3-10.救世主
ツリック上級ダンジョンに行くことは誰にも言わなかった。ベルクさんにも、ヒランさんにも、フィネさんにも、ララックさんにも、当然ウィストにも言わなかった。僕自身が直前に聞いたこともあり、誰も僕の行き先を知っているはずが無かった。
だけどウィストは、僕を助けに来てくれた。
どうしてここが分かったのか。なんで助けてくれたのか。様々な疑問が頭に浮かぶ。その間に、ウィストは僕を縛っていたロープを剣で斬っていく。
「なんで、ここに?」
「ついて来たのよ。馬車の荷台に乗って」
ウィストが両手両足を縛っていたロープを斬り終える。
「今朝ヴィックを見かけたんだけど、冒険者ギルドに寄らずに街の外に行こうとしてたから変だと思ったの。しかも馬車に乗ってたから、気になって一緒に乗り込んだの」
説明した直後に、グラプが殴りかかってくる姿を目に捉えた。グラプの動きにウィストはまだ気づいていない。僕はすぐに立ち上がって、ウィストを引っ張って一緒に避けた。
「ありがと」
避けさせたことに、ウィストは礼を言う。
「それは僕のセリフだよ」
僕は助けに来てくれたことに礼を言った。
「あの後、いろいろ考えたんだ」
ウィストはグラプから目を離さずに喋り始めた。
「正直言うとけっこうショックだった。普段通りにしてただけでヴィックを傷つけてたなんて思わなかったから……。けど私のせいだって知ったら、そんな事言ってられないと思ったの。だから、よく考えたんだ」
そしてウィストはきっぱりと言った。
「結論。私は全く悪くない」
堂々とした物言いに、僕は少しばかり戸惑った。
「……正直だね。間違ってないけど」
「でしょ? これが私にとって普通なのよ。私に非は無いわ。そっちが勝手に負い目を感じたんだから」
そう言って、ウィストは「けど」と言葉を続けた。
「それで終わるのも嫌なの。このまま何もできずに放っておくのも気分が悪いの。……だからさ、ちゃんと話そう。私達はお互いを知らなさすぎる。分かり合えたら、あんなことは起こらない」
「多分、きっと」と最後の弱々しい言葉をウィストは付け足す。思わずくすりと笑ってしまった。
「まぁ、そうかもしれないね」
ウィストの言葉に同意しつつ、僕の本心は別にあった。
本音としては、やはりウィストと分かり合えるのは無理だと感じていた。
逃げた僕とは違い、ウィストは真剣に考えて向き合おうとしている。その強さは、僕には持ち合わせていないものだ。
天才と凡人、強者と弱者、その壁は厚くて大きい。理解できないことが、譲り合えないことがきっとある。それがある限り、僕の劣等感は残り続けるだろう。
だけど、今はそんなことを持ち出す気はなかった。
昨日、僕はウィストに酷いことを言った。普通なら僕を見捨ててもいいほどの言葉を言った。
だというのに、ウィストは僕を助けに来てくれた。死を覚悟し、生きることを諦めていた僕の命を、彼女は救ってくれた。
それがとても嬉しかった。
だから僕は、ウィストの願いを叶えたかった。
せっかく助けてもらったこの命。ウィストと一緒にここから逃げ出し、ウィストに謝って、話し合うまでは使わせてもらおう。
最後の最後に、神様は僕に望みを叶えるチャンスをくれたのかもしれない。
だとしたら、死ぬのにはまだ早すぎる。
「じゃあ、ここから出ることを考えようか」
グラプは再び拳を振るう。それを避けながら、ここから逃げ出す算段を考えた。
降りてきた洞穴まで行けばこっちの勝ちだ。洞穴はグラプが到底入れない程の小ささだ。そこまで行けば、グラプは手を出すことができない。
問題は洞穴まで行く方法だ。
洞穴はグラプの向こう側にある。つまりグラプを避けて行く必要があった。グラプの動きは遅いとはいえ、相手は五メートルの巨体だ。そのリーチの長さを見くびって適当に避けようとすると、捕まってしまうかもしれない。
「十分引きつけてから逃げるよ。また殴りかかってくるから、それを避けてから足元を抜けよう」
「分かった」
悪くない案だと思った。さっき殴りかかってきたときと同じ速さなら、十分に見切って避けることができる。それに動作も遅いから、足元を抜けて後ろに逃げれば、反転するまでにはかなりの距離を稼げるはずだ。
作戦を決めたとき、グラプは再び距離を詰めて来た。そして踏み込むと同時に、さっきと同じように殴りかかってくる。やはり、動きの速さは変わらない。
いつでも動けるように準備し、拳の動きを見て十分に引きつける。拳との距離まで三メートルくらいになると、ウィストの「いま!」という声を合図にして避ける。ギリギリだったが避け切ることができた。
