8‐3.特別じゃない人間
目が覚めると、暗くなり始めた空が目に入った。灰色の空が目いっぱいに広がり、視界の端には夕焼けのオレンジ色が見える。顔を横に向けると、僕の身体を囲むように木の板が張られており、その奥には草原と山がある。どうやら僕は馬車の荷台に寝させられているようだった。
身体を起こすと同時に、「起きたかい?」と声を掛けられる。振り返ると馬を操る御者が一人いる。御者は頭以外の身を甲冑で纏っていた。
「怪我、大丈夫?」
身を案じる言葉が聞こえて、身体のあちこちを触る。すると身体に激痛が走った。一箇所だけでなく、身体の至るところからだ。
「大丈夫じゃ……無いです」
「うん。大丈夫そうだね」
会話が通じていなかった。ちゃんと伝えようと症状を伝えようと思ったが、
「最初にざっと見たから分かってるよ。全身打撲。それだけだよ」
と軽々しく言われた。
「いや、十分重傷です」
「死んでなきゃ儲けもん、折れてなきゃ無傷ってもんさ。打撲程度なら動ける動ける」
他人事だと思っているのか、まったく僕を心配する様子が無かった。
だが初めて会った相手の事を心底心配する人は多くない。そう思えば少しだけ溜飲が下がる。
「しっかし驚いたよ。あんな所に倒れてるなんてね。何があったか覚えてる?」
御者の質問に答えようと記憶を辿る。
ムガルダンジョンに入った僕は、最初にサイガンと対峙した。しかし全く攻撃が通じずに反撃を食らった。盾で防御したが受けきれずに壁にぶつかったが、そこから先は覚えていない。
そのことを話すと、「なるほどね」と御者は納得した。
「サイガンは草食なうえ、大人しい性格のモンスターだからね。気を失った君を見て去って行ったんだろう。肉食なら食べられていたかもね」
最後に恐ろしいことを言われたが、その通りである。もしかしたら今頃死んでいた可能性もあったのだ。
まさかあんなに強いモンスターにいきなり出くわすなんて、思いもしなかった。
「君って、ヴィック君だよね?」
御者に名前を訊ねられる。頷くと同時に、なぜ僕の名前を知っているのかが気になった。
「やっぱり。二ヶ月くらい前のこと覚えてる? 馬車が襲われたとき。そこに僕もいたんだよ」
「……もしかして、一緒にマイルスに帰った人ですか?」
言われてからやっと気づいた。御者が身に付けている装備は、怪我をして一緒に帰ったメンバーの一人と同じものだった。
「グーマンだよ。同じ中級冒険者だし、よろしくね」
名乗られたので僕も名乗り返したが、「知ってるよ」と答えられる。
「君はソランさんを僕らのところまで連れてきてくれた恩人だからね。それくらいは知ってるよ」
「恩人は……言い過ぎです。僕はソランさんに伝えただけですから……」
「けどそれが無ければ何人かは死んでいた。似たようなもんだよ」
悪い気はしなかった。たいしたことは出来なかったが、褒められることは嬉しい。
ただ、浮かれた気分でいられたのは少しだけだった。
「だからこそ、今日の結果はいただけないね」
叱責するような厳しい口調だった。
「サイガンはムガルダンジョンでは最弱の部類だ。その相手に気を失わされるほどの醜態を晒すのは不用心すぎる」
グーマンさんは前を向いているため、僕の位置からは表情が見えない。だが見えなくても、怒っているということが伝わった。
「相性が悪かったということもあるかもしれないけど、それは事前に予想すべきことだ。備えが足りない者は容赦なく淘汰される。それが中級ダンジョンだ。少し情報を集めただけで踏破できるほど甘くは無い」
「……はい」
ごもっともな正論に、言い訳の言葉が全く出ない。中級ダンジョンを見くびっていたところがあったかもしれない。大いに反省すべき事である。
「ま、次頑張れば良いさ。たしか仲間と一緒にマイルスダンジョンを踏破したんでしょ? 何で今日は一人だけなのか知らないけど、今度は二人で行けば大丈夫さ」
