8-7.不相応な実績
ノイラの言葉に、僕の呼吸が一瞬だけ止まった。ギルドを通さずに依頼を受けたことはある。だが相手から持ち掛けられることは初めてで、しかもそれがフィネの妹からだということは想像すらしたことが無かった。
当の本人は僕の返事を待っている。僕は静かに呼吸を再開してから、落ち着いて返事をした。
「依頼なら僕にじゃなくて冒険者ギルドに言えば良いよ」
僕個人を頼ってくれるのは嬉しいが、確実に達成するならギルドに依頼を出すのが一番である。ノイラの依頼を失敗させることは避けたい。そのためにもギルドを使うことを提案した。
だが僕の提案は、「ギルドはダメ」と一蹴された。
「ギルドにはお姉ちゃんがいるの。内緒にしときたいから」
依頼の内容はギルド職員が確認してから、掲示板に張り出される。その依頼を確認する際、一人だけではなく数人のギルド職員の目が通る。その中にフィネがいる可能性は大いにあるため、そう考えるのは最もだ。
気になるのは、何故ばれたらだめなのかということだ。
「えっと、何で内緒に?」
「その理由は言いません」
取り付く島も無いようだ。今は引いた方が良い。そう考えさせるほどの思いを感じた。
とりあえず、依頼の内容を聞いてみることにした。
「どんな依頼なの?」
「これに書いてあるモンスターの素材を持って来てください」
ノイラは懐から一枚の紙を取り出して見せた。そこには十行に渡って文字の羅列が書かれている。
「全部、マイルスダンジョンで取れるものだね」
リストに書かれた素材の一覧は、マイルスダンジョンのモンスターで取れるものばかりだった。退院次第、マイルスダンジョンに行こうとしていたのでちょうど良い依頼である。
ただ一つ、達成できるかどうかという問題を除けば、だ。
リストにあるモンスターの一覧は、グロベアを除けば全てが十階層のモンスターだ。僕が十階層に訪れたのは、ラトナと一緒に行った一度だけ。しかもあのときは十階層のモンスターを一匹しか倒していない。つまり、このリストに載っているほとんどのモンスターとは対峙したことすら無いのだ。
知識としてどんなモンスターであるかということは知っているが不安は残る。
病み上がりという懸念もあり、拒否しようかと考えていた。
「できますよね? 中級冒険者のヴィックさんなら」
ノイラの言葉が挑発のように思えた。彼女の顔を見ると、その考えが確信に変わる。悪戯を仕掛けた子供のように、にやりと笑っていた。反射的に「やるよ」と言いそうになったが、瞬時にその言葉を飲み込んだ。
十階層は一度しか行ったことが無く、しかもそのときはラトナと一緒だった。退院したばかりに一人で行くのはリスクが高い。
気持ちを静めてから僕は答えた。
「ごめんね。病み上がりに受けるには、ちょっと荷が重いから断るよ」
ノイラは少し驚いた表情を見せたが、あまり間をおかずに説明する。
「すぐに、というわけではないですよ? できれば、そう、二週間以内に」
「二週間?」
一度断った依頼だが、指定された期限を聞いて再び興味が湧いた。二週間もあれば十階層に挑む準備もできる。もちろん順調にいけばの話だが、先程より不安は少ない。
「今すぐ決めなきゃダメ?」
ダンジョンで鍛え直す間に自信がついたら受けようと思った。だがノイラは厳しかった。
「はい。受けるか分からない人を待つより、他の人を探す方が確実です」
そう正論を言われたら反論はできない。
期限はぎりぎりなところで、報酬は高くもなく安くもない適正な額。ギルドに依頼すれば翌日には受ける者が現れるだろう。
僕は少し悩んで、答えを決めた。
「分かった。受けよう」
不安はあるが丁度良い依頼だ。マイルスダンジョンで鍛え直すと言っても、目標があればより一層励んで鍛えることができる。そう思って受託することにした。
「では明日から二週間以内にお願いします」
ノイラは特に動揺を見せずに返事をし、素材のリストが書かれた紙を残して部屋から出て行こうとした。
「あ、ちょっと待って」
聞きたいことがあったので呼び止めると、首を少しだけ回して僕を見た。
「何です?」
「どうして僕に頼んだの?」
冒険者は山ほどいる。その中で僕に頼んだのが不思議だった。
ノイラは少し考えてから答えた。
