7‐10.思い合う関係
「もう飲めないよー……」
背中にいるラトナが、眠たそうな声でそう言った。というより、寝言とも思える発言だった。
「もうちょっと起きててよ。ラトナの住んでるとこ知らないんだから、ちゃんと教えてよ」
「……ふぁーい……」
反応が鈍くなっている。急がないと本格的に寝てしまいそうだ。
ラトナは食事をしているときかなりの量のお酒を飲んでいたから、酒に強いと思っていた。しかし五杯目を飲んでいるととろんとした目になり、七杯も飲むと寝息をたて始めた。
これはまずいと思って起こしたのだが、既に遅かった。ラトナは酔っ払って支離滅裂な言動をし始めた。
「酔ってないよー。医者のあたしが言うんだから酔ってない」
「だいじょーぶぅ。あたしゃぁ負けません」
「なに? 裸見たいって? きゃはは」
こんな状態で宿まで一人で帰るのは無理である。そう判断してラトナを宿まで送ることにした。そして食事代は僕が払った。手痛い出費である。
肩を貸しても歩けそうに無かったので、背負って連れて行く。判断能力が落ちているのか、ラトナは何の文句も言わずに僕に背負われた。
意識が朦朧としたラトナに寝床の場所を聞いたが、その場所の名前を言わず、帰り道を伝え始めた。着きさえすれば問題無いのだが、その場所までラトナが起きていられるのかが心配だった。
そして、その不安は的中する。
教えられた道を進んでいると、背中から寝息が聞こえた。顔を向けると、目を瞑っているラトナの顔があった。どう見ても寝ている。
「……どうしよう」
行き先が分からなくなり、立ち尽くしてしまう。軽く揺すってみたが、相変わらず幸せそうな寝顔を見せている。ちょっとやそっとじゃ起きそうになかった。それにかわいい寝顔を見て、堪能したいという欲もあった。あと、背中に伝わる柔らかい感触も。
だが、いつまでもこうしてはいられない。早く宿まで届けないとベルク達も心配するだろう。仲間想いの彼らの事だ。寝る時間を削ってまで探すかもしれない。
彼らが動いてくれたら僕達を見つけてくれるだろうが、いつ見つけてくれるのかは分からない。まずは自分にできることをするべきだ。
とりあえず片っ端から宿屋をあたって、ベルク達を探そうと思ったときだった。
「やぁ、ヴィックじゃないか」
後ろからカイトさんが声を掛けてきた。武具を外しており、街の人と同じような私服を着ている。とっくにダンジョンから戻って来て着替えていたのだろう。
「こんなところで何をして……あぁ、なるほどね」
僕がラトナを背負っていることが分かると、申し訳なさそうな顔をした。
「すまないね。こんなことまでさせるなんて……」
「大丈夫ですよ、これくらい」
「そうか……けどさすがに代わろう。もうすぐ家に着くから」
カイトさんの提案を甘んじて受けた。家の中にまで入るのはさすがに迷惑だろう。
ラトナを僕の背中からカイトさんの背中に移す。少しだけ名残惜しい気持ちがあったのは仕方がないと思う。
カイトさんがラトナを背負ったのを見て、ここで別れて帰ろうと思ったが、
「折角だ。またこんな機会があるかもしれないから、家まで案内するよ」
と提案された。その可能性を否定しきれなかったので、ついて行くことにした。
「で、どうだった?」
少し歩いたところで、カイトさんが話しかけてくる。おそらく、ラトナとチームを組んだことについてだろう。
「かなり良かったです。あんなに凄いなんて思わなかった」
ラトナのサポートのお蔭で簡単にモンスターを狩れた。あれほどのサポートを受けていたカイトさん達が、少し羨ましかった。
「だろ? 最初は皆そう思うさ」
「カイトさんも?」
「そりゃそうさ。偶然見ちゃったんだが、なかなかのもんだった」
「偶然」という言葉を聞いて首を傾げる。いつも一緒に冒険しているのに、ラトナの動きっぷりを見る機会が無いのだろうか。
「堂々と見れないんですか?」
「君は凄いことを言うね。そんなことをしたら怒られちゃうよ」
「怒られませんでしたけど?」
戦闘中、ラトナの場所を確認するために後ろを見たことがあったが、別に怒られるようなことは無かった。
するとカイトさんは「本当に?!」と仰天する。
「はい。というより、確認するのは必要だと思ったんで……」
「……俺は君を見くびっていたようだ。まさか一日もせずにそこまで関係を深められるなんて……」
何故か尊敬の眼差しを向けられる。仲間の動きを確認することがそれほど凄いことなのか。
だが、悪い気分ではなかった。
「大したことじゃないですよ。ウィストと組んだ時もしてることですし」
「ウィストも?! ……まさか君と仲の良いフィネもそうかい?」
フィネの名前が出るのは予想外だった。冒険者ではない彼女の名前が出た理由については不明だが、動きというより彼女のギルド内での働きぶりは知っている。
「よく働いていることは知ってます。フィネのお蔭でどれほど元気づけられたことか、数え切れないほどです」
「数え切れないほど元気づけられた……?」
カイトさんは驚愕し、「負けたよ」と呟いた。
「俺は結構モテる方だと思っていたけど、こんなに近くに強敵がいたとは思わなかったよ……」
いったいカイトさんは何を言っているのだろう?
