9-3.イラつく理由
「ねぇウィストー、あたしどうしたらいいんですー……」
五杯目のビールを飲んだフィネが、困り顔でウィストに泣きついた。
場所はギルドから少し離れた居酒屋。フィネに誘われて飲みに行った次第である。夕食を済ましていたので断ろうかと思ったが、最近のフィネは危なっかしい様子だったため放っておけなかった。この質問も、ここ二週間で手が四つあっても数え切れないほど聞いていた。
「思うがままにしたらいいんじゃないの?」
「それがよく分かんないから聞いてるんですよー……」
普段は明るさ満点で可愛いフィネだが、酔っ払うとめんどくさい。最初の方は真剣に考えて答えていたが、こうも同じことを聞かれると嫌になる。ウィストは大分投げ遣りになっていた。
「私には何にもできないよ。ヴィックがラトナと付き合ってるかも知らないのに」
「あの雰囲気はそんな感じですよぉー。ウィストは鈍感すぎですよー」
「そうね。恋愛を知らない女はさっさと帰るね」
「ごめんなさい。謝りますから話だけでも聞いてください」
「はいはい。で、二人の関係の事? それとも何にもできない自分に関する自己嫌悪でも聞いて欲しいの?」
「なんかウィストが冷たい……」
「何度も似たようなことを聞かされたらそうなるよ。ほら、さっさと話してよ」
「テキトーになってる気がします……」
「話さないのなら帰るよ?」
「言うから。すぐに話すから聞いててください」
フィネに引き留められて、いつもと同じように話を聞くことにする。毎度似たような内容なので、おおよその話は予測できる。
「ヴィックの事なんですけど……」
やっぱり、と心の内で呟いた。
「最近、よくラトナと一緒にいるところを見かけるんです。しかもめっっっちゃくちゃ仲良さそうに!」
「ラトナは元々、誰とでも仲良くしてるでしょ。気にし過ぎじゃない?」
「ヴィックの腕に絡んだり、ヴィックにあーんをしたり、ヴィックの背中におっぱいを押し付けるのが普通ですか?! あたしも巨乳になりたい!」
「ただの願望になってるよ。とりあえず飲んで落ち着いたら?」
新しく来たビールを渡すと、フィネはグラスの半分以上を飲んでから「落ちちゅけるわけないれす!」と呂律が回らないまま言い放つ。順調に飲み進んでいるようだ。面倒になったので、このまま酔い潰させることにした。
「そんなに気になるんなら聞けばいいじゃない。二人は付き合ってるんですかーって」
「はい、って言われるのが怖くて聞けないです」
ついさっき、似たようなことを考えていただけに、ウィストも否定できなかった。ラトナといちゃついているヴィックの顔が、満更でも無さそうに見えたからだ。もし付き合ってなくても、ラトナの攻めに負けて腑抜けてしまう可能性もある。見惚れそうな真剣な表情を見せてくれたものの、完全に信じきれない理由がそれだった。
ラトナは容姿が良く、魅力的なスタイルを持っている。そのうえ人付き合いが上手いのでかなりモテる。数え切れないほどの告白を受けており、一緒に遊んでいるときにナンパされたことが多々あった。それほど女性として魅力的なラトナがヴィックを籠絡しようとしたらひとたまりもないだろう。だからフィネも悩んでいるのだ。
こうなったら、選択肢は二つしかない。
「じゃあ玉砕覚悟で告白するか、別れるのを待つか、それしかないよ」
不満気な表情で、フィネが「う~」と唸る。モンスターか、と突っ込みたくなった。
「違うんれす……なんか、こう、そういうのじゃないんれす……」
「はいはい。どういうことなの?」
「ヴィックの事は好きれすが……付き合いひゃいのかというと……ひょっと違うんれす……」
少し意外な言葉が出た。付き合いたいのにラトナという強力な競争相手がいるから怖気づいているのかと思っていた。
ちょっとだけ興味が湧いてくる。
「どう違うの? てっきり恋人になりたいのかと思ってたんだけど」
「それも魅力的なんれすけど……あたしが気にひてるのは、べひゅのことなんれす……」
「うんうん。何が気になるの?」
「ヴィックが……また……」
呂律が回らないまま静かに語っていたフィネが、良いところで寝落ちした。肝心なところを聞けないとは……。
やはり酒はほどほどにすべきであると思い至った。
ウィストは酔い潰れたフィネを背負って、フィネの家まで運んだ。何度か行ったことがあるので、家までの道は知っていた。フィネの体重が軽いことと、普段から重い物を持ち運びすることもあって、あまり疲労せずに家まで着くことができた。
