10-18.責任の取り方
「参ったなぁ……」
ダンジョンで立ち止まりながら、フェイルは呟いた。ヒュートをウィストに会わせたことで、フェイルのやることは無くなった。あとはヒュートがどうなろうと知ったこっちゃないので、すぐにその場を去ってダンジョンから出ることにした。
しかしその途中、ダンジョン内に他の冒険者がいる気配を感じて身を隠すことにした。遠目で彼らを観察したところ、身に付けている装備から上級冒険者だと判断した。
レーゲンダンジョンは中級ダンジョンだ。近くにツリック上級ダンジョンがあるにもかかわらず、ここに上級冒険者が来ることは滅多にない。一組だけならば依頼のために来たという可能性も考えられる。
だが出口に近づくにつれて、何組もの上級冒険者と鉢合わせしそうになった。
フェイルがここにいることがばれている。四組目の冒険者を見つけると、そう思わざるを得なくなった。おそらくヒュートがへまをしたのだろう。フィネの家に手紙を置くように指示したのだが、そこからばれたのだ。
やはり大事なことは他人に任せない方がいいな。溜め息を吐いてから、天井を見上げた。
レーゲンダンジョンについてはあまり詳しくない。秘密の抜け道はもちろん、五階層以下には行ったことすら無い。闇雲に逃げてしまえば疲労が溜まり、冒険者に捕まる前にモンスターにやられてしまうだろう。
かといって、四階層以上で逃げ隠れし続けるのは難しい。相手は上級冒険者達だ。すぐに痕跡を掴まれてしまい、捕まってしまうことは明白だ。どうにか脱出する方法を考えなければならない。
「あのときも、こんな風に考えてたなぁ……」
ふと、昔の事を思い出した。まだフェイルが中級冒険者で、レーゲンダンジョンが今みたいな高難度ダンジョンになる前のことで、二人の仲間と一緒に冒険していた頃。そしてフェイルが、ソランの弟子であった時代のことだ。
あの日、フェイルは仲間と共にレーゲンダンジョンに来ていた。仲間は二人。一人はボウガンや罠、道具を駆使して味方をサポートするララック。もう一人は、チームの柱ともいえる存在であったマーニャという女性だった。
赤色のショートボブ、長身でスレンダーな身体に、愛くるしい猫目の少女。明るくて人懐っこく、気まぐれな性格であったが、チームの盛り上げ役を担っていた。戦い方も猫の様に身軽に動いて相手を翻弄し、その隙にフェイルとララックが攻撃するのがいつものやり方だった。
フェイル達はあの日も、いつものようにレーゲンダンジョンに向かった。いつものようにダンジョンに入り、いつものようにモンスターを狩り、いつものように狩ったものを換金する。あの日もそうなるはずだった。
しかし四階層のある場所で、フェイル達はモンスターにやられた。見たこともないモンスター相手に手も足も出ず、フェイル達は蹂躙された。
何とか逃げ切って隠れることができたが、全員が大怪我をしていた。フェイルは片腕が折れ、ララックは歩けなくなるほどの怪我を足に負った。だが一番重傷なのがマーニャだった。マーニャの腹には穴が空いていた。そこからどくどくと血が流れ、顔が青白くなっていた。
助けを呼ばなくちゃいけない。しかしフェイルとララックも怪我をしている。ダンジョンを出られることも怪しかった。マーニャを助けるどころか、フェイル達も道中で死んでしまう可能性があった。
それでも仲間を助けようと思い、フェイルは脱出することを決めた。そう覚悟したフェイルが外に向かおうとした時だった。
「お前ら大丈夫か?」
師であるソランが現れてくれたのだ。
こつん、と物音が聞こえた。昔を思い出しながら呆けていたフェイルは、音が聞こえた方に目を向ける。かなり近くから聞こえた音だった。
同じ方向から、続けて足音が聞こえる。モンスターを警戒した慎重な足音ではなく、堂々としたものだ。このダンジョンのモンスターをものともしないほどの実力者だと察した。
いくら呆けていたとしても、それほどの冒険者を近づかせ過ぎたことはとんでもない失敗だ。己の間抜けた失態に、胸の内で叱責した。
だが足音を聞いたところ、不幸中の幸い、相手は一人だけの様だ。ここで仕留めれば他の冒険者には気づかれずに済む。素早く判断したフェイルは、懐から投げナイフを三本取り出す。明かりが無いため姿は見えないが、音を聞けば相手の大きさと位置を知ることができる。その情報をたよりに、フェイルはナイフを放った。
狙った場所は相手の顔、胸、腹の三点。最高速で一寸の狂いもなく、ナイフが飛んでいく。ナイフを放した時点で命中することを確信したほどの精度だった。
だがナイフは、相手に届く前に地面に落ちていた。勢いは十分で、途中で失速して落ちることは考えられない。考えられるとすれば、ナイフに気付いて叩き落したということだ。しかしフェイルはほぼ無音でナイフを投げていた。明かりもないためナイフの存在は知られないはずだ。
視界が悪く、音も聞こえない状態で、ナイフを防いだ。想像以上の実力者だ。
フェイルは覚悟を決めて小太刀を握る。不意打ちは失敗したが、それならば正々堂々と戦うだけだ。腕には自信はある。そこらの傭兵相手にも負けないし、負けそうになれば逃げればいい話だ。近づいて来る相手を待ちながら戦略を考えた。
相手は速度を変えずに近づいて来る。そしてフェイルの射程範囲より僅かに離れた場所で止まると、持参していたランプに明かりを点ける。明かりに照らされて、相手の姿がはっきりと見える。
その者の姿を見て、フェイルは大きく目を見開かせた。
「よう。久しぶりだな、フェイル」
フェイルが一番憎んでいるソランだった。
