8‐5.強者の餌
レーゲンダンジョンを調べ始めてから二日経ち、分かったことが二つあった。
一つは、レーゲンダンジョンのモンスターは、僕が得意とするモンスターが多いということだ。生息するモンスターは、パワーではなくスピードを活かした攻撃をしてくる四足歩行のモンスターが多い。さらに他のモンスターと連携して襲うようだ。この類のモンスターはグルフやレンを相手にしたときの対策を活かすことができる。
二つ目は、あまり人気の無いダンジョンであるということだ。過去五年間、レーゲンダンジョンに入った冒険者は一部を除いて、一度入っただけで二度と入ることがないようだ。理由は、高く売れるモンスターが少なく、さらに連携して襲ってくるモンスターの対処が厄介で、リスクに見合わないと判断するからだ。そして入る者が少なくなり、レーゲンダンジョンに関する出回る情報が少なくなったため、危険視して入ろうとする者がさらに少なくなる。そういった負の循環が回っているから人気が無いらしい。
だが僕からすれば、高く売れるものがあるかどうかは問題ではない。踏破さえできれば、多少厳しい環境でもかまわない。それを考えれば、レーゲンダンジョンは挑戦するのにうってつけだった。
情報が集まったこともあり、さっそくレーゲンダンジョンに向かった。マイルスの東口から出て、ムガルダンジョンに行ったときと同じように馬車に乗って進む。約一時間ほどで、レーゲンダンジョンに続く脇道を見つけた。そこで降りてからは徒歩で向かった。
レーゲンダンジョンの入り口は、他のダンジョンの入り口とは少し変わっていた。今までの入り口は洞穴の中にあったのだが、目の前には人の手で作られた石の門があり、その先に暗い石造りの道があった。四角く削られた岩がほぼ隙間なく繋がっていて、まるで建物の中にいるような錯覚がした。
昔の遺跡がダンジョンになったと聞いていたが、遺跡を見たことが無かったので想像が出来なかった。だが目にすると、今まで感じたことのない異質さを感じる。他のダンジョンとは違う、特別な雰囲気があった。
少し圧倒されたが、大きく深呼吸をしてから歩を進める。見た目が違うだけで、同じダンジョンだ。臆することは無い。
広い間隔で設置された松明の明かりを頼りに進むと、ダンジョン名が書かれたお馴染みの看板と扉がある。看板には『レーゲン中級ダンジョン』と書かれており、扉を開けると下に続く階段があった。
ランプを取り出し、腰に繋げながら降りていると、繋ぎ終えたときには階段を下り切っていた。松明の明かりはムガルダンジョンと同様に少ない。周囲の音を聞き逃さないよう、耳を澄ましながら歩いた。階段近くには、モンスターの足音が全く無かった。
警戒しながら進み続ける。三分程歩いても自分の足音しか聞こえない。僕以外に誰も居ないのではないかと不安になる。モンスターに襲われるのは嫌だが、ここまで遭遇しないと不気味であった。
そして十分程歩いたとき、
「……まさか一匹も遭遇しないなんて」
下に続く階段を見つけた。モンスターと全く遭遇せずに一階層を踏破した。思わず拍子抜けしてしまった。
当初は一階層でモンスターと戦って強さを図ってから、ダンジョンに居続けるか撤退するかを判断しようと考えていた。相性の良いモンスターが多いとはいえ中級ダンジョンである。予想外に強いこともありえるので慎重に進もうと考えており、前回の反省も生かして撤退時に役立つ道具を用意していた。だが全く遭遇しないことは想定外であった。
二階層に続く階段の奥が、暗闇のせいで見えない。一階層に下りるときには無かった不気味さがあった。
この先から進んだらまずい。頭の中で警鐘が鳴っていた。
危機感を抱き、階段に背を向けて来た道を戻ることにした。当初の予定を取りやめることになるが、これほどの不安を感じたまま進む勇気は無かった。足早にその場から離れる。
角を曲がって階段が見えない場所まで歩くと一息ついた。不安が少しだけ取り除かれた気がする。恐れずに進めば良かったかなと一瞬だけ思ったが、脳内ですぐに否定した。止めて正解だと、階段の手前で感じた不穏な空気を思い出して改めてそう思った。
やはりマイルスダンジョンで鍛え直すのが先だ。自信が付いたらムガルダンジョンに挑戦して、その後にまたここに来よう。
