4-9.英雄の真似事
身体が無意識に動いていた。七階層に続く坂を駆け下りる。足場の悪い下り坂だったが、こけることなく七階層に着いた。
七階層に下りると、すぐに悲鳴を出した人を探す。大きな悲鳴だったのでそれほど遠くに離れてはいないはずだ。
しかし周辺を見渡しても、声の持ち主が見当たらない。もし遠くに逃げていたら見つけるのは難しい。
歯を軋ませていた。早く見つけないといけないと思うと、焦りが込み上げてくる。
その僕の手を、ウィストが引っ張った。
「こっち!」
そう言ってウィストは走り出した。僕はウィストに続いて走る。
「あってるの?」
「うん。音が聞こえた」
ウィストの言葉に迷いは無かった。そういえばウィストは耳が良かった。初めて一緒にダンジョンに潜ったときも、グロベアの足音を聞き取っていた。そのウィストの聴覚を、信じることにした。
走り続けていると、その音は僕にも聞こえてきた。モンスターの呻き声、激しく動く足音、硬いものをぶつけ合うような高音が徐々に大きくなってくる。
前方は曲がり角になっていた。音はその先から聞こえてくる。迷わずに僕達は角を曲がる。
眼前に移った光景を見て、僕は足を止めてしまった。
奥が行き止まりの通路に少女が一人、長い棒を地面に突き立てて身体を支えている。槍の穂先が地面に落ちているのを見ると、元は槍だったようだ。
その彼女をの壁に追い込み、囲い込んでいるワーラットが三体いる。だがそのワーラットは、以前僕が見たものとは違った。
二メートルほどの体長、僕の倍以上に太い胴体、手には巨木の幹ほどの太さの棍棒が握られている。他の二体も同等の体格だった。前に遭遇したワーラットは子供だったのか。規格外の大きさに、踏み込むことを躊躇っていた。
だが、逃げる訳にもいかない。目の前にいる少女は、棒で支えてやっと立てている状態な上に、ワーラットに囲まれている。とても逃げられそうには見えない。このままだと見殺しにしてしまう。
覚悟を決めて武器を握りなおす。ワーラットは僕らに気付いていない。奇襲をかけるなら今だ。足に力を入れて地面を蹴りだそうとした。
その瞬間、僕の肩をウィストが掴んだ。
「先に私が行って引きつけるから、その隙にあの子を助けて」
ウィストが前に出てそう言った。だけど僕は、すんなりとその提案を受け入られなかった。
「それだとウィストが危ない。一斉に攻撃すれば一気に二体倒せる」
「あの体格のモンスターは、私達の攻撃じゃ一撃で倒せない。けど時間を掛ければ私なら倒せる。それまであの子を守ってあげて」
「おねがい」とウィストに頼まれた。
そんなことを言われたら、やらないわけにはいかない。
「わかった。じゃあ任せる」
「任されたわ。ヴィックも頑張って」
ウィストはワーラットに向かって走り出した。一番近くにいるワーラットを斬りつけようと双剣を振るう。しかしその寸前に、ワーラットがウィストに気付いて振り向いた。かまわずにワーラットの胴体を斬るが、ワーラットが棍棒を振って反撃する。反撃を予期していたウィストは難なく棍棒を避けて、さらに斬りつける。
斬って、反撃され、避けて、また斬る。ウィストはワーラットから離れずに攻防を繰り返す。その気配を察した他のワーラットも、ウィストに注目した。その瞬間、僕は走り出した。
ウィストがいる場所の逆側から少女の元に向かう。一体だけ僕に気付いて棍棒を振るう。だが敵の急な出現に驚いたせいか、棍棒を振る軌道は読みやすかった。
棍棒を避けながらワーラットの横をすり抜けて、少女の元に辿り着いた。
「大丈夫?」
少女の容体を確認しようと、声を掛けながら身体を見る。所々服が汚れているが出血はしていない。命に別状は無さそうだ。
「は、はい……。助かった……」
気が抜けたのか、少女はへなへなと地面に座り込んでしまった。
よく見ると、持っていた棒には傷が多く、へこんでいる部分があった。きっと僕達が来るまでの間、一人で耐えていたのだろう。その粘り強さに少し感心していた。
直後、背中からプレッシャーを感じた。
「後ろっ!」
