10‐8.希望を持つ者
身体が勝手に動いていた。穴に向かって駆け寄り、跳び込んだ。落ちていくラトナに向かって手を伸ばし、気づいたラトナも手を伸ばす。手を掴むと素早く身体を引き寄せた。
左手でラトナを抱きながら右手で剣を抜き、壁に向かって剣を突き刺す。弾かれることを覚悟したが、運良く剣は壁に刺さり、ぶら下がる様な形で静止した。しかし無事に止まったことに安堵したのも束の間、僕とラトナの二人分の重さに耐えきれずに剣が折れた。再び落下するが、間もなくして地面に着地する。
「いっ―――」
着地した足場は荒れていたせいで、左足を捻ってしまう。不十分な体勢での着地と地面が坂の様に斜めになっていたこともあり、身体が下に向かって傾く。手を地面につけて止まり続けようとしたが、二人分の重量を支える筋力が僕には無かった。
ラトナを抱いたまま、坂を転がり落ちて行く。目が回り、身体全体に痛みが走る。辺りは真っ暗で、いつ止まるのか分からない。痛みだけじゃなく、不安も湧いて来る。
だけど―――、
「だい、じょう、ぶっ、だよ」
転がりながらラトナを励ました。
ラトナを放してしまったら、二度と会えないかもしれない。そんな不安が胸中にあった。
痛みに耐えながら、ラトナを強く抱きしめた。
何分、いや何秒か、どれくらい転がっていたか分からないくらい時間が過ぎてから、やっと止まった。すぐに起き上がろうとしたが、目が回っているうえに身体が痛くて起き上がれない。というより、吐きそうだった。気分が良くなるまで寝ていた方が良いだろう。
「ラトナ、大丈夫?」
一緒に転がり落ちたラトナの容体が気になった。転がっている途中、ラトナは悲鳴すら上げなかった。我慢していたのならたいしたもんだが、止まった今も何も言わないことに違和感があった。気を失ってしまったのか?
心配になってラトナの頭に触れる。何らかの反応があると思っていたが微動だにしない。
気を失っているのか。そんな風に悠長に考えていたが、手についた血を見てじっとしていられなくなった。
「ラト、うっ」
呼びかけようとした途端に吐き気がこみ上がる。胃から込み上がる胃液を我慢して飲み込む。口の中が気持ち悪いほどに酸っぱくなった。
吐き気に耐えながらバッグから治療道具を取り出す。包帯、ガーゼ、塗り薬。最低限のものしか入っていない。自分の用意の悪さを恨んだ。仕方ない。あるものだけで治療しよう。
僕はすぐに傷口に薬を塗り、ガーゼを当てて、包帯で巻く。まだ目眩がするため、いつもより下手糞な治療をしてしまう。今はこれで我慢してて、ラトナ。
しばらくすると気分が良くなり、それに伴って視界も良くなったので周囲を見回した。何処にモンスターがいるのか分からない場所に居続けるのはまずい。せめて隠れるところがある事を願った。
幸いにも、十メートルほど離れた場所に大きな岩があった。しかも壁との隙間がありそうだ。身を隠すのにはちょうど良い。ラトナを担いで移動しようと立ち上がった時だった。
目の前が真っ白になった。
あれ? 力が入らない。身体が傾いてる? 倒れ―――。
右足を前に出して倒れかけた身体を支えた。視界が元に戻ると、目の前には地面が見えていた。あと少し気を取り戻すのが遅かったら倒れていた。
急に気が遠くなった原因はすぐに分かった。左足から伝わる激しい痛みが、何よりの証拠である。絶対に左足の脛が折れている。そう確信できるほどの痛みだった。
「いや、ふざけないでよ。マジで……」
仲間が気を失っているうえに足が折れている。不幸中の幸い、近くにモンスターは居なさそうだが、見つかったら勝てる自信がない。前は万全の状態であったにもかかわらず惨敗したのだ。今襲われたら間違いなく負ける。
見つからないことを祈りながら、ラトナの肩と膝裏に腕を回して抱き上げ、足を引きずりながら岩裏まで移動した。
岩裏に到着すると、そこにはすでに先客がいた。背中を壁に預けるようにして座っている骸骨。昔の冒険者の骸だろうか、横にはバッグと剣が置かれてある。
気味が悪いが贅沢は言ってられない。僕はラトナを骸骨の近くに寝かせた。
僕も疲れていたので休むことにした。岩に背中を預けて座る。左足はもちろん、全身から痛みが伝わってくる。痛みが辛くてずっと休みたい。ここから動きたくなくなるほど参っていた。
「ずっとは無理だよなぁ……」
今はモンスターが近くにいなくても先の事は分からない。一分後に来るかもしれないし、一日経っても来ないかもしれない。情報が少なすぎた。こうも分からないことだらけだと迂闊に動けない。このまま待つのが一番良い選択肢のように思えた。一応、助かる見込みはあるからだ。
