7-5.ハプニング
「その結果がこういうことです!」
「キキッ」
僕の言葉に同意するようにエンブのレンが鳴いた。やはり頭が良いモンスターだ。
話を聞いたウィストは呆れた様な顔をしていた。
「ヴィックは『用心』という言葉を覚えた方が良いんじゃない?」
ぐぅの音も出ない言葉だった。
しかし、やったことに後悔は無い。
当時はダンジョン管理人のヒランさんだけではなく、上級冒険者の多くが調査のためにマイルスダンジョンを頻繁に出入りしていた。フェイルの言う通りダンジョン付近の森にレンがいるのなら、見つかって捕まえられる可能性があった。だから考える余裕が無く、誰にも相談できずに向かってしまった。おそらくフェイルは、この事も考えていたのだろう。
だがもしかしたら、罠の可能性もあったことだ。ヒランさん達に相談せずに一人で向かったのは危険な行為である。
「ごめん。けどヒランさん達にはとても言えなくて……」
「そうじゃなくて」
ウィストがきつめの口調で遮った。
「ヒランさん達じゃなくて、私に言えばいいじゃない。友達なんだから相談くらいしなさいよ」
手を後ろで組み、足をぶらぶらさせたウィストがそう言った。いじけていることが誰にでも分かるような素振りだった。
だが僕の胸には、じぃんとした暖かい気持ちが染み渡っていた。
こうも面と向かってウィストに友達だと言われると、これほど嬉しいとは思わなかった。不覚にもにやけてしまいそうになる。表情に出さないように心を落ち着かせた。
「分かった。今度困ったことがあったら相談するよ」
「そうそう。頼り頼られの関係が友達ってもんだよ」
「さて」とウィストが言葉を続ける。
「このエンブ……レンがグルフ対策になるの?」
レンを見ながらウィストが尋ねる。
「うん。レンは動きが速いうえに予想外の動きをする。まるで複数のモンスターを相手にしている錯覚に陥るほどに。しかも頭が良いから、色んな手を使って攻撃しようとしてくるんだ。だからグルフに接近されたときの練習にもなるはずだよ」
「たしかにねー。さっきも普通のモンスターじゃ考えられない方法で攻めてきたからびっくりしたよ。頭良いんだね、レン君」
褒められたと察したのか、レンは顔を掻きながら鳴いた。その反応にウィストはまた驚いた。
「こんなに頭の良いモンスターと戦ってたら、グルフの相手が出来るのも頷けるね。で、どんな練習をしてたの?」
「練習っていうより、遊びに近いかな。簡単に言えば、相手の額をタッチしたら勝ちっていうゲームだよ」
僕は自分の額を指して説明する。
「僕達は武器を使わずに素手で相手をする。レンは石とか怪我しそうな物以外なら何でも使っても良い。けど額にタッチするとき以外は顔に攻撃したらだめ。僕達は殴っても蹴ってもオッケー。掴むのも有り。額を叩いたら勝負有りで一旦間を挟む。っていうルールだよ」
「……なんかこっちが有利っぽい?」
ウィストが疑問の声を上げる。
たしかに、どんな攻撃をしても良いというのはやりやすい。僕等の方がリーチが長いので当てやすく、当たればレンの動きを止めることができる程の体重差だ。
レンが武器を使っても良いとはいえ、使えるのはせいぜい木の枝や砂と葉っぱくらいだ。木の枝で攻撃されてもダメージはほとんど無く、砂と葉っぱは目くらましに使われるが、知っていれば警戒はできるものだ。だからこちらが有利と思うのは不思議では無い。
しかしこの有利な状況をものともしないのが、危険指定モンスターのエンブである。
「じゃあ、一回やってみる?」
話を聞くだけじゃなく、やってみるのが一番理解しやすい。ウィストも乗り気で「もちろん」と答えた。
僕はレンに向かってウィストが相手をすることを身振り手振りを交えて伝えた。分かったような表情をして頷くと、レンはウィストの方に向き直った。ウィストはバッグを降ろしており、準備完了しているようだった。
