かんでいた。つーっと、流れる。

「恐ろしかった。結局チョークスリーパーで落として俺が勝ったんだが、そんなもので満足できなかった。俺はあのときから延々と苦しんでいる。もし、あいつが病にかかっていなかったら、万全だったら、どうなっていたのか。俺はそれを知りたい。勝敗はどうでもいい。納得できたらそれでいい」

 梶は玄に振り向いた。もう涙はなかった。

「玄。黒崎に命じてお前を鍛えさせたのも、いろんなやつをけしかけたのも、日比野と闘わせたのも、すべてはこのときのためのお膳立てだ。やってもらうぞ」

 玄は笑っていた。怒ることはなかった。

「それじゃあルールはどうします?」

「参ったか、気でも失ったりしたらそこで終わりだが、あっけらかんとしているな」

「別に。どうってことありません。闘ってくれって言われたら、闘う。それだけです。とりあえず、骨が折られたって止まらないんですね」

 梶は頷いた。

「よし。そんじゃあやりましょう」

 玄は梶と対角のコーナーポストに下がった。

 数秒後、黒崎がゴングを鳴らした。

 玄は亀にならなかった。走り出していた。

 梶もまた走り出していた。 


「―――」

「―――」


 梶は泣いていた。玄も泣いていた。そして、玄の中にいる銀もまた、泣いていた。

 闘いは殴り合いで、蹴り合いで、関節の極め合いで、ぶつかり合いだった。

 皮を打つ音が反響した。 

 肉を打つ音が反響した。

 骨を打つ音が反響した。

 汗が飛び散った。

 が飛び散った。

 血が飛び散った。

 涙が飛び散った。

 梶は喜びを叫んだ。

 玄は喜びを叫んだ。

 梶は悲しみを叫んだ。

 玄は悲しみを叫んだ。

 梶は怒りを叫んだ。

 玄は怒りを叫んだ。

 梶は楽しさを叫んだ。

 玄は楽しさを叫んだ。

 二人が感情を叫んだ。

 梶は梶翔たるもの全てを使い尽くし、玄は千葉玄たるもの全てを使い尽くす。

 生きるも死ぬもどうでもいい。

 このまま走り、貫き、闘う。

 それだけ。


「翔」

 ――なんだよ。

「俺さあ、アメリカでプロレスラーになるよ」

 ――そうか。

「お前はどうなんだよ」

 ――俺もなるよ。

「じゃあ、一番になろうぜ」

 ――当たり前だ。

「俺はアメリカ、お前は日本。いいなあこれ」

 ――そうだな。

「アメリカ一と日本一。すごいよな。そうなったら世界一だ」

 ――そうだな。

「もうさ、プロレスだけじゃあなくしちゃおうぜ」

 ――どういう意味だ。

「だからさあ、ボクシングも空手も柔道も、なにもかもで一番になろうぜ」

 ――それ、いいな。

「そうだろ。実現させてみようぜ」

 ――ああ。


 玄の脳の中で誰かの声がする。誰か、子供が喋っている。聞き覚えがあるような声だ。

 梶の張り手が玄を打つ。ひっくり返ってロープに振られ、その反動で戻るとラリアット。

 キャンバスに倒れ込んだ玄を後目に、梶は素早くコーナーポストに登った。そこから飛び上がってダイビングプレス。それをすんでのところで避けた玄が、起き上がる梶の背後に回り、持ち上げ、全身のばねを使って、後方のキャンバスに叩きつける。

 綺麗な弧を描いたジャーマンスープレックスだったがまだフォールを奪えない。玄の拘束から逃れた梶は、ロープに走って反動をつける。そのまま起き上がり様の玄の首を、再びラリアットで刈り取る。仰向けに倒れた玄の視界は明滅し、ざあざあと声がする。