少女の声に反応して背後を見る。ワーラットが棍棒を振りかぶっていた。避けようとしたが、避ければ少女に棍棒が当たってしまう。
取れる手段は二つだ。一つは僕が棍棒を受け止める。もう一つは、少女と一緒に奥に下がることだ。
棍棒を盾で受ければ一撃目は耐えられるかもしれないが、二撃目を耐えられる自信が無い。
となると下がるしか選択肢が無いがこれもデメリットがある。奥は行き止まりだ。下がればワーラットの距離を詰められて、動ける範囲が狭まってしまう。そのうえウィストとの距離が離れてしまうため、救援に来てもらうのが遅れてしまう。どっちを選んでも過酷な未来が待っていた。
考えが纏まらないうちに、ワーラットが棍棒を振り下ろす。僕は咄嗟に少女を押して、奥に倒れこむようにして避けた。重なるように倒れると、背後から棍棒が空を切る音がした。何とか避けられたようだ。
だが安心している暇は無い。少女の上からのいて、すぐに立ち上がる。ワーラットが棍棒を構え直しながら近づいて来る。まだ攻撃体勢をとっていないのを見計らって、僕は接近して攻撃した。
横に振るった剣がワーラットの腹を斬る。しかしワーラットが直前に身体を引いたため、浅い傷しかつけられなかった。追撃しようとするが、すでにワーラットは棍棒を持ち上げて、いつでも攻撃できる体勢になっていた。
いつもはこの状態になったら距離をとるのだが、今回は離れずにその場に止まった。後ろに退くとワーラットの攻撃範囲に少女が入ってしまう。
あのとき奥に下がらずに受け止めていれば、少女の逃げる時間を稼げたうえに、僕の動ける範囲が広がってワーラットの攻撃を避けやすくなっただろう。上手く行けば隙を突いて逃げられたかもしれない。実際には少女は疲労困憊だったから逃げられなかったし、あの体勢で受け止めていればただでは済まなかっただろう。
だが至近距離でワーラットの攻撃を捌かないといけないという現状を顧みると、後悔しか残らなかった。
どちらにせよ、選んでしまったものは仕方がない。僕はワーラットの一挙手一投足を観察する。
僕ができることはワーラットの攻撃を捌き続け、ウィストの助けを待つしかないのだ。
ワーラットが振り下ろす棍棒を見て、僕は右に避ける。盾を使うこともできたが、まだ受け流しはできない。受け止めるのも今すべきではなく、最後の手段に取っておく。
振り下ろした隙を狙って、ワーラットの腕に剣を振るう。若干だが傷を付けることに成功した。ワーラットの注意を僕に向けさせるには、この程度の傷で十分だ。地面にへたり込んで動けない少女と、反撃してくる冒険者。どっちを警戒すべきかは、下層に住むモンスターならば簡単に判断できるはずだ。
案の定ワーラットは、次の攻撃も僕に向けてきた。予想していた行動のため、避けることができた。さっきと同じように腕に向かって反撃をする。
ワーラットは何度も攻撃を仕掛けてくる。三撃、四撃、五撃。一発でも当たればただでは済まない。だが僕は避けられた。
倒すことが目的ならば、こうも簡単にいかないだろう。反撃した隙を狙われて、あっという間にお陀仏だ。
だが時間を稼ぐことが目的ならば話は別だ。その場からあまり動けないというハンデがあるが、動きが単調なため攻撃を予想できる。動かずに避けるのも最初は無理難題だと思ったが、五階層のモンスターに比べれば攻撃は遅い。それに受け流しの練習のお蔭で度胸がついたのか、思っていた以上の威圧感は感じない。注意を逸らさせないために攻撃をするが、危険を冒して懐に入る必要はない。その場で剣を振るって、少し当てれば十分だ。
事は順調に進んでいた。ワーラットは少女に目もくれず、僕ばかりを狙っている。少しずつ攻撃にも慣れてきて、躱した後に一歩踏み込んで攻撃する余裕もできた。
心配事があるとするならば、僕の体力と集中力が持つかどうかだ。休憩したとはいえ、さっきまでは六階層で狩りをしていた。今は問題ないが、長引けば疲労が出てくるだろう。そうなる前に、ウィストにワーラットを倒して貰うしかない。