「これからは君の事を一流のプレイボーイだと認めよう」
「……何の話です?」
会話がずれているように感じて聞き返した。プレイボーイって何のことだ?
「何って……君はラトナやウィストのおっぱいを堂々と見ても許される存在で、しかもフィネには何度もナニして元気にしてもらったってことでしょ?」
「ホントに何の話をしてるんですか?!」
全く意味が分からなかった。僕は友達の戦いぶりや働きぶりを話していたつもりだったのに。
「最初からそういう話じゃなかったのかい? ほら、ラトナを背負ったときに感じただろ? ラトナのおっぱい」
「僕はラトナの戦いぶりを聞かれたと思ったんですよ!」
「……あー、なるほどなるほど」
合点がいったのか、カイトさんは納得した素振りを見せると次に笑い始めた。
「くくくっ。たしかに聞き方は悪かったかもね。ごめんごめん」
笑いながら謝られても、本心から謝罪している様には見えなかった。笑い声を止めると、「で、どうだった?」とまた聞いてきた。
「どっちの話ですか?」
「分かんない?」
「……ノーコメントで」
「まぁおっぱいの話なんだけど」
まだ続けるのかと突っ込みたい。一分も満たない時間で、カイトさんの口からおっぱいという単語を三回も聞くとは思わなかった。
「昔はそれほど大きくは無かったんだけど、この一二年で大きくなったみたいだ。ラトナは薄着だからそれが良く分かる」
ラトナは動きやすい服を着ている。一応、冒険者用の動きやすくて丈夫な服だが、身体のラインが分かりやすい物だった。
「他にも色んな事を知ってるさ。寝顔が可愛いこと、手が綺麗なこと、知識があって賢いこと、仲間思いなこととか。もちろん、ベルクやミラも知ってることだ。俺達は幼い頃からの友達だからね」
途端にカイトさんの口調が真面目になる。下品な言葉を使ってたときとは大違いだった。
「特に俺はラトナとの付き合いが長い。だからラトナがチームを抜けた理由も、大体察しがついている。けど―――」
一度言葉をとぎらせる。そして苦々しい声で続けた。
「あの選択には、納得していない」
無念さを漂わせる顔だった。
僕はカイトさんとの付き合いは短いが、それなりに彼の事を知っているつもりでいた。普段から大人びた態度でリーダーらしい存在だが、さっきみたいに年頃の子供の様にふざける一面を持っている。大人と子供、両方の顔を持つカイトさんのことを、同じチームでないにもかかわらず、頼りにすることがあった。
けれど今みたいな苦難に満ちた顔を見て、自分が勘違いしていたことにも気づいた。
いつも見ていたのは、カイトさんの表の顔だ。僕は彼の裏を知らないのに、知ったつもりでいた。そしてベルク達は、おそらくそれを知っているのだろう。
彼らがどれほど仲間の事を思っているのか。それは僕の計り知れないほどなのだろう。
「けど君は、ラトナが選んだ冒険者だ」
強張った顔つきでカイトさんが言った。
「ダンジョンを踏破するまでに、ラトナは問題を自力で解決する気だ。それまで彼女を支えてやってくれ」
悲痛な思いが、突き刺さるほど伝わった。
元々、ラトナと支え合いながらダンジョンに挑むつもりだ。だがこれほどの思いを告げられて、今までと同じような気持ちでいられるわけがない。
「分かりました。任せてください」
決意を口にした時、肩に重圧を感じた。だが辛くは無い。頼られるのは嫌いじゃない。
ただ少し、カイトさん達の事が羨ましく思った。
これほど思い思われる関係は、そうそうないものだから。




