2-6.駆ける巨熊
転んだ拍子に、大量の鉱石が転がる音が響き渡った。地面に倒れ、リュックに入っていた鉱石が出てきて、後頭部にぶつかる。
鉱石の当たる痛みが何度も伝わってきたが、そんな事はどうでもいい。今は大きな音を立てる方が大問題である。
自分が転ぶだけなら大きな音を立てずに済んだかもしれない。だが不運にもリュックの口がちゃんと閉まっていなかったようだった。
転んだ僕を皆が唖然とした表情で見ていた。穴があったら入りたい気持ちになった。
だがそんな余裕は無い。
鉱石の転がる音が止むと、重量感のある足音が聞こえてくる。しかもさっきよりも速い。
グロベアが僕達がいることを確信して、向かってきていることは間違いなかった。
「走れ!」
エイトさんが叫ぶと同時に、皆一斉に走り出した。僕もすぐに起き上がって走り始める。
その気配を察したのか、グロベアの足音も速くなった。
「やっぱり追ってくるのか。まずいぞチナト」
「あぁ。多分腹を空かしている。五階層のモンスターがいないのもあいつのせいだ」
「あいつが全部食べたの?!」
「全部かは知らない。ただ結構派手に暴れていたことは確かだ。他のモンスターは隠れているだけかもしれない」
グロベアの口元と前足を見て、うすうすとそんな感じはしていた。あれは他のモンスターを食べるときに付いた血が黒ずんだ色だ。
「腹を空かせたあいつがやばいのは、さっき言ったとおりだ。捕まえるまで追って来るぞ」
そんな予感はしていた。さっきからグロベアは足を緩める気は全くなさそうだ。寧ろさっきより距離を詰められている気がする。
だが別に可笑しい話ではない。こっちはさっきまで採掘や荷物運びを長時間していた。そのせいで体力が落ちているのもあるし、持っている鉱石のせいで足が重くなっているのもある。リュックを捨てればもう少し早くなるが、依頼主の許可無く捨てるのは躊躇われた。
「ヴィック、あと少しだけ荷物を運んでくれ。僕に考えがある」
チナトさんには何か策があるようだった。それを信じて走り続けていると、四階層目に繋がる上り坂に着く。足を止めることなく坂を上っていった。重い荷物を持ったまま上るのはきつかったが、グロベアに追いつかれる前に上り切った。
ふと背後を見ると、グロベアはまだ坂を上っている最中だ。それを見たチナトさんは、僕のリュックを取って残っていた鉱石を坂に転がした。
「これで足止めが出来れば……」
リュックにはこけたせいで半分ほどしか鉱石は残っていなかったが、驚かすには十分な量だろう。しかも一つ一つの鉱石は大きいため、上から鉱石が転がってくる光景は恐ろしいはずだ。驚いて追ってくる気を失せてくれるかもしれない。
鉱石はまっすぐとグロベアに向かって行く。しかし、グロベアは足を止めることなく進み続ける。
そして鉱石群とぶつかる直前、グロベアは跳んだ。
それは見事な跳躍だった。突起が無い綺麗な坂道のため、あまり鉱石が跳ねなかった。しかしグロベアは上り坂を上っていたのだ。
にもかかわらず、重力をものともせずに跳躍し、ほとんどの鉱石がグロベアに当たることはなく転がって行った。
グロベアは着地すると、そのまま足を止めることなく走り続ける。
「くそっ! 動けるデブかよ!」
エイトさんが悪態を付きながら走り始める。だがさっきよりまずい状態になった。
鉱石を転がしたときに、皆が足を止めて結果を見守ってしまった。一方でグロベアは全く足を止めずに走り続けていた。その結果、僕達とグロベアの距離は縮まってしまった。
しかも四階層目はモンスターが残っている。途中でモンスターと遭遇してしまったら、その時点で追いつかれてしまう。
さらにまずいことに、三階層目と四階層目を繋げる道は梯子で繋がっている。グロベアとの距離が離れていればそこで逃げ切ることができるが、今以上に距離が縮まると梯子を上っている最中に襲われる可能性が高い。
何とかして、距離を稼ぐ必要があった。荷を下ろして懸命に走るものの、疲労のせいで速度が落ちている気がした。一瞬だけ後ろを振り向くと、さらに距離が縮められているのが見えた。
「避けろ!」
突然、エイトさんの声が響いた。グロベアの様子を見るために後ろに向けていた視線を前に戻す。すると前方を走っていた皆は、エイトさんの言葉を聞いて何かを避けていた。
前方から羽を持った黒い生き物が飛んで来る。名前はデバット、ダンジョンの至る場所に生息するモンスターで、手と一体化した羽を使って飛び回る。
一匹だけだったが急な襲来に反応できず、僕の顔にデバットがぶつかった。衝突した勢いに耐えられず、その場で倒されてしまう。
地面に倒れると、地を揺るがすほどの振動を感じた。その振動の大きさから、グロベアが間近に迫っていることが分かった。
すぐに起き上がると、グロベアとの距離はもう十メートルもない。今から起き上がって走り出したとしても、十分に加速したグロベアから逃げ切れる自信が無い。
生まれて初めて、僕は死を覚悟した。




