5-13.備えあれば患いなし
ソランは馬から降りると、乗客に向かって言う。
「みなさん。残っているモンスターは私が倒しますので、それまでは馬車の中で待機してください」
頼もしい言葉に、乗客達は安堵した。
「英雄のソランが来たぞ!」
「良かった。これで何とかなりそうだ」
さっきまで騒いでいたというのに、ソランが来るとあっという間に言うことを聞いた。これが英雄の力か。
ソランはメイスと呼ばれる小型槌を持ち、ゴーレムの方に向き直る。ゴーレムは既に体勢を立て直し、ソランを睨んでいる。近くにいるカイト達は眼中に無さそうだった。
「君達も、後は私に任せろ」
カイト達に一声かけると、ソランはゴーレムの方に向かって走り出す。ゴーレムは向かって来るソランを、右手で殴りかかった。ソランはその拳が当たる瞬間、さらに加速して拳と地面の間を潜り抜ける。
ソランはあっという間にゴーレムの足元に着くと、メイスを両手で握って振りかぶり、足に向かって一気にフルスイングする。すると、ソランよりも何十倍、何百倍も重いはずのゴーレムの足が吹っ飛んだ。
足を吹き飛ばされて体勢を崩されたゴーレムは、前のめりに地面に倒れる。ソランは地面に倒れたゴーレムの首に近づくと、メイスから剣に持ち替える。剣を縦に振って首を斬り落とし、ゴーレムの身体と頭を分断した。
「すげぇ……」
近くからカイトの声が聞こえた。いつの間にか戻って来て、ソランの戦いぶりを見ている。そのカイトの目は、普段のカイトからは見られないようにキラキラとしていた。まるで憧れの存在を目の当たりにした子供の様だった。
ソランはゴーレムを倒すと、ウィスト達の方を向いて叫んだ。
「アリス、さん! 馬を使ってもいいですから、任せましたよ」
ぎこちない敬語で言うと、上級冒険者が戦っている方に向かって走り出す。
直後に、乗客が乗っていた馬車からマントを羽織った人が出て来た。
「ったく、気持ち悪い言葉使ってんじゃねぇよ」
マントの人はイラついた言葉を使いながらフードを脱いだ。フードの下から出てきた顔は、上級冒険者兼傭兵のアリスの顔だった。
アリスは眉間に皺を寄せながら辺りを見渡すと、ある方向を見て鋭い目を更にとがらせる。その方向には馬に乗ったノイズの姿があった。しかし、さっきまでのにやついていた顔が一変し、今は顔を引きつらしている。
ノイズはアリスに気付くと馬を翻して走り出した。
「待ちやがれ!」
アリスはソランが乗って来た黒馬に乗り、ノイズを追いかけ始める。躊躇わずに追う姿から、おそらく最初からノイズを見張っていたのだろう。だとしても、ゴーレムが来た時には応戦してほしかった。
心の中で不満を愚痴ってると、ふと妙なものが視界の端に映った。モンスターが出てきた森の中に、誰かがいる。斧を持っていた下級冒険者かと思ったが、その人はカイト達の近くにいる。カイト達と一緒に逃げてきたのだろう。
それによく見ると、森の中にいる人は見たことのない人物だった。
髭を生やした角刈りで、ウィストよりも一回りは年を取っていそうな大男。冒険者ギルドのなかでも見たことが無いが、身にまとった装備は冒険者のものだった。
「あれは……ゲノアスか?」
依頼人の男性の声が聞こえた。さっきまでは自分の馬車で待っていたのだが、いつの間にかウィストの近くに来ていた。
「危ないですよ。戻っていた方が―――」
「ソランが来たから大丈夫さ。君達は?」
「私達は平気です。あの人以外は」
中級冒険者は、ラトナによって甲冑を脱がされて、治療をしてもらっている。気を失っているが、目立った外傷は無いようだ。ラトナの落ち着いた様子から、大丈夫そうだと分かった。
「それより、あの人が誰か知っているんですか?」
森の中にいる大男を指差すと、「そりゃあな」と肯定する。
「さっき話しただろ? 以前、冒険者ギルドを仕切っていた奴だよ」
男性との会話を思い出した。同じ冒険者だけではなく住民にも迷惑をかけ、冒険者の評判を落としていた人物。それがあの男なのか。
そのゲノアスの顔を見ると、彼は悔しそうな表情を浮かべていた。あの表情は、まるで事が思い通りに進まないことに気が立っているように見える。なぜそんな顔をするの?
