4-12.無関心の負債
理解できない状況に僕は戸惑っていた。
輪の中では、金髪の青年と長身の黒髪の青年が並び立ち、向かい側にフィネさんが突っ立っている。しかも、今にも泣きそうな顔をして。いったい何が起きているんだ?
フィネさんは人から恨みを買うような性格ではない。だというのに、そんな彼女が二人の青年に責められている状況が目に映っている。
ただ、フィネさんが泣かされるような事態は無視できない。彼らを止めようと、僕は輪の中に入ろうした。
その瞬間、肩を掴まれて止められた。
後ろを向くと、見覚えのある女性が僕の肩を掴んでいた。
「おまえ、ハイエナだろ?」
赤いショートヘアーでガラの悪そうな口調。以前、上級ダンジョンで僕を助けてくれた傭兵兼冒険者のアリスさんだ。
「……名乗った覚えは無いですけど、そう呼ばれてます」
「だったらお前はここに居ろ。出てったら面倒になるからな」
「どういうことですか?」
「お前が切っ掛けで起きた騒ぎだからだよ」
言葉が詰まって、何も言えなくなった。
僕が原因と言われても心当たりは……いや、一つだけある。ハイエナだ。
「あの二人がハイエナ冒険者、つまりお前のことを話題にして飯食ってたんだよ。陰口にしちゃあデカすぎる声でな。ああいうのは無視するのが一番なんだが、あいつはわざわざそれを否定しに行ったんだ。余程頭にきてたのかね、かなりの大声だったな。それにむかついたあいつらは、今度はギルドを批判し始めたのさ。ハイエナを放置するのが悪い。最近はマイルスダンジョンが荒れてる。管理をさぼってるんじゃないかってね。少し前から下層のモンスターが上層に頻繁に来てるんだろ? あれの事だよ」
ダンジョン管理人は、モンスターの活動領域を安定させる役割がある。モンスターを適当な階層にとどめておくというものだ。新米冒険者が活動するような上階層に、新米がどうやっても勝てないモンスターがいると、あっという間に被害が増える。それを防ぐために上階層には弱いモンスターを、下階層には強いモンスターが留まるように間引きをする。それがダンジョン管理人の仕事だ。
しかしここ最近のマイルスダンジョンでは、その間引きが出来ていない。間引きが出来ていない理由は分からないが、それが原因でダンジョンの利用者が減っている。そのことを不満に思う冒険者もいると思うが……。
「だからって、フィネさんにあたるのは滅茶苦茶じゃないですか?」
これはダンジョン管理人であるヒランさんの仕事だ。同じギルド職員とはいえ、フィネさんに不満をぶちまけるのはお門違いだ。そして仕事熱心なヒランさんが、何もせずにダンジョンの管理を放っているとは思えない。
「けどヒランはギルド職員だ。同じギルド職員に鬱憤を晴らせれば誰でもいいんだろ。実際、お前への対応を含めて、今はまだ何も成果を出せてないからな。ダンジョンはともかく、お前に対しては何でもいいから対処すべきだったんだよ」
五階層に挑戦するようになってからハイエナ行為とは無縁の生活をしていて、普通の冒険者として活動をしているつもりだった。
ギルドがハイエナと呼ばれる僕に対して、なぜ何もしないのかは分からない。おそらくフィネさんが庇っているのだと思って、それに甘えていた。陰口を言われたり、一度襲われたこと以外では、何事も無く冒険ができたのであまり深く考えなかった。
けど、そんな簡単な事じゃ無かったんだ。
ギルド職員が特定の冒険者を優遇するのは、他の冒険者からすれば面白いことではない。そしてその原因は僕にある。僕が矢面に出れば、フィネさんが槍玉にあげられることは無い。
「言っとくけど、庇いに行こうとか思うなよ」
考えを読んだのか、アリスさんが僕を制する。
「けど僕が行かなきゃ―――」
「こんなのはただの喧嘩だ。喧嘩なんざぁ、冒険者ギルドに限らず、どこでも起こる様なもんだ。あいつが形だけでもいいから謝罪すれば、とりあえずこの場は収まる。明日にでもなれば、あぁそんなことがあったなぁ、って感じでよくある喧嘩の一つとして終わるんだ。だから放っておけ」
「……たしかにそうかもしれません」
アリスさんの言うことは間違ってはいないと思う。この程度の騒ぎは街中の至る所で起きていることだ。いずれ忘れられるようなことだ。
だがそれは、当事者でなければの話だ。
僕は今の待遇には慣れている。しかしフィネさんはどうだ?
