3-6.チャンス
「チャンスって、どういうことですか?」
予想だにもしなかった言葉に、僕は戸惑っていた。
見ず知らずの他人から出された誘いの言葉。それはとても胡散臭く思える。その一方で、フェイルさんの次の言葉を待っている僕がいた。
「言葉通りの意味さ。君の現状を変えられる、大きな切っ掛けということだよ」
フェイルさんは相変わらず笑顔で話し続けた。
そしてその内容を説明しだす。
「冒険者である君に、僕の仕事を手伝ってほしいんだよ。それを成し遂げれば、君は変われるはずだ」
「変われるって……何を根拠に―――」
「まず、金銭面で余裕が持てる。仕事の報酬は二十万Gだ」
「……え?」
気の抜けた声が出ていた。
二十万Gは、上級ダンジョン向けの依頼じゃないと手に入らない額だ。それほどの報酬が得られれば、欲しかった装備も揃えることができる上に、一ヶ月分の衣食住の心配はなくなるだろう。
装備も揃えれば倒せるモンスターも増えて、難易度の高い依頼もこなせる。そうなれば、日々の生活費を稼ぐのにも苦労しなくなる。なんとも魅力的な誘いだった。
「生活に余裕が出来れば、ゆとりを持った日常を過ごせる。ストレスもなく、ね。しかもこれを機に、腕の良い冒険者と知り合うこともできる。そうなれば彼らの伝手で、君個人を指名した依頼を受けられる。仲介料金を差し引かれず、報酬金を丸々受け取れる生活が出来るって話さ。仲間もできるし、良いこと尽くしだ」
「仲間」という言葉に興味が惹かれた。僕より実力があり、経験や周囲とのコネクションがある冒険者が仲間にいると心強い。
何よりピンチの時に支え合うという関係が、喉から手が出るほど欲しかった。
「その分危険な依頼だけど、腕の立つ冒険者も一緒だから達成できる見込みは十分ある。どうだい? 受けてみないかい?」
報酬額が高いほど依頼の難易度が高い。だから危険なのは仕方がないことだ。それに僕みたいな冒険者にとって、これ以上に良い条件の依頼は無いだろう。
フェイルさんの依頼に、心が揺れ動いていた。誘惑に負けて頷こうという意志が芽生える。
だが、まだ了承するわけにはいかなかった。最初に持った疑念が頭から離れなかったのだ。
「何で僕を誘うんですか? 僕より強くて経験もある冒険者はいくらでもいます。だというのに、何故僕を誘ったんですか?」
これは、明らかにしておきたい事だった。
フェイルさんの依頼はとても魅力的なものだが、やはり怪しいと思っている僕がいる。それを確かめずにはいられなかった。
詐欺に巻き込もうとして、貧乏な冒険者に話しかけたつもりなのかもしれない。もしそうなら、僕の質問には誰にでも言える当たり障りのない言葉を口にしてさらに誘惑してくるだろう。
しかし、不安もある。もしかしたらフェイルさんは、僕の想像とは逆に、純粋に僕を支援したいという理由だけという可能性もある。その場合、僕の質問で彼の心を傷つけてしまったかもしれない。折角の誘いを疑ったことで気を悪くして、提案を無かったことにしてくるかもしれない。
フェイルさんがどんな心情で僕を誘ったのか。それを判断するために答えを待った。
「僕は昼頃に、冒険者ギルドで君の姿を見たんだよ。君がウィストちゃんに暴言を吐いているところを」
フェイルさんが開口する。その顔から、笑みが消えていた。
「あのときの君は、とても醜く見えた。かっこ悪くて、ダサかった。あの場にいた誰もが、君よりもウィストちゃんに同情していただろう」
僕の視線は、無意識に地面に下りていた。
あのときのギルドには少人数ではあったが、僕とウィスト、フィネさん以外にも人が居た。その内の一人だったとフェイルさんは言う。途端に居心地が悪く感じた。
「けど後で君の言葉を思い出した。君は今まで、酷い待遇だったと言っていた。それを思い出したら、君を放って置けなくなってしまったんだ」
途端に、フェイルさんの口調に熱が帯び始める。
顔を上げると、彼の強い眼差しが僕を捉えていた。これほど真剣な表情で、僕を見てくれた人は居なかった。
「親が死に、ひどい扱いを受けながらも、それでも君は一人で頑張った。けれど後から来た新人に追い抜かれて、終いには冒険者になったばかりの女の子に先を越された。目の前で遥か格上のモンスターを討伐する姿を見せつけられた。こんなの、僕なら嫉妬で狂ってしまいそうだよ。
だが君は、それでも耐えて、耐えて、耐えてきた。一人で、努力をしてきた。これはとても凄いことなんだよ。誰にだって出来ることじゃないんだ。誇って良いことなんだよ。
だというのに、世間は君を見てくれない。恵んでくれない。そんなのって……あんまりじゃないか」
大袈裟な身振り手振りで、フェイルさんは想いを伝えてくる。素面なら恥ずかしくて見れたもんじゃないが、僕はフェイルさんから目が離せなかった。
「君はこれからも良いことが自分には来ないと言っていた。違う、逆だ! 今まで不幸だった分、君にはこれから良いことが起こるはずなんだ! いや、起きなきゃいけないんだ! そうでなきゃ、君みたいな冒険者が救われない! だから僕が、そのきっかけを作りたいんだ」
フェイルさんは息を切らしながら言い切った。その声が耳だけじゃなく、全身にも響いていた。火傷しそうなほどの熱意に押されて、彼の言葉を一つも聞き逃せなかった。
「ごめんごめん、ちょっと熱が入り過ぎちゃって」
素に戻ったフェイルさんの顔に再び笑顔が戻る。
恥ずかしそうに笑いながら「けど」と言葉を続けた。
「この依頼は良い経験になると思うよ。端役でも危険度の高い依頼を達成すれば自信になるし、失敗しても協力した冒険者とのコネができる。何より君は、ウィストちゃんに謝りたいんだよね?」
「なんでそれを……」
うろたえる僕に、フェイルさんは優しく諭す。
「謝るのは良いことだと思う。けど謝ったところで、君が変わらなければ元の木阿弥だ。君には悪いけど、また同じように劣等感を感じて、距離を取ってしまうことが目に見えるよ」
「そんなことは……」
しかし脳裏にウィストや四人組の姿が浮かぶと、否定することができなかった。たしかにただ謝っただけでは、何も変わらないかもしれない。
「いいかい、ヴィック君。冒険者に必要なことは、才能でも努力でも環境でもない。勇気だ。君がどんだけ八つ当たりして鬱憤を晴らしても、僕がチャンスを与えても、変わろうとする勇気が無ければ何も始まらない。今回の依頼を受けて、勇気を身に付ければいい。そうすれば君は、背筋を伸ばして前に進める」
フェイルさんは僕に手を差し伸ばす。
そして、優しい笑顔を見せた。
「君が前に進むために、僕に手助けをさせてくれないかい?」
フェイルさんの優しい声が、心に響いた。これほどまでに僕の事を思ってくれた人は居なかった。
だから僕は、フェイルさんの言葉を信じたくなった。
差し出した手を、僕は力強く握っていた。