「ああ、来ちゃったか」

 ――来ちゃったかじゃねえよ。なんで黙ってたんだよ。

「ごめん」

 ――ふざけるなよ。ようやく、ようやくじゃねえか。

「そうなんだよなあ。かーちゃんも玄もいるんだもんなあ。参ったこりゃ」

 ――そこじゃねえよ。俺たち、ようやくプロレスラーになったんじゃねえか。

「そうだなあ」

 ――こっからいろんなやつと闘って、闘って、勝っていくんだぞ。一番になるんだぞ。

「でもなぁ、長くて半年って話だからな。どんどん細っていくぞ。飯がな、まずいの」

 ――ふざけんなよ。なんだよそれ。なんとかならねえのかよ。

「なりそうもないなあ。確実に死ぬぞ。これ」

 ――心残りとかないのかよ。

「あるよ。お前には本当に申し訳ないなと。アメリカでどうにもならずに燻っていた俺を助けてもらったのに、恩返しがほとんどできなかったってな」

 ――いらない。そんなのいらない。ほかにねぇのかよ。

「それなら一つ。俺ってさ、お前とやってないじゃん」

 ――ああ。

「一番になれてないからなあ。そうだな。やろっか。お前と」

 ――なんだよ。正気かよ。何言ってんだよ。

「結構まともなこと言ってると思うよ」

 ――どこがだよ。

「そっか。でもなあ、結構昔から思ってたんだよ。一番になりたい。一番になりたいからお前と闘いたいって」

 ――そんな、そんなのがお前の望みかよ。

「そうだよ。悪いな」

 ――謝るなよ。

「でもなあ、やってみたいんだよなあ。とにかくさ、翔とやっておきたいんだ。真剣でな」

 ――俺は、

「やろうぜ」

 ――そんな、

「やろう」

 ――くそ、

「やる」

 ――やるよ。


 フォールを奪いにきた梶を跳ね除ける。起き上がった玄はその場で飛び上がり、足を揃えてドロップキックを放つ。梶の分厚い胸板にぶち当たる。梶はロープに振られるが、勢いがなかったので反動で返ってこない。梶はその場に立って、待った。

 玄が突っかかる。顔を殴る。水平チョップを胸に打つ。ソバットを胸に叩きこむ。追い詰める。追い詰めて、追い詰めて、追い詰めて、梶の大振りアッパーで逆転される。

 蹈鞴を踏みながら後退していくと、梶は向かってきて、跳んだ。ぐるりと縦に回転して、脚を胸にぶつけてきた。胴回し回転蹴り。空手の技だった。


「銀はね」

 ――うん。

「銀は、強かったんだ」

 ――うん。

「すっごく強かった。でもね、才能はなかったんだ」

 ――うそだ。

「本当。かっこよく勝つなんてできないんだ」

 ――それは、そうかも。

「背も低いし」

 ――足も遅い。

「しかも短い」

 ――でもかっこいい。

「そうなんだよね。銀は、あたしにとったら世界で一番かっこいい男だよ」

 ――どういうところが?

「そうさね。懸命だったからかな」

 ――懸命?

「どんなときでも、誰が相手でも、全力でやってた。中途半端なんてもんがなかった。そういう姿がね、かっこいいんだよ」

 ――俺はどうなの?

「知らないよ。大きくなったとき、懸命にやってたら、かっこいいだろうね」

 ――じゃあ、がんばる。

「がんばれ」

 ――がんばって、んーと、そうだ。

「なんだい。何を思いついたんだい」

 ――銀になる。

「はあ?」

 ――だから、俺は、銀になる。

「なんでだよ」

 ――そしたらかーちゃんも寂しくないだろ。

「何言ってんの。いまも十分寂しくないよ」

 ――そうなの?

「そうだよ」

 ――夜中に泣いてんじゃん。

「しばくよこんクソガキ」

 ――虐待すんなよ。

「躾だよ」

 ――ともかく、俺は銀になるよ。もう決めたからね。

「はいはい。わかったわかった。適当にがんばりな」

 ――懸命に、がんばるよ。


 水平チョップを胸に打たれ、玄は悶絶する。

 強い。高木との闘いで梶だって玄と変わらぬくらいダメージを受けているはず。なのに、こうまで強い。化け物だ。ところが、恐怖は感じない。

 なんたるパワー。なんたる強さ。玄は楽しくなってきた。


「空手を本格的にやらないか」

 ――すいません。

「柔道を本格的にやらないか」

 ――すいません。

「プロレスか。やっぱり」

 ――違います。

「じゃあなんなんだ」

 ――銀です。

「どういう意味だ?」

 ――俺は銀に成りたいんです。

「プロレスラーとは違うのか」

 ――銀は銀です。


「プロレスなんか八百長だろ」

 ――そうかもしれません。

「千葉銀とやらも本当に強かったかどうか」

 ――強いです。

「はあ?」

 ――銀は強いです。

「なんだよ」

 ――銀は強いんです。訂正してください。

「やだね」

 ――そうですか。

「なんだよ」

 ――泣いて謝れ。


 梶は強かった。パワフルで、タフで、豪快で、ぶんぶんと振りまわされて、玄は飛ぶ。意識は朦朧とし、視界が灰色になる。

 それでも意思はある。闘う。闘う。闘う。

 梶の大振りのパンチが飛んでくる。それを恐れず受け止めて、ひきよせる玄。

 直伝の技。日比野を仕留めた技。梶はぐるりと回り、顔面からマットに落ちた。

 そのまま肘を取った玄は、関節を極めたが、梶は無理やり、強引に起き上がる。バリと、変な音がした。梶は笑って、玄を蹴り飛ばした。


「玄君!」

 ――はい。

「喧嘩せんでって何回言うたらわかるが!」

 ――すいません。

「もう何回目ぞね!」

 ――数え切れません。

「そうよえ! いつか、もしかしたらこんな傷じゃあすまんかもしれんがで!」

 ――でも、

「でも?」

 ――でも、銀は強いんです。にされるわけにはいかないんです。


「玄」

 ――なんだいかーちゃん。

「イカを食べるんだよ」

 ――無理。

「だろうね」

 ――他にない?

