10-13.懐かしい姿
「さて、これからどうしようか」
お互いの治療を終えた後、僕とラトナはこれからどうするかを話し合うことにした。
ラトナが最初に立てた算段は、自分がここで死に、そのときに発生した血の匂いと死体を利用して、この空間にいる僕の存在を隠すというものだった。しかし、ラトナが生き延びたことでそれは使えなくなった。それどころか、モンスターの死骸が残っている。これではこの空間に訪れたモンスターの警戒心が強くなり、隠れてもすぐに見つかってしまう。
だからやることは一つしかなかった。
「ここから離れるしかないっしょ」
普段の調子に戻ったラトナが即座に判断する。僕もそれに同意した。隠れられない場所に居続けるのは無意味だ。ここから移動して他の隠れ場所を見つけるか、脱出する方がマシだ。
そうと決まれば早く動くべきだ。早速、この空間から出ようと別の道を探そうと決めたときだった。
「そういえばヴィッキー。その剣はどこにあったの?」
僕の持っている剣を指差して、ラトナが尋ねた。
「あー、そういえばちょっと借りてたんだった」
「借りた? 誰から?」
「多分……岩裏にいた人の持ち物かな」
「岩裏って……なるほどね」
ラトナは岩裏の方に向かって行く。気になって僕も続くと、ラトナは骸骨の近くに置いてあったバッグの中を漁っていた。
「何してんの?」
「んー、なにか役立つものがあったら良いと思って。今あたし、このナイフしか持ってないんだよねー。他に武器とか道具があったら心強いんだけど……」
バッグの中にある物を、次々と取り出すラトナ。しかし中にあった道具は壊れていたり、食料も腐っているものしか出てこない。
若干、あきらめムードが漂ったとき、
「ん、これで最後かな」
中から封筒が二つ出て来た。どう見ても武器や道具の類ではない。
「ざんねーん。これじゃ、ヴィッキーに守ってもらうしかないか」
明るく務めるラトナだったが、封筒を見るとピタッと静止した。そして「え?」と動揺する声を漏らす。
「どうしたの?」
「えっと、これ、宛先が……」
二つの封筒に書かれた文字を読む。そこには思いもしない名前が書かれていた。
『ララックへ』。『フェイルへ』。二つとも、よく知る人物達の名前だった。
「何で、二人の名前が……」
ふと、ララックさんの話を思い出した。
昔、ララックさんは冒険者でフェイルと一緒に組んでいたが、怪我をして引退したという話だ。
てっきり僕は、フェイルはララックさんと二人だけで組んでいたと思っていたのだが―――、
「他に仲間が居たのか……」
三人目の仲間の遺体を見つめる。男か女かすらも分からない。残った衣服も男物か女物かの区別もつかないほどボロボロだ。どれくらい前に死んでしまったのだろう。
「ねぇ。これ、どうする?」
ラトナが手紙を持ちながら聞く。フェイルとララックさん宛の手紙。この人が死ぬ間際に書いたと思われるものだ。
それほどの想いが残った手紙をどうするかは、もう決めていた。
「届けよう。フェイルはともかく、ララックさんには会える。この人もそれを願って書いたんだし」
「剣も借りてるから、お礼はちゃんとしないとね」
「そういうこと」
探した荷物の中で、手紙だけを持って行くことにした。手紙をバッグに入れて歩き出す。相変わらず左足が痛いが、最初に比べて痛みが引いている気がした。思っていたよりたいした怪我じゃなかったのだろう。
岩陰から出て、僕が先頭になって先に進む。モンスターの気配はない。安全を確認しながら歩き続ける。
洞窟のような場所が続いていたが、五分ほど歩くと見慣れた遺跡の道が視界に入る。散々目にした石畳の道を見て胸を撫で下ろした。
周囲を警戒しながら歩き続け、曲がり角を右に曲がったときだった。
頭が二つあるモンスターと対面した。
体高二メートルほどでドグラフに似た頭を二つ持ち、四つの眼が僕を捉える。
異様な光景に足を止めてしまう。
「どしたの、ヴィッキー……」
ラトナが曲がり角から顔を覗かせた瞬間、言葉が途切れる。しかし二つ頭のモンスターが一歩踏み出したとき、ラトナはいち早く動いた。
「こっち!」
僕の手を引いて、来た道を戻りだす。左足から痛みがするものの、今は我慢して走るしかない。
後ろからあのモンスターの足音が聞こえる。重そうで、しかしテンポの速い足音だ。明らかに僕達より速い。このままだと追いつかれるだろう。
「ラトナ! 僕が足止めするから、そのうちに対策を―――」
「戦ったらダメ!」
僕の提案は即座に却下された。
「なんで?! このままだと追いつかれる。だったら少しでも有利な場所にいる今戦わないと!」
遺跡の道は狭い。足は速そうだが遺跡の道だとあのモンスターは小回りが利きそうにない。そこを突ければ僕でも対抗できるはずだ。
「絶対にダメ! 私達じゃ絶対に勝てない!」
「さっきワーウルフを倒せたんだ! 同じ中級ダンジョンのモンスターでもやり方さえ工夫すれば勝てる!」
「同じじゃないの!」
ラトナの必死な声が道に響く。
「あれはオルトロス! 本当なら上級ダンジョンに生息するモンスターなの! 今までのモンスターとは格が違うのよ!」
「……上級?」
