5-8.触らぬ猿に祟りなし
ララックさんから危険指定モンスターのことを知っておくように言われた日、すぐにリーナさんにそのことを伺った。当然、リーナさんは知っていたので教えて貰えた。
「これが危険指定モンスター、『エンブ』よ」
リーナさんから渡された紙を見ると、そこにはエンブというモンスターの絵が描かれてあった。絵の横にはエンブに関する情報が書かれてあったが、文字を読めないので分からなかったので、リーナさんに口頭で説明してもらった。
「マイルスの北西にテノグア山があるんだけど、そこに生息してると言われてるよ。絵を見た感じだと身体はそんなに大きく無くて力も弱そうに見えるし、穏健なモンスターだから危険度は低いと思われてたんだ。けどその外見に油断して狩ろうとした冒険者は、全員命を絶った。その事実を知った冒険者ギルドは、エンブの強さを測ろうとして当時の特級冒険者に調査を依頼したの。数日後、依頼を終えて帰ってきた特級冒険者が、エンブは危険指定対象となるモンスターだって報告をして、危険指定モンスターとして周知されるようになったってわけ」
特級冒険者お墨付きのモンスターである事を知って身震いした。それほど凶悪なモンスターがマイルスの近くに居るのか……。
その事実に恐怖を抱きながらも、疑問が浮かんだ。
「危険指定モンスターが居る場所も分かっているのに、何で放置してるんですか?」
冒険者ギルドでは、冒険者が危険指定モンスターを見かけたら報告する義務がある。その報告内容を聞いて、有害なモンスターだと判断されれば、直ちに討伐隊が組まされて排除することになっている。
リーナさんは苦笑いしながら僕の質問に答える。
「たしかにエンブは危険な強さを持っているけど、それを除けば無害な存在なの。最初に言ったように普段は穏健で、目の前に冒険者がいても襲い掛からず、むしろ遊ぼうとしてくるほどなんだよねー。こっちから手を出さない限り、襲われる心配は無いってこと。あと戦うとしたら、かなり被害が出るということもあるねー。エンブは全モンスターで一二を争うほど素早くて、小さな体に似合わない程のパワーもある。そのうえ、ヒトの言葉を理解できるほどの知能を持つモンスターが縄張りとしている山で戦ったら、被害が甚大になることは目に見えるからねー。それにエンブは人を襲うようなモンスターを狩っているから、私達にとっては有益なモンスターなの。言わば持ちつ待たれつな関係だから放っているっていうのが理由かな」
なるほど、とリーナさんの話に頷いた。話を聞く限りは、比較的安全なモンスターだと思った。危険指定されているとはいえ、そういう理由で放置しているのなら、そこまで警戒する必要はないだろう。
そう考えて安心していると、
「あと、これは補足なんだけど」
と話を続ける。
「危険指定って、時間と研究が進めば対象から外されることもあるの」
「……どういうことですか?」
リーナさんは真面目な顔をして説明する。
「最初は危険指定対象になってたけど、モンスターの生態や情報が分かるにつれて攻略法や弱点が見つかることがあるの。倒し方が分かると、準備次第では中級冒険者でも倒せられるモンスターになる。そうなると危険指定対象から外される事があるのよ。実際にそういうモンスターは両手で数え切れないほどいて、十年前に危険指定対象としてリストに載っていたほとんどのモンスターが、今のリストから外されてるんだよねー。ちなみに外されるまでの期間は平均して八年。そのなかでエンブは、今の危険指定モンスターのなかでは一番情報が多いモンスターで多くの弱点が挙げられているんだけど、いったい何年間リストに名を残しているでしょうか?」
いきなりの出題で驚いたが、その問題について考えることにする。
リーナさんの話から、エンブは素早くて力が強いうえに賢い。だが情報と研究が進めば危険指定から外されるということは、情報が一番多いモンスターであるエンブはじきに危険指定対象から外されるはずだ。そしていくつも弱点があるってことは、それなりに長い期間研究されていたということだ。
それらの情報をもとに、「十年」と答えた。色んな攻略法があっても危険指定対象から外されていないということは、平均より長いはずだと考えた。
それなりに自信があったが、「ぶっぶー」とリーナは答えた。答えが外れて、僕は軽く肩を落とした。
「違いましたか……正解は何年ですか?」
「五十年」
自分の耳を疑った。リーナさんの冗談かと思ったが、ダンジョンやモンスターの事に関しては、彼女は軽はずみな事を言わない。冒険者ギルドの職員なのだから、そういうことで嘘を吐かないのだ。
「情報はある、研究も進んでいる、色んな弱点が見つかっている。にもかかわらず、エンブは五十年も危険指定モンスターとして名が挙がっている。これは危険指定のなかでは二番目の長さなの。これがどういうことか分かるかな?」
リーナさんの言いたいことを察した。
エンブは弱点が判明しても倒せないモンスター。そんなモンスターを前にしたら、僕が取るべき行動は一つしかない。
「戦うな、ってことですね」
リーナさんは、「正解」と答えた。
