3-9.信頼できる人
大きく、ゆっくりとした重量感を感じる足音が奥から響いてきた。その音はどんどんと大きくなってきている。音を出す者が近づいてきているとすぐに分かった。おそらく、フェイルさんから聞いたグラプというモンスターだ。
グラプの姿はまだ見えない。だが迷いのない足音を聞くに、じきにここに来ることは推測できた。
「ちょっとバクホさん、もう来ちゃいましたよ」
「足止めに失敗したのかもしれん。一旦、退き返した方が良いな。幸いにも保険もある」
二人はそう話してから、バクホさんが僕に向かって来る。その眼からは、出会ったばかりの友好的な雰囲気が感じられなかった。
嫌な予感がして僕は身を引く。しかし一瞬にしてバクホさんに距離を詰められ、同時に僕の腹に蹴りを入れた。
強烈な一撃で息が止まる。身体がくの字に曲がって、地面に膝をつく。たまらず腹を両手で抑えようとしたが、いつの間にか両手を背中にまわされてロープで縛られていた。
「俺は傭兵でな。こういうことはお手のもんだよ」
何が起こっているのか、全く分からなかった。
今日はフェイルさんの依頼で、薬草を採集するためにここに来た。危険であることは理解していた。モンスターに襲われることも想定していた。
だが仲間に襲われることは予想していなかった。
理解不能な事態に遭い、混乱している僕に男性が声を掛けた。
「おいおい、もしかしてまだ理解してないのか?」
男性は笑っていた。にやにやと笑みを浮かべながら、男性は言った。
「お前、騙されたんだよ。フェイルさんにな」
一瞬、耳が壊れたのかと思った。バクホさんに蹴られた際に、調子を悪くしたのかと思った。
だけど耳は痛くないし、大きな足音も同じように聞こえている。耳に問題はなさそうだ。
「……なにを、言ってるんですか?」
それでも信じたくなくて、聞き間違いだと思って、僕は聞き直した。
「だから言ってるだろ。お前がどんな話で誘われたのかは知らねぇが、その様子だと良い仕事を受けたつもりで来たんだろ。だが俺達は、お前を利用するつもりで呼んだんだよ。餌としてな」
だが男性は、同じ内容の言葉を繰り返した。
「グラプは自分が育てた植物を荒らされるのが大嫌いでな。見つかったら最後、犯人を追いかけて捕まえて食い殺す。だから逃げるときに身代わりが欲しかったんだよ。その役目がお前だ」
「……嘘だ」
嘘だと思いたかった。全部こいつのホラだと思いたかった。フェイルさんがそんなことをさせるわけがない。
「嘘じゃねぇぞ。というか、ホントに健全な仕事なら、仲間に違法なことをさせるわけねぇだろ」
「違法?」
「下級冒険者を、上級ダンジョンに連れて来ることだ。フェイルが、上級ダンジョンに入る資格を持った人が一緒なら大丈夫、と言ったのは嘘だ」
バクホさんが淡々とした口調で説明する。それを聞いた男性が、愉快な表情で笑い声をあげる。
「まさかギルド職員の話を聞いてなかったのか? ありえねー! どんだけフェイルさんを心酔してたんだよ。
あの人は詐欺師だよ。上級冒険者だけど、度々こういうことをしてるんだぜ。お前みたいなゴミがうようよ居やがるからな。大した悪党だぜ。ま、俺もそのおこぼれに預かってるから、文句はねぇけどな」
ガラガラと、僕の中にあったものが音をたてて崩れていく。
フェイルさんの言葉があったから、やり直そうと思った。頑張ろうと思った。
必死になって僕を応援してくれた。優しく僕を励ましてくれた。成り上がるチャンスを僕に与えてくれた。
だけどそれは、全部嘘だった。
フェイルさんの言葉を支えとして生きていこうと思っていた。
それが嘘なら、僕はこれから何を信じればいいんだ?
「おい、そろそろ行くぞ」
バクホはそう言って、男性と一緒にその場から離れていく。僕を一瞥することなく、何の迷いもなく走り去っていった。
一方の僕は、全く動けなかった。両手だけではなく、話を聞いている間に両足も縛られていたから身動きが取れなかった。
だが仮に縛られていなくても、僕は逃げなかったかもしれない。
目の前には、聞いた通りの姿をしたモンスターが現れた。全身が蔓で覆われた巨体の人型モンスター、グラプ。グラプは僕の前に立つと、ゆっくりと僕に手を伸ばした。
その手を見て、僕は逃げることを諦めた。
この仕事を達成出来たら、やり直せると思った。また頑張ろうと思っていた。だけど、その仕事すら無かった。
あぁ、やっぱり僕の思った通りだった。
散々嫌な事しか僕の身には起きなかった。だというのに、何故これからは良いことが起こるなんて思えるのだろう。まったく滑稽な話だ。
所詮、僕の人生はこんなものだ。生まれたときから人生は決まっていて、変えることなんてできない。良い人生を選ぶ選択肢すらありゃしない。だったらこんな人生からは、さっさとおさらばしよう。
僕は逃げる事すら考えずじっとした。後悔することなんて無い。このまま死んで楽になろう。その方がずっといいかもしれない。
そんな風に諦めてから、たった一つだけ心残りがあった事を思い出した。
「やっぱり、先に謝ってれば良かったなぁ」
ウィストの泣き顔が頭に浮かんでいた。
結局、彼女に謝ることができていない。そんな簡単な事すら後回しにしてしまった。それが出来てさえいれば、何一つ後悔することなく死ねただろう。
そのせいか、後悔のしすぎで、目の前にウィストがいるように見えた。
幻覚が見えるくらい、後悔をしていたのかと思うと自嘲してしまう。
だが次の瞬間、幻覚ではなかったことを思い知った。
目の前にいるウィストは、グラプが伸ばした手を斬りつけていた。グラプはたまらず、痛がるように手を引っ込める。
「ヴィック、大丈夫?」
そしてウィストの声が耳に入り、僕を現実に引き戻した。
幻覚ではない、本物のウィストが目の前にいた。




