5-14.格上との対峙
ミノタウロスは右手で古びた斧を振り下ろす。その照準は真っ直ぐとウィストを捉えている。馬に乗って避けようとするが、このタイミングでは間に合わない。ウィストは馬から飛び降りて避けた。
馬が悲鳴を上げて地面に倒れ込む。倒れ込んだ地面には血だまりが出来ていた。借りた馬を死なせてしまい後悔の念が浮かぶ。
だがいつまでも馬に気を取られている訳にはいかない。
目の前にいるミノタウロスは、主に中級ダンジョンに生息するモンスターだ。さっきのゴーレムよりかは弱いだろうが、ウィストより強いことに変わりはない。冷静に戦わなければ、勝つどころか逃げる隙さえ作ることができない。
ゲノアスはいつの間にかこの場から去っている。追いかけたいのはやまやまだが、このミノタウロスを何とかしない限り追いかけるのは無理だ。今追いかけても、ミノタウロスが追ってきて後ろから攻撃されるのがオチだ。つまり何とかしてミノタウロスを撒く必要がある。
しかし、
「どうすればいいのよ」
その手段が思いつかなかった。
ミノタウロスは中級ダンジョンに生息するモンスターのなかでも、危険な部類に入るモンスターだ。体格に見合ったパワーと、体格に似つかわしくない俊敏さがある。また獰猛な性格なため、目に入った人間を必ず仕留めようとしてくるのが厄介だ。ミノタウロスに見つかったときの選択肢は、戦って倒すか、戦って死ぬかの二択だけとも言われている。
しかも個体によっては、上級冒険者も倒すものもいるという話だ。目の前にいるミノタウロスがどれほどの強さを持っているのか分からないが、どちらにせよ戦うことしか選択肢は無い。
問題は、どうやって倒すかだ。
ミノタウロスは右手で斧を振るい続ける。隙だらけの大振りではなく、当てることに重点を置いた小さい振りだ。しかしミノタウロスほどの巨体から繰り出す攻撃は、たとえミノタウロスからしたら軽い攻撃でもこっちにとっては致命傷になる。一撃一撃に油断が出来ない。
そのうえ攻撃するのにも一苦労だ。敏捷さはウィストが上回っているが、速さにそこまでの差が無い。だから攻撃を潜り抜けて反撃しても、すぐに下がられるため致命傷を与えられない。かすり傷が精一杯だ。
不幸中の幸い、広い場所で戦えているので、狭いダンジョンとは違って存分に動けることができる。ダンジョンで戦うときは壁や視界が気になって大きな動きが出来ないが、これだけ広いとミノタウロスの攻撃を避けやすい。ただ、ミノタウロスもその恩恵を受けているので、攻撃を当てにくいのが難点だった。
時間をかければ隙を見つけて、その隙を突ければ勝つなり逃げるなりできるだろう。だが本来の目的はゲノアスを捕まえることだ。時間をかけてしまえば森から出てしまい、行方を見失ってしまう。一番近くにいるウィストが追いかけるべきなのだが、目の前のミノタウロスが倒せない。
じりじりと身が削れる感覚がした。時間が経てば経つほどゲノアスの思い通りになっている気がして苛立ちが増す。向こうの方が追い詰められていたはずなのに、なぜ今は逆の立場になっているのか。
苛立ちが、一瞬だけウィストの気を逸らす。その隙をミノタウロスは逃さなかった。
突かれるように振るわれた斧がウィストの目の前に出現する。避ける動作が間に合わない。咄嗟に剣を盾代わりに使った。さっき用心していたことを忘れて。
剣に伝わる衝撃に身体が押し出される。そのパワーに耐えきれずに後ろに吹き飛ばされる。地面に転がりながら勢いを殺す。反射的にとはいえ、上手く受け身を取れた自分を褒めたくなった。腕の痺れさえなければ、自画自賛していただろう。
「最悪っ……」
ウィストは自分の不甲斐なさが嫌になった。油断してはいけないと言い聞かせていたというのに、この様とは……。