こんな目に遭って、フィネさんが明日以降も平常に仕事が出来る姿を想像できなかった。
そしてなにより、
「けど僕は、フィネさんのあんな顔を見たくないんです」
フィネさんには笑顔でいて欲しかった。
僕はアリスさんの手を振り払って、フィネさんの傍に寄っていく。僕が前に立つと、フィネさんは顔を上げた。
「ヴィック、さん……?」
「今まで庇ってくれてありがとう。けど、もう大丈夫だから」
涙目になったフィネさんに礼を言った。もっと早く言うべきだった。そうすれば彼女がこんな目に遭わずに済んだんだ。
後悔を抱きつつ、僕は二人の青年に向き直った。
「あれ、どこかで見た顔かと思ったらハイエナ君じゃないか。いったい何の用かな?」
金髪の青年がわざとらしい態度で質問をする。ニヤついている表情が腹立たしかった。
「大したことじゃないです。やめて頂きたいと言いに来ただけです」
「やめる? 何をだい?」
「年下の女の子を責めるような行為を、です」
「責めるだって? 何を言ってるんだハイエナ君」
陰口でハイエナと呼ばれるのは慣れているが、面と向かって言われたことは無かった。
苛立ちを抑えながら話を続ける。
「どう見たってそういう状況でしょ。フィネを虐めて、恥ずかしくないんですか?」
「おいおい、これは責めているんじゃない。当たり前の事を要求しているだけなんだよ。君も腐っても冒険者だろ? 冒険者の世界では男も女も年上も年下も関係無い。生きるか死ぬかの世界さ。生きるためにダンジョンの管理をちゃんとしてもらいたいと思うのは当然だろ?」
「死ぬのが怖いのなら、冒険者を辞めればいいでしょ」
「そういう考えだと寿命を縮めるぞ」
達観したような口調で、金髪は否定する。
「自分の命を賭けてまで冒険する者はいないさ。下級中級上級、どの冒険者も安全を確保しながら冒険している。縄張り内で狩りをするモンスターと同じようにな。それに下級ダンジョンには命を賭けるほどのお宝がないにもかかわらず、命を脅かすモンスターがいる。そんなの割に合わないだろ? だから、せめて安心して冒険が出来ることを求めているんだが、それの何が悪いんだ?」
「だったら、自分で管理すればいいじゃないですか?」
「何で俺達がそんなことをしなきゃいけないんだ。ダンジョン管理人のヒランがいるんだから、そいつがすればいいじゃないか。それともヒランは多くの冒険者が利用する下級ダンジョンよりも、上級ダンジョンの管理の方を優先するのかな? まぁ上級ダンジョン向けの依頼は、金持ちが良く依頼を出すからねぇ。権力者の機嫌を損ねない様に必死なのかな」
「ヒランさんは、そんな人じゃない!」
僕よりも先にフィネさんが答える。涙目で身体が震えながらも、声を出してヒランさんを庇った。
しかし金髪は容赦なく続ける。
「じゃあなんで何もしてくれないのかなぁ。ダンジョンの管理はもちろん、そこのハイエナ君のことも」
「だからそれは―――」
「やってないとは言わないよね? 俺は見たんだ。ハイエナしているところを」
フィネさんに向けられた矛先が、再び僕に戻る。
結局のところ、僕のハイエナ行為が問題なのだ。この問題を何とかしない限り、ハイエナ冒険者を贔屓しているという悪評が、フィネさんに付いて回り続ける。
僕はどうなっても良いが、フィネさんは何としても守りたい。
そのために、
「どこにそんな証拠があるんですか?」
僕は白を切った。
「……おい。本気で言ってるのか?」
背の高い男が初めて口を開いた。その言葉には怒気が混じっているように聞こえた。
同時に周囲の冒険者もざわつき始める。なかには鋭い視線で見てくる人もいた。
だが、これでいい。
「もちろん本気です。人の事をハイエナとか言ってますけど、どこにそんな証拠があるんですか? 証拠も無しに疑うとか、え、え……」
言葉を思い出せなくて詰まっていると、「冤罪って言いたいのか?」と金髪が言う。
「そう、それです。冤罪です」
「ふざけんな!」
背の高い男が怒鳴る。突然の大声に驚いたが思惑通りの展開になって、内心ほくそ笑んだ。
サリオ村に居たときに、今と似た光景を見たことがある。悪いことをした者が開き直ったときの周囲の反応を。そいつが開き直るまでは、同情的な者や許そうとする者がいた。しかしそいつは余程悪事を認めたくないのか、開き直って不満を散らし始めた。その後、周囲の者の目が変わった。一人の人間を見る目から、汚物を見るような目に。
今の僕の状況とは若干違うが、周囲の反応が変わったことはたしかだ。僕の発言を開き直った言葉と思って軽蔑した視線を送る者や、ハイエナ行為を否定したと見て二人に疑念の目を向ける者、別の意図があっての発言なのかと推理し始める者など、色んな視点から僕の発言を捉えようとしている。