家のドアをノックして、中にいる人を呼び出した。十秒程待つと中から音が聞こえてドアが開く。開けてくれたのは、フィネの妹のノイラだった。
「こんばんは。お姉ちゃんを連れて来たよ」
「……あぁ、ありがとうございます。苦労をかけてすみません」
「中に入ってください」と促されて、フィネを背負ったまま入る。居間の奥にある寝室にまで案内され、そこには古いベッドが左右の壁に沿って二つずつ配置されていた。右側手前のベッドにフィネを寝かせて、布団をかぶせる。ふと部屋の奥に視線を向けると、小さな木製の机があり、本や筆、火のついた蝋燭が置かれている。どうやら勉強中だったようだ。
「こんな時間まで勉強かー。凄いねー」
率直な感想を言うと、「たいしたことありません」と答えられる。
「やりたいからやっているだけです。早く自立して、自分の力で稼ぎたいので……」
「そっかー……けど立派な事だと思うよ」
ノイラが通うフローレイ国立学校は五年間の在学が許されている。ノイラはまだ二年目だというのに、すでに先の事を考えている。その場の直感で動くウィストとは大違いである。
勉強の邪魔をするのも悪いと思い、早々に立ち去ることにした。寝室から出ると、しかしノイラに呼び止められた。
「ウィストさん。依頼したいことがあるんですけど良いですか?」
「依頼? それならギルドに言った方が良いよー」
当たり前のことを返したつもりだが、不機嫌そうな顔をして「ギルドはダメです」と言われた。
「ギルドを通して依頼したくないです。直接ウィストさんに頼みたいのです」
「あまり人目に晒したくない依頼なの?」
「……そういうことでいいです。それで、受けてくれますか? マイルスダンジョンを踏破したウィストさんなら、楽にできると思うのですが?」
「んー……嫌だ」
断ると、ノイラは意外そうな顔を見せた。
「何でですか? 依頼の内容も聞かずに断るなんて……」
「だって、他人に知らせたくない依頼なんでしょ? だったら受けないよ」
ギルドを通さず直接依頼を出す場合は二つに分けられる。一つは信頼している冒険者に確実に受けてもらうためだ。ギルドを通すと掲示板に依頼書が貼りだされ、高難度な依頼でもない限り、受託する冒険者が現れる。しかし誰が依頼を受けるのかは、依頼者が選べないという欠点がある。その欠点を逃れるために、知己の冒険者に直接依頼するのが主な理由だ。
もう一つは、ギルドに知られたくない依頼の場合だ。これが理由である依頼のほとんどが危険な依頼内容だ。直接的か間接的かの違いはあれど、危険な事態を引き起こす要因になることが多いのが特徴である。
「……あれは、言葉の綾です。ちょっと恥ずかしい理由だったので、誤魔化してしまいました」
ノイラが息を呑み、慌てて言葉を翻し始めた。あまり言いたくない理由なのだろうと、後ろ暗い雰囲気を感じ取った。そんな怪しい依頼を、フィネの妹から受けたくなかった。
できれば同じような事を他の冒険者にも持ち掛けてほしくはないのだが、そのまま注意しても隠れて行うかもしれない。
だからやめてくれそうな理由を考えて、それを口にした。
「そういう理由を話せないような依頼は出さない方が良いよ。フィネにばれたら心配されるし」
フィネの事を絡めば、やめる理由ができると思った。家族に心配かける行為は、普通なら忌避したがることだ。ノイラもそれに含まれると考えた。フローレイ国立学校を受験する際、家族の支援を、特にフィネの応援を受けていたということをウィストは知っていたからだ。
それほど愛されている家族に迷惑をかけたがる人はいないはずだ。だからノイラも例に漏れずに止めることを考えると思っていた。
しかしノイラの言葉は、ウィストの予想を裏切った。
「姉さんのことなんて、どうでもいいんです」
淡々と、そして無機質な声でそう言った。表情からも嘘を言っている様には見えない。その様子に、今度はウィストが動揺してしまった。
「えっとー……どうでも良くは、無いんじゃない?」
とりあえず注意するが、「何でですか?」と問い返される。
「怠け者のことなんて、考える必要なんかありません」
付け足された言葉に苛立ちを覚えた。
あんなに冒険者のために働いているフィネが怠け者? フィネの何を見てそう言っているの?