決意を新たにした、その直後だった。
背中から視線を感じる。しかも一つだけではない。鳥肌が立つほどの殺意が、無数と思えるほどの数で感じ取れた。
後ろには二階層に続く階段までの道しかなく、隠れるような場所は無い。つまりこの視線を送っているものは、二階層から来たということだ。気のせいであってくれと願いながら、恐る恐る後ろを振り向いた。
感じた視線は間違いでは無かった。土色の毛皮を纏った四足のモンスターが五匹、全員が鋭い赤い目を向けている。モンスターの名前はドグラフ。常に集団で狩りをするモンスターだ。毛の色以外はグルフと似た見た目である。しかし情報によると、グルフよりも力強くて仲間同士の連携が上手いらしい。
まず逃げることを考えた。しかし、ドグラフは足が速い事を思い出して考えを改める。どうせ逃げても、すぐに追いつかれてしまう。
それに元々は、レーゲンダンジョンのモンスターと戦うことを想定していたのだ。ここで迎え撃ち、倒してからダンジョンを出るのが確実に逃げられる方法だ。
僕は覚悟を決めてドグラフに向き直る。すると、ドグラフの集団は一斉に走り出した。二匹が前を走り、三匹がその後ろについている。二匹が眼前まで近づいて来たので、僕は盾をかまえて攻撃に備える。
しかし先頭の二匹は僕を襲わずに横をすり抜けて、僕の後ろに移動して止まった。後ろを走っていた三匹は僕の手前で止まっている。そのときになって、敵の狙いを察した。
「慎重すぎるでしょ……」
僕は今、五匹のドグラフに囲まれていた。さっきまでは後ろに逃げ道があったが、先頭を走ってきた二匹のドグラフによって封鎖されている。前には三匹のドグラフがいて逃げ場は無い。心なしかドグラフが、逃げ場がないぞと言っている様な顔をしていた。
後ろのドグラフは、走って来たときにも攻撃ができたはずだ。だがそれよりも先に逃げ道を無くす方を優先する知性に、僕は驚きを隠せなかった。これは複数人の冒険者が、モンスターを狩るときの手段と同じだった。
モンスターに囲まれたことは今までにもある。だがそれは、偶然が重なって起きたことだった。こうも素早く、しかも意図的に仕掛けて来るモンスターは初めてだ。囲まれたときの対処方法は知っているが、それで切り抜けられるのか不安になった。
僕が動くより先に、前方の一番近くにいるドグラフが動いた。ドグラフが一歩踏み出して跳びかかろうとしている。その瞬間、僕の剣の間合いに入った。好機と見て剣を振るうが、ドグラフはすぐに後ろに下がる。小癪にもフェイントを仕掛けたのだ。しかし感心している場合でも無かった。剣を振り切ったと同時に、後ろから別の個体から襲い掛かられる。すぐに盾を向けて防御するが、ぶつかる衝撃が無い。後ろから襲って来たドグラフは、僕を避けるように横に跳んでいた。
その直後に、身体がよろめくほどの衝撃が背中から伝わった。体当たりだということが感覚で分かった。倒れないように踏ん張るが、別のドグラフが向かって来る姿を視界に捉える。
迎え撃とうと剣を向けようとしたとき、横からドグラフの鳴き声が聞こえた。威嚇にも聞こえるその声に釣られ、思わずその方向を見てしまった。鳴き声を放ったドグラフは、剣の届かない場所でとどまっている。釣られたと、その瞬間に察した。向かって来ていたドグラフに素早く視線を戻したが、もう跳びかかっているところだった。
剣を向けたが、間に合わずに衝突する。バランスが崩れかかっていたところにぶつけられたため、体勢が崩れて仰向けで地面に倒れてしまう。
五匹のドグラフに囲まれているなかで倒れ込む、これ以上ないほどの最悪な状況だった。急いで起きようとしたが、さっき跳びかかってきたドグラフが身体に圧し掛かっていて、思うように動けなかった。
ドグラフは牙を剥き出しにして噛みつこうとする。噛まれるのだけは避けたいことだった。渾身の力で剣を振るって、ドグラフの首に斬りつけた。圧し掛かっていたドグラフは驚くように飛び退いた。首から血を流しているが、まだ戦意はある。嫌になるほどの体力だ。
