10‐9.私の本当の願い
「ねぇ。あなたが本当の依頼人だよねー?」
マイルスダンジョンを踏破した二日後、ラトナはヒュートを問い質した。話しかけられたヒュートは浮ついた様にそわそわとしていたが、質問すると急にきょどきょどと視線を逸らす。明らかに動揺していて、その態度がすでに答えになっていた。
ヴィックと一緒にマイルスダンジョンの十階層に向かったが、モンスターとは一匹しか戦わなかった。それが不思議だった。
調べた情報だと、十階層は他の階層に比べて狭いものの、同じくらいの密度でモンスターが存在する。だから何体かのモンスターと戦うことを想定して、一日ではなく数日かけて攻略する予定だった。
ヴィックは運が良いとしか思っていなかったが、ラトナはそう考えなかった。帰る途中、道端に残った乾ききっていない血の跡を見て悟った。誰かが先に来てモンスターを始末したのだと。
そこからラトナの行動は早かった。すぐにギルドに出た過去の依頼を探し、依頼を受けた冒険者のクラノに依頼人が誰かを聞いた。ギルドに話さないことを条件にして聞き出し、その正体を聞いて疑問が湧いた。依頼を出したのはフィネの妹であるノイラだからだ。
ノイラは真面目で勉強ができる子だ。順調に学校を卒業すれば、将来の安泰が約束された仕事に就ける。そんな子が冒険者の成長を阻害するような依頼を出すのだろうか。
考えられる点は二つ。一つは将来を犠牲にしてでもヴィックの邪魔をしたかったこと。これは考えにくい。フィネに聞くと、二人は今まで一度しか会ったことが無いという話だ。
もう一つは誰かに頼まれて依頼を出したということだ。ラトナは後者だと決めつけて調べた。
そしてあっさりと犯人は見つかった。ノイラがヒュートからお金をもらっている場面を目撃したからだ。
二人がどういう経緯で知り合ったかは知らないが、二人が別れた後、依頼の話をノイラから聞いた。もちろん、ラトナがヒュートの存在を知らないという体を装ってだ。その様子から、ノイラは自分がギルドのルールに反しているということを知らないことを察した。よって、ヒュートが騙したということを確信する。
「何の話だよ」この期に及んでヒュートはとぼける。
「ノイラから聞いたんだー。ヒュートに頼まれたって」
「はぁ?! あいつ何を―――」
「うそだよん」
ヒュートはほっとしていたが、すぐに「しまった」と言いたげな顔をする。予想以上の騙され易さに拍子抜けした。だが、話が早くていい。
「だいじょーぶ。ギルドに言ったりしないから」
「……ホントか?」
「うん。その代わり、お願い聞いてくれるっしょ?」
ヒュートは返事をせず、足を一歩引いて身構えられる。さっきのように嘘をつかれることを警戒しているのだろう。
「そんな構えなくっていいってばー。簡単なことだから」
「……なに?」
「もしヴィックの邪魔をしたくなったら私に言うこと。もう一つはあたしがやることに協力すること。どう? 簡単でしょ」
ヒュートは「あ、あぁ」と躊躇いがちに頷く。だが少し考えてから質問される。
「やる事って、なに?」
ラトナは笑みを浮かべながら答える。
「ヴィックに冒険者を辞めてもらうこと、だよ」
ヒュートは目を大きく見開いて、「仲間じゃなかったのか?」と聞き返した。
「うん。けど、仲間は仲間だけど、冒険者仲間じゃなくて一緒に生活するための仲間だよ。一緒に働いて、お金を稼いで、楽しく過ごすための仲間。一言でいうと、家族になりたいの」
「……け、結婚するのか?」
「あたしはしたいと思ってるの。今はヴィッキーにその気がないから、その手伝いをして欲しいってわけ。分かった?」
「分かったけど……何であいつなんだ? 君の前の仲間は?」
ラトナは首を横に振る。彼らはそういう相手じゃない。というより、してはいけない。
「カイっちとベルっちは好きだよ。けど二人はもっと先に進みたいの。だから傍にあたしがいたら邪魔になっちゃうから、その代わりにヴィッキーと一緒になることにしたの。ヴィッキーなら、私の事を受け入れてくれるから」
「あいつはあのウィストに追いつこうとしてる奴だぞ? 無茶無謀を平気でやるような奴が、お前を受け入れるのか?」