「そうさな。あんまり喧嘩すんじゃないよ」

 ――努力はする。

「怪我すんじゃないよ」

 ――努力はする。

「あんま華ちゃんを泣かすんじゃないよ」

 ――努力はする。

「一つぐらいは約束しなよ。そろそろ死ぬっていうのに」

 ――ごめん。でも、一つだけ、約束する。

「なんだい」

 ――俺、銀に成る。

「またそれかい」

 ――うん。

「銀になるってことは銀を背負うんだよ」

 ――背負うよ。

「ま、あれだ。約束したからには適当にがんばりな」

 ――懸命にがんばるよ。


 後ろ向きに倒れる。玄の意識が飛ぶ。落ちていく。奈落に、どこかに、玄が、銀を背負った男が、負けて、負けてしまう。

 ああ、もう、もう無理。死んで、負けて、終わって――、

「けえええええい!」

 甲高い雄たけびとともに、玄は背中から衝撃を受けた。そのため、倒れず、膝をつき、梶を見上げた。

「玄!」

 女の声がする。雪だった。背中、リングの外にいる。ロープの外から蹴ったのだ。

 いつのまに来ていたのか。ある種の予感でもあったのだろうか。

 ――いや、そんなことはどうでもいいや。

「起きろ! 玄! 銀を背負ったんじゃろが! 負けるんか!」

 ――そう言われてもな。


「俺は納得も満足もしていたよ」

 ――へえ。

「病気って言ってもな、まあ、それをひっくるめて俺は俺だし」

 ――そうは言ってもねえ。

「翔が納得も満足もしていないからなあ」

 ――そうそう。

「でもな、俺じゃあ翔には勝てんよ」

 ――そうなんだ。

「闘ってわかった。万全でも負けるわってなあ」

 ――あっさりしてんね。

「玄」

 ――なに?

「息子にはな、宿命があるんだ」

 ――どんな。

「父を越えるってもんだよ」

 ――そっか。

「俺より前に行け」

 ――前?

「前だ」

 ――難しいことを言う。

「行け」

 ――わかったよ。

「勝てよ」

 ――わかったよ。

「銀を越えろ」

 ――わかったよ。


「玄!」

 玄は立ち上がった。走った。

 梶が拳を振るった。前のめりに受けた。首の筋肉でダメージ吸収、しきれずに仰け反るが、それでも前へ走った。走って、跳んで、ソバットを繰り出す。

 速く、重く、強いソバット。

 梶が倒れ、玄はその背後に潜り込み、首に腕を回し絞めつける。

 裸締め。梶が暴れるが、絶対に逃さない。

「梶さん。俺、銀を越えます。さっき約束しました」

 玄の腕に力がった。

 わずかな時間のあと、梶の体から力が抜けた。

 黒崎がゴングを鳴らした。

 一時間を越える死闘だった。


 家に戻ってシャワーを浴びたあと、玄は雪に頼んで全身にシップを貼ってもらった。そのままリビングに布団を敷き横になった。毛布を被って暖かくし、庭に積もっていく雪を眺めた。

「明日にでも病院にいくんじゃな」

 寒い寒いと、どてらを着た雪が茶を啜りながらそう言った。

「そうする。けど、どうしてお前、あそこにいたんだ」

 玄が尋ねる。

「なんとなく。華さんから頼まれとったんじゃよ。実家に帰っちゅうけど、あの子の事が気になるき、見に来てくれっての。んで、早々に戻ってきて、家についたらおらんかったんでどこにいったんかなあと。思いついたんがあの小学校じゃった。あそこは変なのが残っとったからのう」

「……あれは、銀の未練だったんだろうな」

 玄が目を瞑った。

「そんなんと闘うなんざ、普通じゃあ考えられんのう」

 そう言って、雪は玄の額をなでた。

 彼女は微笑を浮かべている。獣ではなかった。やさしく、包み込むような、人の笑みであった。

「色々、疲れたな」

「そうじゃろのう。まあ、いまはゆっくり休むんじゃな」

 雪は玄の額に唇を当てた。

「言いたいことがあるんだが、すっかり忘れてたけど」

「なに?」

 玄は雪から顔をそらしてから言った。

「女が軽々しくキスするんじゃない」

 雪はちょっと間を置いてにんまりとした笑みを浮かべた。からかい相手を見つけた子供のようであった。

「なんじゃ、恥ずかしかったんか。ぬふ、ぬふふ、ぬふふふふ」

「うるさい。それと、前々から言ってきたが、その笑い方は気持ち悪い」

「すまんのう。治らんわあこれは」

 雪の笑いはやむことはなかった。

 気持ちの悪いはずのそれはいまだけは妙に心地よく、玄は夢の中に落ちていった。




















「金か」

 ――なんだよ。

「悪くないな」

 ――だからなんだよ。

「将棋のルール、わかるか?」

 ――わかるけど?

「あれって、前に一歩ずつしか進まないどんがめが、なるだろ。金に」

 ――と金か。

「そうそう。俺もお前も才能がないが、前に向かっていけばなれるかもな。金に」

 ――なるさ。あんたの息子だからね。

「懸命に、がんばれよ」

 ――懸命にがんばるさ。


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