ふと、ある疑念が浮かぶ。
もしかして、このモンスターの襲撃にゲノアスが噛んでいるのか。
疑念を抱きながら観察していると、ゲノアスと目が合った。するとゲノアスは慌てながら踵を返し、森の奥に走って行く。その行動は、さっきのノイズととても似たものだった。
疑念が確信に変わる。ゲノアスがこの騒動を引き起こした張本人だ。
「待ちなさい!」
大声を出して呼び止めるが、ゲノアスは待つ素振りを見せない。森の奥に逃げられたら捕まえることは困難だ。
森の中にはモンスターがいる。迂闊に森の中に入ればモンスターに襲われるだろう。だがゲノアスを野放しにすれば、また今回と同じような事になるかもしれない。この騒動の元凶を、このまま逃がすわけにはいかなかった。
ウィストの視界に、一匹の馬が目に入った。中級冒険者が乗っていた馬だが、今は持ち主が治療を受けているため誰も乗っていない。さらに馬自体は怪我をしているようには見えない。
ウィストはその馬に乗って、「ちょっと借ります!」と気を失っている持ち主に言って駆けだした。遊び半分だが馬には乗ったことがあるので要領は分かっている。後ろから聞こえる制止の声を振り切って、ゲノアスがいる森に向かった。
森の中は思っていたよりも木々が少なく、木々の間隔が広かった。木にぶつかる心配が少ないため、それほどスピードを落とすことなく走り続けた。
耳を澄ませてゲノアスの位置を探る。すると馬の蹄の音とは別に、ゲノアスの足音が聞こえた。足音を頼りにゲノアスを追いかける。
徐々にゲノアスの足音が大きくなると、ついにその背中を捕えた。もう音に頼る必要は無い。目に見えるゲノアスの背中に向かって馬を走らせる。
そしてゲノアスの横に並び、前に出て進行方向を遮って足を止めさせた。
「どこに行くのですか? ゲノアスさん」
「あぁん?! どこでもいいだろうが!」
ゲノアスは鋭い目つきでウィストを睨む。怖い顔をしてビビらせて、その隙に逃げようとでも考えているのか。
だが数々の怖いモンスターの顔を見ている冒険者に、そんなものは無意味だ。
ウィストは悠然とした態度で質問を続ける。
「では、何でこんな所に居るんですか? マイルスから離れたこんな森に何か用事でもあるのですか?」
「んなこと、てめぇみたいなガキに話す気なんかねぇよ! さっさとそこをどきやがれ!」
まるでチンピラのような言葉遣いだった。依頼人の男性が悪く言うのも分かる気がする。こんな冒険者が仕切っていたら、誰だって冒険者ギルドに依頼を出したくなくなるのも当然だ。
「そうですか。じゃあ捕まえたノイズさんに色々とお聞きしましょうか。なんか、簡単にゲロっちゃいそうな雰囲気でしたよ」
アリスがノイズを捕まえられたのかは知らないが、あの速そうな黒馬ならばそう時間がかからないうちに追いつき、捕まえられるだろう。それに捕まえられた後には冒険者ギルドの尋問が待っているはずだ。いつまでも尋問に耐えられる人間が、そうそういるとは思えない。だから実際には嘘は言っていない。
どこまで信じたのかは分からないが、ゲノアスは苛立った表情で舌打ちした。
「クソッ……どいつもこいつも、俺の邪魔ばかりしやがってよぉ!」
大声で不満をぶちまける姿は、駄々をこねる子供の様だった。犯行の自白にとれるセリフに、もはや躊躇いは無かった。
「あなたを皆の下に連れていきます。抵抗するなら実力行使です」
双剣を抜いてゲノアスに見せつける。人を斬るのに抵抗はあるが、ここで下手に出ると舐められる危険がある。強気に出る必要があった。
しかし、ゲノアスは笑った。
「俺がホイホイと付いて行くと思ったのか?」
予想していなかった言葉では無かった。ゲノアスのような人間が、ウィストの要求を簡単に飲んでくれるとは思わなかったが、もしかしてと思って聞いただけだ。
自然と剣を握る手に力が入る。ゲノアスは腰に重そうな剣を携えているが、手にかける様子が無い。さっきまでイラついている様に見えたのですぐに武器を取ると思っていたのだが、なぜか今は余裕があるようにも見える。ここから打開できる策でもあるのだろうか?
怪訝に思ってゲノアスの様子を窺っていると、背後から大きな足音が聞こえた。しかも段々と足音が大きくなっている。
振り返ると、大きなモンスターがこっちに歩いて来る姿が見えた。
「ただ闇雲に逃げてたわけじゃねぇんだよ。ちゃぁんと、保険は用意してんだ」
迷いなくモンスターはこっちに向かって来る。徐々にモンスターが大きく見えてきた。そのモンスターは、馬に乗っているウィストよりも大きかった。
「てめぇみたいな下級冒険者がそいつを倒せるか?」
三メートルの巨体に二本角で牛の顔をしたモンスター、ミノタウロスが両刃の斧を持ってウィストの前に立ちはだかった。