ソランは左手にランプを、右手に剣を持って立っている。隙だらけに見えるが、今仕掛けてもすぐに対応される。それほどの反射神経をソランは身に付けている。
一方のフェイルは、身体に力が入っていた。憎き相手と予想外の場所で対面し、心臓の鼓動が高まっていた。心を落ち着かせなければ、こいつには勝てない。
「……そうですね。こうして会うのは四年ぶりですね」
「それにしては、嬉しく無さそうにしてるな」
「当たり前です。あなたの事は、大嫌いなんですから」
「……それもそうだな」
ソランが悲しげな笑みを浮かべた。とても儚げで寂しそうな顔。そんな表情を見たのは初めてだった。
「なんですか? その顔は」
「分かってはいたことなんだが……改めて本人から言われると哀しくなってな」
「身体は強くなっても、心は弱くなったみたいですね。嫌いって言葉は、今まで散々言われて来てたくせに」
英雄と呼ばれる前も後も、ソランの事を嫌う人間はいた。実力があって気が強い、喧嘩っ早いソランはゲノアスやその取り巻きだけではなく、今では仲の良いアリスやヒランからも最初は嫌われていた。昔のソランなら、フェイルからもそう言われても堪えることは無かったはずだ。
「いや……散々慕ってくれていたお前だからだよ。初めての弟子から直接言われたら、俺じゃなくても傷つくぜ」
「一般人アピールは止めてくださいよ、英雄さん。そんな人間が、僕の仲間を見捨てられるわけないじゃないですか」
決して忘れられない恨みを、数年ぶりにソランにぶつけた。
あの日、ソランはフェイル達を見殺しにした。ソランは怪我をしておらず、逃げている様子でも無かったにもかかわらず、ダンジョンの奥へと進んでいった。だがフェイルは絶望の余り呆然とし、しばらくの間、動けなくなってしまった。
なんとか意識を持ち直した後、死に物狂いでダンジョンを抜けて、奇跡的に脱出することに成功した。ギルドに辿り着き、他の冒険者に救助を依頼したところでフェイルは気を失った。
目が覚めてから病室で、発見できたのはララックだけだったということを聞いた。ララックが言うには、フェイルと別れた後にモンスターに襲われ、マーニャに逃がされたお蔭で生き延びたところを、救助に来た冒険者に助けられたという話だ。
あのときのマーニャは、自分が助からないことを察していた。ならば助からない自分を囮にすればララックが助かると思って逃がしたのだろうと、いつも優しい笑みを見せていたララックが瞳を潤ませながら見識を述べていた。
あの日の出来事は、決して忘れられないものだった。
失望、絶望、喪失。今まで感じたことのなかった負の感情が一気に押し寄せて来た日だった。今でも夢で、あの日の事が出てくるほどに。
「僕は一生、あの時の事は忘れません。この恨みが消えることはありません」
「その恨みをぶつけるためだけに、他の冒険者を襲ったのか?」
「えぇ。弟子を見殺そうとしたあなたが英雄扱いされる、そんな事は間違ってますからね。あなたとあなたを祭り上げるギルドなんて大嫌いです。だから壊します」
「……昔から大人びてた思考をしてたお前からは、考えられないほどの幼稚な理由だな」
「他者を犠牲にして成り上がるのが大人なら、僕は子供で結構です」
直後に、ソランが鼻で笑った。
「その理屈ならば、俺も子供ってことだな」
「自分のことしか考えていないところがですか?」
「近いな。俺がなんで英雄でい続けているか知ってるか?」
理由? そんなものを知る気なんてない。
「知りませんよ。金にでも目が眩んだんでしょ」
「相棒との……リュカとの約束のためだ」
意表を突かれ、フェイルは息を呑んだ。
リュカはソランの相棒だった女性だ。長い金髪、長身でしなやかな身体、無邪気な笑顔が特徴的な冒険者だった。年上なのに楽しいことがあれば子供みたいにはしゃぎ、悲しいことがあれば人目を気にせずに泣く、感情を隠さない人だった。
冒険者だけじゃなく多くの人に好かれていた彼女だが、ある日得体のしれないモンスターに襲われて死んだということを聞いた。師の相棒であり、フェイルも好きだった相手でもあったので、その知らせを聞いてフェイルも悲しんだ。
「あいつが言ったんだよ。『私の好きな街を守ってね』って。あのときお前を見捨ててしまったのは、あいつを倒したモンスターがいるってことを聞いたから探してたんだ。これ以上、あのモンスターによる犠牲者が出ないように」
後の話は、ダンジョンを脱出してから聞いていたことだ。それを耳にした時は納得できなかったが、相棒とそんな約束をしていたことは初耳だった。
死んだ相棒との約束。そんなことを言われたら守ろうとするのも無理はない。
しかし、だからといってもソランの事は許せない。仲間を見殺しにした、その事だけは。
「じゃあ、僕達を見殺しにしたことは後悔してないんですね」
「……いや、してるさ」
ソランは苦しそうな顔を見せた。
「リュカを助けられなかった力の無さ。あの日、一人でダンジョンに入ってしまった迂闊な行動。あの後に再会したお前に何の言葉もかけられなかった臆病な性格。あのときのことで、後悔しなかった日は無い。だから、その責任はしっかりと取る」
「……だから、英雄のふりをしてるんですね」
「そうだ」
ソランはランプを地面に置き、その手で盾を構えた。
「無力さに嘆かない様に力を得た。同じことが無いように冒険者を支援する体制を作った。あとは、お前の事だけだ」
「……なるほど。ならば僕は、その責任を取って貰いましょう」
フェイルは一歩踏み込んで、ソランを射程範囲内に捉えた。
「仲間を死なせてしまった責任を、ね」