「なーに言ってるの、ヒュートん」
ラトナは自信満々に答えた。
「惚れさせたら楽勝だよ」
ヴィックの過去の話は、風の噂で知っていた。親が死に、預けられた先でも奴隷の様に扱われたと。つまり、愛を知らずに生きてきた少年だ。そういう相手には、愛をもって接すれば落とせられる。
愛を育み合う恋人のように親愛に。決して壊れない友情で結ばれた親友のように友愛に。憧れていた人に敬うように敬愛に。
愛を与えれば、ヴィックはラトナの手に落ちると確信を持っていた。
それからラトナは、ヒュートの手を借りながらヴィックを落とす計画を実行した。ヒュートが勝手に動いて予定外の事が起こったが何とか修正できた。
ヴィックは再び挫折し、ウィストとの差を見せつけられたショックで、ラトナの誘いを受けた。計画はおおむね順調に進んでいるように思えた。
しかし、それはラトナの勘違いだった。ヴィックはウィストに発破をかけられ、その結果、中級ダンジョンのモンスターを討伐するに至った。そして中級ダンジョンを攻略することを誘われた。
それだけじゃない。ラトナに付き合ってくれたのは、ラトナにも中級ダンジョンを攻略してもらうために情報を集めていただけだったのだ。
計画が完全に崩れた瞬間だった。
ヴィックの誘いを受けたとき、ラトナは怒りを抑えるのに必死だった。
一緒に中級ダンジョンに挑む? それが出来たら苦労しない。出来ないと思ったからこそ、カイト達から離れたのだ。足手纏いになるのは嫌だから、仲間の邪魔になりたくないから、先に進んで欲しいから諦めたのだ。ヴィックが考えた方法はとっくの昔に試している。それ以外の事で役立つことも考えた。だけどそれ以上に足を引っ張るだけになるという結論が出ていた。
そう、何をしても無駄になるのだ。
ラトナに出来ることはただ一つ。カイト達に心配されない様に、安定した生活を得ることだけだ。そのためにヴィックが必要だというのに、ラトナの下から離れようとしていた。
どうすればヴィックと離れずに済むのか? それを考えているときだった。
「ラトナちゃんだよね?」
見たことはない、しかし心当たりのある好青年に声を掛けられた。思い出す前に、青年と一緒にいたヒュートが「この人はフェイルさんだよ」と紹介した。しかも勝手に事情を話し、協力してもらうことを約束したと聞いた。
正直、「なにしてくれてんの?」と言いたかった。少し前にもヒュートは、エンブの事をギルドに報告するという勝手な行動をしてしまった。ヴィックにばれるかもしれないという危険性に気付かずにだ。
目の前にいるフェイルについてもそうだった。フェイルは半年前の馬車襲撃事件の主犯だ。あのとき、ソランやヴィックの助けが無ければ死んでいたかもしれなかった。仲間を危険な目に遭わせた人物と協力するなんて、もっての外だった。
だがフェイルの計画を聞いて、試す価値はあると考えた。
計画は簡単だった。フィネとラトナを囮にしてヴィックを誘い出す。誘い出したところで、ヴィックに冒険が出来なくなるほどの怪我を負わせる。冒険が出来なくなって意気消沈したところに、ラトナが面倒を見ることを提案するという計画だった。
平常時なら、ラトナは計画に同意しなかった。いくらヴィックに冒険者を諦めてもらいたいとはいえ、そこまではしたくなかった。たまに冒険するくらいの事は許すつもりだった。
だが、あのときのラトナには余裕が無かった。既に打つ手を尽き、なにがなんでもヴィックを手に入れたい。その思いでいっぱいだった。だからラトナは協力してもらうことにした。
結果、計画は失敗した。フェイルは当初の予定とは違い、偽物のナイフをヴィックに渡した。そしてラトナを殺そうとして穴に落とした。つまり、フェイルに騙されていたのだ。
穴に落とされた瞬間、ラトナはもう諦めた。カイト達と一緒に冒険することだけではなく、遠くから見守る事すらもできない。
それにヴィックの意志の強さにも屈していた。ヴィックはラトナとは違う、強い冒険者だと。そんな冒険者がラトナと一緒にいられるわけがない。そう思っていた。
だから、ヴィックが躊躇なく助けに来てくれた瞬間、ラトナの胸には強い罪悪感だけが残ってしまった。
