10-17.凡人の嫉妬心
目が覚めると、気を失う前と同じ場所にいた。周りにはヒュートを見張る人間が一人も居ない。装備も没収されていない。ここに来た時と同じ状態だった。唯一違うのは、後頭部から痛みがするということだ。
気を失う前の事を思い出す。ヒュートはいきなり後ろから殴られた。姿は見えなかったものの、あの声はおそらくベルクだ。
目上の人の頭を叩くなんて……だから野蛮人は嫌いなんだ。
「もう少しで思い通りになれたのに……」
思い通りにいかないことに憤りを感じる。
どうしてこうも上手くいかないんだ。なんで思い通りにならないんだ。
「くそっ、くそっ、くそっ!」
頭を抱えながら悪態をつく。己に対する失望、劣等感、落胆する感情が抑えられない。圧倒的に有利だった状況で、なんでこうなったんだ。
「……僕のせいじゃない。あいつらのせいだ。そうだ……僕は悪くない。あいつらが邪魔をするんだ。だから上手くいかないんだ……」
原因は僕には無い。周りにあるんだ。だから成功しないんだ。
他の冒険者が協力しないから、ギルドがサポートしてくれないから、社会が僕を見ないから、こんなにつらい目に遭ってるんだ。
そうだ、周りが悪いに違いない。
「そうじゃないと、僕が出来損ないってことになっちゃうじゃないか……」
ハイエナと呼ばれていた頃のヴィックみたいに、周りが助けてくれればこうならなかったのだ。
誰かが応援してくれたら頑張れたし、誰かが目標になってくれたら努力できたし、誰かが助けに来てくれたら仲間ができたはずなんだ。薄汚いハイエナだったヴィックにすら与えられるのなら、僕にもそうしてもらえる権利があるはずだ。
「ふざけんなよ……」
だが現実には、誰もそんなことをしてくれない。なんでそうならないのか、本当は分かっていた。
たしかにヴィックは底辺冒険者だった。しかし、ある日を境にヴィックは変わった。装備はボロボロで汚らしい身体をしていたが、瞳にはマグマのような熱を帯びていた。安宿に泊まり、安い食事をするくらいの稼ぎはあったはずなのに、食料は現地調達のみでしのぎ、野宿をして日々を過ごしていた。
なんでそんなことをしていたのかは分からない。だがヒュートが同じ立場になったとしても、同じことができる気がしなかった。適当に見切りをつけて、冒険者を辞めてしまうだろう。
環境のせいじゃない。そうしたいという強い意志があったからこそ、今のヴィックがあるのだ。
ここ数ヶ月、散々邪魔をしてきたが、ヴィックの心は折れなかった。それが、ヒュートとヴィックの違いだ。
だからこそ、ヴィックの周りにはヒュートが欲しがったものがあるのだ。
「せめてあいつがいなきゃ……こんな気持ちにならなかったのに……」
ウィストは天才で、カイト達は仲間が居る。だからヒュートより先に行くのは仕方がないことだ。しかし、ヴィックはヒュートと同じだ。一人だけで冒険し、優れた技能の無い凡人で、冒険者になるための努力をしていなかった。ヒュートと同じ、どこにでもいるような普通の冒険者だった。そんな似た境遇の冒険者に先に進まれると、より劣等感が際立った。
だからフィネも、ヒュートじゃなくてヴィックを選んだんだ。
フィネは分け隔てなく、誰にでも明るく接する良い子だった。ヒュートにさえ、冒険に向かう時には応援の言葉を向けてくれた。それがとてもうれしくて、毎日の励みになった。もしかしたら気があるのではないかと思うくらいだった。
しかしフィネの本命が明らかになってからは、彼女の言葉を聞いても元気が出なかった。
マイルスダンジョン封鎖解除記念のパーティ前日、適当に街をうろついていたときに、ヴィックと一緒に歩くフィネの姿を見つけてしまった。しかも恋人同士のように、仲良さそうに。
その光景を目の当たりにした瞬間、彼女の言葉に喜んでいた自分が道化のように思えた。だからヒュートをこんな気持ちにさせた彼らに、思い知らせるために今回の計画を実行した。
そして、劣等感を抱き続ける日々はもう終わりだ。
ヴィックはこの穴から落ちて行った。ここから落ちたらもう助からない。今頃、モンスターの餌にでもなっているだろう。つまり、ヒュートが劣等感を抱く相手がいなくなるということだ。しかもここにベルク達がいないということは、おそらくヴィックを助けに行ったのだろう。ここは中級ダンジョンの中でも特に攻略が難しいダンジョンだ。ムガルダンジョンすら踏破していない奴等が奥に進んで、生きて帰れるとは思えない。
全部が思い通りにいかなかったが、最低限の目的は達成した。あいつらが死ねば、ヒュートがフェイルに加担したことを知る者はいなくなる。これからも冒険者でい続けられる。いや、悩みの原因がいなくなったことで、むしろ今まで以上に清々しい気分でいられるだろう。