冒険者の僕やウィストはともかく、ギルド職員のフィネが捕まっている。冒険者がニ三日姿を見せなくても問題にはならないが、ギルド職員だと話は別だ。ヒランさんが絶対に気付く。フィネの家にあったメモを見て、レーゲンダンジョンに来てくれるかもしれないという望みがあった。
フィネのついでに僕達も助けてもらう、それくらいしか希望が見出せない。けど、無いよりかは全然いい。
自分を励まして、少し気分が楽になった。だいぶ希望的観測が強いが悲観的になるよりは良いだろう。
落ち着いて、ゆっくりと安堵の息を漏らす。同時に瞼が重くなってきた。少しだけ、少しだけ寝よう。休息は大事だし、近くにモンスターもいない。休むなら今のうちだ。
強くなる眠気に逆らわず、僕は瞼を閉じて眠りについた。
***
夢を見ていた。
目の前には小さな少女。知性を感じさせる顔立ちだ。「あたしとは違う」そう思いながらも、ラトナは少女に対して親近感が湧いていた。
それもそのはず、少女は幼い頃のラトナだった。
「変わり過ぎじゃん、あたし」
その変貌ぶりに、ラトナは自嘲する。そういえば小さいときに比べれば見た目だけではなく、口調も考え方も変わっている。それについては後悔は全くしてないし、むしろこれで良かったと思っている。
だが、一番嫌いな欠点だけは変わっていない。それだけが心残りで、冒険者になっても足を引っ張る要因になっていた。
少女時代、ラトナは劣等感の塊だった。代々、医者を生業としている家に生まれたラトナは、物心ついた頃から兄と比べられていた。
兄は一を聞いて十を知るを地で行く理解力を持ち、同年代の子供の中では突出した知能を持っていた。大人と議論する機会を目にしたことがあり、何度か相手を言い負かす姿を目にしていた。
そんな兄に比べれば、ラトナは至って普通の子供だった。学校の成績が悪いわけではなく、むしろ良い方だ。しかし親は常に兄と比較して、その度にラトナは叱責を受けた。
褒められた記憶は全くない。だからラトナは家が嫌いで、辛い日々を送っていた。
そんな日々に幸せを運んでくれたのが、カイト達だった。
カイトとベルク、ミラと出会ってからは楽しい日々を過ごした。一緒に遊び、悪戯をし、勉強をしたり、馬鹿をしたりと、忙しくても幸せな毎日を送った。
ある日、ラトナの提案で町の外に出ることにした。前日、道ですれ違った冒険者が持っていた花に心を奪われてそれが欲しくなったからだ。ラトナが提案することは四人の中では今まで無かったので、皆は喜んで賛同してくれた。
町の外にはモンスターがいる。けど町の近くのモンスターは弱いものばかりだと聞いていた。
武術を習っているカイトに、身体が大きいベルク、咄嗟の判断が優れているミラがいれば大丈夫だと思った。
その決断を、死ぬほど後悔することとなった。
町の外を出てから三十分程経った時、森で花を探しているとモンスターに遭遇した。上半身が人で、下半身が馬。冒険者でなかったラトナでも知っていた、ケンタウロスというモンスターだ。
棍棒を持ったケンタウロスは、ラトナ達を見ると攻撃してきた。ベルクとカイトが必死に応戦するが二人の攻撃は当たらず、サンドバックのように殴られる。ミラは腰を抜かして動けなくなり、ラトナはあまりの事態に呆然としていた。
「ラトナ! 誰か、誰か呼んできてくれ!」
ベルクの声を聞いて、ラトナは我に返った。確かに助けが必要な状況で、このままではみんなが死んでしまうことが予想できた。
けどラトナは、それが出来なかった。
「や、やだ! みんなと一緒じゃなきゃ、いや!」
カイト達と会う以前、ラトナの毎日は辛いものだった。孤独で寂しくて、誰の助けも無かった。そんな日々に終止符を打ってくれたのがカイト達だ。
今離れてしまったらもう二度と会えなくなるかもしれない。そう考えると、離れることができなかった。
「なに言って―――」
喋っている途中、ベルクはケンタウロスに頭を殴打された。ベルクは地面に倒れ、動けなくなる。いつの間にか、カイトも地面に伏せている。意識はあるようだが立てそうにはない。ミラはケンタウロスに無視されることを祈って地面に蹲っていた。
ケンタウロスはラトナの方に身体を向ける。
「なんで……」
目から涙がこぼれ落ちる。せっかく友達が出来たのに、毎日が楽しくなったのに、何でそれを奪おうとするの? 私の大事なものを取らないでよ!