そして彼らの目線は次の展開を待ちわびている野次馬の様に、僕と青年二人に向けられていた。さっきまでは青年二人がフィネさんを責めるような格好だったが、今は僕のハイエナ疑惑を二人が証明しようとする展開になった。これでフィネさんに向けられた好奇の目を逸らすことができる。騒動が終わった後には、フィネさんが責められたということではなく、青年達が僕のハイエナ行為を糾弾していたという印象が残るだろう。
こうなればあとは簡単だ。あの様子だと、二人は僕がハイエナをしたという証拠は持ってなさそうだ。問い詰めてくるだろうが、適当に躱して頃合いを見てこの場から去ればいい。それでこの騒ぎは終わりだ。
達観するように、僕は二人の様子を眺める。どうせ証拠なんてない。そう高を括った。
だが青年たちの様子を見て違和感があった。
背の高い方は唇を噛みながら憎しみを込めた眼で僕を見ている。一方の金髪は冷めた視線を僕に向けている。
そして金髪は一言、「あるぞ」と言った。
「……え?」
「聞こえなかったのか? あると言ったんだ、証拠がな」
金髪は鞄から一枚の紙を取り出す。その紙は依頼書みたいな様式で、長ったらしい文や数字が書かれている。
「これはとある人物が、ギルドを通さずにお前からモンスターを持ち込まれたときに書いた買取報告書だ。四十日前、最初にお前がハイエナをした時の物だよ。持ち込んだモンスターはキビット」
背筋が凍る感覚がした。
四十日前。キビット。ギルドを通さない持ち込み。もしかすると―――。
「この報告書には、モンスターの名前や大きさ、買い取り価格以外にも、モンスターの身体に残った傷について書かれている。そこにはこう書かれている。額には矢傷だけが残っており、それ以外の損傷はない非常に綺麗な死骸だと」
周りの冒険者の視線が、僕の身体のある一点に集まった。
その視線の先は、腰に提げた片手剣だった。
「さて、ヴィック君に聞きたいことが一つあるのだが」
さっきまでは「ハイエナ君」と呼んでいたのに、このタイミングで僕を名前で呼んだ。
「君は主に片手剣を使っていると聞いたんだが、ボウガンや弓を使ったことがあったのかな?」
金髪の言葉に、僕は何も答えられなかった。
弓やボウガンなんて、使ったことなど一度も無い。かといってその場しのぎの嘘をつけば、腕前を見せろと言われて、すぐにばれるのが容易に予想できる。
沈黙を続けていると、「まぁ、使ったことがないよな」と断定する。
「というか使えないはずだ。いちいち矢の補充に金が掛かるから、底辺な君にはとても買えないだろう」
嘲笑うかのような言葉に、胸が痛んだ。
こういう扱いには慣れているはずだった。だが何故か、以前よりも苦しく感じる。
「けど仕方がないよな。貧乏で貧弱で貧相な君は、こうでもしなきゃ生きていけないんだから」
ずきずきと、胸に痛みが走る。
虐められることも、嘲笑を受けることも、陰口を叩かれることにも慣れている。
だが何故か、一向に苦痛が収まらない。
「俺は君に同情しているんだよ。こんな人生を歩んでいる君にね。あぁ、なんて可哀想な少年だ」
痛みがより一層増してくる。彼の言葉を聞くたびに、痛みがひどくなっている。
積み上げてきた自信が崩れていくとともに。
「だからここは君が謝れば今回の事は許してあげるよ。どこでも起きるような、ただの喧嘩に巻き込まれただけだってね」
痛みから解放されたかった僕にとって、それは特効薬のような言葉だった。
ここから逃げ出したい。苦痛を消したい。これ以上自信を失いたくない。その想いが強かった。
僕は右手を強く握り、答えを口にした。
「お断りします」
苦痛からの解放。それはたしかに僕が望んでいるものだ。だがそれ以上に、大事な人を守りたいという思いがあった。
右手を握ったときに感じた、フィネさんの手の感触でそれを思い出した。
いつから手を握られたのかは分からない。だがそんなことはどうでもいい。
今度は人に流されずに、本当に僕がすべきことを思い出せたのだから。
僕は屈しない覚悟を決めて、金髪を睨んだ。
金髪は思惑通りに事が進まなかったせいか、顔がみるみると歪んでいく。
「へぇ、そうかい。ハイエナが証明されたにもかかわらず、開き直ろうってか。良い度胸してるじゃねぇか。ここにいる冒険者全員を敵に回したぞ」
周りを見ると、冒険者達の表情も険しくなっている。ハイエナ行為を謝らずに開き直られれば、こうなるのは当然だ。
だがハイエナを認めてしまって、僕だけではなくフィネさんの苦労を無駄にしたくは無かった。
「だから何ですか? 何度でも言いますよ」
決意を示すために、僕は今一度宣言する。
「僕はハイエナをしていない」
「その通りだ」
僕の言葉の後に、擁護する言葉が聞こえた。その言葉はギルドの入り口の方から聞こえた。
皆がその方向に向くと、
「君はハイエナ冒険者ではない。それを今から証明しよう」
四人組のリーダー、カイトがそこにいた。




