5-1.暗躍する者
街の中心地から離れたとある一画、そこには古い建物が立ち並んでいた。浮浪者が徘徊し、建物に住まう人々も汚れた服を着て過ごしている。
その区域のある建物で、罵声が響いた。
「このくずがっ!」
壁の一部に穴が空いている古い家。そんな家には不釣り合いな程の高価な肘掛椅子に座った大男の声が、部屋の中央で立っている金髪の男に向けられた。角刈りで髭を存分に生やした厳つい顔で怒鳴られ、驚いた金髪の男は身体を震わせた。
大男は不機嫌そうに、椅子の横に置いたテーブルから酒瓶を手に取って喉を鳴らしながら飲む。酒を飲み干すと、鋭い目を金髪に向けた。
「ノイズ。てめぇ俺の計画に穴をあけやがって……なぁに考えてんだ?」
「す、すみませんでした!」
金髪の男ノイズは、間も空けずに頭を下げる。これほど身体がでかく厳つい顔で怒鳴られれば、ビビってしまうのも無理はない。
「し、しかしゲノアスさん、今回の計画は失敗してもたいした問題は無いはずでは……?」
大男、ゲノアスのこめかみがひくつく。ゲノアスは空になった酒瓶を持って、ノイズに向かって投げつけた。僅かに逸れてノイズの横を通り過ぎ、壁にぶつかって酒瓶が割れる。ノイズに当たらなかったものの、ゲノアスが本気で怒っていることを察するには十分だった。
ノイズも勘付いたのか、酒瓶を投げられたときは呆けていたものの、すぐに気づいて再び頭を深く下げた。
「申し訳ございません!」
「……わかりゃ良いんだよ。おいフェイル」
怒ることでストレスを発散したのか、落ち着きを取り戻したゲノアスが、壁を背にして立っていたフェイルに向かって声を掛けた。
「はい、何でしょう?」
目線をフェイルの方に向けずにゲノアスは聞いてくる。
「作戦はどうだ?」
「問題ありません。すべて順調です。今回のノイズの失敗も、成功すれば儲けものみたいなものでしたので、支障はありません」
嘘を言っているつもりは無かった。今回の騒動が無くても、本来の目的はすでに達成していた。成功していれば冒険者ギルドの監視の目を、冒険者達にも分散させることができていたが、別にそれが無くても問題は無かった。元々は、マイルス下級ダンジョンとツリック上級ダンジョンに目を向けさせられれば十分だった。そしてこちらの仕掛けは既に完了している。
マイルスダンジョンには、ある一匹のモンスターを放った。最下層の十階層、そこに下級ダンジョンのモンスターが総掛かりでも倒せないモンスターを配置することで、ダンジョン内の生態系を狂わせた。あまり好戦的なモンスターじゃないが、十階層にいるモンスターは勝手に突っかかっていくので、何もせずともモンスターが減っていくので都合が良かった。他のモンスターは危険を感じて上階層に逃げて、その結果が現状だ。今ではマイルスダンジョンに入る冒険者は激減している。じきに調査の手が入るだろう。
ツリックダンジョンでは、フェイルが頻繁に出入りするという情報を与えることで、捜索隊を向かわせた。捜索隊は、上級冒険者数名で編成された部隊だ。まともに敵対すれば簡単に捕えられる。だがフェイルは、ツリックダンジョンで捕まえられることは考えなかった。ツリックダンジョンは、フェイルからしてみれば庭みたいな場所だった。あそこに限れば、英雄のソランよりも生き残り続けられる自信がフェイルにはあった。そのうえでフェイルは逃げ隠れするだけではなく、ダンジョン内で痕跡を残したり、わざと見つかったりもした。それにより諦めて撤退させることを防ぎ、監視させる意味があると錯覚させた。結果、捜索隊を留まらせ続けることができた。お蔭で、街で自由に動ける上級冒険者は少なくなった。
計画は順調だった。あるとすればノイズの失敗でハイエナ騒動だけではなく、マイルスダンジョンの問題も作為的に感じる者が現れるかもしれないことだ。もし現れれば、作戦がばれる危険性がある。
だがフェイルは、作戦の成否を考えてなかった。作戦が実行さえできれば十分だからだ。
フェイルの思惑を知らず、作戦が順調だと聞いたゲノアスは満足そうに笑みを浮かべる。
「そうかそうか……くはは」
ゲノアスの口から笑い声が漏れる。徐々に声が大きくなり、終いには高笑いをする。
そしてテーブルを強く叩いた。
「やっとだ! やっとこの恨みを晴らせる! 覚悟しろ、ヒラン!」
恨み、か。
ゲノアスの勘違いも甚だしい言葉に、フェイルは内心ほくそ笑んだ。
彼の言う恨みは、ただの逆恨みだ。今回の作戦が上手く行ったとしても、彼の鬱憤が晴れるだけで何も変わらない。それを分かっていない頭の悪さは、まさに滑稽だった。
「最後の仕上げをしてくるので、これで失礼します」
「あぁ。ヘマしたらお前でもただじゃおかねぇぞ」
部屋を出ると、フェイルは我慢できずに笑みを浮かべた。あまりの馬鹿さに耐えられなかった。
「ただじゃおかない、か。あなた程度に、何が出来るんですかねぇ」
昔はともかく、今のゲノアスには両手で数える程度にしか手下がいない。いつまでも自分が上だと思っているとは……。今ではただの駒だというのに。
「けど感謝はしてますよ」
この街でヒランの人望は厚い。ヒランを恨み、その恨みを晴らそうと行動する者はゲノアスだけだ。そのうえ少ないとはいえ動かせる手下がいるので、ゲノアスはフェイルの計画にはうってつけの存在だった。
「これで、思い知らせることができるんですから」
誰もいない廊下に、独り言が響いた。