胸の内で自分の運命を何度も恨んだ。私が提案したから? カイト達と出会ったから? 私が生まれたからこんな目に遭うの? こんなので終わりって、あんまりだよ。そうじゃないなら―――、
「誰か、助けてよ!」
捨て鉢になって助けを求める声を上げた。誰かが助けに来る見込みは全くない、絶望的な状況だった。けど、そう叫ばなければいられなかった。
だが結果的には叫んで正解だった。ラトナの叫び声に応えるように、
「まっかせーなさーい」
長い金髪の女性が、ラトナの前に現れた。
その登場は、まるで御伽噺に出てくる英雄の様だった。
目を開くと、薄暗い場所にいることに気づいた。ぽつぽつとか弱い光源が暗い洞窟に明かりを照らす。微光石、もしくは光の弱い明光石だろう。
弱い光が、目の前にいるヴィックを照らしていた。装備はボロボロで身体に傷も多い。その痛々しい姿を見て、ラトナは心を痛めた。
「ごめんねヴィッキー。あたしのせいだよね」
もしヴィックが起きていたら、「そんなことはない」と否定するだろう。その姿が鮮明に浮かび上がる。
ヴィックは良い人だ。人を思いやることができる冒険者で、いざという時に身体を張れる性格だ。友達のために、死ぬかもしれないことを簡単にやろうとする。冒険者としてはダメな行為だが、そこがラトナの気に入ったところで、相棒に選んだ理由だった。
半年前のフェイルの計画による馬車隊襲撃事件、ヴィックは自分では何もできないはずなのに冒険者達を助けに来た。任されたことだからとはいえ、単独行動をしたウィストを助けに行く姿を見て、ラトナはある推測をした。
もしかしたらヴィックは、あたしと似た人間なのかもしれない、と。もし組めば、お互いに助け合える良いパートナーになるのではないか、と思った。
組んでからしばらくの間、その予感は当たっていると思っていた。ラトナがピンチになるとヴィックは全力で守ってくれて、ヴィックがピンチになるとラトナはいつも以上に頭が冴える。理想のパートナーだと確信していた。
だが今となっては、ヴィックを選んだことに後悔していた。ヴィックが眩しいくらい、未来溢れる少年だったからだ。
高い目標を目指し、辛いことに遭ってもめげずに努力するひたむきさ。ラトナもそうなろうと努力したが、結局はなれなかった。
そして今、そんな未来あるヴィックを危険な目に遭わせていることに、ラトナは罪悪感を抱いていた。
「ホントにごめんね。ヴィッキーは、あたしの命に代えても守るから」
ラトナは腰に下げた剥ぎ取り用のナイフを手に取った。今、ラトナが持っている武器はこれしかない。だから、これでモンスターと戦うしかなかった。
立ち上がったラトナは岩陰から出て、ある一点を見つめた。
視線の先には、三匹のモンスターがいた。ドグラフ二匹と、ワーウルフ一体。モンスター達は、ラトナが出てくる前からこの岩陰に向かって来ていた。おそらく匂いを嗅ぎ取って、ラトナ達がここに居ることを突き止めたのだろう。
どれも中級ダンジョンにいても不思議では無いモンスターで、ラトナ一人で勝てる相手では無かった。
だけど、やるしかなかった。
ヴィックへの贖罪。それがラトナの戦う理由だった。
そしてラトナは覚悟していた。自分の命が、ここで尽きることを。