僕は立ち上がって剣を手放す。すぐに腰の右側にぶら下げていた小さな袋から、紙のような薄い布で包まれた球を取り出し、それを思いっきり地面に叩きつけた。地面にぶつかると同時に、球から白い煙が噴き出る。白煙球というもので、強い衝撃を与えると中から白い煙を出す道具だ。逃走や身を隠すときに使えるもので、今回のために持ってきていた。
煙は一瞬にして広がり、ドグラフの姿が見えなくなった。だがドグラフも僕の姿が見えないはずだ。
この隙に逃げられる。
剣を拾って、出口に向かって走り出した。レーゲンダンジョンの一階層は広くない。全力で走れば二三分でダンジョンを出られる。
松明の明かりを頼りにしながら迷わずに走った。後ろからドグラフの足音が聞こえる。徐々に大きくなってくるが振り向く気は無かった。ダンジョンの入り口の階段を上れば扉がある。外に出た直後に扉を閉めればこっちの勝ちだ。それまでは全力で走り続けるのが最善だ。
角を曲がると、外に続く階段を見つけた。後ろからドグラフが来ているが、ぎりぎり逃げ切れるほどの距離がある。なんとか助かりそうだ。
速度を落とさずに走り続ける。階段に着き、勢いを止めずに上り始める。あと少しで外に出られる。そのときだった。
階段の上から、何かに跳びかかられた。速度をほとんど落とさなかったため、ぶつかった衝撃に耐えきれずに頭から地面に倒れた。
直後に、目の前の景色が回る。ぐるぐると風景が動いて気分が悪くなった。それと同時に、右腕から痛みを感じた。
「があぁ!」
鋭い針の山で、腕を両側から挟まれた気がした。見えなくても血が出ていることが分かった。そしてそれがドグラフの牙だと気づいたのは、景色が正常に見えるようになったときだった。
痛みに耐えながら周囲を見渡す。追ってきたドグラフが五匹、そして階段から跳びかかってきたドグラフが一匹、計六匹に囲まれていた。すぐに右腕を噛んでいるドグラフを振り解こうとしたが、残りのドグラフが僕の身体を押さえつけながら噛みついてくる。両腕、両足、腹で、肉を引きちぎられるような痛みが襲ってきた。
「は、離れろっ! 放せっ!」
力を込めて身体を動かす。しかし六匹のドグラフに身体を押さえられ碌に動けない。それでも動こうとすると、ドグラフの牙が食い込んできて余計に痛くなる。痛みに耐えて暴れても、逃げられそうになかった。
こんな道半ばで死にたくない。何とかして生きたい。
だが流れる血が多くなるほど意識が薄れていき、その気持ちすら消えそうになった。
瞼が段々と重くなってくる。目を瞑ったら終わりだと思っていても、瞼が重くて上がりそうにない。
抗えないまま、瞼が閉じ切ってしまった。
突然、大きな音が耳に届いた。
何かが破裂するような、耳をつんざく音だった。思わず、閉じた目を開けていた。
僕の身体に乗っていたドグラフが、頭から血を噴き出している。ゆっくりと地面に倒れた瞬間、残りのドグラフが階段に向かって駆けだした。吠えながら一斉に移動するが、十秒後には聞こえなくなっていた。
「おうおう、らしくない怒りっぷりだな。ま、食事を邪魔されたら当然か」
どこかで聞いたことのある声だった。声の主に視線を向けるが、視界がぼやけてよく見えない。だがその人物が僕の方に歩いて来ていることは分かった。
「おい。助けてほしいか?」
「はい」と答えたかったが言葉が出ない。声を出す体力すら残っていない。痛みに耐えながら頭を縦に動かした。
「ダンジョンでの活動は自己責任だ。つまりオレがお前を見殺しにしてもオレのせいではない。だがお前はオレに助けてほしい。だったらお前は、オレに何か助ける理由を与えなければならない。分かるな?」
さっきと同じように、僕は頷いた。
「じゃあお前はオレに何をくれる? といっても、見ず知らずの人間の好みを知っている訳が無い。だが世の中にはどんな人間でも欲しがるものがある。オレもその例に当てはまるぞ」
そこまで言われたら考えなくても分かる。僕は自分のバッグを開けて、そこからお金が入った袋を取り出して渡す。
目の前の景色はぼやけているが、その人がにやついたことを感じ取った。
「よしよし、じゃあ―――やろう。しっかし、ホントに―――なぁ。良い―――になったぜ」
徐々に声も聞こえなくなっていく。そして今度こそ瞼を閉じ切った。
助かるという安心感と、情けないという羞恥心を抱きながら。