ラトナの言葉で、ツリック上級ダンジョンに行った時の事を思い出す。
規格外の大きさをして、蔓を伸ばして敵を捕食するグラプ。敵対した時は死を覚悟したほどだった。
あの威圧感を思い出して身体が震える。ラトナの言う通りならあのモンスターは、僕では万が一でも勝てない相手だ。
ラトナに続いて来た道を逃げる。しかしオルトロスの方が速い。一瞬だけ後ろを振り向くと、僕とオルトロスの間の距離は三メートルも無かった。
この状況、僕はまた選択を迫られた。逃げ続けるか、立ち向かうか。
逃げ続けてもいずれ捕まってしまうし、立ち向かっても殺される。どっちを選んでも、死ぬことは明らかだ。
そう、どちらにせよ死ぬのだ。この場面、僕が選ぼうとしているのは生きるための方法ではない。死に方だ。
絶望しかない選択肢にため息が出た。どう転んでも僕が死ぬことは確実だ。
ならば―――、
「じゃあ、戦うしかないね」
僕はラトナの手を放し、足を止めてオルトロスと向かい合う。突進してきたオルトロスに向かって、構えた盾をぶつけた。
「ぐっ―――」
巨体と勢いを活かした突進に負けて後方に吹っ飛ばされた。すぐに受け身を取ると、オルトロスは止まって僕の様子を窺っていた。カウンター気味にぶつけた盾に驚いたのかもしれない。静かに僕の方を睨んでいた。
「ヴィッキー、戦ったらダメだよ! ここは逃げるしか―――」
「それも無理だよ。匂いを覚えられたらどこに隠れても無駄だ。ラトナも分かってるんじゃない?」
「そのときは―――」
「囮になるってのもダメだよ。僕はラトナと一緒に逃げ切りたいんだ。だったら、少しでも有利なここで立ち向かうしかない」
ラトナの言葉が詰まる。図星だったのだろう。ドグラフ達との戦闘のこともあり、そんなことをしそうな気がしていたのだ。
だが、今度は同じことをさせるきはない。
「僕が戦うからオルトロスのことを教えて。今知ってることと、戦っているときに分かったことを」
「っ……もうっ! 絶対勝ってよね!」
ラトナが観念したと同時に、オルトロスが向かって来る。すぐに盾を構えて突進を受け流す。腕にダメージはほとんどない。すぐに身体の向きを変えて次の攻撃に備える。再び突進してくるが、これも上手くいなした。
オルトロスは走るのを止め、僕の近くまで歩いて来る。すると前脚を使って潰しにかかってくる。上からの攻撃を受け流すのは、まだ不得手だ。僕は無理をせずに跳び退いた。着地したとき、オルトロスは僕をじっと見つめていた。
妙な違和感があった。目の前のオルトロスは弱いとは感じない。しかし上級モンスターなのかと疑うほどの攻撃だ。これならミノタウロスの方が強く感じる。もしかして弱い個体なのか?
思えば、中級ダンジョンに上級モンスターがいるのも不思議だ。もしかしたら中級ダンジョンでしか生息できないほどの弱さなのか? それならば勝ち目があるかもしれない。少しだけ希望が見えて来た。
オルトロスは何度も攻撃を仕掛けてくる。突進、踏みつぶし、噛みつき。だがどれも防ぎ、避けられるほどの攻撃だ。脅威には感じない。防御に専念していたが、次第に攻撃する隙も見えてきた。オルトロスの踏み付けを跳び退いて、すぐに反撃しようと剣を強く握りしめる。
地面に着地した瞬間、左足の膝がかくんと落ちた。
「あ、あれ?」
疲れていたのか? 慌てて立ち上がろうとするが、左足に力が入らない。それどころか左足の感覚が無かった。もしかして怪我をした影響か?
額に汗が生じる。不安を抱いたままオルトロスを見ると、二つの顔の口からよだれが垂れている。まるで獲物を前にしたように。
ぞわりと背筋に悪寒が走った。同時にオルトロスが突進してくる。今までよりも格段と速い。無事な右足で跳んでぎりぎり回避した。その動きの変貌ぶりに、嫌な考えがよぎった。
もしかしたらオルトロスは、僕が怪我をしていたことを見破っていたのか? そして怪我が悪化するのを待ち、動きが鈍くなってから本気で戦う気だったのか? そう考えてしまえば、上級モンスターとは思えないような攻撃にも説明がつく。だとしたら、今の状況はかなりまずい。
右足だけで立つ僕を、オルトロスは四つの目で見る。逃してくれる気の無い意志を感じた。本気の攻撃が来る。だけど僕は碌に動けない。
万事休すか?
「ヴィッキー!」
心配するラトナの声が聞こえる。ごめん、ラトナ。無理かもしれない。君の言う通り逃げれば良かった。
迫りくるオルトロス。一秒もせずに僕の前に着き、二つの口を開けた。
しかし二つの口が僕の目の前で閉じられた。
オルトロスの頭が上に逸れ、同時に跳ぶようにして距離を取られる。すぐには攻撃を仕掛けて来ず、警戒して僕の方を見ていた。
「……え?」
あり得ない光景に、間の抜けた声が出た。オルトロスに噛みつかれる直前、何者かが下顎を突き上げて強制的に閉じさせたのだ。オルトロスの猛スピードによる突進を前にして、避けるどころか僕を守るという技をしてのけた。
そんな高等技術を披露した者、いやモンスターは僕の足元にちょこんと座っている。
そしてそのモンスターは、僕がよく知っているモンスターだった。
「キキッ」
エンブのレンは、いつも遊んでいた時と同じような笑顔を見せた。