あのときのリーナさんとの会話を思い出し、次にとる行動を考えた。
目の前にいるモンスターは、間違いなくエンブだ。聞いていた情報より身体は小さいが、危険指定モンスターであることには変わりない。
そんなモンスター相手に、戦って勝てる気はしなかった。
だから選択肢としては逃げること以外には無い。
問題はどうやって逃げるかだ。
僕よりエンブの方が足が速い。隠し通路に戻ろうとしても、先回りされてしまう可能性が高い。梯子を上って通常ルートを進んだとしても、エンブは前回同様に登ってくるだろう。
つまり、何とかしてエンブをここにとどまらせる必要があった。
「どうすればいいんだよ……」
無茶な難題を前にして、弱音を吐いていた。だが今の状況を顧みれば、そう思っても仕方がないはずだ。
目で追うのが精一杯の速さで跳び回るエンブに対して、僕は武器すら抜けずにいる。手に取ろうとした瞬間に跳びかかってくるため、避けるので必死だった。こんな状態では、逃げるどころか動くことすらできなかった。
時間をかけたくないこともあって焦りがあったが、冷静に心を落ち着かせることに注力する。警戒しながらも、乱れた息を整える。こういうときこそ、落ち着かなければならない。
呼吸が落ち着くと、少しだけ頭が冴えた気がした。
間近でエンブを見て、分かったことがある。
スピードは聞いた通りのものだが、パワーは驚くほどではない。一度、スピードに乗った状態で腹に跳び込まれたが、耐えられる程度のものだ。ワーラットの攻撃程ではない。賢いとも聞いたが、目の前にいるエンブの知能が高いとは思えない。さっきから周囲を跳び回り、隙を見て突っ込んでくるだけだ。逆に言えば、隙を作ってやればこっちに近づいて来るということだ。
ウィスト達のもとに早く向かいたい。だからすぐにケリをつける。
僕はわざと剣を握る素振りを見せる。予想通り、エンブは跳びかかってきた。しかも真正面から跳んで来る。またとないチャンスだ。
すぐに両手を前に出し、しっかりと腕の付け根辺りを掴んでエンブを捕まえた。
「よし。捕まえ―――」
勝利を確信した時だった。
エンブは身体を左に捻り、捻りを戻す反動で右脚で僕の左腕の肘を蹴った。
思いがけない攻撃に、掴んでいた左手の握力が緩んでしまう。その隙にエンブは、僕が掴んでいた左手を振り解いた。次に僕の右腕に抱きつき、脚を僕の顔に向ける。その脚で僕の顔を蹴飛ばした。
僕は身体を後ろに仰け反らせながらもなんとか耐える。すぐに身体を起こしたが、眼前にエンブの顔があった。僕よりも早く体勢を立て直したのか?
その疑問の答えを考えるよりも早く、エンブは僕の額を強く叩いた。最初に遭遇して倒されたときと同じ攻撃だった。
その攻撃はあまり痛くない。しかし、遊ばれている様な感覚が痛いほど伝わる。
少しだけ、イラっとした。
「この野郎……」
体勢を低くし、肘を軽く曲げて手を前に出す。動きやすい体勢をとって、エンブの攻撃に備える。
攻撃は後だ。捕まえればいくらでも出来る。まずは捕まえることだ。決してムキになったわけではない。
自分に言い訳をしながらも、エンブから目を離さない。エンブはさっきよりも多く鳴きながら跳び回っている。心なしか楽しそうな声に聞こえるのは気のせいだろうか。だがその鳴き声は、余計に僕を苛立たせた。
するとエンブはさっきまでとは違い、僕が隙を見せずとも跳びかかってきた。左から来たエンブに反応して手を伸ばすが、手が届く前にすれ違いながら僕の頭にタッチする。僕はすぐに右に向くが既にエンブの姿は無い。直後に足元から鳴き声が聞こえて下を向くと、同時にエンブの掌が目に映る。下から跳び上がったエンブに、額を張り手で突かれた。身体を仰け反らしながら頭上に浮かぶエンブに手を伸ばすが届かない。体勢を崩して仰向けに倒れたが、すぐに起き上がって振り返る。エンブは僕の目の前でしゃがみ込みながら僕を見ていた。その顔が笑っているように見えた。
「調子に、乗らないでよ」
言葉の意味が分かったのか、エンブは楽しそうに笑う。それを見て、僕の顔も緩んだ。
変な感覚だった。捕まえられないのは悔しい、捕まえられない自分が情けない。
そう感じながらも、エンブに対して不思議と憎しみや敵意を持てなかった。
再びエンブは四方八方を跳び回る。だが大分速さに慣れてきたお蔭で、エンブの姿を追えるようになった。
右から突っ込んでくるのが見えると同時に手を伸ばす。今度は間に合った。掴もうとするが、エンブは身体を回転させるようにして僕の手を躱し、僕の頭に頭突きをした。
勢いに乗った頭突きに耐えられず、体勢を立て直す暇も無く仰向けに倒れた。
「いったぁ、い?!」
頭突きを食らった場所を手で押さえていると、身体の上にエンブが乗った。エンブのにやけた顔を見て、今の状況に戦慄した。
圧し掛かられて動けない僕に対し、エンブは存分に両手を振るえる状態だった。キキっと短く鳴くと、右手を振り上げる。手で防ごうとしたが、エンブが両足で器用に僕の両腕を踏んづけて押さえているため動かせない。
エンブの掌が近づくのを見て、死を覚悟した。
直後に辺りに響いた音は、弾けるような軽く高い音だった。