「いえ、組んでた人は元のチームに戻っちゃって……」
「……本当?」
元気づけようとしたグーマンさんが明るい声を出していたが、僕の言葉を聞くとすぐに声のトーンが下がる。
しばらく黙っていたが、マイルスの西門に着いたところで、「大丈夫なの?」と振り向いて難しげな顔を見せた。
「何がですか?」
反射的に訊ね返すと、心配げな表情で尋ねられる。
「二人で……たしかラトナちゃんだっけ。彼女と一緒に踏破したんでしょ? たしかサポート役のはずだ。それが無くても進めるのってことだよ」
彼女のサポートが無いのは心もとない。だがそれまでは一人でやってきた。八階層以下でも、グロベア以外のモンスターは自力で倒すことができる。その自信があったから、今日はムガルダンジョンに挑んだのだ。
「最初は厳しいかもしれないです。けど慣れたら僕でも踏破できると思います」
自信を持ってグーマンさんに伝えたが、彼の表情は納得していなさそうだった。何か言いたそうにして、しかし言いにくいという顔だった。
「寝ぼけたことを言ってるじゃねぇか」
聞き覚えのある低い声だった。馬車の横に目を向けると、荷台に寄りかかるクラノさんの姿があった。
「クラノ。待ち合わせ場所はここじゃ無かったよね?」
グーマンさんは突如現れたクラノさんにも大して驚いていなかった。
「時間が空いたからな、迎えに来たんだよ。それよりも―――」
クラノさんは見下ろすように僕を見た。
「厳しいかもしれない? 慣れたら踏破できる? ずいぶんと悠長な事を言ってるじゃねぇか、おい」
喧嘩腰のような態度が少し怖かった。だが、言葉の内容には反論したかった。
「おかしいことですか? マイルスダンジョンではそれもあって踏破できたんですから、変なことじゃないと思うんですけど」
「その理屈が通用するのは下級までだ。中級で、んなこと考えてたらあっという間に屍になるぜ。なぁグーマン?」
グーマンさんは何も言わない。だが僕と目を合わそうとしない態度が、答えを物語っていた。
「こいつは気弱だから言わないが、他の冒険者は俺に同意するはずだ。同じ考えの冒険者がダンジョンから帰らなくなったのを、嫌というほど体験してるからな。まさかお前は、自分がそうじゃない特別な存在とでも思ってるのか?」
「そんなことは―――」
「思えないよなぁ。近くに本当に特別な奴がいるんだからよぉ」
脳裏にウィストの存在が思い浮かんだ。彼女の事を知ったら、自分が特別な人間だとは到底思えない。それはずっと以前から自覚している。
僕がそう意識していることを、クラノさんも察しているようだった。
「てめぇみたいな凡人の快進撃はここで終わりだ。大人しく下級ダンジョンで過ごしてろ」
言いたいことを言ったクラノさんは、グーマンさんに近寄って話を始めた。
二言三言言葉を交わすと、
「ごめんヴィック君。今から荷物を届けないといけないから下りてくれる?」
申し訳なさそうな声で言われた。
怪我はまだ痛むが、助けてもらった人にこれ以上迷惑をかけられない。僕は痛みに耐えながら馬車を降りた。
「クラノが色々と言ってたけど、気にすることは無いよ」
グーマンさんは優しい声をしていた。
「彼も心配していただけだから。君は君のやり方で進めばいいよ」
先に行くクラノさんを追いかけるように、グーマンさんは馬車を進ませた。
クラノさんの言ったことに対し、グーマンさんも同意する素振りを見せていた。その姿を思い出すと、慰めるような事を言われても信じきることができなかった。
たしかに僕は甘い考えを持っていた。だからクラノさんの言葉を否定できなかった。
だが、諦めるつもりは無い。
ウィストの隣に相応しい冒険者になることが目標なのだ。たかが一回やられただけで、それを投げ捨てる気にはなれない。実力不足ならもう一度鍛え直せばいいだけだ。
そのためには、
「まずは怪我を治すことかな」
僕は病院に向かって歩を進めた。




