3-4.爆発
起きてからずっと気分が悪かった。頭がガンガンと痛みが響き、吐き気も感じる。原因は、昨日酒を浴びるように飲んだからだ。
昨日の事と飲みすぎて気分が悪いのもあって、いつもよりイライラしていた。
だからといって、冒険者ギルドに通う習慣は欠かさない。もしかしたら、新しい依頼が入っている可能性もあるからだ。
今の体調では、すぐに依頼を果たすことは無理だ。しかし急ぎの依頼でなければ、先に依頼の受託だけをして、一日遅れて実行することが可能だ。要は依頼の期日までに達成すれば問題無いのだ。
冒険者ギルドに入って、すぐに掲示板に向かった。掲示されている依頼書が、少しだけ変わっている。そのなかに、僕でも受けられそうな依頼があった。
文字の読み書きはほとんどできないが、冒険者になってからは最低限の文字を覚えた。『報酬』と『期限』、そして数字だ。これらを覚えておけば、大まかな依頼の難易度を知ることができる。
その依頼は報酬金が低く、期限が早いものだった。この類の依頼は、『近くのマイルス下級ダンジョンで鉱石やモンスターの素材が少し足りないから、急いで集めてきて』がほとんどだ。今回も似たような依頼だろう。期限は早いが簡単にできるため、報酬は低い。だが日常生活を送る分には十分な額なので不満は無かった。
僕はその依頼書に手を伸ばす。が、寸前で手を止めて引っ込めた。
いつもなら、依頼書を手に取って、依頼内容をギルドの職員に読み上げて貰ってから、依頼を受けるかの判断をする。
だが、それができなかった。
「……めんどくさいなぁ」
やる気が起きなかった。
やらないといけない。だけどそれ以上にやりたくない気持ちが勝っていた。
村に居たときは、怒られたくないという後ろ向きな理由だが、やる気はあった。冒険者になってからは、お金を稼ぐことに楽しみを覚えたため、楽しんで活動していた。
だが今は、後ろ向きな理由も、楽しみも持てない。
頭に浮かんだのは、期待の新人のウィストと、四人で仲良く冒険しているベルクさん達だった。
ウィストは類まれな才を持って、色んなモンスターを倒しながらダンジョンを冒険して、どんどん下層を踏破している。ベルクさん達は四人で支え合いながら、着実にダンジョンを進んでいる。
一方、僕はどうだ。才も無ければ仲間もいない。僕より後に冒険者になった人は、あっという間に僕を追い越して先に進んでいる。
追い抜かれて悔しくない訳が無い。嫉妬が芽生えて、だけど追いつく手立てがない。悔しさを晴らすこともできない日々が続く。
そんなどうしようもない現実が、とてもつまらなかった。
依頼を受ける気を無くし、掲示板に背を向けて離れる。今日はやめよう。適当に街を歩いて気を紛らわそう。
そう考えて外に出ようとしたとき、聞き覚えのある声が耳に入る。
受付で、ウィストがフィネさんと話をしていた。ウィストの手に素材を入れた袋があることから、買い取りをしてもらおうとしているのだろう。
ウィストが袋を受付台に置いて、素材の査定をフィネさんがし始める。するとウィストは僕の視線に気づいて近づいて来た。
「やっほー。久しぶりだねー」
「……うん、久しぶり」
顔を合わせたのは、おそらく一週間ぶりだろう。避けるように活動時間をずらしていたから、会わないのは当然だ。
だがそんなことを知らないウィストは、呑気に話しかけてくる。
「ヴィックは今日はもう上がり? それともこれからダンジョンに行くの?」
「いや……今日は行かない」
「そうなの? 今なら、手が空いたから手伝えるんだけどなー」
ウィストはたった今ダンジョンから帰って来たばかりだ。疲れているはずなのに、僕を手伝おうとする余裕がウィストにはある。
彼女の言葉は、悪意も打算も無い言葉だと分かっている。もしかしたら断られる前提でそう言っただけだったかもしれない。
そんな何気も無い言葉には、いつもなら適当に返事をしていただろう。