あたしはなんて馬鹿なんだろう、と。
ラトナの身体は、すでに限界だった。ドグラフに噛まれた場所から血が流れ、地面にはラトナの血が広がっている。足に力が入らず、ナイフを振り回すのも苦しかった。
一方、二匹のドグラフはこの状況ですら油断せず、ラトナと十分な間合いを取って、挟み撃ちの形になる位置取りをしていた。無傷でありながらも、仕留めきるまでは手は抜かないという用心深さに、レーゲンダンジョンの攻略難度の高さをうかがえた。距離を取って様子を見ているワーウルフも、いつでも戦えるような雰囲気を纏っている。
こっちは満身創痍、敵は無傷、そのうえ油断をしていない。倒すどころか逃げることもできない状況。
にもかかわらず、ラトナは笑った。モンスターに顔を見られない様に顔を伏せながら、思惑通りの展開になったことに我慢できなくなった
元々、勝てる見込みなどなかった。レーゲンダンジョンのモンスターはレベルが高い。数ある中級ダンジョンのなかではトップクラスの難易度を誇るほどと聞く。カイト達と一緒にいた時ですら挑戦しなかったのに、ヴィックと二人でそこのモンスターを倒すなんて笑い話になるほどだ。当然、目の前のドグラフになんて勝てるわけがない。
出来ることと言えば、一つしかなかった。
「もっと……血を出した方が良いかな……」
足元には血だまりができ始め、少し離れた場所にもラトナの血が撒き散っている。だが、これでは不十分かもしれない。もっと血の匂いを充満させる必要がある。
レーゲンダンジョンには鼻が利くモンスターが多い。優れた嗅覚を駆使し、敵を探し出して狩る。それがここのモンスターの戦い方だ。ここから無事に逃げられたとしても、すぐに追いつかれるのが目に見える。
一方で、鼻に頼り切っている節があるモンスターだ。匂いで敵がいないと判断すれば、その場所の捜索を切り上げる習性がある。ラトナはそれを利用することにした。
自分の血をこの空間に撒き散らせば、血の匂いに混じってヴィックを見つけられなくなるだろう。そのうえ、瀕死になっても誰もラトナを助けに来ないと知れば、ここに居る冒険者は一人だけだと判断してくれるかもしれないという期待もあった。
後は、血の匂いが続く間にヒランかカイト達が探しに来てくれるのを待ってもらうだけだ。ラトナが死ぬ代わりに、迷惑をかけてしまったヴィックは助かるだろう。そのためにも、もっと血を流す必要があった。
諦めない振りをして、前方のドグラフに向かって斬りかかる。ドグラフに余裕を持って回避され、ナイフが空を切った。すかさず後ろから別のドグラフに肩を噛みつかれて、腕を使って振り払う。
これでまた血を撒き散らせた。まだ必要かな。
ラトナの意識が朦朧とし始めた。視界が悪くなり、眼前にいるドグラフの姿がぼやけている。あぁ、もう無理かも。
悟った瞬間、正面のドグラフに跳びかかられた。何の抵抗もできずに、その場に仰向けで押し倒される。
ドグラフは大きな牙を見せつける。あんなので噛まれたら痛いだろうなぁ。
覚悟はしていた。この選択肢を取った時点で死ぬことは決定していた。自分のやった行為に責任を感じていたからこそ、この決断をした。この選択をしたことに、後悔は無かった。
だけど、
「もっと一緒にいたかったなぁ……」
カイト、ベルク、ミラ。皆ともう会えなくなる。それだけが心残りだった。
ドグラフが口を広げ、ラトナの首に噛みつく。炎のような熱が首から溢れ始めた。命が燃えて消し炭になる感覚が伝わってくる。
「やだぁ……」
血が熱い。傷が痛い。息が苦しい。
「いやぁっ……」
あつい。いたい。苦しい。
こわい。
「やぁ……」
コワイコワイコワイコワイ。
命が消える。無くなる。その感覚が、身体中に伝わる。
自分が消える。
「いやあぁ!」
死にたくない! 生きたい!
皆と……離れたくない!
「誰か、助けてよぉ!」
助けが来るはずのない状況で、ラトナは叫ぶ。昔と同じように助けを求めた。
その直後、ドグラフが姿を消した。
「分かった」
声の主の隣には、剣で斬られたドグラフの死骸がある。
「あとは僕に任せてよ」
目の前に剣と盾を持ったヴィックがいる。
その姿はまるで、昔ラトナ達を助けてくれた女性と同じだった。