「ヴィックさんが中級冒険者になったって聞いたの。それだけ」
「誰から聞いたの?」
ノイラは溜め息を吐いた。
「それくらい分かりません?」
そう言ってから部屋を出て行った。たしかに、彼女がフィネの妹だと知っていれば誰でも分かることだった。
だというのに、僕の顔には自然と笑みが出来ていた。
翌日の朝、僕は退院してからすぐにマイルスダンジョンに向かった。
理由はお金が全く無いからだ。治療費と今後の生活の事を考えたらのんびりしてはいられない。早くお金を稼がなければならない。
だけどダンジョンで歩いているうちに冷静になれた。焦ってしまってはまた怪我をする。落ち着いて確実にモンスターを倒そう。
そう考えると、退院初日に八階層に行くのは無謀な気がして、七階層から上の階層で狩りをした。この範囲だと、苦戦するのは精々ワーラットだけであり、そのワーラットにも囲まれない限り負けることは無い。
腕もたいして鈍ってはいなかった。思ったように身体が動き、盾を使って攻撃を受け流すことも問題無い。モンスターの動きも落ち着いて見れている。
この調子なら二週間で依頼を達成できそうだ。退院初日からそう思えるほどの自信を持てた。
ただ、一つだけ誤算があった。
「……あの、これだけですか?」
ダンジョンで適当にモンスターの素材を得てギルドに買い取って貰ったが、提示された額が思ったよりも低かった。今までの買い取り額から、一日分の食費が差し引かれた額だった。
何かの間違いかと思ったが、査定したリーナさんは「合ってるよ」と答える。
「モンスターの素材分がこれだけでー、そこから階級差負担を引いたのがこの額だよ」
「階級差負担?」
聞いたことのない言葉を繰り返すと、リーナさんが説明を始めた。
「ダンジョンのレベルよりも上のレベルの冒険者が、そのダンジョンのモンスターの素材を売るときに適用されるルールだよ。中級冒険者なら下級ダンジョンのモンスターを倒すのは簡単でしょ? だから必要以上にモンスターが狩られて、他の下級冒険者の取り分が無くなっちゃう。そしたら満足な稼ぎが得られなくなって冒険者を辞めちゃう人が増えるかもしれない。それを防ぐためにできたルールなの。中級冒険者が下級ダンジョンで乱獲しても、これを適用させてあまり得させないようにする。楽に狩ったとはいえ、持って来たものの価値が下がるのは誰だって嫌でしょ? そう思わせて適正なレベルのダンジョンに戻させるのが目的ってわけ」
「……つまり、どういうことですか?」
「中級冒険者が下級ダンジョンのモンスターを狩ってギルドに買い取ってもらうと、買い取り額が減ります! ってわけ」
理解できたが、納得はできなかった。たった今、初めて聞いた内容だった。いきなりそんなことを説明されても遅すぎる。
目でそう訴えると、察したリーナさんは怪訝な表情を見せた。
「おかしいなー。十階層に挑戦するって聞いたとき、ラトナに説明して伝えるようにって言ったんだけどなー」
「確かですか?」
「うん。『おっまかせー』って答えたから大丈夫だと思ったのになー」
ラトナの口調を真似しながらリーナさんは答えた。仕事のことでリーナさんが嘘を言うとは思えない。ということは、ラトナが忘れていたのか? 普段はお気楽な性格だが、冒険中は頼りになるラトナがそんな重要な事を忘れるなんて思いもしなかった。
深い溜め息が出てしまう。こうなると、今までと同じように冒険していられない。
中級冒険者になったとはいえ、僕自身が急激に強くなったわけではない。七階層より上のモンスターを狩る数には限度がある。だからお金の問題を解決するには、より価値のある素材を得なければならない。つまり早いうちに、高く売れるモンスターがいる八階層に挑む必要があるということだ。
そう考えたとき、中級ダンジョンに挑んだ時の事を思い出した。自分の力を過信して、何もできずに打ちのめされた記憶が甦る。あのときと同じことにならないだろうか?
頭を横に振って嫌な記憶を振り払った。流石に今回は大丈夫だ。八階層は誰の助けも無く踏破出来たし、十階層以外のモンスターは全部実際にこの目で見て、二人掛かりとはいえ戦って倒した経験もある。
だが踏破した実績はあっても、身体にこびりついた不安を引き剥がせなかった。