そのままグラプの足元を抜けるように走り出す。大きな足が邪魔だったが、問題無く走り抜けることに成功した。
「よし、これで―――」
「大丈夫だ」と横を走っているはずのウィストに言おうとした。
だが、走っているのは僕一人だった。
予想外の出来事に、足を止めてウィストを探す。焦って転んだのか。逃げる方向を間違えたのかと心配して辺りを見渡す。
だけどウィストはすぐに見つかった。グラプの足元で転んだまま、起き上がれずに倒れていた。
いや、起きようとしているが、身体を起こせずに倒れ伏せている。何かに縛られているみたいに身体を上手く動かせられないようだった。
僕はすぐにウィストに駆け寄る。近づいた時に、その原因が分かった。ウィストの足にグラプから伸びた蔓が巻き付いていた。
ウィストは上半身を起こして、剣で蔓を斬っているが、数が多すぎて斬りきれない。それを見て僕もすぐに蔓を斬り始めた。
「グラプは蔓を使って捕獲してくる」とフェイルの言葉を思い出す。仕事の内容は嘘ばかりだが、モンスターの情報は全部正しかった。その事実が僕を余計に苛立たせる。
イラつきながらも蔓を斬り続ける。数は多いが一本一本の強度は弱い。問題はグラプがいつ攻撃してくるかだ。横目で見ると、すでに身体を僕らに向けている。途端に焦りが生まれて、簡単に斬れていた蔓がなかなか斬れなくなった。一方のウィストの調子は変わらず、同じペースで蔓を斬り続けていた。
あと数本で全部斬れる。その瞬間、ウィストが僕の腕を掴み、僕を遠くへ放り投げた。
いきなりの事でろくに受け身が取れずに身体を痛めたが、すぐに身体を起こしてウィストを見る。
何が起こったのか分からなかった。だけど先程まで僕がいた場所を見ると理解できた。
そこには、グラプが新たに伸ばした蔓があった。ウィストに投げられなければ、今度は僕が掴まっていただろう。
新たな蔓は、捕まえようとした僕がいなくなるとウィストの方に向かっていき、身体に巻き付いた。
その蔓によって、ウィストは剣すらも握れなくなった。
「ウィスト!」
叫びながらウィストの元に向かう。だが、すでにグラプは殴る動作に入っていた。
間に合わない。
「逃げて!」
ウィストが叫んだ直後、彼女は全く防御の姿勢を取れない状態でグラプに殴られた。
その強さの余り縛っていた蔓は千切れたが、ウィストの身体は吹き飛んで地面を転がる。壁にぶつかると、ウィストの身体は起き上がることなく、その場に倒れ伏した。
グラプは、倒れたウィストの方に歩き出す。まだ動ける僕を後回しにし、倒れて動けないウィストを先に止めを刺そうとしている。
僕はすぐにウィストのもとに向かう。足は僕の方が速いため、先に辿り着いた。
「ウィスト、起きて! ウィスト!」
声を掛けるが、ウィストは全く反応しない。幸いにも息はあるが、頭を強く打ったせいか意識を失っている。
起こすことを諦めて、ウィストを背負って逃げることにした。だが背負った時には、すでにグラプは僕らの前に立ち塞がっていた。
さっきと同じように足元を抜けて逃げようと考えた。だがグラプは、蔓を広く伸ばして僕らの逃げ場を無くしている。
後ろは壁、前にはグラプ、左右には蔓を広げられて道を塞いでいる。正に八方塞がりだった。
生き残る道は、目の前にいるグラプを倒すことだけ。だがそれは、一番無茶な選択肢だ。
剣はウィストに投げられたときに放り出してしまった。いや、仮に持っていたとしても、これほどの巨体を相手にして勝てる気がしない。
もはや選択肢は、何もできずに死ぬことしか残っていなかった。
「いやだ……」
だがその選択肢を、選びたくはなかった。
さっきまでなら、僕一人だけだったら諦めていたかもしれない。
しかし今、僕の背中にはウィストがいる。僕が死ねば彼女も死ぬ。彼女のためにも、死にたくなかった。
だが現実は非常だ。
僕の思いを歯牙にもかけず、グラプは殴り掛かってきた。相変わらずの遅さだが、逃げ道が無いという重圧が僕の足を止めていた。
死にたくない。けど生き延びる術が思いつかない。
絶望が目の前にまで迫ってくる。
「誰か……」
ウィストが来てくれたように、誰かが助けてくれることを願うしかなかった。
「誰か……助けてください!」
最高にみじめだと思った。
だけどみじめでもいいから、助かりたかった。ウィストを助けたかった。
僕の声の後、衝突音が洞窟内に響いた。