だが今は、その余裕のある態度が、無性に腹が立った。
「余裕があるんだね。さっすが、期待の新人冒険者様だ。底辺の僕とは格が違うね」
ウィストが何度も瞬きした。顔見知りの相手に突然嫌味を言われたら驚くのも無理はない。
「今日はすぐにノルマが終わったから……たまたまだよ?」
「へー、毎日自分にノルマを課してるんだ。その意識の高さ、底辺の僕には真似出来ないよ」
「えーっと、底辺って、何?」
ウィストが恐る恐る聞いて来る。いつも明るい声で話をすることを知っているだけに、その態度は珍しかった。
僕は無意識に笑っていた。
「僕みたいな冒険者の事だよ。その日暮らしで、将来の無い、ダメな冒険者って意味さ」
にやつきながら教える僕に対し、ウィストは表情を曇らせる。
「何言ってんの? 自分を卑下しても、良いことなんて無いよ」
「良いことって?」
「えっと……冒険者ならお宝を見つけたり、モンスターのお肉をすぐに食べられることかな。疲れたときに食べるお肉は最高だよ!」
満面の笑みを浮かべて伝えるが、その魅力は僕には分からなかった。すぐに冒険者としての楽しみを見出すのも、また才能なんだろう。
「僕には無いよ、良いことなんて。今までずっとそうだったんだから、これからも無いよ」
「そんなことは―――」
「あるよ」
ウィストが言い切る前に、言葉を割り込ませた。
「親が死んでからは、クソみたいな親戚の下で奴隷の様に働かされて、家を追い出された。冒険者になっても、毎日の生活費を稼ぐのに精一杯だ。そしたらあとから来た冒険者たちに追い越されて、惨めな気分を味わい続けている。どこに良いことなんてあるんだい?」
ウィストは困惑した表情のまま黙っている。僕はかまわず喋り続ける。
「ほんと君達には嫉妬しっぱなしだ。一緒に進む仲間がいる。一人で生きていける才能がある。ピンチを助けてくれる戦友がいる。ダンジョンを娯楽に変える人格がある。君達の環境が、すごく羨ましいよ。どうせ君は、子供の頃からその才能のお蔭でちやほやされてきたんだろ? 僕とは雲泥の差だ。君と一緒にいるとき、僕がずっと劣等感を感じているのに気付いてた? 絶対に気付いてないでしょ」
「ヴィックさん、止めて」フィネさんの声が聞こえる。かまわず、僕は言い続ける。
「気づいてるんだったら、僕に情けをかけないでよ。そうじゃないなら僕の事なんてほっといてよ」
「ヴィックさん!」
「これ以上僕を……惨めにさせないでよ!」
静かなギルド内で、僕の声が響いていた。
フィネさんだけではなく、他の人達もギルドにいる。そんな場所で、僕は身体の内に溜め込んでいたものを全てさらけ出した。
感情を吐き出すことに慣れていなかったせいか、喋っているだけだったのに息切れをしていた。
だが、少しだけせいせいとした気分になっていた。誰にもぶつけられなかった黒い感情を口に出すと、こうも楽になるのか。肩の力が抜けて良い気分だった。
しかし、安堵できた時間は一分も無かった。
鼻をすする音が聞こえてきた。その音は前にいるウィストから発せられたもので、彼女は俯いていたまま目元を抑えている。目元を拭う素振りをして、手の隙間から水滴が落ちる。床を見ると、雫の落ちた後がいくつもあった。
泣かせてしまった。
一瞬にして、僕が何をしてしまったのかを覚り、高揚していた気分が一気に落ち込んだ。
とんでもないことをしてしまった。
「あ、えっと、その……」
謝ろうとするが、言葉が出ない。焦りが募る。
「謝れ」と自分で自分をせかすが、その一言が口から出ない。
何の言葉も言えずにあたふたしていると、先にウィストが顔を上げた。
彼女は目元を拭うと、僕の顔を真っ直ぐと見る。
「あのね―――」
ウィストが口を開けた瞬間、僕は逃げた。
「待って!」
後ろから声が聞こえたが、走り続けた。
消え去りたいと思いながら、逃げ続けた。