しかし、さすがのウィストも苦戦しているようだった。ブランクがあるにもかかわらず、ワーラットを二体同時に相手しているのだから時間がかかるのも当然だ。むしろ冒険者になってまだ二ヶ月程度しか経っていないのに、ワーラット二体と同時に戦っているだけでも異常な事だ。二体目のワーラットが僕ではなくウィストの方に向かったのも、その実力を見越しての事だろう。
ウィストの救援が難しいとなると、こっちで何とかするしかないか。
ワーラットの攻撃を避けた後に、攻撃をせずに少女の様子を窺う。少女はワーラットに怯えて、壁際まで退いている。隙を作って逃がせることは無理そうだ。
打開策を考えながらワーラットに視線を戻すと、ふと違和感を覚えた。何かが変わっている、そんな気がした。その正体が掴めない僕をよそに、ワーラットは棍棒を振り上げる。右手で持った棍棒を避けた瞬間、違和感の正体が分かった。
さっきまでは、棍棒を空振って体勢を崩していたが、今は攻撃するときと同じように身体を起こしている。
次の瞬間、左手に持っていた棍棒で攻撃してきた。
「なっ―――」
驚きの余り、上手く言葉が出なかった。
予想外の連続攻撃に、慌てて横っ飛びで避ける。勢い余って横の壁にぶつかった。避ける範囲がさらに狭まった。早く起きて体勢を立て直そうとするが、ワーラットの攻撃の方が速かった。壁に叩きつけるように、右手の棍棒を横に振るって攻撃してくる。しゃがんで避けることができたが、すぐに次の攻撃が来る。脳天をかちわるように、左手の棍棒を垂直に振り下ろしていた。
右には壁があって避けられない。左にはまだ右手の棍棒が残っているため、避けるのに邪魔になっている。盾で受ける手もあるが、しゃがんでいる体勢で上からの攻撃を受ければ勢いを殺しきれない。即死しないまでも、腕が折れるのは必至だ。
選択肢は、一つしかなかった。
棍棒が当たる直前、後ろに跳んで避けた。今ので仕留めるつもりだったのか、次の攻撃は来なかった。
だが、ほっとできたのも束の間だった。
立ち上がろうとすると、後ろ足が少女に当たる。少女はビクンと震えて、その場にしゃがみこんだ。僕は奥の壁にまで追い込まれてしまった。
少女は絶望に満ちたかのような表情を見せていた。
「いや……いやだ……助けて……」
助けを求める声が耳に入ってくる。ワーラットに怯える震えた声。
この状況には既視感がある。上級ダンジョンで、僕がグラプに追い込まれたときと同じだ。
あの時の僕は、少女と同じように助けを求めた。違うところと言えば、助けを求めた相手が違うことだ。僕は居るか分からない冒険者に、少女は目の前の冒険者の僕にだ。
僕は立ち上がってワーラットに向き直る。ワーラットは前進し、僕の目の前で止まる。心なしか、ワーラットの顔が笑っているように見えた。追い詰めたと思っているのだろう。
絶望的な状況だ。背後には少女がいて、攻撃を避ければ棍棒は少女に当たる。受ければ二撃目で僕は死ぬ。
少女を見捨てれば僕だけは助かるかもしれない。初めて会った少女だ。死んだとしても、しばらく時間が経てば忘れてしまうだろう。
けど最初から、その選択肢を選ぶ気は更々無かった。
底辺冒険者である僕を、命の危機から救ってくれた人の背中が、脳裏から離れなかった。
一人は自分の命を顧みずに、一人はそれがさも当然の様に僕を助けてくれた。あのとき僕は、言葉に出来ないほどの安心と幸福を感じた。
きっとこの少女も同じだったはずだ。しかし僕の不甲斐なさを見て絶望している。それは僕の責任だ。
「大丈夫。必ず、助けるから」
少女だけではなく、自分にも言い聞かせるように言った。
あのときのヒーローが僕を助けてくれたように、僕も少女を助けたかった。
僕は盾を構えて、ワーラットの攻撃に備える。避ける気は全く無かった。盾が壊れようと、腕が折れようとしても耐え続けてやる。
ワーラットは右手で棍棒を振るった。棍棒の軌道を見て受け止めるが、予想以上の衝撃だった。盾を持つ左手が痺れる。
続けてワーラットが左手の棍棒を持ち上げる。再び盾を構えるが、やはり痺れが残っている。
棍棒が振り下ろされた瞬間、走馬灯のように、少し前の記憶が頭をよぎった。




