5-18.ささやか願い
ミノタウロスを撃破した後、ヴィックが乗ってきた白馬に乗って皆の下に帰った。白馬は少し離れた場所で平然と突っ立っていた。逃げたのではなく、ウィスト達が戻ってくるのを待っていたのだろう。
二人で白馬に乗って皆が待つ馬車に戻ると、すでに騒動は収まっていた。辺りにはモンスターの死骸が横たわり、ソランは依頼者や乗客達と話をしている。
いきなり森に入って行ったことと、ヴィックが一緒にいる理由を冒険者達に説明した。ゲノアスが首謀者だということと、森の中でミノタウロスと戦ったことを。皆が心配していた様子を見て、迂闊に行動したことに反省した。
「ま、ウィストなら大丈夫だとおもったけどねー」
ラトナはこう言ってるが、他の冒険者達の驚いている顔を見ると、そうは見えなかったらしい。
依頼者達との話を終えたソランにも話すと「そうか」と一言だけ言われた。
しばらくすると、アリスが下手人のノイズを縄で縛って引き連れてきた。連れられたノイズは身体中に痣や傷が出来ていた。居心地が悪そうな顔をしているが、逆らう気があるようには見えなかった。
アリスが来ると、ソランを含めた冒険者一同で今後の行動を話し合った。
「こいつをマイルスに連れて帰るから、後は任せた」
「じゃあついでに怪我人達も連れて行け。これじゃあ依頼なんてできないだろ?」
「はぁ? 怪我人の御守りをしろってか。嫌に決まってんだろ」
「最近中央区に新しい料理屋が出来た。舌に肥えた著名人が絶賛する程の料理が出るらしい。その料理をご馳走しよう」
「おい怪我人共。さっさと帰るから付いて来な」
「待て。俺達が抜けたら依頼が達成できない。戦えなくても、指示出しくらいは出来る」
「俺が抜けた分の穴埋めをする、と言っても不安か?」
「やっぱ怪我人は休むべきだな。大人しく帰っとくよ」
アリスと青髪の上級冒険者は満足そうな顔をした。マイルスに帰るのはアリスと怪我をした青髪の青年と甲冑の中級冒険者、そしてウィストとヴィックだった。ヴィックは借りた馬を返すことと、そもそも依頼を受注した人ではないという理由から。ウィストは怪我人の容体が悪化した際の補助要員として帰還メンバーに選ばれた。怪我もしていないのに依頼を降りることには不満だったが、《マイルスの英雄》に頼まれたら断れなかった。
そういうわけで、ウィスト達はマイルスへの帰路を歩いた。ノイズ以外はそれぞれの馬に乗り、ウィストはヴィックと一緒に白馬に乗って帰った。帰りはウィストが手綱を握っても良かったのだが、ヴィックが乗馬の練習がしたいということでその役目を譲った。
一行は先頭をアリスがノイズを引き連れながら進み、続いて青髪の上級冒険者と甲冑の中級冒険者、最後尾にウィストとヴィックが歩いていた。ノイズが徒歩のためそのペースに合わせているが、アリスが急かしているため早歩きで進んでいる。この速度だと、往路と同じように一時間程度でマイルスに戻れそうだ。
「ウィスト、今良い?」
前に座っているヴィックが突然話しかけてきた。少しだけ首を振り向かせて横顔を見せている。
「ん、なに?」
「聞いて欲しいことがあるんだ」
真面目な顔が見える。モンスターと戦うときと同じような表情だ。「うん」とウィストは頷く。
「前に八つ当たりした事と上級ダンジョンに行ったときの事なんだけど……」
「あぁ、あの時の事ね」
あの日の事はまだ覚えている。同い年の人にあんな風に言われたことや、翌日に死にかけるような事態にあったこと、どちらも初めてのことだったから。
しかしあのことはヴィックが謝ってウィストが許したという形で収まったはずだった。そのことを蒸し返す理由がよく分からなかった。
「うん、それがどうしたの?」
「病院でそのことを謝ったんだけど……なんか、こう、納得できなかったんだ」
「納得?」
何に納得がいかないのだろうか? ヴィックは再び前を向いて話を続ける。
「あのとき、僕はとりあえず謝るべきだって思っただけなんだ。もちろん本気で悪いことをしたと感じたから真剣に謝ったよ。けど、これで終わっても良いのかって思ったんだ……」
「どういうこと?」
「これじゃあ、何も変わらないんじゃないかって」
表情は見えないものの、寂しげな言葉からはヴィックの強い気持ちが感じ取れた。
「嫉妬してウィストにきつく当たったり、一時の感情で馬鹿な真似をしたのは、僕が何もできない弱い人間だったから。そこが変わらなければまた同じことの繰り返しになる。そう思ったんだ。あのとき僕は、凄く惨めな気持ちになった。そんな気持ちには、もうなりたくなかった。それに僕の巻き添えになって誰かが傷つくところも見たくなかった。だから……変わろうって決めた」
「変わるって、どんな風に変わりたかったの?」
「……ウィストの隣に立って、戦えるようになろうと思った」
「私の隣に?」
ヴィックは照れ笑いながら頷いた。
「私より強くて凄い人はたくさんいるよ? ソランさん達はもちろん、エイトさんやチナトさんは私よりも知識や経験があるし、ミラ達は同期とは思えないほどの安定力があるし……何で私なの?」
それに今日会った赤髪と青髪の上級冒険者や甲冑の中級冒険者も、ウィストより優れた冒険者だ。今までも、ウィストよりも凄い人達を見かけた。目指すのならば、それくらい強い人達を目標にした方が良いはずだ。
だというのに、なぜそんなささやかな願いを抱いているのか不思議だった。
一呼吸おいて、ヴィックはその理由を言った。
「ウィストに惚れたからだよ」
「………………え?」
予想外の言葉に理解が追い付かなかった。じきに言葉の意味を察すると突然身体が熱くなる。
ちょっと待って。惚れた? これって愛の告白? 何でこんなタイミングで?