ウィストとレンが向き合ったところで、僕は手を叩いた。
「はじめっ!」
直後に、レンが真上に跳躍した。頭上にあった木の枝に乗って、すぐに別の木に飛び乗る。そして一秒も経たずに、次の木に跳び乗った。ウィストは次々に木に飛び移るレンを見ているだけだった。
「なるほどねっ―――」
やられたと言わんばかりの顔で、レンの動きを目で追っていた。しかし徐々に速くなるレンの動きに、ウィストの反応が遅れ始める。レンの動きは、目にも止まらぬほどの速さになっていた。
これがあるから、ルールだけはこっちが有利にしたのだ。
最初は同じ条件で遊んでいたのだが、すぐにルールを変えることになった。
ダンジョンで遭遇したときは、数回やれば勝てるほどの差であった。しかしそれは、勝負をした環境のお蔭だったとその日のうちに気付いた。
エンブの特徴は、抜群の身体能力と平衡感覚だ。前後左右に加え上下にも跳び回り、相手を翻弄するのがエンブの戦い方だ。初めてエンブに遭遇したときも、その予測のつかない動きに翻弄された。ダンジョン内は天井や壁との距離が一定だったから、動きの変化が少なく単調になったため、初見でも対応が出来た。
だがこの場所は、エンブの力を最大限に発揮できるところだった。
周りには大量の木が生えており、上は木から伸びる枝が多く存在する。規則性の無く生えた木の間を跳び回ることで、捕えきれない不規則な動きが生まれる。しかも枝から生えた葉が、小さなレンの身体を上手く隠してくれる。攻めるのにも隠れるのにも有効な地形だ。
ウィストは必死にレンの動きを追うが、傍から見てもついていけてないことが分かった。ウィストが目を向けた頃には、すでにレンは全くの別方向にいる。ウィストもすぐに視線を向けるが、レンの動きはそれ以上に速い。あっという間に別方向に跳んでいる。
完全にレンを見失ったウィストは周囲に目を向けて警戒するが、その視線の隙間を狙ったかのように、ウィストの頭上からレンが降ってきた。ウィストが気づいたときには、すでにレンの左手が顔に向かって伸びている。
しかし、ウィストの反応も見事なものだった。レンの手から逃げるように後ろに仰け反りながら、左手を突き出した。顔には当たらなかったものの、先にレンの身体を突き崩すことで、レンの左手の軌道が逸れた。
おまけに勝負が決まったと思い込んで油断していたレンは、予想外の反撃に対応できずに空中でバランスを崩した。レンはバランスを取ろうとして、伸ばした左手でウィストの身体を掴む。
直後に、何かが破ける音が発生した。
ちょうどウィストがいる場所から聞こえたものだ。地面に降り立ったレンの左手には、長い布切れが握られている。しかも見覚えのある色の布だ。
レンは首を傾げながらその布を見ているが、近くにいるウィストは微動だにしない。レンが足を止めて、絶好のチャンスだというのにだ。
その理由は、ウィストの姿を見てすぐに分かった。
ここに来る直前、ウィストの服はボロボロだった。何体ものグルフに襲われたせいで服の至る所に穴が空いており、それは胸のところにも存在していた。
今ウィストは、服の胸付近にあった穴が下に向かって広がっており、胸から腹までが丸見えになっていた。破けた場所から見える乳房に、つい目を奪われてしまう。男なら仕方がないことだ。
おそらく、ウィストの身体を掴もうとして伸ばしたレンの手が、偶然破けた場所を掴んでしまい、レンの重みに耐えられずに破けてしまったのだろう。
ウィストは唖然として破けた自分の服を見ていたが、僕の視線に気づいたのか、顔を上げると目が合ってしまった。身体を凝視していたことに気づかれてバツが悪くなる。ウィストのひきついている表情が目に入った。
その瞬間、レンが跳び上がってウィストの額を叩いた。ウィストは何の反応もできずに攻撃を食らい、レンは嬉しそうな表情を浮かべる。そういえば、まだ勝負は終わっていなかった。
だが、一番嫌な決着だったと言える。