吹き飛ばされて地面に仰向けで倒れているウィストに向かって、ミノタウロスの追撃が襲ってくる。腕を使って立って逃げたかったが、腕に力が入らない。身体を捻らせて、転がりながら攻撃を避ける。攻撃を避けた後、すぐに身体を起こして立ち上がろうとするが、即座にミノタウロスが再度追撃する。跳ぶように避けて、また地面に転がった。
腕のしびれが取れない状態では、地面に転がった身体をすぐに起こすことができない。二三秒だけでも時間を作れれば、腕を使わなくても身体を揺らした反動で起き上がれるが、目の前のミノタウロスはその数秒の隙すら見せてくれない。だがこれはチャンスにもなる。
何度も攻撃をしているにもかかわらずウィストに攻撃を当てれないミノタウロスは、徐々に攻撃の精度が荒れてきて隙が増えた。狙いが甘く、振りが大きくなっているのが避けながらでも分かる。イラついているのだ。そういうところは冒険者だけではなくモンスターも同じだ。腕のしびれが取れた時にもこの状態が続いていれば、隙を狙って反撃ができる絶好の機会だ。
思いがけないチャンスに頬が緩む。だがさっきの失敗を思い出してすぐに気を引き締めた。まずは腕の状態が元に戻るまでミノタウロスの攻撃を避け続けるのが優先だ。望みを持ち続ければ、好機は訪れるはずだ。
五秒、十秒、二十秒。ミノタウロスの攻撃を必死に避け続ける。最初は鋭くて避けづらかった攻撃も、今では目が慣れた上に、動作が大きくなって読みやすくなっている。
ミノタウロスの鼻息は大きくなっていた。そしてとうとう、ミノタウロスが隙だらけの大振りな攻撃をしたとき、
「よしっ」
腕の痺れが取れた。腕で地面を強く突き、身体を起こしながら攻撃を避ける。剣を握りなおして、隙だらけのミノタウロスに接近した。
双剣から繰り出す乱れ斬りをミノタウロスの右足にお見舞いする。全斬撃に手応えがあった。頭上からミノタウロスの呻き声が聞こえた。
直後に左手で掴みかかってくるが、寸前にミノタウロスの足元を前転しながら抜けて手を躱す。すぐに立ち上がって、がら空きの背中に斬撃を浴びせた。ミノタウロスの呻き声が一層大きくなる。
戦闘の流れは、ウィストが掴んでいた。ミノタウロスの動きはよく見えているうえ、ウィストの攻撃も通じ始めた。このまま油断さえしなければ、ミノタウロスを倒せる。そんな手応えがあった。
そのとき、
「ヴォオオオオオオオオオオオオオオ!」
ミノタウロスの雄叫びが一帯に響いた。その声量は周囲の木々を揺らすほどだ。鼓膜を破りそうなほどの大声に、たまらず手で耳を塞いでしまう。
ウィストが耳を防ぐことを狙ったのか、その隙を狙ってミノタウロスが左手で掴みかかってくる。咄嗟の連撃に驚いたが、なんとか後ろに跳んで避ける。しかし一度目は躱したものの、続けて掴みかかってくる左手を避けきれずに捕まってしまった。
身体全体を包むほどの掌に恐怖を感じた。懸命にもがくが、腕も一緒に掌の中に捕えられているので碌な反撃ができない。
「は、放してっ! 放しなさい!」
通じないはずの言葉を使って命令した。当然通じるはずもなく、放す気配がない。必死に力を入れて抜け出ようとするが、ミノタウロスの手はビクともしない。ミノタウロスとの力の差を、最悪な形で感じてしまった。
目の前にいるモンスターは上級ダンジョンに居ても可笑しくないモンスターなのだ。下級冒険者のウィストがどんだけ頑張っても、調子が良くても、勝てるわけがない。そう、思ってしまった。
ミノタウロスがウィストを掴んだ左手を持ち上げる。このまま地面に投げ落とす気だ。そんなことをされたら、何もできずに死んでしまう。だが、逃げ出す手段が思いつかない。
「誰か……助けてっ―――」
一緒にいた冒険者達は、まだ馬車の近くにいる。ソランは上級モンスターを相手取り、アリスは下手人のノイズを追いかけている。誰も助けに来れる状況ではない。
頭では理解していた。しかし分かってはいても、誰かに助けを求めずにはいられなかった。
だから、
「その手を―――」
ヴィックの声を聞いたときは、とても嬉しかった。
「放せぇ!!」