初めての事に、顔が真っ赤になった。告白なんて、今までされたことが無かったから。
「えっと、ちょっと待って。いきなりそんなことを―――」
「上級ダンジョンで僕を助けてくれたとき」
ウィストの言葉を聞かずに、ヴィックは話を続ける。
「あれほど大きいモンスターを相手に、たかが顔見知りの僕を助けに来てくれた。勝てるはずがない、絶望的な状況なのに身を張ってくれた。その姿はまるで救世主のように見えたんだ。僕と同じ下級冒険者で体格もそう変わらない女の子が、凄くかっこよく見えた。それに病院で会話した時、ウィストが努力をして今の自分になったって事を知った。なりたいもののために努力をする。そういうことを僕は今までしたことが無かったから、それが出来ているウィストに憧れた。簡単に言うと、ウィストの生き様に惚れちゃったってこと」
すうっと身体の熱が冷える感覚がした。今の話から、女性としてではなく冒険者として見ているような話しぶりだった。
つまりヴィックは、ウィストには愛情感情ではなく尊敬の念を抱いていたということのようだ。ウィストの口から安堵の息が漏れた。
「近くて遠い、そんな存在だと感じていた。けど努力をして今の力を得たと知ったら、そんな事は言ってられなくなった。努力すれば同等……は無理かもしれないけど、足を引っ張らないくらいにはなれると思った。いや、なりたいと思った。それぐらいにならないと、変われたとは言えないから」
退院した後、入院している間のヴィックの様子を耳にした。
宿に住む料金を惜しんで野宿をする。食事も現地調達のみで済ます。替えの衣服を惜しんで汚れたままの服で生活し、周囲からは顔をしかめられる。挙句の果てには『ハイエナ』と呼ばれるようになった。故意に広められた嘘ということを知らない者からは、未だにそう言われている。
だが劣悪な環境に身を置いてまで、ヴィックは強くなろうとした。それは相当の覚悟が無ければできない。
その成果を、ウィストは二度も目にしていた。
一度目はマイルスダンジョン七階層目で少女を助けたとき。途中で助けが入ったとはいえ、ウィストよりも先にワーラットを一体倒して少女を守り切った。
二度目はつい先程、ミノタウロスからウィストを助けてくれた時だ。お手本を見たと言ったが、ミノタウロスの攻撃はそれだけで避けられる程度のモンスターではない。学んだことを活かす基礎があったからこそ、ミノタウロスを相手に立ち向かうことができた事だ。
変わりたいという願いは、すでに叶っている。
「ミノタウロスを相手に一緒に戦って、少しは自信がついたんだ。そんな今だからこそ、言っときたいことがあるんだ」
「言ってみて」
自信をつけたヴィックの口からどんな言葉が出るのか心待ちにした。
あのときの事を再度謝るのか、それとも助けたことのお礼を言うのか、もしくは今度こそ愛の告白か、それ以外か。出来れば謝罪以外を選んで欲しかった。
ヴィックは後ろからでも分かるくらいの深呼吸をして、ウィストの方に顔を振り向かせた。
「僕と、友達になってください」
驚きの余り、すぐに口から言葉が出なかった。想定外の言葉を聞いて少し混乱した。
友達になってください? それは少々おかしな言葉だった。
「……えっと、どういうこと?」
「え? そのまんまの意味なんだけど……」
ヴィックは困惑の表情を浮かべる。この様子だと変な言い回しでもなく、直球の意味らしいが……。
ふと、嫌な考えが頭をよぎった。あまり信じたくない答えだったが、聞いてみることにする。
「もしかして、ヴィックは私の事を友達だと思っていなかったの?」
「……友達だと思ってくれてたの?」
気まずい空気が漂う。ヴィックもまずいことをしたと言わんばかりの表情をしている。
ウィストは呆れて溜め息が出た。
「ずっと前から思ってたよ? というか、友達っていうのはそんな畏まった風になるんじゃなくて、自然になるものなの」
「……そういうものなの?」
「そういうものよ」
ヴィックの表情から戸惑っている様子が見て取れた。村に居たときに友達がいなかったせいなのか、友達になる過程すら知らなかったとは少々驚きだった。
数秒沈黙が続くと、「けど」とヴィックが口を開く。
「ウィストとはそういう自然にじゃなくて、ちゃんと面と向かって友達になりたいって言いたかったんだ。散々迷惑をかけちゃったことのけじめというか、礼儀というか……」
「うん。それで?」
「さっきの答えを、聞かせてほしい」
友達になってください。その言葉の答えは既に言っている。しかし、それでは納得がいかないようだ。
ヴィックは不安そうな顔で答えを待っている。わざわざ聞き直さなくても、なぁなぁな感じで友達になれば一番楽なのに。
不器用で間が抜けているが、生真面目で頑張ろうとしている所がヴィックの良い所だ。
だからウィストはヴィックの言葉に、正直な気持ちで答えた。
「もちろん。これからもよろしくね、ヴィック」