レンからしてみれば隙だらけのウィストを攻撃するのは当たり前で、そのタイミングとしては最高だろう。しかし偶然とはいえ女子の服を男子の前で破ったあとに攻撃するのは最悪の方法だ。
恐る恐るウィストの様子を窺ったが、
「ヴィック」
「あ、はいっ!」
今までに聞いたことが無いような冷たい声で名前を呼ばれた。
何を言われるかと身構えた僕に対して、「ちょっと後ろ向いてて」と言った。逆らうこと無く、僕は後ろを向く。
耳を澄まして様子を探っていると、バッグを開ける音が聞こえた。何かを取り出しているようだ。数秒後には、バッグに何かを入れる音が聞こえる。
「もういいよ」と声が聞こえたのでウィストの方を向いた。着ている服がさっきまで破れていたものではなく、損傷の無い真新しい服になっていた。バッグに入っていた予備の服に着替えたのだろう。
「ねぇ、もう一回してもいい?」
同じ調子の声で尋ねてきた。あれほどの差を感じたというのに、すぐに挑戦する気概は流石と言える。静かな雰囲気に違和感を覚えたものの、気のせいだと思って承諾した。
レンにもう一回することを伝えると、レンは嬉しそうな表情になった。
「じゃあ二回目、はじめっ!」
再び、レンが真上に跳躍して木に向かって跳ぼうとする。先程、何も対応できなかった様子を見て、まだいけると思ったのだろう。その動きに躊躇いは一切なかった。
しかし、ウィストは二度目を許さなかった。
レンが跳ぶ直前、一気に間合いを詰めたウィストはレンに向かって手を伸ばした。慌てて跳び上がるが身体にウィストの手が当たり、跳んだ方向がずれてしまう。何もない地面に着地してしまうときには、すでにウィストが接近していた。
ウィストは迷わずに平手で鋭く突く。真っ直ぐとレンの顔に向かっており、反応が遅れたレンは何もできずに平手を額に食らった。乾いた音が辺りに響き渡る。レンは平手の勢いに耐えきれずに尻餅をついた。
あっという間に勝負はついた。レンは唖然とした表情でウィストを見た。
「これで一勝一敗。思ったよりも楽ね」
ウィストの言葉に、レンは何も返さなかった。しかし立ち上がったときに見せた表情は、レンが今まで見せたことのないものだった。
眉間をひそめて、口端は下がっている。人間が不機嫌なときにする顔と同じだ。
二人の様子を見て、嫌な予感がした。
「えっと……じゃあキリがいいから今日はこの辺にしよっか、ね?」
もめ事は避けたかったので終了を提案したが、
「何言ってんの? まだまだこれからよ?」
「キケッ」
一秒も待たずに却下された。どちらの表情も穏やかではなかった。
「いや、お互い冷静になってないからさ、ちょっと落ち着いたほうがいいんじゃないかなーって」
せめて間をおいて欲しかったが、
「いたって冷静よ。レンがどうなのかは知らないけどね」
「キキキ」
聞く耳を持っていなかった。
「たかがお遊びでむきになるわけないじゃない。笑っちゃう話だよ」
「キキキキキキ」
「ふふふふふ……」
「キィキキキキキキ……」
「ふふふふふふふ……」
どちらも奇妙な笑い声を発する。目が笑っていない笑い声がこれほど不気味だとは知らなかった。
そして笑い声が止まったとき、
「何がおかしいのよ!」
「ウキィイ―!」
怒声を発しながら二人が勝負を始めた。
しかし始めたのは、先程のお互いの長所を生かした勝負ではない。両者とも戦略も戦術もない、原始的な戦いだった。
至近距離で殴ったり蹴ったり、時には頭突きをしたり転んだりしている。両者の表情には、負けてたまるもんかという負けず嫌いな想いが浮かんでいる。
この様子を一言でいうなら、子供同士の喧嘩だった。
始まったときは焦ったが、この様子だと生死にかかわるような怪我をしそうにはない。お互いに対するイラつきもあるだろうから、ここで発散するのも手かもしれない。
だから僕は、お互いが疲れ果てるまで見守ることにした。