「どういう意味? たとえ妹でも、フィネを侮辱する言葉は聞き逃せない」
「事実です。姉さんは、自分のしたいことを私に押し付けましたから」
「したいことを押し付けた?」
ノイラは「はい」とウィストの目を真っ直ぐ見つめ返しながら答えた。その目を見て、本気でそう思っているように感じてしまう。
「姉さんは運動神経が良く、元気で優しくて社交性もあって、私ほどじゃないが勉強もできます。緊張してあがりやすい欠点がありますが、それを除いても魅力的な人でした。そんな優しい姉さんは将来家族を楽させるために、フローレイ国立学校を目指してました。卒業すれば、安定して給金が良い仕事に就けるからです」
フィネは妹を含めた家族の事が好きだ。だからそう考えても不思議では無い。
「けど姉さんは私の方が頭が良いと知ると、その役目を私に押し付けました。自分より私の方が合格の可能性が高いからと言ってましたが、本当の理由は学費が足りないからです。フローレイ国立学校の学費は高くはないですが、私達の家は貧乏です。精々一人分の学費しか出せなかったんです。だから我慢して、私を応援しました。姉さんだって……努力すれば受かっていたかもしれないのに……」
ノイラは俯いて、上着の裾を握りしめる。
「私になんか構わなければいいのに、努力することを、苦労することを放棄した。自分が失敗することを恐れたから、そうしたに違いありません。だから……怠け者と言ったんです」
苛立ちが混じった言葉を聞き入ってしまう。今まで言えなかったことをぶちまけた声が、波の様にウィストに襲い掛かった。強力な地盤が無ければ、簡単に倒れてしまうだろう。
だからウィストは、倒れずにノイラの言葉を受け止められた。
「ノイラは……フィネの事が好きなんだね」
俯いていた顔を上げたノイラは、目を丸くしてウィストを見た。だが、服を握っていた手は力を緩めていた。
「何を……言っているんですか? 私の言ったことが分からなかったんですか?」
「ううん、凄く分かった。フィネにムカついているってことがすごく伝わった」
「だったらなんで―――」
「魅力的な人とか、努力すれば受かっていたとか、好きな人以外には使えない言葉だよ」
ノイラははっと気づいたような顔を見せる。今までずっと、それに気づかなかったのだろう。それほど盲目だったのが少し羨ましい。
「フィネは自分よりできる人なのに、その能力を活かさずにいることが不満なんでしょ? けど自分のために夢を諦めたから申し訳なくて強く言えない。だから嫌いとか、どうでもいいとか、都合の良い言葉を使ってた。イラつく理由がはっきりするから」
何も言わずに、ノイラは黙っていた。この様子だと図星だったのだろう。嘘をついてでも反論できないほど、余裕が無いように思える。
フィネを悪く言ったノイラの事は好きではないので、このまま話を続けて鼻をへし折る選択肢も取れた。
だけどウィストは、それをするつもりはなかった。
「けど少しくらいは、好きって気持ちを出しても良いんじゃない?」
フィネは友達で、フィネはノイラの事が大好きだ。好きな友達の妹を苛めるのは趣味ではない。
苦しそうな表情で、ノイラは声を振り絞って言う。「いまさらどうすればいいかなんて……分かりません」と。
「別に大したことしなくてもいいよ。無意味にじゃれ付いたりとか、ご飯を一緒に作ったりとか、家事を手伝うとか。あと、私にも甘えればいいよ」
「ウィストさんにも?」
「うん。好きな人が相手でも、嫌なとこの一つや二つはあるからさ、愚痴りたくなったら聞いてあげる」
「……世話好きなんですね」
笑いながら呆れたように言われたが、ウィストはそういうつもりではなかった。
「いいんだよ。私だって愚痴りたいことがあるからね」
何故ヴィックにイラついてしまうのか。ノイラのお蔭でその理由を突き止められた。
だからこの程度の事は、お礼と考えればどうってことなかった。