気分が楽になり、身体が軽くなった。そうと分かればさっさとここから出よう。計画の実行前、フェイルが近くのモンスターを倒していると言っていた。だから来る途中はモンスターに襲われなかったので、帰りも大丈夫なはずだ。とは言っても中級ダンジョンなので、早めに出た方が良いだろう。
ヒュートは早足で出口に向かった。何事も無く歩き続けると、松明が設置されている道に出た。遠くにも同じように設置されている。
この松明を辿って行けば最短経路で外に出られる。安心すると同時に、あるものが目に入った。
地面に血を流す、ドグラフの死骸があった。それを見てヒュートは、少しだけ呼吸が止まってしまった。
モンスターの死骸を見ることは何度もある。長い時間が経った死骸や、ついさっきまで生きていた死骸も見たことがある。
目の前にある死骸は後者のもので、あってはいけない方のものだった。
フェイルは指示した場所とそこまでに続く道の周辺モンスターを狩ったと言っていた。その言葉に嘘は無いと思ったし、ここに来るまでは現に一匹もモンスターと遭遇しなかった。ただ時間が経てば、フェイルの手から逃れたモンスターが来るだろう。だからダンジョンからは早めに出ようと考え、今でも間に合うと思っていた。
しかし、目の前にはモンスターの死骸がある。誰かがダンジョンに入り、ここで襲われて倒したのだろう。わざわざ遠くで狩ったモンスターをここに放置する者はいない。つまり、既にこの付近にはモンスターがいるということだ。
目覚めたときは、気を失ってからはあまり時間が経っていないと思っていた。だけどこの状況を見て、そんな楽観的な思考は無くなっていた。
いったい、どれくらい気を失っていたんだ?
途端に、ヒュートの現状がとんでもなくまずいということに気がついた。
ここにいたらまずい。すぐに出ないと。不安に駆られ、出口に向かって走ろうとした時だった。
「グルルルル……」
嫌な音が、後ろから聞こえた。喉を鳴らす低い声。僅かに散乱した砂を踏む音。それがいくつも聞こえた。振り返ると、四匹のドグラフが歯を剥き出して唸っていた。憎しみが伝わるほどの鋭い眼で。
ヒュートは地面に転がったドグラフの死骸を見る。もしかしたらあのドグラフ達は、ヒュートがこいつを殺したと思っているのかもしれない。逆の立場ならヒュートもそう考えてしまうだろう展開だが、納得したくなかった。認めてしまえば、生きる道が無くなってしまうからだ。
「お、おい待てよ……こいつを殺したのは僕じゃない。他の奴がやったんだ。だから見逃して―――」
先頭にいるドグラフが一歩踏み出す。そのドグラフの眼には見覚えがある。
あれは、ハイエナと呼ばれていたヴィックと、同じ眼だった。
何が何でも目的を果たす。そういう意志が込められている。違う点があるとするならば、目の前のドグラフの標的が、ヒュートだという点だ。
「う、うわぁああああああ!!」
怖くなって、ドグラフから逃げ出した。どこを走っているのか分からない。出口に向かっているのか、離れて行っているのかすらわからない。だが、そんな事はどうでも良かった。あのドグラフから逃げられれば、それで良かった。
懸命に足を動かして走り続けた。息も切れて、目眩もする。どんだけ走ったのか分からない。だけど、後ろから聞こえる足音が消えなかった。
どんどん足音が大きくなるにつれて、心臓の音も大きくなる。聞いたことのないほどの鼓動音がしたとき、背後からドグラフに圧し掛かられた。足が縺れて、地面に倒れてしまった。
「く、来るなぁああああああ!!」
身体を動かし、腕を振り回してドグラフを振り落とそうとする。しかしドグラフは背中から下りることは無く、どかそうとする間に他のドグラフに囲まれてしまった。
この先の未来は、冒険者なら誰もが思いつく。普段冒険者達がするのと同じことを、今度はヒュートがされる番である。
つまり、殺されることだ。
「い、いやだ! どけ! 退けよお前ら! どっかいけぇえええ!」
必死に叫ぶも、ドグラフは聞く耳を持たない。近づいてヒュートの手足に噛みつくと、身動きが出来なくなった。
「ま、待て。待ってくれ。お願いだから命だけは……」
背中に乗ったドグラフの命乞いをする。しかし、それも無駄になった。
ドグラフは大きく口を開けて、ヒュートの首にかじりついた。
「や、やめろぉおおお!」
痺れるような激痛、首から流れ出る血の熱、全身に伝わる脱力感、全てが恐怖に繋がっていた。
「やめ、ろぉ……」
声が出なくなり、意識が朦朧としてくる。こんな風に死ぬなんて、そこら辺の雑魚みたいに死ぬなんて、なんでこうなったんだ。
瞼を閉じながら、ヒュートは冒険者になったばかりの頃を思い出した。あのときのヒュートは、何の変哲もない目標を持っていた。
「楽しく冒険したかっただけなのに……」
ヒュートは眠るようにして、目を閉じた。




